72話 告白の予約
迎えた婚約パーティー当日。開始の約一時間前。
尻尾をブンブンと振って「可愛過ぎます……!!」と大興奮しているナッツを落ち着かせてから、ドロテアは自身の姿を大きな鏡で確認すると、感嘆の声を漏らした。
「……まあ! 今日は一段と自分じゃないみたい……。とっても綺麗にしてくれてありがとう、ナッツ!」
クセのある髪の毛はザクザクと編み込まれ、後ろで一つに束ねられている。
そこに金の宝石が真ん中に埋め込まれた、花の形をした髪飾りが着けられていて、華やかさが演出されているようだ。
イヤリングやネックレスもヴィンスの目と同じ金色のものだが、ゴテゴテとした印象はなく上品に見える。
ドレスにも胸元にキラリと光る金色の刺繍が施されているが、薄紫色の生地のおかげで可愛らしい。
華やかさ、上品さ、可愛らしさを兼ね備えた今のドロテアは、まさに主役に相応しい姿だった。
「とんでもございません! 私は少しだけ手を加えただけですっ!」
「そんなことないわ。ナッツは大天才よ!」
「きゅるるんっ! そこまでお褒めいただくと照れてしまいますっ! ふふ、因みに今日のコーディネートのタイトルは、『陛下の色に染まっちゃいました』です! この姿のドロテア様を見たら、陛下はさぞお喜びになると思います〜!」
確かにナッツの言う通り、今日は全身に金色が散りばめられているので、独占欲が強いヴィンスは喜ぶ気がする。
(男性が女性に自身の目の色のアクセサリーを贈るのは独占欲の現れで、それを身に着ける意味は、その愛を受け取ると言っているようなもの)
サフィール王国の建国祭のときはヴィンスから贈られた髪飾りを着けるのでいっぱいいっぱいだったが、今は違う。
ヴィンスの色に包まれるのは気恥ずかしいけれど幸せで、ドロテアは無意識に頬を綻ばせた。
──コンコン。
「ドロテア、入るぞ」
そんなとき、ノックの音と聞き慣れた低い声にドロテアが「どうぞ」と返事をすると、正装に身を包んだヴィンスが入ってくる。
「か、格好良い……あ」
服装もさることながら、いつもと違い少し前髪を弄っているヴィンスの格好良さに見惚れて、ついつい感想が漏れてしまう。
しまった、と咄嗟に両手で自身の口元を覆うが、目の前まで歩いて来たヴィンスにその手を捕われてしまったドロテアは、目を泳がせた。
「少し額を出している方が好きなのか? ドロテア」
ギュッと手を掴み、口元に弧を描くヴィンスとの距離は僅かに十センチ。
ナッツが居るからと一旦離れてほしいと懇願しようにも、どうやらヴィンスと入れ替わりで退室していたらしくその姿はなかった。
もっともらしい理由を失ったドロテアは、おずおずとヴィンスを上目遣いで見つめて、口を開いた。
「いえ、その、額を出している男性に特段惹かれた経験はないのですが……その、ヴィンス様が髪型を変えていらっしゃるのが珍しくて……何でも似合うと言いますか、何をしても格好良いと言いますか……」
──恥ずかしくて、頬が熱い。
そんな中で必死に言葉を紡げば、ヴィンスは一瞬目を見開いてから、薄っすらと目を細める。
そして、直後ヴィンスはドロテアの背中に腕を回した。
「褒められるのは光栄だが──その顔は反則だ」
「えっ」
「俺が贈った物を全身に身に着けて、いつにも増して美しい姿でそんな顔をされると、ずっとこの腕の中に閉じ込めていたくなる」
「……!?」
これが誂うような声色ならば良かったのに。
ヴィンスの声があまりに真に迫っていたものだから、ドロテアの心臓は煩いくらいに音を立てた。
「……っ、ヴィンス様……」
甘い空気が二人を包み込む。今から婚約パーティーに出席することで少し緊張していたドロテアだったが、ヴィンスに触れられたり、甘い言葉を囁かれたりすると、その比ではないくらいに心臓が素早く脈打つのだから困ったものだ。
そんな状態でヴィンスと見つめ合えば、どちらからともなく顔を寄せ合うのは必然というもので、そっと目を閉じようとした。──のだけれど。
「……って、ヴィンス様、だめです!」
「……!?」
しかし、ハッとしたドロテアは勢いよく俯いて、腕の力が緩んでいるヴィンスから抜け出す。
こちらを怪訝そうな顔で見て「キスをしたいという顔をしているように見えたが」と不満を漏らすヴィンスに、ドロテアは慌てて言い訳を口にした。
「申し訳ありません、まだ私がヴィンス様に面と向かって思いを伝えられていないことに、たった今気が付きました。その、何事も順番は大切ですし……」
「それなら、今すぐ伝えてくれても構わないんだがな」
「面目ありません……直接お伝えするには多大なる勇気と気合が必要でして……」
約一月半ほど前。ドロテアはヴィンスに告白をしようと意を決したわけだが、ディアナの登場によりそれは叶わなかった。
それからは、フローレンスの発言のせいでヴィンスと一週間ほど気まずくなって告白する機会を無くした。
落ち着いたと思ったら、公務だったり、婚約パーティーの準備だったり、セグレイ侯爵家が経営する病院の虚偽の書類について調べたりと、多忙な日々が続いたせいで告白のことが頭から抜けていたのである。
(……言い訳ばかりをしていてはだめね。いつお伝えするか、決めないと)
ドロテアはキリッとした目つきを見せると、「あの」とヴィンスに話しかけた。
「今の今では勇気が足りないので……婚約パーティーが終わったら、ヴィンス様に思いを伝えさせてください。……今夜、絶対にお伝えすると、約束いたします」
数時間後に告白をしますよと伝えるのも中々恥ずかしい。けれども、ずっと待たせるわけにはいかない。
頬を真っ赤にするドロテアの耳元に、ヴィンスは顔を寄せた。
「分かった。それなら、今日のパーティーが終わった後に楽しみは取っておこう」
「っ、ありがとう、ございます」
返答はありがとうございます、で合っているのだろうか。
それさえも分からないほど動揺しているドロテアに、ヴィンスは楽しそうに微笑む。
「さっきのドロテアの言い分だと、お前が告白できれば、キスをしても良いんだろう?」
「……っ、それは、そのようにも、捉えられますが、あの」
「もちろんドロテアの愛の告白は楽しみで仕方がないが──何度も何度も寸止めを食らったんだ。一度や二度のキスでは終わらないつもりだから、今から覚悟しておくんだな」
「〜〜っ!」
こんなことを言われて、婚約パーティーに集中できるだろうか。
そんな懸念を抱きながらも、窓から見える黄昏にそろそろ会場に向かわなければと、ドロテアは頭を切り替えた。
今回行われる婚約パーティーは、普段ドロテアたちが暮らしているのとは別棟に当たる。
広大な王城の敷地内を徒歩だけで移動するのは困難なため、ドロテアはヴィンスと二人、馬車に乗ってパーティー会場へと向かっていた。
(さて、もう少ししたら会場に来賓の方たちが揃う頃かしら)
先程まで茜色だった空が、少し薄暗くなっている。うっすら見える月は綺麗な丸の形をしていることから、今日は満月だろうか。
外を眺めていたドロテアだったが、会場が近付いてくるとパッとヴィンスへと視線を移した。
「改めて、病院に行くことを許可していただきありがとうございました。皆様初めはあまり話してくださらなかったのですが、病院のためだからとお願いしたら、勇気を持って話してくださいました」
「それは、ドロテアが真摯にその者たちと向き合ったからだろう。それに、むしろ俺が礼を言いたいくらいだ。ドロテアの情報の中には有益なものが多かったからな」
「そう言っていただき、恐縮です」
そう言って、ドロテアが軽く頭を下げれば、ヴィンスが長い脚を組み替えた。
「──ついに、今日だな」
「はい。ハリウェル様を含め、数名の騎士の方は既に向かわれているのですよね?」
「ああ。事前の調べであいつの屋敷にはかなり腕のたつ用心棒が居るようだからな。ハリウェルを行かせたほうが被害が少なくて済む」
「確かにそうですね」
その会話を最後に、ゆっくりと馬車は止まる。
するとヴィンスは、思い出したように「あ」と呟いた。
「ドロテア、内容は言えないが、今日一つ驚くことが起こるぞ」
「えっ。何かあることだけ教えてくださるのですか?」
「驚きで倒れられたりしたら困るんでな。念のためだ」
「……なるほど」
(一体何でしょう……)
気にはなるが、ヴィンスは意味のないことはしない。
きっと隠していることは何か意味があるのだろうと、ドロテアはその疑問を頭の端に追いやってから、ヴィンスと共にパーティー会場へと足を踏み入れた。