70話 報連相は大切です
次の日から、通常公務と婚約パーティーの準備、そしてセグレイ侯爵家の病院の経営について調べ始めたドロテアは、多忙な日々を送っていた。
ときおり肉体的に疲れることもあったが、毎日新しいことが知れる日々は、知的探究心が底しれぬドロテアにとって充実したものだった。
そんな日が続き、婚約パーティーまで残り一ヶ月が切った頃、ドロテアは自室で一人椅子から勢いよく立ち上がった。
「やっぱりおかしいわ」
仕事の合間、ドロテアは自室でこうしてセグレイ侯爵が提出した病院の経営書について調べている。
そんな彼女の目の前にあるテーブルの上には、病院の経営報告書と、もう一つの資料が置かれていた。
「こんなの、あり得ない」
ドロテアはそう呟くと、もう一度着席し、資料とにらめっこをする。
しかし、やはり違和感が拭えることはなく、ドロテアは急ぎ執務室へと向かった。
「どうしたドロテア、そんなに急いで」
それほど作業に追われていないのか、比較的穏やかな空気が流れる執務室に入ると、ヴィンスの心配そうな眼差しを向けられる。
文官たちにも「大丈夫ですか?」「何かありましたか?」と声を掛けられる中、彼らに驚かせてごめんなさいと謝罪を入れ、ドロテアは肩で息をしながらヴィンスの目の前まで歩いた。
「ヴィンス様、少しお話が──」
◇◇◇
ヴィンスと共に自室に戻ってきたドロテアは彼にソファに座ってもらうと、急ぎお茶の準備をした。
それが済むと、テーブルの上に纏めておいた資料をヴィンスに手渡し、口を開く。
「今お渡ししたものの一つが国立病院の経営報告書です。以前セグレイ侯爵が提出したものと、過去のものも引っ張り出してきました」
「もう一つは?」
「はい。それともう一つは、三年ほど前までの大きな事故や事件、災害、流行病の有無、それらの発生場所、被害がどれだけだったかを記したものです。命に関わるようなものは少ないものの、国全体で五つ発生していることが分かるかと思います。以前私が視察に行った『セゼナ』の竜巻被害も、その一つです」
この説明の直後、ヴィンスは少し資料に目を通すだけで眉間にシワを寄せた。
何故この資料を一緒に渡したのか、ここから何が読み取れるのか、敏いヴィンスは直ぐに察しがついたらしい。
「ヴィンス様はもうお分かりだとは思いますが、この二つの資料には、大きな関連性があります。それは──」
「……災害や流行病が起これば、怪我をしたり病気になる者が急激に増える。……だろう?」
「はい。その通りです。だというのに、災害等が起こった月も、病院の薬代や患者が支払う治療費などが、平常時と同じように計上されているのです」
いくら国立病院以外の病院も存在するとはいえ、報告書どおり諸々の数字が平常時と変わらなかったなんてあり得ないだろう。
災害等が起こった月や、それからしばらくは病院への外来通院、入院は段違いに増えると考えて間違いないはず。
「──つまり、セグレイ侯爵が提出した書類は、虚偽の報告書であると……そういうことだな」
「はい。一度だけならまだしも、三年間とも同じような報告書が上がっている時点で、意図的であると考えて間違いないかと」
(虚偽の報告書をあげた理由は大体察しがつく。……おそらくヴィンス様もそうでしょうね。けれど、不確定要素が多い今、口に出すべきではないわね)
そう考えて言葉を飲み込んだドロテアに、ヴィンスは自身の隣をポンポンと叩く。
おそらくここに座れという意味なのだろうと、ドロテアはヴィンスの隣にちょこんと腰を下ろすと、彼が口を開いた。
「ドロテア、一つ聞きたい。何故この報告書が虚偽であることに気付いたんだ? 病院の経営報告書だけならば、おかしなところはなかっただろう」
ドロテアはコクリと頷いてから、こうして調べるに至るまでの経緯に話すことにした。
「……そうですね。計上されている数字があまりに変動がなく、一律だったからでしょうか。何となく、この書類ならば文官が違和感を持たないのでは、という意図を感じたと言うか」
「なるほど。それで気になって仕方が無くなって、調べ始めた、と。……本当にお前は見ていて飽きないな」
ふっと笑うヴィンスにキュンとしつつ、よしよしと頭を撫でられて感謝の言葉を伝えられれば、ドロテアは無意識に顔を綻ばせた。
(……ヴィンス様や、この国の役に立てたのなら、嬉しいな。それに、頭を撫でられるの、きもちい……って、ハッ!)
しかし、ドロテアは幸せに浸っている場合じゃないと、体ごと斜めにしてヴィンスに向き直った。
「まず、今後はこのような不正を見逃さないために、災害や流行病、大きな事故が起こった後は、その被害等と関連づいている事業の報告書などは再度確認すべきかと」
「そうだな。文官たちに今回のことを伝えるに当たり、今後の対策についてもきっちりと話を詰めよう」
「ありがとうございます……! あの、話は変わるのですが、一つお願いがあるのです……っ」
報告書が虚偽であることをヴィンスに伝え、それが文官たちにも伝われば、ドロテアが率先して何かをする必要はないだろう。
ヴィンスや文官たちは大変優秀なので、病院の経営報告書が虚偽のものであるという物的証拠を掴み、何故不正を働いたのかを調べ上げるのはそう難しくないはずだ。
だというのに、ドロテアの心の中には気がかりが残っていた。
(……ルナさん)
茶会のときのルナの暗い──いや、何かに耐えているような表情が頭から離れなかったのだ。
ドロテアは、そんなルナの姿が過去の自分──家族や民のために尻拭いをしているときの自身に少しだけ似ている気がして、放っておけなかった。
「ドロテアが頼みとは……何だ?」
「……フローレンス様付きのメイドであるルナさんのことがどうにも気がかりで、少し調べたいのです」
「……危険なことをしないなら別に構わないが、どうやって調べるつもりだ?」
だからドロテアは、ルナに直接話を聞いて、何か困ったことはないかと、あるとするならば手を差し伸べてあげたいと思っていた、のだけれど。
(ルナさんはフローレンス様付きのメイド。おそらく多くの行動をフローレンス様と共にすることになる……とすると、ルナさんと二人きりで話せる機会はないに等しいわね)
──とすると、ルナに直接会わずして、彼女のことを知るしかない。
そうすると方法はかなり限られているのだが、ドロテアには一つだけ思い当たることがあったのだ。
「……ルナさんはフローレンス様に付いて、良くセグレイ侯爵家が経営する病院に行くことを確認済です。ですから、病院に聞き込みに行きたく──その許可をいただきたいのです」




