42話 なんてことのない夜のはずだったのに
同日の夜。
そろそろ時計が二十二時を指そうというのに、ドロテアは書庫にやってきていた。
「な、なななな、こんな……こんなことを言いますの……!?」
真っ暗な書庫の中、テーブルの上にぼんやりと光るオイルランプ。
それはドロテアが移動のために持ってきたもので、現在は暗闇の中でも本を読むために使用されている。
「一晩中愛されたいのは貴方だけ……!? 早く貴方との子供が欲しい……!? は、激し過ぎない……っ!?」
ドロテアの手にあるのは、最近市井で流行っている恋愛小説だ。その小説の山場である、女性からの告白シーンに、ドロテアは堪らずパタンとその本を閉じた。
「こんなことを言うのは……私には到底無理だわ……」
そもそも、何故ドロテアがこんな時間に書庫に訪れたかというと、告白というものに対して知識を得るためであった。
ヴィンスには何度も愛の言葉をもらっているのに、自分は明確な言葉を伝えていないことが発覚したため、どうにか知識だけでも蓄えなければと思い立ったのである。
結婚に興味を持ち、知的好奇心が豊富なドロテアは過去にも恋愛小説は数多く読んできていたのだが、告白シーンに注目して読んだことはなかったのだ。
「けれど、これは物語だもの。普通に好きって伝えれば問題ないはずよね……そう、普通に、ふつう、に……す……、〜〜っ!!」
ヴィンスを頭に思い浮かべると普段何気なく使うという好きという中々言えなくなる現状に、どうしようかと頭を抱えたドロテア。
しかしそのとき、とあることを思い出した。
「そういえば私……前回の新月のとき、ポロッとヴィンス様に好きだって言いそうになったのよね……」
あのときは、珍しく弱音を吐いているヴィンスが可愛く思えて、愛おしさが溢れ出して、つい口に出てしまいそうになった。けれど──。
「思いを伝えなきゃって意識すると……中々伝えられそうにないわね……だって、恥ずかし過ぎる……っ」
告白に限らず、身構える程困難になることは多い。
羞恥心に染まりながらも、そんなふうに冷静に分析をしたドロテアは、一朝一夕で告白をするのは厳しいだろうと判断し、ゆっくりと立ち上がった。
「今日は一旦部屋に戻りましょう……告白については、もう少し頭の中で整理ができてから……うん、そうね」
問題を先送りにするのはドロテアの望むところではなかったし、ヴィンスに思いを伝えられていない状況を長引かせるのも、申し訳ないと思う。
けれど、今はまだ羞恥に勝てないと悟ったドロテアは、書庫の扉を開いて廊下に出た。
「……! ハリウェル様……?」
そのとき、偶然廊下を歩いているハリウェルを視界に収めたドロテアは、目を見開く。
ガラスから射し込む月光によって、キラリと光るハリウェルの白髪には、美しさを覚えた。
「ドロテア……! じゃなかった、ドロテア様……! こんな夜遅くにどうしてこちらに……!?」
「こんばんは、ハリウェル様。少し気になることがあって、本を読んでおりました」
ほぼ初対面のハリウェルに呼び捨てにされたことに驚いたドロテアだったが、昼間のことを思い出し、おそらく彼の本当の想い人と名前が同じだからなのだろうと推察すれば納得がいく。
更にドロテアは「ハリウェル様はどうしてこちらに?」と問いかけた。
「実はさっきまで野外の訓練場で鍛錬をしておりまして、終わったので部屋に戻ろうかと。あっ、一部の騎士はいつでも王城の護衛に回れるよう、城内に部屋をいただいているのです」
確かに城には衛兵は在中しているが、戦闘において精鋭である騎士たちも城を守ってくれるなら、それに越したことはない。
「なるほど。そうなのですね。丁寧に教えていただいてありがとうございます、ハリウェル様」
そう言って頭を下げれば、ハリウェルは慌てた様子で声をかけた。
「ドロテア様! 私は公爵家の人間ですが、貴女様の専属騎士です。ですから、このようなことで礼は不要です!!」
「……そ、そうですか?」
ずいと顔を近づけられ、ハキハキとした声でそう告げられたドロテアはコクリと頷く。そして、ハリウェルの発言に注目した。
(昼間は少し有耶無耶になってしまったけれど、専属騎士はやっぱりハリウェル様にしていただくのね。まあ、厳密には、護衛騎士任命式典が終わってから、正式に就任になるわけだけれど)
ハリウェルが『名誉騎士』の称号を持っていることや、王の婚約者や妻の護衛騎士に任命されることの決まりについて、ドロテアは把握している。
因みに、その決まりができたのは、昔『名誉騎士』が当時の王妃の危機を救ったからと言われている。
昼間に勘違い求婚騒動があったので、ヴィンスはこのままハリウェルに専属護衛騎士を続けさせるのか? と若干疑問だったのだが、どうやら変更はないようだ。
(まあ、そうよね。そもそも、決まりがあることだし……ヴィンス様は人の勘違いに目くじらを立てるようなお方ではないもの)
疑問が解消したドロテアは、再びハリウェルに向き合う。
(なんというか、獣人国には美男美女しか居ないのかしら)
まだ十九歳だからか、彼の面持ちにはまだ幼さが残っているものの、間違いなく美青年だ。ヴィンスのような蠱惑的な雰囲気はない代わりに、母性本能が擽られるような可愛さがある。
それに何と言っても、純白の耳と尻尾だ。まるで綿菓子みたいなそれは、ついつい触ってしまいたいという欲に駆り立てられるのだけれど。
「ドロテア様……? そ、そんなにじっと見つめられますと……その……」
「……! ああ、申し訳ありません! ご立派な耳や尻尾だなぁと思ったら凝視してしまいました。失礼いたしました」
「い、いえ。……貴方になら……ずっと見られても、何なら触られたって構いません……!」
「え?」
月明かりとオイルランプの僅かな光でも目視できるほど、顔を赤らめてそんなことを言うハリウェル。
そんな彼の目は何だか情熱的で、何気ないリップサービスのようには聞こえなかった。
「……いえ、お気遣いは大変ありがたいのですが……」
ナッツに尻尾を触るかと問われたときは、あんなに胸が高鳴ったというのに、どうしてだろう。ハリウェルが男性だからだろうか、それとも、彼の瞳に映る熱っぽさに、自身の本能が警戒心を持ったからだろうか。
(……って、失礼よね。きっとハリウェル様は私のことを主人だと思って、純粋に仕えようとしてくれているのに。今の申し出も、きっと私が獣人さんたちの耳や尻尾がとても好きだって耳にしたからよね)
ドロテアはそう自問自答すると、「遅いので部屋までお送ります!」と言ってくれたハリウェルに甘えることにして、薄暗い廊下を二人で歩き始めた。
その後、ハリウェルから改めて日中の勘違い求婚を心から謝罪されたドロテアは、ハリウェルの愚直さを知った。
歩いている足を止めて深く頭を下げたり、何なら土下座を始めそうなハリウェルは、本当に申し訳なく思っているのだろう。
「本当にもう大丈夫ですよ、ハリウェル様。私は何も気にしておりませんし、ヴィンス様がお許しになったのなら尚の事私が言うことはありません。むしろ、これから、よろしくお願いいたします」
「うう、ドロテア様……! なんて優しい……! やはり貴方は誰よりもお優しいお方です!!」
(やはり……?)
少し引っかかったドロテアだったけれど、感動するハリウェルに両手を力強く握られ、ぶんぶんと振られてしまえば懸念を思考する余裕はなかった。
「は、ハリウェル様……っ、少し離してくだ……っ」
「絶対、絶対に私がドロテア様をお守りしますから……!」
まるで崇拝するかのようなキラキラとした目でブンブンと尻尾を振るハリウェルは、狼というより、飼い主を大好きで仕方がない犬に近い気がする。
もちろん、そんなふうに慕われたら嫌な気はしないし、揺れる尻尾や耳は相変わらず可愛らしい、のだけれど。
「あ、ありがとうございます……! けど一回、離し──」
そう、ドロテアが懇願するように口を開いたときだった。
「ハリウェル。ドロテアから手を離せ」
突如聞こえた聞き慣れた低い声に、ドロテアはその声の主の方に振り向いた。
黒狼陛下、発売まであと少し!
まだ数日あるのに、ド、ドキドキしてきた……(´;ω;`)
こんな櫻田りんを、皆様でぜひ支えてください……!