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63話 ハジメテって何?

 

 ◇◇◇



「お義姉様、メイドたちは下がらせましたから楽にしてくださいね! あっ、あまり上手ではないかもしれませんが、私がお茶のご用意を……!」

「ディアナ様、ご迷惑をおかけして、申し訳ございません……。それと、ありがとうございます」


 フローレンスのハジメテ発言の後、流石の侯爵もフローレンスの発言はまずいと思ったのか、ヴィンスとドロテアに頭を下げるとそそくさと謁見の間をあとにした。


 そんな二人の退出の後にドロテアが謁見の間を出たところ、ちょうど出会したディアナが声をかけてくれて自室に招待してくれたことで、現在に至る、のだが。


「全然迷惑ではありませんわ! 何なら私が半ば無理矢理連れて来たようなものですもの!」

「けれどそれは、私がヴィンス様に対して()()()態度を取っているのをご覧になったからでは……?」

「そ、それは……! 私がお義姉様とお茶をしたかったのですわ! ね?」


(ディアナ様……なんてお優しい嘘を……)



 ──遡ること十数分前。実は侯爵とフローレンスの退出後、ヴィンスと二人きりになった謁見の間で、ドロテアはこんなことを考えていた。


(ハジメテって何……? 男女のハジメテって……それって、やっぱり、営みのこと……?)


 年頃の女性が言葉をそのまま受け取るならば、その可能性は低くない。

 しかし、ヴィンスのことを好きなドロテアが、それを直接ヴィンスに尋ねる勇気はなく。


「ドロテア、さっきのセグレイ嬢の発言のことだが──」


 そんなとき、ヴィンスはいつの間にか目の前に来て、先程の説明をしようとする。


 いつもならば彼の目をじっと見て耳を傾けていただろうが、今日のドロテアには無理だった。

 もし自身の想像していたことをヴィンスの口から聞いてしまったら、それが真実だったら、醜い感情が溢れ出してしまうかもしれないと危惧したからである。


「……っ、ヴィンス様! 申し訳ありませんがその話はまた後日にしてください……!」  


 だからドロテアは、全速力で謁見の間の外までは逃げたのだけれど。


「待て、ドロテア! 頼むから話を聞け……!」


 人の何倍もの脚力を持つヴィンスを撒けるはずはなく、ドロテアは捕らわれた手首を離してくれというように腕をぶんぶんと振るった。


「もももも、申し訳ありませんが、今はやめてください……! 今だけはご容赦ください……!」

「待て! お前何か誤解を──」


 そしてこのとき、ドロテアにとって救いとなるディアナが登場したのである。


「ちょ、お兄様!! お義姉様に何をしていますの……!?」



 ──ということがあり、ディアナが間に入ってくれたことでヴィンスとは離れることが出来た。


 謝罪と感謝を伝えたドロテアはディアナが入れてくれたお茶を飲んで「美味しいです」と感想を口にすると、あの……と話し始める。


「あんな恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません」

「いえいえ。普段どれだけ仲が良くても喧嘩の一つや二つはするものですわ。……もしお義姉様が良いならば、お話を聞きますが……」

「…………。あの、ですね……」


 言うべきか言わないべきか、ドロテアは頭を悩ませる。


 今までドロテアは、誰かに何かを相談したことが殆どなかった。

 余程のことじゃなければ自分の頭で解決できたし、分からなければ調べれば良かったから。


 けれど、ディアナに打ち明けるか悩んだのは、過去に経験がないからという理由だけではない。

 もしディアナの口からもドロテアの想像しているような事が出たら、信憑性を増してしまうと思ったからだ。


 知的好奇心よりも恐怖が上回ったなんて、初めてだった。


(ヴィンス様が関わると、私ってこんなに面倒くさいのね)


 自嘲気味にそんなことを思いながら、ドロテアはディアナを見やる。


 眉尻を下げてこちらを見ているディアナは、心底心配しているように見えて、胸が痛んだ。


(このまま一人考えていても苦しいのなら、いっそのこと)


 ドロテアはディアナにだけは打ち明けてみようかと、ゆっくりと口を開いた。


「実はフローレンス様が、ヴィンス様にハジメテを奪われたと仰ったのです」

「……!」

「私はそれを夜の営みのことだと考えました。ヴィンス様の口からそのことを聞かされたら……嫉妬してしまうかもしれないと思い、あの場で逃げたのです。意気地なし……ですよね」


 ドロテアがヴィンスの婚約者になったのなんてまだ最近のことだ。それまでのヴィンスの政治手腕などはそれなりに聞き及んでいたものの、対人関係──特に女性関係のことなんて何も知らなかった。


(けれどヴィンス様だもの。そりゃあ、モテてきていることくらい分かってはいたわ……分かっていた、けれど)


 好きな男性が過去に他の女性と関係を持っていたかもしれないなんて、恋愛経験が乏しいドロテアには直ぐには受け入れがたかった。


 とはいえ、過去のことだ。過去のことなど気にしていたらキリがないし、ドロテアにヴィンスを責める権利も責める気も更々ない。


 少し落ち着いたらヴィンスから話を聞いて、きっちり自分の中で消化させればいいと、そう思っていたというのに。


(でも、フローレンス様はヴィンス様のことが好きなのよね)


 彼女のヴィンスへの態度、早く会わせてとメイドに当たり散らしたこと、ドロテアを睨みつけたこと、ドロテアがヴィンスの婚約者であることを不満に思ってのあの発言からして、それは間違いないのだろう。


 ハジメテ発言だけでも頭がパニックだというのに、フローレンスの恋心まで知ってしまったドロテアの心は不安定になっていた。


(……泣きそう……って、だめだめ、今泣いてはディアナ様にご迷惑をおかけしてしまうから、部屋に戻ってからにしないと)


 自身の涙腺にムチを打って、ドロテアは溢れ出してきそうなそれを我慢する。

 すると、その時だった。


「……ドロテア様! それは勘違いですわ!」

「えっ」


 ガタンとテーブルが揺れるくらいに勢い良く立ち上がったディアナの目の奥には、何だかメラメラとした炎のようなものが見える。


「あの、ディアナ様……?」

「あんの女……お義姉様を不安がらせる為にわざとハジメテを奪ったなんて紛らわしい言い方をしたのですわ……もうプンプンですわ……」

「プンプンって言い方がとても可愛い……じゃない! ……紛らわしい言い方、とは?」 


 素早く目を瞬かせるドロテアにディアナは一旦怒りを収めると、大きく口を開いた。



「あの女が言ったハジメテとは、獣人国の風習──ブラッシングのことですわ!」

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