56話 とある手紙とナッツの励まし方
◇◇◇
次の日を迎え、ドロテアは普段よりもゆっくりとした朝を迎えていた。無情なほどに部屋に射し込む朝日が今日は辛い。
(全然眠れなかったわ……)
眠りに落ちたのは、ヴィンスの部屋から自室に戻ってからしばらく──というか、大体朝日が登り始めた頃だっただろうか。
『私が陛下よりも先にドロテア様に再会していたら……私が先に求婚していたら、私のことを好きになる可能性はありましたか……?』
そんなハリウェルの質問の答えと、平民になる自分がこのままヴィンスの婚約者でいても良いのかという二つの悩みがぐるぐると頭を回っていて、全然眠りにつけなかったのだ。
(……ああ、だめ、寝不足も相まって余計に考えられない)
ドロテアは一旦思考を放棄すると、朝の支度の準備してくれていたナッツにお礼を言ってから、まずは顔を洗ってしっかりと覚醒した。
それから、今日は「何のお召し物にされますか?」と尋ねられたので、ヴィンスの仕事を補佐するためにドロテアは反射的にお仕着せを選んだ、のだけれど。
(ハリウェル様は今日一日休んでもらっているから顔を合わすことはないかもしれないけれど、ヴィンス様は普通に働いているはず……とすると)
ドロテアはヴィンスに罪悪感を覚えていたので、会うのは少し気まずかった。
というのも、あんなに嫉妬と独占欲と愛情を剥き出しにして告白してくれたヴィンスに対して、ドロテアは何も答えられなかったからである。
(ああ、情けない……しっかりしなさい、私! 少なくとも、お仕事くらいはお役に立たなければ)
そう決めたドロテアは、既に朝食の準備をしてあるテーブルにつく。
すると、ナッツは紅茶を入れ終えてから、ドロテアへと声をかけた。
「ドロテア様! 昨夜は食事をとられていませんから、朝食はもりもり食べましょうね! シェフにお願いして、ドロテア様がだーいすきな、とろとろチーズ入りオムレツを作ってもらいましたから!!」
「ナッツ……」
(ああ、昨夜と今朝の態度で、きっと心配をかけてしまったのね)
眉尻をこれでもかと下げたことに加えて、普段より控えめに揺れるナッツの尻尾。そんな彼女には申し訳無さと感謝で胸が一杯になった。
「貴方って子は……ありがとう。昨夜の分まで食べて、元気を出さないとね!」
「はい……! 大好きなドロテア様が元気だと、私もとっても嬉しいですっ!」
「ナッツ……! もう、ナッツ……!!」
ナッツの健気さが可愛過ぎて、ドロテアは咄嗟に口元を手で押さえて感動に浸りそうになるものの。
(……っと、いけないいけない! せっかくシェフがわざわざ作ってくれたんだもの。温かいうちにいただきましょう)
きっとその方が、シェフだけじゃなくナッツも喜ぶ。決して空腹だったわけではないのに、ナッツの優しさが嬉しくて、ドロテアはぺろりと朝食を完食すると、食後の紅茶もゴクゴクと飲み干した。
「美味しかったぁ……」
気持ちも胃も満たされたドロテアは、ホッと息をつく。
すると、嬉しそうに頬に笑みをたたえたナッツはテーブルから空になった皿を下げると、ドロテアの至近距離までジリジリと詰めたのだった。
そんなナッツの行動に、ドロテアは「な、ナッツ? どうしたの?」と、やや訝しげな表情を見せると。
「ドロテア様……! すみません……! えいっ!」
「……!?」
──そのとき、ドロテアは何が起こったのか分からなかった。
至近距離に居たナッツが背中を向けた瞬間、顔面全体がふわふわとした何かで覆われたからである。
(え、まさか、これ……?)
視界がそれに遮られた中、ドロテアは恐る恐るそれに手を伸ばした。
もふもふ、もふもふ、もふもふ。
(も、もしかして、これは……!)
ヴィンスの尻尾とは少し違う毛ざわり。けれど、ぬいぐるみとは違う本物の毛の感触。
この部屋にドロテア以外はナッツしかおらず、その彼女は先程至近距離で背中を向けた──つまり。
「……これはナッツの尻尾……!! もふもふもふもふ」
ずっと触りたかったナッツの尻尾を手のひらで、手の甲で、そして指先で、何と顔面でも感じることが出来たドロテアは、興奮冷めきらぬ様子で素早くもふもふしていく。
「ドロテア様、いつも大変尻尾を触りたそうにしていらっしゃるので……触ったらより元気になってくださるかと……あっ、けれどこれは、偶然ですよ!! 私が振り向いて、ついうっかりドロテア様に尻尾が触れてしまっただけで……!!」
「ナッツ、本当にありがとう……! そうよね、これは偶然……偶然だもの……もふもふもふもふ……ハァ、可愛い〜」
それからドロテアは、ナッツの尻尾をもふもふし続けた。
これはナッツのご厚意……ではなく、偶然の産物で、ヴィンスとの約束を破ったわけではないと自身に言い聞かせながら。
ナッツのもふもふタイムが終わると、ドロテアは再び紅茶を口にして心を落ち着かせた。
(本当に幸せな時間だったわ……ヴィンス様とはまた違った手触り……そしてお日様の匂い……ああ、また偶然が訪れないかしら……)
ドロテアがそんなことを思っていると、部屋を訪ねてきた使用人から何か届け物を預かったナッツに「ドロテア様」と呼ばれて、ティーカップをソーサーへと戻した。
「どうしたの?」
「ドロテア様宛てにお手紙です、どうぞ!」
「ありがとう、ナッツ」
手紙を受け取れば、その送り主がロレンヌであることを確認してから封を開ける。
「これ、は……」
そして最後まで手紙を読めば、ドロテアはガタン! と椅子の音を鳴らしてしまうくらいに、勢い良く立ち上がった。
「ナッツ、もふもふも紅茶も諸々ありがとう。少し用事ができたから、私行くわね」
「は、はい! 行ってらっしゃいませ、ドロテア様っ!」
バタンと扉が閉まる音と同時に、ドロテアはヴィンスの執務室へと向かう。
(この手紙の内容は……っ、ヴィンス様、何で……っ)
困惑でだろうか。手紙を握り締めるドロテアの右手には力が入った。ただそれを気にする余裕は、今のドロテアにはなかった。