24話 もっと近くで夜空を見上げよう
「ヴィンス様、絶対離さないでくださいね……! 絶対ですよ……! 後生ですから……!」
「だから離さないと言っているだろう」
結局、ヴィンスにお姫様抱っこをされたドロテアが下ろしてほしいと懇願したのは最初だけで、実際は現在もその体勢のままだった。
というよりは、経験したことのない高さに、ドロテアはむしろヴィンスにしがみついていた。
「お、落ちたら死ぬんですからね!? ここ、城の一番高い塔のてっぺんですからね!?」
塔のてっぺん──先が尖っており、普通の人間ならば恐怖や足の踏み場の狭さで、到底そこに立つことなどできないのだが、獣人の肉体を持ってすればなんのこともないらしい。
地面の遥か上、それこそ人が蟻のように見える塔の先でドロテアをお姫様抱っこしているヴィンスの表情といえば、普段と変わらない涼しいものだ。
「これくらい高い方が、星と月を近くで楽しめるだろう? せっかくの星月祭りだから、楽しまないと損だぞ」
「そ、それはそうなのですが、私高いところがあまり得意ではなくて……」
「ほう、それは良いことを聞いたな。それなら、これからも高いところに行けばドロテアからくっついて来ると」
「〜〜っ」
からかうような言葉とは裏腹に、抱き締めてくれているヴィンスの手は力強い。
実際のところ、それだけでもかなり安心材料になるのだが、「安心しろ。死んでも落とさない」なんて言われてしまえば、緊張と恐怖でガチガチだったドロテアの身体が少し和らいだようだった。
至近距離にある二人の顔。暫し見つめ合った後、ふっと笑ったヴィンスは、夜空を見上げた。
「ドロテアも見てみろ。綺麗な星と月だ」
そう言われ、ドロテアはヴィンスの首辺りに両手を回したまま、ゆっくりと顔ごと夜空を見上げる。
「わあっ、本当に……綺麗です……」
まるで夜空に手が届きそうだと、本当に思う日が来るとは思わなかった。
すぐそこにあるように見えるキラリと光る星と月に、ドロテアの瞳も呼応するようにキラリと光る。
いつの間にか夜空から、ドロテアへ視線を向けていたヴィンスはそんなドロテアの様子に優しそうに口角を上げた。
すると、少し間を開けてからぽつりぽつりと話し始めたのはドロテアだった。
「ヴィンス様、ここに連れて来てくださってありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃない。俺がここに来たかっただけだ」
「ふふ。嘘はよしてください。私の様子がおかしかったから、気分を変えようとしてくださったんですよね?」
「………………」
無言は肯定と取って良いのだろう。
思慮深いヴィンスが己の欲求だけでこんな行動に出るとは思えなかったから。
(ヴィンス様はお優しいもの。それに、いつも私のことをきちんと見てくださっているから)
自惚れだと思われたって構わない。けれどそれは事実で、ドロテアはこれ以上なく嬉しく、心がじんわりと温かくなってくる。
だからだろうか。ドロテアは今まで誰にも話したことがないようなことでも、ヴィンスに対しては自然と言葉が溢れてくるのだった。
「先程の少女たちを見ていて、過去の自分と妹──シェリーのことを思い出しました」
「…………」
「思い出したと言っても、私たちはあの姉妹のような微笑ましい光景ではなかったんですが……。妹が物心付いた頃から、既に両親や周りは妹のことを可愛いと持て囃し、私のことは蔑んでいたので。だからそういう環境で育ったシェリーが、彼らと同じように私を蔑むのはおかしな話ではないのです。それに、聖女の称号まで得たなら、なおさら」
それに加えて様々な尻拭いをさせられて、正直家族というものにあまり良い思い出はなかった。
そんな家族と物理的に離れた今、ドロテアの心は健やかだ。ヴィンス、ディアナ、ナッツ、ラビンや城で働く者たち、獣人国の心優しき民たちのおかげで。それでも。
「──それでも、たまに思ってしまうんです。サフィール王国じゃなかったら、私の見た目がシェリーのようであったなら、仲の良い家族でいられたのかなって。その中に、私も入れたのかなって」
ドロテアが幼いながらに結婚に強い憧れを抱いたのは、自身では叶わなかった仲の良い家族というものに憧れたからだ。
当たり前のように愛されたり、当たり前のように自身の愛を受け入れてほしかった。姉妹で一緒に仲良く遊びたかったし、両親には可愛いなと頭を撫でてもらいたかった。
尻拭いを押し付けるんじゃなくて、今日は何か楽しいことはあったのかと、尋ねてほしかった。そんな日常を、ドロテアは切望していた。
「私には叶わなかった現実を目の当たりにして、羨ましいなと思ってしまいました。……あっ、もちろん今の生活に不満なんてありませんよ!? 毎日勉強が出来て、ディアナ様やナッツ、城の皆さんが本当に良くしてくれて、ヴィンス様の尻尾やお耳を触らせていただいたり、ありがとうって、可愛いって、言って、もらえて……」
幸せなのに。いや、幸せだからこそ、ドロテアは過去の悲しい思い出を思い出してしまったのかもしれない。
「突然こんな話をして申し訳ありません」と、気まずそうに笑うドロテアに、ヴィンスはドロテアと視線を合わせることなく、閉じていた唇をゆっくりと開いた。
「……俺がもし、お前の両親だったら、妹だったら、毎日可愛いと、愛していると伝えるのに」
「……っ」
「だが、俺はお前の両親や妹になれないし、なりたいとは思わない。何故なら」
地上よりかなり高い位置にいるからだろうか。強い風がひゅるりと肌を刺す。
髪の毛が乱れ、視界が自身に髪の毛によって遮られたドロテアは数秒後に再び視界が開けると、どこか切なげで甘い瞳を向けてくるヴィンスと、視線が混じり合った。
「俺は、ドロテアを妻として迎えたいからだ。夫としてお前をどろどろに甘やかして、幸せにしたいと思っている」
「……っ、ヴィンス、様……っ」
「だから、早く俺を受け入れろ。過去のことを笑い飛ばせるようになるくらい、愛してやるから」
満天の星空の下。地上よりも遥か上。
お姫様抱っこをされたドロテアの顔にゆっくりと近付いてくる、黄金の瞳を持った黒狼。
「あ……ヴィンス、さ、ま……」
それが重なり合うまで後僅か数センチ。ドロテアは受け入れるようにそっと瞼を閉ざした。
──のだけれど。
「あー!! あそこでお兄ちゃんとお姉ちゃんがちゅーしようとしてるーー!!!」
「「!?」」
地上からドロテアたちに指を指す少年──鷹の獣人のその場一体に響き渡るような大きな声に、ドロテアとヴィンスの身体はピシャリと止まる。
その後ヴィンスは「邪魔が入った……」とやや苛立ち、ドロテアは顔全体を真っ赤に染めながら「とにかくこの場所から離れてください……」と懇願するのだった。