11話 専属メイドとの激しくてほっこりな朝
レザナードで迎えた一日目の朝は、思いの外激しいものだった。
「ドロテア様申し訳ありません……! 本当に申し訳ありません……!!」
ベッドから上半身だけを起こしたドロテアに何度も頭を下げるのは、リスの獣人で、今日から専属のメイドとして仕えてくれるナッツである。
ふわふわ栗毛のポニーテールに、控えめな耳。ナッツの体の半分ほどの大きさはある尻尾が、謝罪のたびにぶわんぶわんと揺れるのを、ドロテアはポタポタと落ちる雫の合間から見ていた。
洗顔用の水を張った桶をナッツが盛大にひっくり返し、それがドロテアの頭上に降り注いだのである。
「良いのよ、気にしないで。ナッツ、だったわよね? 誰にでも失敗はあるから、ほら、片付けましょう? ……と、その前に手拭だけ取ってくれるかしら?」
「……な、なんてお優しいのでしょう! 手拭いは直ぐに!!」
「待ってナッツ! そのまま振り向いたら、貴方の尻尾で今度は花瓶が落ちてしまうから……!」
「はわわわわっ!!! 申し訳ありません〜!!」
──ナッツはどうやら、かなりおっちょこちょいらしい。
朝のやり取りだけでもそれがはっきりと分かったドロテアだったが、ナッツに対しては好印象を持っていた。
というのも、彼女はおっちょこちょいだが、ドロテアに気持ち良く過ごしてもらおうという気遣いに満ち溢れているからである。
ドロテアはナッツからふわふわの手ぬぐいを受け取って軽く髪の毛や顔を拭きながら、ふふ、と笑みを零した。
「ナッツ、洗顔用の水の温度、温かくて有り難かったわ。それに、朝スッキリ目覚められるように香を焚いてくれたのね? ありがとう」
「我らが王であられるヴィンス陛下の婚約者であるドロテア様に気持ち良く過ごしていただくために当然のことでございます! なのに私ったら……! 朝から大失態を……!!」
「ふふ、本当に気にしなくて良いわ。すぐ乾くもの!」
厳密にはまだ正式な婚約者ではないけれど、両親はドロテアが嫁ぐのならばどこでも良いだろう。
それが他国の王となれば反対する理由もないはずなので、ドロテアはわざわざ訂正することはなかった。
(レザナード陛下は慕われているのね。それにしても、ナッツのような優しそうな子がメイドになってくれるなんて、嬉しいわ)
ランビリス子爵家でのドロテアの扱いは、あまり貴族らしいものではなかった。両親の命令なのか、メイドはいつもシェリーにかかりきりで、ドロテアは大した世話をしてもらった覚えはない。
貴族令嬢としての教育は受けられたし、趣味の勉強を取り上げられることがなかったことだけは救いだけれど。
……ともかく、ドロテアからしてみれば、少しおっちょこちょいだろうが、こうやって誠心誠意仕えてくれるナッツの存在は、心から嬉しかったのだ。
「ナッツ、これからよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いいたしますドロテア様……!」
こんな良い子をメイドに寄こしてくれたのはヴィンスだろうか。だとしたら、感謝しなければ。
「他の皆も、これからよろしくね」
「「こちらこそよろしくお願いいたしますドロテア様!!」」
後から他のメイドたちもやって来て、ベッドのシーツ類の洗濯や身仕度を済ませる中、ドロテアはほっこりとした気分で迎えることができた朝に頬が緩んでしまう。
そうして着心地の良いドレスに身を包んだドロテアは、運ばれてきた朝食を楽しんでから、ソファに移って食後の紅茶をスルスルと口に含む。
普段はロレンヌに入れる立場だったので、こうやって給仕をしてもらうのは少しむず痒いが、飲んだことのない紅茶の味に興味のほうが勝った。
「ねぇナッツ、この紅茶はなんという名前なの?」
「これはモルクードという紅茶です」
「まあ! これがあのモルクードなのね!? 獣人国の西部の一部でしか採れないという貴重な……! そんな貴重なものを飲めるなんて……!」
「陛下の計らいなのです! これは陛下でも頻繁には飲めないもので……ドロテア様は本当に愛されておられますね」
「えっ、あ、愛…………」
(そう、よね。陛下の本心はどうであれ、凄く、大切にされているのが分かるわ……)
部屋はもちろん、早速メイドをつけてくれて、珍しい紅茶を振る舞うよう伝えてくれていて、それに、このドレスも。
小柄なディアナとは体格が違いすぎる為、間違いなく彼女のお古ではないのだろう。
昨日の今日で時間がなかったはずだというのに、着心地もよく立派なドレスを何着も用意するのは、大変だったはずだ。
「レザナード陛下は、お優しい方なのね……」
「ここまでお優しいのはドロテア様にだけですわ! 陛下は使用人や民にも優しいですが、ドロテア様への気遣いは桁違いです! ドロテア様は素敵なお方ですから、陛下に愛されて当然です。あ! 実は私も……というか昨日この屋敷にいた者は全員ドロテア様のお話を聞いていたので、皆ドロテア様のことが直ぐに大好きになりましたし、素敵なお方というのは分かっているのです〜」
うふふ〜と少しぷっくりとした頬を綻ばせるナッツ。
話が聞かれていたことや、愛されて当然だなんて言われることには恥ずかしさはあるが、シェリーに対しての怒りが鎮まったのなら良かったとドロテアが安堵すると、とある疑問が浮かんだのだった。
「ナッツ、王城で聞かれたくない話──仕事の重要事項やプライベートな話をするときはどうするのかしら?」
「はい! 個室の扉には特殊な加工をしてあって、扉を締め切っていれば、声が王城中に響き渡ることはありませんのでご安心ください!」
「なるほど、ありがとう」
だから、昨日のヴィンスとの廊下での会話は皆に聞こえていたのか。
王の間でも扉は開いていたので、どうやらそういう理由だったらしい。
疑問が解決し、すっきりしたドロテアはティーカップをソーサーに戻すと、そろりとナッツの尻尾へと視線を移した。
「ナッツ、貴方本当に可愛いわね……特に、そのくるんとした大きな尻尾」
「えっ! ありがとうございます! そういえば、ドロテア様は私たち獣人の耳や尻尾がお好きなのですよね?」
「ええ。そうなの! 大好きなのよ」
──昨日、ヴィンスに『俺たちの耳や尻尾が堪らなく好きなんだろう?』と耳元で言い当てられたが、どうやらそんな僅かな声でも獣人の耳には届くらしい。
説明するのが省けたドロテアは、おいでおいでとナッツを近くまで来させて窺うように口を開いた。
「……その、嫌じゃなければで良いのだけれど……」
「はい」
「少しだけ、少しだけで良いの! その愛らしい尻尾を、触らせてくれないかしら……?」
ドロテアは可愛いものが大好きだ。特にふわふわしたものに目がなく、獣人国にずっと来てみたかった。
しかし謝罪に来たため、出来るだけ煩悩を打ち消していたのだけれど。
(もう謝罪は済んだのだし……それに、本当に陛下と結婚するならば、ずっと獣人国に住むわけだから、我慢をしすぎるのは良くないわよ。ええ、良くないわ……!)
ヴィンスの誘惑に乗ってしまうくらいなので煩悩は殆ど打ち消せていなかったけれど、枷が外れたドロテアは欲望に忠実だった。
ナッツは、コテンと首を傾げてから、花が咲くようにニコリと微笑む。
「そんなことでしたか! 私の尻尾で良ければいくらでも触ってください! 今日、気合を入れて手入れしておいて良かったです〜!」
「本当に? 本当に……良いのね……!?」
念押しして確認すれば、くるりと背中を向けて、どうぞと言うナッツ。
ドロテアは念願の瞬間に、ゴクリと生唾を呑んでから手を伸ばした。
──しかし、そのときだった。
「ドロテア、何をしているんだ? 浮気か?」
「レ、レザナード陛下……」
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