10話 狼の習性
ドロテアがようやくベッドに四肢を滑り込ませた頃。
文官であり、幼少期からの幼馴染みでもあるラビンを道連れに、ヴィンスは日中の仕事の遅れを取り戻すため執務室で書類仕事に精を出していた。
机に顔を伏せながら、日中はピシッと立っていた耳が後ろに垂れた様子のラビンはどうやら疲労困憊のようだが、ヴィンスは知らんぷりだ。
「ヴィンス……貴方の体力は本当に無尽蔵ですね。良く連日こんな時間まで仕事ができるものです」
「お前が脆弱なだけだ。たまには運動しろ」
幼馴染ということもあって、周りに人がいないときは『ヴィンス』と呼ぶラビンは、重たいため息をつく。
文官は日々忙しく夜通し仕事をすることが時折あることはあるのだが、今日はラビン以外の文官は定時に退城したからである。
もちろん、それを指示したのはヴィンスだ。
「昼間、ヴィンスとランビリス子爵令嬢との邪魔をしたことまだ怒っているんですか?」
「怒ってはいない。ただ、お前に仕事を手伝わせてやりたい気分だっただけだ」
つまり仕返しでは? 怒っているのでは? と思ったものの、言葉を飲み込んだラビン。
眠気覚ましのコーヒーで頭をスッキリさせてから、それにしても、と話題を切り替えた。
「ヴィンスがあんなに誰かに執着するところを初めて見ました。本気で惚れたんですか?」
「ああ、そうだ。……ドロテアは、俺にとって最初で最後の女だろう」
先程まで常に動いていた筆を、ヴィンスはゆっくりと机へと置く。
──ドロテアのことは、妹であるディアナを貶したシェリーを調べているついでに詳しくなった。
聖女のシェリーと比べられ、見た目が可愛らしくないと言われていることも、嫁の貰い手がなく、侍女として勤めていることも。
「サフィール王国の男共が見る目がなくて助かった。ドロテアが誰かの妻だったら、流石に俺も求婚は出来ないからな」
もちろん、家族──特に妹のシェリーが何か問題を起こすたびに、尻拭いをさせられていることも直ぐに調べがついた。
貴族として、民に迷惑をかけまいと行動するドロテアに、ヴィンスは会う前から興味があったのは確かだ。
しかし、実際に会うと、興味だなんて浅はかな感情は直ぐ様消えていった。
(一介の騎士を演じていた俺に当たり前のように頭を下げ、心の傷を少しでも浅くしたいと言い、冷酷ではなく優しいと言い切るとは。……変な女だ。だが)
数少ない情報からレスターがヴィンスであることも悟り、ディアナの考えも悟り、獣人に対する理解や知識、勉強を趣味というほどの知的欲求の高さ。気遣いや観察力にも優れ、行動力も、思慮深さも、自身の美しさに気付いていないところも、能力の高さに気付いていないところも、全て。
──気付けばヴィンスは、ドロテアの全てに惹かれてしまっていた。
(こんな感情は生まれてこの方初めてだな)
ドロテアに対して芽生えたのは独占欲や執着心、ドロドロに甘やかしたいと思うのに、どこか困らせてやりたいと思ったり、笑顔にさせたいのに、泣かせてやりたいとも思う、そんなどうしようもない感情だった。
「ドロテアは絶対に俺の妻にする。ラビン、惚れるなよ」
「惚れませんよ! 私には昔から好きな方がいるので」
「……だったら、さっさと伝えれば良いだろう。どう見たってあいつはお前に気があるだろ」
ヴィンスの発言に、ラビンは耳をピン! と立てて、頬を朱色に染めた。
「違いますよ……彼女は、幼馴染である私に懐いてくれているだけで……私のようなドロドロとした感情は持ち合わせていないのです。何故なら天使だから!」
「あーー分かった。もうこの話は良い、聞き飽きた。天使だの女神だの勝手に言っていろ」
ハァ、とため息を漏らしたヴィンスは頬杖をついてから、再びドロテアに対して思いを馳せる。
(半分脅しのような形で誓約書に名前を書かせたが……さて、どうやって落とそうか)
ヴィンスはもうドロテアしか考えられない。彼女の心も身体も全てを欲している。
そのためにはまず、ドロテアに自身を好きになってもらわなければならないのだが。
(……ふ、やはりこの耳と尾を触らせてやるのが一番か。触っても良いと言ったときのドロテアの反応と来たら、好物を出されたように目をキラキラとさせていたしな。……あれはかなり可愛かった)
しかし、母国への一旦の帰省を許さなかったことについては、少し反省する部分がある。ヴィンスは、ドロテアの困った表情を思い出して、僅かに眉尻を下げた。
(だが、正式に婚約者になっていない状態で帰国させて、どこぞの馬の骨に掻っ攫われてはたまらない。……それに)
勤め先の公爵家では良くしてもらっていたらしいので心配はいらないが、実家が問題だ。
帰れば、また妹の尻拭いをさせられるのではないか。売れ残りだなんて言っていた両親に、今度はヴィンスとの政略結婚の駒として、余計なことを口出しされるのではないか。
そのせいで、ドロテアが傷付くこともあるかもしれない。ヴィンスにはそれが、たまらなく嫌だったから。
(正式に婚約者となれば、何かあっても俺がドロテアを守ってやれる。それまでは──)
ドロテアの両親へと宛てた手紙には、この婚約を認めない場合は、問答無用でシェリーの発言を問題にすると書いてある。
ドロテアに尻拭いをさせなければという危機感は持っている訳だから、必ず署名をして送り返してくるだろう。
「……可哀想に」
「何か言いましたか?」
「いや、ただの独り言だ」
狼という生き物は、一生のうちに一匹だけ番を決める。その番を生涯愛し続ける、そんな生き物だ。
番が先に死んだ場合は一生他の番は作らないような、そんな純真で、執着心の強い生き物なのだ。
(ドロテア…………悪いが俺は、もう何があってもお前を離してやれそうにない)
──だから、早く、一秒でも早く俺を好きになってくれ。
ヴィンスは深く椅子に腰掛けて天を仰ぎながら、そんなことを強く願った。
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