26話 聖女へ届いた手紙とは
それは湯浴みの直後、シェリーが窓を開けて涼んでいるときのことだった。
婚約者であるケビンからの手紙が夕方頃に届いていたことを思い出したシェリーは、一枚を上から下まで一通り読み終えた。
そして直後、まるで見たくないというように、その手紙をテーブルに叩きつけた。
「有り得ない……!! どうして私が、どうして!!」
先日、シェリーはケビンからかなりの叱責を受けた。
しかし、未だに自身がしたこと──つまり、獣人国の件をドロテアに尻拭いをさせたことで、ドロテアという非常に優秀な女性が他国へと渡ってしまったことの重大さを理解していないシェリーにとっては、それは不愉快で仕方がなかった。
しかも馬鹿女と言われ、聖女のシェリーよりも売れ残りのドロテアが必要とされるようになるとまで言われたのだ。
それに加えて、父からは聖女の称号が無くなるという噂話まで聞いてしまったシェリー。
いくら馬鹿なシェリーでも、流石にこの状況は良くないということは、感覚的に理解していた。
そんなときに送られてきたケビンの手紙。
前回の暴言に対する謝罪の手紙か、愛しているよと囁くような甘い手紙かと、そう思っていたというのに。
「建国祭への参加は認めないって何よ……っ、今後は、その他の社交界にも国王からの許しが出るまで参加することは許可できないから、家で大人しくしていろ? というか家から一歩も出るな……? 私が何をしたって言うのよ……!!」
シェリーはあまりの苛立ちに、部屋の入口付近に飾ってあった花瓶を手で払って床にぶちまけた。
ガシャンと派手な音を立てて割れる花瓶に、そこから投げ出される水と花。シェリーは、スリッパの状態で花をぐりぐりと踏みつけた。
「これも全部お姉様のせいだわ……!!」
手紙には他にもつらつらと、如何にドロテアが優秀か、彼女が他国の妃になることがサフィール王国にとって損失であったかが綴られている。
そんなドロテアが獣人国に嫁ぐ原因となったシェリーにはそれ相応の罰が必要とされたが、まだその全ては確定していないらしい。
そのため、まずはこれ以上問題を起こさないように家で大人しくしていろ、という謹慎令が出たわけだが。
「シェリー! さっきの音は何だ!?」
「シェリーちゃん大丈夫なの!?」
花瓶が割れる音が相当響いたのだろう。
急いで部屋に入ってきた両親を、シェリーはキッと睨み付ける。
そして同時に、強風が吹き荒れた。涼むために窓を開けていたシェリーの部屋にも強風が入り込み、一同はきゅっと目を瞑る。風が止むと、母が急いで窓を閉めた。
「それでシェリー、これはどうしたんだい? お前が割ったのかい……?」
「どうしたもこうしたも!! お父様もお母様もこの手紙を読んでくださいまし!!」
「えっ? あ、ああ」
テーブルに手紙を取りに行ったシェリーは、ケビンからのそれを父に手渡す。
母も覗き込むようにして最後まで読み終われば、二人の顔色は少しずつ悪くなっていった。
「貴方、こ、これは……」
「これはまずいかもしれんな……以前殿下が来たときにドロテアや獣人国の話は聞いたが、まさかここまで大事だとは……」
両親もこのとき初めて、ドロテアが居なくなったことがサフィール王国にどれだけ損失を与えるか身に染みることとなる。
ただ、簡単な手続きにも手こずり、貴族ならば子供でもできるような旅費の計算が出来ないのだ。
いくら文面でドロテアが聡明であると書かれていても、あの子はそんなに凄いのか? ……と驚くばかりである。
「おかしいわよね!? 売れ残りのお姉様の方が大事みたいな……そんなの、おかしいわよね!?」
「そ、そうだねシェリー。だが、王家の命令は絶対だろう? それにほら、自宅謹慎と言っても、お前が暇にならないように色々と考えるから……」
「けれど貴方! この手紙によれば、自宅謹慎は咄嗟の処置で、それ以上の罰が下るかもしれないわ……!」
それ以上の罰なんて、腐るほど色々あるだろう。
それに、現時点でシェリーはケビンの婚約者だ。重大な問題を起こし、婚約者に選ばれた一番の理由である聖女の称号が無くなるとなれば、導き出される答えは一つだった。
「もしかして……婚約破棄なんて、ことには」
「……!? お父様何を言っているの!? ケビン様が私のことを棄てるな、ん、て……」
以前の彼の態度、そしてこの手紙の内容。
流石のシェリーでも絶対に無いとは言い切れなかったのだろう。
言葉を詰まらせ、下唇を噛み締める。大きくてくりっとした目をキッと吊り上げ、眉間にしわを寄せる姿は聖女の姿とは程遠かった。
「どうして!? 皆、今まで私のことを可愛いってちやほやしてきたじゃない!! 聖女様聖女様って、崇めたじゃない!! なのに何で……!? 何でそんな私が、売れ残りのお姉様のせいで婚約破棄されなきゃいけないの!?」
「シェリー……婚約破棄はまだ決まったわけじゃあ──」
「煩い煩い煩い!! お父様もお母様も何よ!! さっさとこの状況をどうにかしてよ!! 私は可愛いの!! だから誰よりも大切にされるの! 特別なの!! お姉様が幸せになって私が不幸になるなんて許さないんだから──」
怒りに満ちたシェリーだったが、そこでハッとした。
彼女にしては珍しく、名案が思いついたのである。
急ににこりと微笑んだシェリーに、両親の背筋はゾクリと粟立った。
「ねぇお父様? 建国祭の日のパーティーの招待状って、既に届いていましたわよね?」
「ああ、だがシェリーは参加できな──」
「私! なんと言われても参加しますわ? だって招待状はあるんだもの! 大勢が集まる建国祭のパーティーなら、招待状さえ持っていれば入るのは容易いわよ!」
「いや、そうかもしれないが……どうしてそんなにパーティーに行きたいんだい?」
シェリーは昔から我儘だった。自身の考えが正しいと思い込み、なまじそれが叶ってきただけに厄介な性格だった。
だが、今までならばその意図を両親は一応理解できていた。何かがほしい、何かが気に食わない、そんな単純な理由だったから。
けれど、今のシェリーの内心は、両親にも一切読めなかったのだ。
「ケビン様からの手紙にはこうも書いてあるわ? 建国祭のパーティーに獣人国の王とお姉様も招待するつもりで、そこで王族として謝罪するつもりだから、って」
「つ、つまり?」
「だからね? 今回のことは私が悪いらしいじゃない? だったら、私が直接出向いて、しっかりと謝罪するほうがこの国のためになるんじゃないかしら?」
ふふっ、と笑みを浮かべてそういうシェリー、両親は一瞬顔を見合わせると、頬を綻ばせた。
「そ、そういうことかシェリー! 確かにその方がことは丸く収まるかもしれないな! お前の罰も減刑されるかもしれないし、素晴らしい案だ……!」
「そうでしょう? 私は貴族の娘として、しっかりと義務を果たすわ?」
過去、全ての失態をドロテアに尻拭いをさせていたことなど忘れたかというように、そんなことを言うシェリーは、まんまと乗せられた両親にバレないよう、俯いてほくそ笑んだ。
(私が謝る? そんなことするはずないわ? だって私は何も悪いことはしてないんだし? というより、悪いのは全部ぜーんぶ、お姉様だもの!)
「いやぁ、良かった良かった」なんてほっと胸をなでおろしている両親とは裏腹に、シェリーの内心はどろどろとした感情で覆われている。
生まれてこの方、常にドロテアよりも求められてきたのだ。可愛いからと持て囃され、崇められてきたのだ。
そんなシェリーが今更、国のためだなんて殊勝な考え方などするはずがなかった。
(絶対お姉様だけ幸せになんてしてあげない。私が婚約破棄されるっていうなら、お姉様から奪っちゃえば良いのよね? ふふ、可愛いって、罪よね。簡単に人の幸せも奪えちゃうんだから)
シェリーはニタァと、口元に弧を描いてから、テーブルに叩きつけた手紙を引き出しへとしまう。
先程まで開いていた窓。その外の木に、もう一枚の手紙が引っ掛かっていることに気付きもしないシェリーは、建国祭での未来を想像して笑みが止まらなかった。
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