67話 触ってほしいとお前が言ったんだ
ヴィンスが目を丸くした姿に、ドロテアは自分が何を言ってしまったかと理解して、咄嗟に片手で口元を覆い隠した。
「いっ、今のは……! 今のは本音なんですが、そうではなくてですね! えっとつまり、変な意味ではないんですが、触って欲しくなって……。って、私は何を言っているのでしょう……!?」
自身の支離滅裂の発言に、より一層恥ずかしさが襲ってくる。
カァっと顔に込み上げてくる熱は、体調不良ではなく羞恥心から来るものなのだろう。
「ドロテア」
対してヴィンスは彼女の名前を呼ぶと、そっと片手をドロテアの頬へと滑らせる。ヴィンスの声は、どこか余裕がないようにドロテアには思えた。
「お前は本当に……たまに凄いことを言うな」
「……っ、今回の発言は、自分でも驚いています……」
素直な気持ちを吐き出せば、ヴィンスはクツクツと喉を鳴らしてから、ニヤリと微笑んだ。
そこには、先程可愛らしいと感じたヴィンスの姿はなく、いつもの意地悪そうな笑みを浮かべる彼に、ドロテアの心臓は無意識に高鳴った。
「──まあ、とにかくだ」
頬に触れていたヴィンスの手が、少し移動して耳に触れる。
耳朶をやわやわと触られ、直後ツゥー……となぞられると、ドロテアの体はピクピクと弾んだ。そんな姿に、ヴィンスは至極楽しそうに口を開いた。
「大切な婚約者の要望には答えないとな」
「……っ、ですからさっきのは……いや、その前に耳を触るのはやめ──」
「……そう言いながら、触ってほしいんだろう? さっき自分が言ったことを忘れたのか? ドロテア」
「〜〜っ!」
その後ドロテアは、ヴィンスが満足するまで沢山触られることになる。
耳から始まり、頭や、首筋、それに鎖骨。手を絡ませ合ったり、向かい合っているときの膝と膝がくっついたり。
過去のヴィンスの行動を振り返れば、今回はそれ程過度なスキンシップではないというのに、自分から触ってほしいといったからなのか、とんでもなく恥ずかしかった。
──ヴィンスに触れられ始めてから、約三十分。
満足したヴィンスにようやく離してもらえたドロテアは、彼と横並びでソファに座っていた。
久しぶりに他愛もない話をしていると、突然聞こえたノックの音に扉の方を見る。
ヴィンスに目配せをしてから「はい、どうぞ」と部屋主のドロテアが許可をする。扉を開けたのは、疲れたような顔をしているラビンだった。
「失礼いたします、ドロテア様。陛下に用があるのですが、おそらくこちらだろうと思い、参った次第です。お邪魔してしまって申し訳ありません……」
「い、いえ。構いませんよ。それよりもラビン様、何やらお疲れの様子ですが大丈夫ですか?」
ドロテアの問いかけに、ラビンからは「あはは」と乾いた声が漏れる。
(何かあったのね)
「……で、わざわざ呼びに来るとは何があった、ラビン」
ヴィンスも同じように感じているのか、ドロテアとの時間を邪魔されたと苛立つ様子はなく、ラビンに優しく問いかけると。
「それがですね……。今セグレイ侯爵がいらしてまして」
「今日、侯爵の登城の予定はなかったはずだが」
「そうなのですが……医療機関が足りず苦しむ民のためにいち早く病院の数を増やしたく、そのために補助金の協力を是非願いたいと。そのためにいても立ってもいられず、陛下に話を聞いていただきたいようです」
「…………。分かった」
いくら事情があろうと、先触れもなく押しかけるのは非常識だ。
それに、ヴィンスも家臣たちも、新たな病院の建設については幾度となく議論を重ね、検討中だというのに。
(けれど、民のためと言われたら……話を聞くしかないわよね)
しかし、ここでドロテアに一つの疑問が浮かんだ。
(セグレイ侯爵の来城は突然とはいえ、ラビン様の顔にここまで疲れが出るものかしら)
そんなドロテアの考えは、ラビンの次の言葉で直ぐに判明することになる。
「それとですね……実は今回もフローレンス侯爵令嬢が一緒に来ていまして……自分も話し合いに参加したいと──つまり陛下に会いたいと駄々をこねていて困っているのです」
「邪魔でしかないだろうが。適当に庭園でも散歩させておけ」
「素直にこちらの言う事を聞いてくださるなら、苦労はさせませんよ……」
頭を抱えるラビンにドロテアは同情の目を向ける。おそらく伯爵家次男のラビンでは、いくらヴィンスの側近という立場があろうともフローレンスに対して強くは出られないのだろう。
「それなら、ディアナに相手をさせろ。ディアナが相手をするなら流石のあの女でも言うことを聞くだろう」
「そうかもしれませんが!!!! 姫様はフローレンス侯爵令嬢のことが大変苦手なんですよ!? それを知っていながらそんなこと頼めません!! あの美しい天使の笑顔を歪めることなど……!! できません!!」
「……ハァ」
ヴィンスはため息を漏らしているものの、ドロテアにはラビンの気持ちがよく分かった。
あの心優しいディアナがフローレンスのことを苦手だというのだ。
パーティーなどの社交場なら致し方ないが、わざわざ相手をさせるのは可哀想である。
(うーん。丸く収める方法はないものかしら……)
いくらセグレイ侯爵家がこの国にとってかなり重要だとはいえ、このままフローレンスに好き勝手させるのは各所に迷惑だろうし、ディアナを生贄として差し出すのは忍びない──。
「あっ、良い考えが思い付きました」
「……! 本当か、ドロテア」
「本当ですか、ドロテア様!!」
ヴィンスから真っ直ぐな目を、ラビンからは縋るような目を向けられたドロテアは、さらりと答えた。
「ヴィンス様の婚約者である私がフローレンス様のお相手すれば、一番丸く収まるのでは?」
黒狼陛下②発売までもう少しです!
3巻も出したいので、ぜひ書籍版もよろしくお願いします……!




