23話 星月祭りで思い出す、幼い頃の自分の影
露店が立ち並ぶ大通り。数多くの獣人たちが行き交い、夜空には美しい三日月と満天の星。
隣にはヴィンスがいて、丈の長い黒のワンピースに着替えたおかげで脚が隠れて不安もない中、人生で初めて経験する星月祭りにドロテアは幸福に満たされていた。
ただ一点、心を乱してくることがあるとすれば。
「ヴィンス様! 星月祭り限定の露店です! あれはおそらくレザナード南部でしか採れないヴァッネーナを使った一品! 見てきても良いですか!?」
「ああ、見るのも買うのも好きにしろ。ただし走って転けるなよ。まあ、転けても支えてやるが」
というのも、この繋がれた手だ。
一瞬足りとも離すことは許さない。そんな気持ちが伝わってくる大きくて節ばった手を絡められ、ドロテアは内心は緊張で一杯だった。
(ヴィンス様……私のことを子供と勘違いして……。ないわね)
ドロテアを映すその目は、愛おしいものを見る目だ。繋がれた手は、これから一生決して離さないと言われているような感情まで伝わってくる。
観察力や洞察力、読解力に優れたドロテアがそれを勘違い出来るはずもなく。
(私は、ヴィンス様に愛されている……。それを自覚すると、こうも恥ずかしいなんて)
厳密に言えば、ヴィンスの思いは自覚はしていたが、信じきれていなかったドロテア。
ヴィンスと過ごすうちに自分に自信を持ち、彼の気持ちを信じられるようになったものの、まだ彼の気持ちに答えられないでいる理由の殆どは、恥ずかしさ故だ。
(だって、思いに応えたら、ヴィンス様もっと甘やかしてくる気がするんだもの。私、ドキドキで死ぬんじゃないかしら……)
身分の差も気にはなるが、それは現状では変えようがないので、さておき。
露店に置かれているものを丁寧に説明しながら、歩幅を合わせて歩いてくれるヴィンスを、ドロテアはちらりと見やる。
(今日のヴィンス様、格好良過ぎないかしら……)
男性も黒の服装を推奨されているようで、ヴィンスは全身を黒色で纏われている。
胸元が少し開かれた黒のワイシャツに、スラリとした黒のスボン。ふくらはぎ辺りまでの黒の編み上げブーツ。
軽く羽織ったジャケットも黒色で、少し光沢感があって男らしいデザインだ。
(色気が……耳や尻尾の可愛さが掻き消されてしまうくらいの色気が凄いわ……。って、ヴィンス様ばかり見ていてはだめじゃない!)
せっかくの星月祭りだ。一瞬ヴィンスに意識を奪われてしまったものの、ドロテアはブンブンと頭を振って邪念を取り払うと、弱々しい泣き声に意識を奪われた。
泣いているのは誰だろうときょろりと辺りを見渡せば、露店の裏側にある小道で泣いている、およそ七歳くらいの羊の獣人の少女を見つけたのだった。
「ヴィンス様、あの子大丈夫でしょうか? 周りに親らしき人がいませんが……」
「逸れたのか、何か別の問題が起こったか」
「一度声を掛けても構いませんか……? あんな小さい子、放っておけません」
「ああ、行こう」
流石に子どものところに行くのに手を繋ぐのは……と控えめに言うと、渋々納得して手を離してくれたヴィンスと共に子どもの元へ向かう。
すると、もう少しで到着というところで、その少女よりも一回り小柄な羊の獣人の少女が現れたのだった。
「あ! お姉ちゃんいた! いきなり走ってどこかに行かないでよー! 心配したよ!」
「うう〜だって……っ、あの子いっつも私のこと不細工って言って虐めてくるんだもん……っ。もうやだぁ」
どうやら現れた少女は、泣いていた少女の妹らしい。心配そうにしている表情が、姉妹仲が良いのを予想させた。
少女が泣いていたのは、どうやらあの子と呼ばれる人物に不細工だと言われたから、らしかった。
話の大筋は理解でき、そんな姉妹の後方にはこちらに向かってきている両親と思わしき人物もいるので、心配はいらないだろうとドロテアたちは立ち去ろうと思っていたのだけれど。
少女たちの会話に、ドロテアはぴたりと足を止めた。
「あのねぇ、気にし過ぎなの! 自信持ってれば良いんだから! 言いたい奴に言わせとけば良いのよ!」
「けど……私、本当に可愛くないし……いっつも、妹は可愛いのにお前は不細工だって……」
「はあ〜……もう! だったら私が言ってあげる! お姉ちゃんは可愛いわよ! とーっても可愛いの! それに私と比べる必要もないの! 分かった?」
「……っ、う、うん!」
その会話を終えると同時に両親が到着し、「心配をした」「貴方はとっても可愛いわ」と羊の獣人の少女を励ましながら、その家族たちの姿は小さくなっていく。
「ドロテア、そろそろ行くか」
ヴィンスはそう言って、ドロテアの手に自身の手を絡ませた。
しかし、数歩歩いたところで腕が突っ張るのを感じたヴィンスは、おもむろに振り向いた。
「──ドロテア?」
「………………」
ドロテアは、未だに少女たちがいた方向を眺めていた。
どこか懐かしむような、それでいて悲しいような、まるで消えてしまいそうな儚げな表情で。
そんなドロテアは、姿が見えなくなった少女たちのことをきっかけに、自身の過去を思い出していた。
先程の少女たちとは違い、売れ残りのだの、不細工だの、その見た目じゃ可哀想だのと、両親や妹、周りから言われていた日々を。
「………………」
とはいえ、今のドロテアからすれば、それはそこまで悲観することではなかった。
サフィール王国でドロテアが求められなかったのは、何も見た目だけではなかったのだ。どころか、聡明過ぎるという理由の方が大きいのだから、悲観するようなことではない。
それに今は、ヴィンスに求婚され、愛されていると自覚し、幸せで仕方がない日々を送っている。
(何一つ、落ち込むことなんて……)
ないはずだというのに。それでもドロテアは考えてしまうのだ。
──もしも、あの子たちのような姉妹だったら、と。
「ドロテア」
「…………!」
力強く手を握られ、僅かに強い口調で名前を呼ばれたドロテアは直ぐ様ヴィンスの方向に振り向いた。
ぼんやりしていた自覚はあるので、待たせてしまったかもしれないと謝ろうとすると、掴まれた手をぐいと引っ張られたのだった。
「えっ、ヴィンス様……!?」
軽く抱きしめられたと思ったら、直ぐ様離れていくヴィンス。
何事だろうかとドロテアの瞳に困惑の色が浮かぶと、その瞬間だった。
「えっ!? きゃあっ……!!」
腰と膝裏辺りに感じるヴィンスの手の温もり。至近距離にあるヴィンスの顔に、ぷらんとした自身の脚。
いわゆるお姫様だっこなるものを急にされたドロテアは、瞠目し、張本人を見つめたのだった。
「ヴィンス様、急に何を……! 降ろし──」
「──飛ぶから、しっかりとしがみついていろ」
「は、はい!?」
そうして、ヴィンスは言葉通り飛んだのだった。
鳥のような優雅な飛行ではなく、足にバネでもついているかのように、激しく。なんの説明もなく、ただドロテアが絶対に落ちないように力強く抱きしめたまま。