71話 フローレンスはほくそ笑む
◇◇◇
一方その頃、セグレイ侯爵邸では。
「あー! もう! 未だにムカつくわね! ドロテアのすました顔!! ちょっとは動揺するなり声を荒げるなりしなさいよ!! 本当にムカつく!」
ソファに置いてあるクッションを床に投げつけながら怒るフローレンスの頭に過るのは、以前王城に行った際のドロテアとのお茶会の件である。
フローレンスがあのお茶会に参加したのは、ドロテアを蔑むような言葉を使えば彼女が苛立ち、問題発言を引き出せるのではないかと思っていたからだ。
というのも、そのことをヴィンスに進言し、かつ侯爵家の権力を使えば、ドロテアを婚約者の座から蹴落とせるかもしれないと考えていた、のだけれど。
「あんなに平然とされてちゃ、折角お茶会に参加してあげた意味がないじゃない! ヴィンス様の婚約者には、この私こそが相応しいのに!!」
──セグレイ侯爵家に生まれたフローレンスは、幼い頃何不自由なく暮らしてきた。
服も、アクセサリーも欲しいものは全て買ってもらえて、両親や使用人たちは皆甘く、望みは何でも叶ってきた。
獣人国レザナードには年頃の公爵家の令嬢は居なかったので、ヴィンスの婚約者──次期王妃は自分で間違いないだろうと、そう思って今まで暮らしてきたというのに。
「あんな小国出身の地味なただの人間がヴィンス様の婚約者ですって!? 何を言われてもニコリと笑うことしか出来ない無能そうな女が!? ……っ、そんなの有り得ないわ……!!」
──パリーン!
堪らずフローレンスがテーブルに置いてあったティーカップを床に投げれば、淡いピンクの絨毯の一部が濃く染まる。
辺りにはティーカップが細かく割れ破片が飛び散り、部屋の端に待機していたルナは、ホウキとちりとりを持つと直ぐ様フローレンスの近くへと駆け寄った。
「フローレンス様、お怪我は──」
「……っ、煩いわね!! このグズが! さっさと片付けなさいよ!!」
「……っ、はい」
フローレンスにそう言われたルナは、まずは危なくないようにティーカップの破片を集めると、次に雑巾を持ってきて床を拭いていった。
床を這うようにし、てきぱきと掃除を進めるルナの一方で、フローレンスは足を組んでソファに座っている。
「ちょっとルナ! モタモタしないでさっさとやりなさいよ! あんたの母親病院から追い出すわよ!?」
「申し訳、ありません。それだけは、ご容赦、ください」
ドロテアへの怒りが収まらずルナに八つ当たりをしたフローレンスに対して、ルナは謝罪の言葉を漏らす。
フローレンスは「ハァ」と態とらしく溜息を溢した。
「今後何でも私の言うことを聞くって条件を飲む代わりにルナをメイドとして雇ってあげたのは良いけれど……ほんと役に立たないわね」
「…………申し訳、ありません」
もう一度ルナが謝罪すれば、ちょうど絨毯を拭き終わった彼女は掃除道具を持って立ち上がる。
すると、コンコンと聞こえるノックの音に、二人は視線を扉へと移した。
「フローレンス、少し話があるんだが──」
入室してきた父──侯爵に、フローレンスは「パパ!」と駆け寄ると、同時にルナは侯爵に頭を下げて部屋の隅へと下がった。
「ねぇパパ! 私やっぱり納得いかないわ! あんな女がヴィンス様の婚約者だなんて!」
侯爵の言葉を遮ったフローレンスは、そのままの流れでドロテアへの不満を述べる。
頬を膨らましているフローレンスに、侯爵は目尻を下げた。
「そうだな、そうだな。陛下の妻にはあんな平民に下るような女ではなく、フローレンスのような気品を備えた女性が相応しい」
「…………。え?」
侯爵の発言に、フローレンスからは上擦った声が漏れる。
「パパ、今……平民って……」
「ああ。実はこの話をしに来たんだ。この前王城に行った際に、偶然文官の一人が陛下のものと思われる書類を落としたときに目に入ってな。そこには、ドロテア・ランビリスの生家は没落し、もう少しで平民になると書かれていた。そんな話は私の耳に届いていなかったから、おそらく秘密にしていたんだろうが。……良い情報だろう?」
その情報はフローレンスにとって、まさしく青天の霹靂というべきだろうか。
ドロテアの弱みを握ったフローレンスは、ニヤリとほくそ笑んだ。
「ふふ。大勢の貴族が集まる場所でこんなことが公になったら、あの女は終わりね」
「ああ。平民の女が国母になることを認めない貴族も現れるはずだ」
ドロテアを蹴落とす情報が手に入ったのは嬉しいが、だからといってこれでドロテアをヴィンスの婚約者の座から引きずり落とせるとは決まったわけではない。
(……ま、大丈夫だろうけれど、一応保険を張っておかないとね)
フローレンスは普段から頭を働かせることが少ないのだが、それは思いの外、直ぐに思いついた。
(……そうだわ!)
フローレンスは高揚を抑えられないようで口元に弧を描と、部屋の端に居るルナにスッと視線を移す。
そして、床を見るようにして俯いているルナに、先程よりも、数段柔らかな声色で話しかけた。
「ルナ。ようやくあんたが役に立つ時が来たわよ。あんたは私のおもちゃなんだから、せいぜい上手くやりなさいよね」
「えっ……」
ルナが顔を上げれば、見たことがないほど悍ましく笑うフローレンスの姿を視界に捉える。
そんなフローレンスの表情にゾッと背筋が粟立ったルナは、体を小刻みに震わせた。
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