104話 ヴィンスの答え
「差し出がましいようですが、よろしいでしょうか」
「……ああ」
ドロテアがこの場を設けたのは、両親の気持ちを知っていたからなのだろう。
と、すると、両親の気持ちを汲んであげたらと言うのだろうか。それとも、良かったですねと顔を綻ばせるのだろうか。
──そう、ヴィンスは思っていたというのに。
「深く考えずとも、ヴィンス様が思ったことを正直に話されれば、それで良いのです」
「…………」
「両陛下はヴィンス様の気持ちをしっかりと受け止めてくださるはずです。……きっと、大丈夫です」
穏やかな笑みを浮かべたドロテアの言葉が、ストンと胸に落ちてくる。
(ああ、そうだな。俺はなんて愚かなんだ。……ドロテアは、こういう女だ)
ドロテアは自分の感情を押し付けてきたりなんてしない。
自分が家族と不仲だったこともあって、家族は仲良く有るべきだなんて理想を押し付けてきたりもしない。
感情の複雑さを理解しているから、謝罪をされたら許してあげたほうが良いなんてことも言わない。
それならば何故、この場を意図的に作り出したのか。
(俺が両親に寄り添ってほしいと望み、両親は俺を愛してくれていたことをドロテアは知ったから……。俺たちが向き合うきっかけを、くれたのか)
ヴィンスはコクリと頷くと、再び両親に向き直り、口を開いた。
「父上と母上の気持ちは、十分理解しました」
ヴィンスは俯き、膝の上に置いた両手拳を力強く握り締める。
「けど、俺はきちんと話してほしかったです。お二人が俺のためを思って必死に狼化のことを隠そうとしたことは分かっていますが……それでも、まだ子どもだった俺には、二人の存在は貴方方が思っているよりも大きかった……。あの悲しかった時間は、直ぐには消えません」
「……ああ。お前の言う通りだ。……本当に、申し訳ないことをした」
「ごめんなさい……っ、ヴィンス……」
二人を責めたいわけではない。
ただ、子どもだった頃の自分の苦しみを分かってほしかった。あの頃の自分の気持ちを、きちんと両親に伝えたかった。
(そうしないと、俺は前には進めない)
ヴィンスは一度小さく息を吐いた。そして、ゆっくりと顔を上げる。
「でも、父上と母上が俺のことを心から案じていてくれたことは、本当に嬉しかった」
「「……!」」
「……これからは何かあったら……いえ、何もなくても、しっかりと向き合って、話しましょう。……俺はお二人に、話したいことが沢山あります」
自分でも、驚くくらいに自然と笑顔が溢れた。
胸のしこりはいつの間にか消えていて、とても気分が晴れやかだ。
「……っ、うっ、ぅぁっ……ありが、とう、ヴィンス……っ」
「ヴィンス……ありがとう」
嬉しそうに涙を流すアガーシャに、涙を必死に堪えるデズモンド。
振り返れば、こちらを見てふんわりと微笑むドロテアの姿がある。
(……ドロテア)
そして、脳裏に過る「仕方ないなぁ」と呟く過去の自分の姿。もうその目に、涙はなかった。
(ありがとう)
◇◇◇
ヴィンスと彼の両親の間にあった蟠りが解けてから、ドロテアは紅茶を入れ直し、席についた。
ヴィンスから、侍女としてではなく婚約者として座るよう命じられたからだ。
(それにしても、良かったわ……。とはいえ)
ヴィンスがアガーシャたちの考えを知ってもなお、二人と距離を置きたいというなら、ドロテアはヴィンスの意思に従うつもりだった。
けれど結果として、ヴィンスたちはしっかりと向き合い、互いの思いを知ることができ、和解することができた。
「ヴィンス様、先ほども言いましたが、勝手なことをしてしまって本当に申し訳ありません」
目の前に座るアガーシャは未だに感動の涙を流している。そんな彼女に、デズモンドはそろそろ泣き止むよう声を掛ける中、ドロテアは隣に座るヴィンスに謝罪をした。
ヴィンスたちの話の途中で疲れてしまったのか、プシュはドロテアの肩ですやすやと眠ってしまっている。
「いや、謝らないでくれ。むしろ、この場を作ってくれてありがとう。……ドロテアには本当に、感謝している」
「しかし……私はヴィンス様に何の相談もなしに話を進めてしまいましたので……」
「それは仕方のないことだ。互いに本音をぶつけませんか、なんて言われていきなり呼び出されたら、俺は拒絶していたかもしれないからな」
「……そ、それはそうなのですが……申し訳──」
ヴィンスの優しさに心が痛み入るが、罪悪感が完全には消えなかった。
ドロテアが眉尻を下げて再び謝罪しようとすると、ヴィンスはニッと口角を上げて、彼女の言葉を遮った。
「そんな顔をしていると……」
ヴィンスは、膝の上に置かれたドロテアの手にそっと自身の手を伸ばす。
テーブルで見えないことを良いことに指を絡められたドロテアは、感動から一転して羞恥心に包まれた。
「!?」
「謝罪を辞めるなら離すが」
「……っ、やめますすぐにやめますもう絶対にしません」
「……ふっ、ならいい」
ノンブレスで言い切ると、ヴィンスの手は約束通り離れていく。
(もう、ヴィンス様ったら……。私がこれ以上罪悪感を覚えなくて良いようにという行動とはいえ、ご両親の前でなんてことを)
ドロテアは熱くなった顔をパタパタと手で仰ぐ。
すると、ようやく泣き終えたアガーシャが目と鼻先が真っ赤になった状態で話しかけてきた。その表情さえ妖艶なのだから、美人って凄い。
「ドロテアさん、本当にありがとう。貴女がいなければ、ヴィンスと向き合えなかったと思うわ」
「いえ、私はただきっかけを作ったに過ぎません。……けれど、本当に良かったです」
アガーシャに続いて、デズモンドに「……私からも、心からの感謝を」と言われ、大したことをしたつもりはないドロテアは居た堪れなかった。
しかし、そんなドロテアの心情を知らず、アガーシャは淡々と話し始めた。
「これまで誰も娶らなかったヴィンスが突然求婚をしたという話を聞いてから、ドロテアさんにずっと会ってみたかったの。けれど、まさかここまで素敵な女性だとは思わなかったわ」
「えっ!? ……ハッ、大きな声を出して申し訳ありません……。そのように思っていただけて、大変恐縮でこざいます」
確か、屋敷に着いた直後、アガーシャに睨まれたはず。
今は好意的な視線を感じるが、まさか以前から会いたいと思っていたなんて……と、ドロテアは困惑せずにはいられない。
「……では何故、初めて対面した時、母上はドロテアのことを睨んだのですか?」
「……! ヴィ、ヴィンス様……」
ドロテアでは聞けないと思ったのか、代わりにヴィンスが問いかける。
敢えて質問しなくても良かった気がするが、これもヴィンスが両親にしっかりと向き合えている証なのだろうか。
そう思うと止めることもできず、ドロテアは何とも言えない気持ちでアガーシャの返答を待った。
「睨んだつもりはないわ」
「え」
ついドロテアは上擦った声が漏れてしまった。まさかアガーシャが否定するとは思わなかったからだ。
アガーシャは視線をドロテアたちから逸らし、ポッと顔を赤らめた。
「……私は、愛する息子が連れてきた女性を──将来自分の娘になるドロテアさんを、じっくり見ようとしただけだもの」
「は……?」
嘘だろうと言いたげな声を出すヴィンス。
一方ドロテアは、驚きよりも幼子のように言い訳をして、唇を尖らせるアガーシャの可憐さに悶絶した。