107話 ドロテアのできること
(ハリウェル様、とても急いで来てくださったのね……)
普段から体を鍛えているハリウェルが肩を上下にさせるくらいに息が乱れていることや、贈った耳付きの帽子の上や肩、尻尾にはちらほらと雪が積もっているから、ドロテアはそう推測することができた。
(というか、帽子を被ってくださってるのね……。嬉しいわ……って、そうじゃなくて)
ドロテアは余計な思考を頭の端に追いやると、ハリウェルを笑顔で出迎えた。
「ハリウェル様、おかえりなさい。お疲れ様でした」
ハリウェルは尻尾をぶんぶんと振って嬉しそうに頬を緩めながら、ビシリと姿勢を正す。
「ただいま戻りました! ドロテア様のためでしたら、このハリウェル、たとえ国境付近でも海でも山でも、男性だけでは入りづらいお洒落なカフェテリアでも参りますので、いつでもお申し付けください!」
「え? ええ、ありがとうございます?」
カフェテリアだけは若干ずれている気がしたが、ドロテアは敢えて口出しすることはなかった。
「ハリウェル、陛下の前だ。口を慎め」
「……ハッ! 申し訳ありません。大変失礼致しました」
「……構わん」
デズモンドから見て、ハリウェルは自身の妹の子。つまり甥に当たる。
それなりに知る仲だからか、まるで飼い主に会えた犬のように興奮していたハリウェルの様子を、デズモンドはさして気にしていないようだ。
アガーシャのことがあるため、それどころではないという理由もあるのかもしれない。
「あの……それで、皆様ここに集まって一体何を? 先程、暗殺という物騒な言葉が聞こえましたが……」
廊下で放ったデズモンドの言葉は、同じく廊下にいたのだろうハリウェルに聞こえていたらしい。
おそらくデズモンドの言葉は、この屋敷にいる多くの獣人たちに聞こえていただろう。きっと近いうちにアガーシャの容態については城内に知れ渡る。
それなら隠す必要はないだろうと、ヴィンスはハリウェルにアガーシャの現在の状況を説明した。
「実はな──」
ヴィンスが説明を終えると、ハリウェルは顔を真っ青にしてショックを受けると同時に、こう嘆いた。
「……まさか、アガーシャ様もだなんて……」
「……も? どういうことですか、ハリウェル様……!」
ドロテアの問いかけに、ハリウェルは悲しそうに眉尻を下げる。
「それが……国境付近からこの屋敷に戻って来る道中の街で耳にしたのですが、寒さが厳しくなった二週間ほど前から、住民の中にもアガーシャ様と同じような症状の体調不良を訴える方がいるそうなのです」
「「「……!」」」
「症状の重症度に関しては様々でした。今のところ命を落とした者はいないようですが、時間の問題かもしれません」
皆が驚きで目を見張った。
唯一プシュだけが、「キュウ」と可愛らしい声で鳴きながら、尻尾をブンブンと揺らしている。
(住民たちの体調不良の原因がアガーシャ様と似ている? しかも二週間前からって、タイミングも同じだわ……。ということは、何かしらの毒が出回っている可能性があるわね)
それがもし本当ならば、由々しき事態だ。
もちろん、住民たちの体調不良の原因は別にある可能性もあるが、症状が似ているのならば毒の可能性は高い。
(……もしもその毒が、アガーシャ様に使われていたものと同じ種類だったら……)
ドロテアは恐ろしいことを想像してしまい、背筋が粟立つ。
同時にデズモンドは「つまり……」と呟いた。
「『アスナータ』の者たちは、アガーシャだけでなく、国民たちにまで危害を加えようとした可能性があるということか」
──そう。 ドロテアが恐れていたのは、これが『アスナータ』による毒物攻撃だった場合だ。
『アスナータ』が獣人を嫌っていること、アガーシャと住民たちの症状が似ていて、おそらくどちらも毒が原因であることから、ありえない話ではない。
(これが本当ならば、おそらく毒の特定はかなり困難になるわ……。簡単に解毒できてしまっては、あまり意味がないもの)
ただ、他国からの毒物攻撃にしては、些か規模が小さいように思う。
更に、現時点でまだ死に至った者がいないとなると、毒の効果もそれほど高いものではないのだろう。他国を攻撃するにしては、正直中途半端だ。
「父上、お気持ちは分かりますが、冷静になってください。母上の件を含め、民のことも『アスナータ』が関わっているとは限りません」
「……分かっている。だが、そうとしか考えられな──」
その時、デズモンドの声を遮るようにしてハリウェルは声を張り上げた。
「『アスナータ』は無関係だと思います……! 何故なら、『アスナータ』でも同様の体調不良者が出ているからです!」
「「「……!」」」
どうやらハリウェルは、国境付近で両国間の人々の様子を観察していたところ、『アスナータ』の住民たちの間で、原因不明の体調不良が起きている話しているのを聞いたようだ。症状も似たようなものだったらしい。
「ヴィンス様。その話が本当ならばハリウェル様の言う通り、此度の件に『アスナータ』は関係はない……むしろ、私たちと同じ状況に置かれていると考えるべきですね」
「ああ。なんにせよ、まずは住民たちの間に起こっている体調不良の原因を速やかに探る必要がある。母上と同じなのか否かでも、対応が変わるからな。父上、家臣たちには俺から指示をしても構いませんか?」
「あ、ああ……。すまない、ヴィンス……」
この屋敷の主人はデズモンドだが、今の彼はアガーシャの体調不良により冷静さを欠いている。
そのため、ヴィンスは自らが指揮することにしたのだろう。
「ドロテア、俺は家臣たちと話し合いをするために、一旦この場を離れるが、お前はどうする? この場で父上とともに母上の検査結果が出るのを待つか?」
「私は……」
ヴィンスが自分にできる最大限のことをしている中で、私ができることは何だろうとドロテアは少し俯き気味で考える。
(……そうよ。私には多少だけれど、毒に対しての知識があるじゃない)
それに、ヴィンスが認めてくれた観察力や情報収集力、行動力も。それらが今、活かせるかもしれない。
(──私にできることを、しなくては)
ドロテアは顔を上げると、覚悟のこもった瞳でヴィンスを見つめる。
ヴィンスはそんなドロテアを見て、ふっと微笑んだ。
「私なりに、アガーシャ様を苦しめる毒の特定に当たりたいと思います。許可をいただけますでしょうか」
「それでこそドロテアだ。……すまないが、母上の方は頼んだぞ」
「はい!」
それからドロテアは、この場を後にしたヴィンスの背中を見送ると、侍女たちに視線を移した。




