38話 あのときのことを、思い出す
それからシェリーは、両親とケビンが手配した騎士と共に、一旦自宅へ帰ることが許された。
ただの子爵令嬢が他国の王とその婚約者に暴言を吐いたともなれば、それ相応の罪に問われて拘束されるのだが、シェリーと両親の反省した様子にサフィール国王が逃亡の危険は極めて少ないだろうと判断したらしい。
念のため騎士を数名つけて屋敷の外には出られないよう監視するらしいが、おそらく逃亡なんてことは起こらないだろう。
シェリーたちが居なくなってからは、サフィール国王が『聖女』の称号を廃止すること、また女性は男性よりも優秀ではあってはならないという考え方が間違っていたと述べた。
貴族たちの反応は三者三様だったが、概ね反対する者はおらず、パーティーは静かに幕を下ろした。
「ドロテア、俺たちも行こう」
「はい。ヴィンス様」
当初は、ヴィンスは別室に招かれて国王から直々に謝罪を受ける予定だった。
先程の件もあったので、サフィール王国としては可及的速やかにヴィンスに謝罪をしたかったのだろう。
ヴィンスも当初はそれを快諾していたのだが、現在、ドロテアとヴィンスは馬車の中にいた。
「今更ですが……サフィール国王陛下との話し合いを断っても宜しかったんですか……?」
「全く問題ない。謝罪については後で書面で渡せと言ってあるし、今回の件をサフィール王国内できちんと処分するならば、国際問題にするつもりはないとも伝えてある」
「それは、そうですが……」
ヴィンスがサフィール国王からの直接謝罪の場を断ったのは、ドロテアの為だった。
最終的にはシェリーと両親から謝罪の言葉はあったものの、おそらく心は疲弊しきっているだろう。ヴィンスはそう考えて、サフィール国王からの謝罪よりもドロテアを休ませることを優先したのである。
もちろん、そんなふうに事細かな説明をせずとも、ヴィンスの行動の意味に察しがついているドロテアは、今更と思いながらも申し訳無さが募ったのだった。
「申し訳ありません、ヴィンス様。貴方をお支えするはずが、迷惑を掛け──うむっ」
その時、隣に座るヴィンスの人差し指がドロテアの唇にふに、と触れた。
「この状況でお前より優先するものなんてない。次に謝ったら、その口を塞ぐぞ。……意味、分かるな?」
「…………っ」
塞ぐという言葉で、ヴィンスが何を言わんとしているか理解できてしまったドロテアは、コクコクと何度も頷く。
「良い子だ」なんて言いながら指を離すヴィンスの黒い耳がピクピクと動く様子が可愛くて、ドロテアはなんだか気が抜けたのか、ふふっと頬を綻ばせた。
「やっと笑ったな」
「えっ……」
「今日は疲れただろう? ホテルまではまだ距離があるから、少し休むと良い」
そう言ったヴィンスの腕に肩を引き寄せられたドロテアは、彼の肩にコテンと頭を預ける。
いつもならば「重いのでは……」とか「申し訳ございません」と声をかけるところだったが、先程釘を差されたこともあって、今日は何も言わずに甘えることにした。
(ヴィンス様は、優し過ぎるわ)
──ガタンゴトン。僅かに揺れる馬車内で、ドロテアはヴィンスの肩に頭を預けたままゆっくりとしたときを過ごす。
(今日は、色々あったわね……。……シェリーは一体、どうなるのかしら)
神秘的な満月の月明かりが射し込む中、シェリーのことを考えるドロテア。
そのせいか、パーティーに向かうときの馬車の中で思い出したあのときのことが脳裏に浮かんだドロテアは、この話をヴィンスに聞いてほしいと口を開いた。
「ヴィンス様、一つだけ……昔話を聞いてもらってよろしいでしょうか?」
「ああ、構わん。好きに話せ」
「ありがとうございます。……あれは、十七年前、シェリーが産声を上げた日のことです」
当時三歳だったドロテアは、その頃から可愛いものが大好きだった。
キラキラとしたアクセサリーに、フリフリとしたドレス、ふわふわのぬいぐるみなんて特にお気に入りで、絵本の中で読んだ、赤ちゃんという存在も漠然と可愛いと思っていた。
そうして実際にシェリーが産まれると、幼いドロテアは衝撃を受けたのだ。
「シェリーの手に指を差し出すとギュッと握ってくれたんです。そのとき、にこりと微笑んでくれて……それがあまりにも可愛くて……愛おしくて……私はこの子を守ってあげたいと思いました」
しかし、シェリーは日に日に美しくなっていく一方で、性格が少しずつ歪んでいった。
聡明だったドロテアは、それはシェリーだけのせいではないことを理解していたし、何より、産まれたばかりのシェリーに手を握られた瞬間の輝きを、忘れられなかったから。
「だから、あの子のためにならないと分かっていても、結局は尻拭いをしてしまいました」
「殆どが国のため、民のため、相手の為だろ」
「勿論それはそうですが……けれど、シェリーがああなった原因が、私にないわけじゃありませんから」
ヴィンスは、悲しそうに笑うドロテアの肩に回していた手で、彼女の側頭部を優しく撫でた。何度も何度も、まるで壊れ物を扱うように。
(今そんなふうに、優しく撫でられたら……)
鼻の奥がツーンと痛み、目の縁から涙が染み出てくる。
ドロテアがそれを必死に堪えていると、ヴィンスがおもむろに口を開いた。
「ドロテアは悪くない」
「…………っ、けれど……」
「お前がどう思おうが、俺が何度でも言ってやる。ドロテアは何一つ悪くない。……妹の性格がああなったのも、過ちを犯したのも、何一つドロテアは悪くない」
「……っ、うっ……」
ヴィンスはいつでも肯定してくれる。いつだって、どんなことだって、絶対に。
「むしろ、今までよく耐えてきた。妹と比べられるのは辛かったろ。理不尽な尻拭いに腹を立てたことだってあっただろ。ずっと……ずっと、我慢してきたんだろう」
「……うっ、……ぅ……」
「それなのに、今日は俺のために怒ってくれてありがとう、ドロテア」
「ヴィ、ン……スさ、まぁ……っ」
「もう好きなだけ泣いていい。大丈夫だ」
──ポタ、ポタ、ポタ。
ヴィンスの言葉を合図にとめどなく溢れてくる涙は、ドロテアの頬を濡らした。
「うっ、うっ、ぅぁぁぁ……っ」
それからヴィンスの肩に縋るようにして泣きじゃくるドロテアの側頭部を、ヴィンスはずっと撫で続けた。
ドロテアの涙が枯れる、そのときまで。
本日の夜、第一章完結です……!
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