34話 ヴィンスに忍び寄る影
友人である夫人たちから声がかかったロレンヌと別れてから、ドロテアはヴィンスの隣で頭を悩ませていた。
(まさか聖女の称号が廃止になるだなんて)
ロレンヌの話を聞いたところによると、シェリーのディアナに対する暴言よりも、この話は前から決まっていたらしい。
ということは、王家、もしくは国の中枢が聖女の称号を不要だと判断したということ。
(つまり、サフィール王国において、女性の美しさは以前ほどの重要性は無くなるということよね)
サフィール王国が年々衰えて来ていることを敏いドロテアは気付いていた。聖女の称号が出来てから、その衰えが悪化したことにもだ。
(国の発展を進めたいのならば……聖女の称号と合わせて、女性は男性よりも優秀であってはならないという教えも、取り下げる可能性があるわね)
少ない情報でそこまで理解したドロテアは、このことを小声でヴィンスと話す。
ヴィンスも大方のことは予測していたのだろう。一切驚くような様子はなく、ドロテアをじっと見つめながら、「危なかったな」と呟いた。
「危ない、ですか?」
「ああ。おそらく今日以降、この国にとってのドロテアの重要性は大きく変わる。お前ほど優秀な女、本来ならばどんな手を使っても自国に縛り付けておきたいだろう」
「そこまでですか……? けれど、お褒めいただきありがとうございます、ヴィンス様」
まあ、シェリーがやらかしてくれたこともあって、ヴィンスは絶対にドロテアを逃さないようにサフィール王国との書面は既に交わしてあるのだが。
別にそれは言う必要はないだろうとヴィンスが口を閉ざすと、ドロテアが「あっ」と思い出したように声を上げた。
「くだんの件が本当ならば、シェリーはパーティーに来ていないかもしれませんね。もちろん、両親も」
「というと?」
「その……つまりですね」
ヴィンスに問いかけられ、ドロテアは周りに聞こえないようにボソボソと囁いた。
「シェリーは見た目は美しいですが、性格はやや難アリのため、周りの貴族の方々にあまり好かれていません。今まで『聖女』だったので周りは明らかに態度には出しませんでしたし、我が儘も許されてきたのですが……」
「なるほど。そんな顔だけ女がただの令嬢に戻ったとなれば、多方面から攻撃されるだろうな。直接的に、あるいは間接的にねちねちと」
コクリとドロテアは頷く。しかし、シェリーに思うところはそれだけではなかった。
「それに、聖女でなくなったシェリーは肩書のないただの子爵令嬢です。王子殿下との婚約もどうなるか……。そんな状態で、パーティーに来るとは思えません。少なくとも両親が止めるのではないかと。……そもそも、ディアナ様への暴言が王家に露見しているのならば、最低でも謹慎処分くらいは下されているはずです」
「……本当に聡いな、ドロテアは」
「それほどではございません」
「ただの侍女でござ──」まで言いかけて、ゴホン! と咳払いすると、頭上からクツクツとした笑い声が降ってくる。
「ドロテア、婚約者だ。こ、ん、や、く、しゃ」
「分かっております……! けれどその、五年間の癖はなかなか抜けないと言いますか……精進いたします」
──とにもかくにも。
この会場には居ないであろう家族のことを考えていても仕方がない。
婚約誓約書については明日の帰国前に実家へ寄れば良いだろうし、自分のできることをしなければ。
「ヴィンス様、では私は今からご令嬢たちと交流を持って参ります。同盟国の令嬢との付き合いも大切なことでございますから」
「ああ、頼んだ。……だが、無理はするなよ」
ドロテアは家族だけでなく、一部の令嬢にもシェリーと比べられたり、または売れ残りだと揶揄されてきた。ヴィンスのはおそらく、その心配をしているのだろう。
「ご心配には及びませんわ。会場に入ったときから、以前まで感じていた悪意の視線はないように思いました。むしろ、皆ヴィンス様の婚約者である私と接点を持ちたいという感じでしょうか」
「それはそれで腹が立たないのか」
「いえ、全く。このことを予期してサフィール王国の令嬢の間で流行っているもの、またレザナードの流行でこちらでも流行りそうなものは事前にピックアップしてきました。話題の下調べならバッチリですし、上手くいけば令嬢たちがレザナードの品を求めて、よりレザナードが豊かになるやもと思うと……むしろやり甲斐さえ感じます」
侍女の感覚は抜けないながらも、しっかりと国のことを見据える姿は、流石の言葉以外に他ならない。
ヴィンスは一度ドロテアの頭をくしゃりと撫でてから、「ではまた後で」と言って去っていく彼女の後ろ姿を見送る。
それから、令嬢たちと話すドロテアの表情と、獣人特有の良く聞こえる耳でその会話を確認し、ホッと胸を撫で下ろした。
(……これは本当に、心配いらないな)
ドロテアが美しくなったとか、レザナードでの生活はどうだとか、中には今までのドロテアに対する態度を謝る者までいる。ドロテアの表情も明るく、周りの令嬢たちが小声で何か言っている様子も、企んでいる様子もない。
(さて、俺もやるか)
ヴィンスはドロテアが楽しそうな表情を目に焼き付けてから、次々に話しかけて来る男性貴族たちの相手を始める。
ドロテアがああも国のことを思ってくれているのだ。ヴィンスも、ドロテアを傷付けた国という考え方は一旦捨てて、国のために笑顔を取り繕った。
それからしばらくして、ヴィンスは何人かの貴族男性との会話を終えると、一旦バルコニーで一息つくことにした。
ドロテアを誘おうかと思ったが、彼女は今もなお数多くの令嬢たちと話し込んでおり……というよりはレザナードの品を巧みに宣伝しており、邪魔をするのは憚られたため、声はかけなかったのだが。
(令嬢たちとの会話で新たに身に着けた知識でもあったのか。……目がキラキラしているな)
バルコニーから遠目でドロテアの表情を確認したヴィンスは、愛おしそうに微笑む。
「さて、休憩は終いにするか」
そろそろパーティーも終盤だ。生演奏が始まり、ホールの中心でダンスも始まることだろう。
せっかくだからドロテアと一曲踊ろうか、なんてヴィンスは考えていた、その時だった。
「みーつっけたっ!」
「──は?」
風の音さえよく聞こえるほど静寂だったバルコニーに、甲高い声が響き渡る。
くるりと振り返れば、クリクリとした翡翠の目に、サラサラのプラチナブロンド。見た目は整っているが、内面の歪みが表面に現れている、そんな卑しい女がヴィンスの前に立っていた。
「はじめまして! 私はシェリー・ランビリスと申しますの。……獣人国でお世話になっているドロテアの妹ですわ? ふふっ」
月間8位に入ってました!
皆様の応援のおかげです! いつもありがとうございます……!!
シェリー、登場しましたね! わくわく!