前編
異世界転移したおばあちゃん(元ヤンキー)が主人公です。
一流ホテルと見間違うような部屋で目が覚めた。
湿気た煎餅のような平べったい布団ではなく、ふかふかで清潔で寝心地が最高に良いベッドの上で欠伸を噛みしめれば侍女がやってきてモーニングティーが用意された。
その間に丁度よい温度の洗面器が出てきてそれが終わったら自家製の化粧水と乳液とクリームをつけて遅い朝食だ。
「今日の予定は?」
「デタラメットル殿下、メルボルン伯爵令嬢との会食。その後メルボルン伯爵令嬢と聖女育成訓練でございます」
「はーい。わかったわ」
侍女に朝食の量を減らしてもらい、ベッドでいただくには豪華な食事を口にした。
日本にいた頃はベッドの中で食べるのはお菓子くらいで食事なんてできなかった。お粥も昔布団の上に零してから禁止になった気がする。
やだわ。老いたせいで昔のことばかり思い出すことが増えた。
はぁ、と溜め息を吐いたが一人しかいない自室では声をかける者は誰もいなかった。
「それにしても、聖女の訓練、ねぇ…」
よりにもよってアタシが人にものを教えるとか、聖女様がどんなのかもよくわからないのに聖女になるための訓練を人様の、しかも貴族のお嬢様に指導するだなんて。
話が来た時のことを思い出し鼻で笑った。
アタシ、田村栄子がこの世界に降り立ったのは十七の頃だった。
多分通学の途中だったと思う。いきなり別世界に来てしまったアタシは訳がわからず途方に暮れたが、持ち前の精神でなんとか切り抜けてきた。
拾ってくれた人や関わった人達がいい人ばかりで、そのお陰でやってこれたのだと思う。
世界には定期的に異世界人がやってくるが、帰れるかはまちまちだと聞いた。アタシは帰る気持ちはあったけど、恋に落ちてここで幸せになることを選んだ。
旦那が住んでいる国の王様に許しをもらって、結婚して子供を産んで。とても幸せだった。
ただ、最愛の旦那は孫が産まれた年に亡くなり、娘夫婦も孫娘が十三の時に事故で他界した。
呆気なくアタシの大切な人が逝ってしまって落ち込んでいたが、孫娘のために頑張って生きなくては。そう思って今日も前向きに歩いている。
◇◇◇
「エイコお婆様!」
「よく来たね、シェルビー。デタラメットル殿下と本当に仲が良いんだね」
「ええ。シェルビーは僕の唯一ですから」
会食の時間、五分前に待ち合わせ場所に着けば既に二人が待っていた。
最近の子達は察しが早くて涙が出そうだよ。来た当初や他の貴族達は先に来て待ってるという概念がなかった。
まあ、アタシも興味のないことは遅刻常習犯だったけど。でもデートは無遅刻無欠席だった。
今日会食するデタラメットルはこの国の王子で、シェルビーは伯爵令嬢だ。二人は両想いでとても仲睦まじい。
若い二人はまだ学生なのだが、今年の卒業と同時に結婚するのだそうだ。
二人が寄り添い、互いの顔を見つめ合う姿は幸せそのもので、栄子はご馳走様!と微笑んだ。
若い時分なら嫉妬と羨ましさに祝福なんてしなかっただろうけど、孫よりも若い世代を見ると眩しくて無性に泣きたい気持ちになる。年寄りになるとこういうのがあって嫌だねまったく。
若い二人の惚気話に充てられながら会食を終え、執務があるデタラメットルと別れ訓練へと向かった。……といっても東屋で話をするくらいだが。
この国では異世界人は聖女であり聖魔力とやらがあると信じられてきた。その異世界人であるアタシに数少ない聖女としての教育を施してほしいと打診があった。
国内の病や重症患者を助けるために(異世界人ではないが)聖女候補になったシェルビーは率先してアタシに教えを乞うてきた。
その姿は純粋で心が打たれたが、それ故に何もないアタシが教えるのは騙しているようで心が痛い。最初の何度かは無理だと断ってもいた。
確かにアタシは異世界人で特殊能力持ちだが、『異世界人』が『聖女』という話はこの国で初めて知った。
まあ世界は広いのだし、そういう特殊能力がある異世界人もいたかもしれないが、アタシにはないのでとても荷が重かった。
なので他に相応しい本物の聖女がいるだろうから辞退させてくれと言ってみたが、今度は『愛するシェルビーのために一肌脱いでくれ』とデタラメットルに頼まれ、断るに断れなくなってしまった。
さすがに国の王子に頭を下げられては受けるしかなく、栄子は何も役に立てないけどそれでよければ、と前置きして役目を引き受けた。
正直何回かで来なくなるかと思ったがシェルビーは頻繁にアタシに会いに来ては話し相手になってくれた。
聖魔力を放出する訓練も座学も何もかもせず、ただ学校帰りの学生が寄り道をしてそこで話すだけのようなことしかしていない。
彼女はデタラメットルに会いに来たついでだからと気を遣ってくれるが、十代ならその時間すら惜しいだろう。
『エイコお婆様とのお話は楽しいです。話しやすいですし、いつまでも話せちゃうし。まるで年が近いお姉様か、お友達みたいで……あ!失礼しました。
エイコお婆様はそれだけお若いっていう意味なんです。勘違いなさらないでくださいね!』
アタシのことはデタラメットルとの逢瀬のダシにして構わないから二人でゆっくり楽しみな、と言った時に返ってきた言葉だ。気遣いにあふれていて思わず泣いてしまった。
以前、孫娘と近い年齢なのだと教えたら『親しみを込めて〝お婆様〟とお呼びしてもよいですか?』と聞かれ喜んで許可をした。
お婆様よりも、もっといい呼び方はあったが、孫娘のように呼んでくれてるのかと思ったら胸に熱いものが込み上げた。
そんな可愛いシェルビーの最近の悩みは、学園でイジメに遭っていることだった。
スザンヌとかいう男爵令嬢が学園の『平等精神』を盾に好き勝手をして周りを困らせているのだとか。
前の世界の不良みたいだなと思ったらまさにその通りらしく、授業を邪魔したり、わざとぶつかったのに相手が謝るまでネチネチ文句を大声で叫んだりする空気が読めない女なのだそうだ。
そのスザンヌとかいう女はデタラメットルに恋をして、シェルビーが邪魔になりありとあらゆる嫌がらせをしてきているのだという。
不敬にもぶつかってきたり罵声を浴びせるのは日常茶飯事で、注意しても唾を吐かれたりもっと物をぶつけられたりするのが常だそうだ。
目を離した隙に教科書類を盗み、ズタズタに切り裂いてはゴミ箱に捨てたり、果ては階段から突き落とそうとしたこともあったそうだ。
すべてデタラメットルが近くにいたから事なきを得たと聞いて、デタラメットルグッジョブ!と思ったわ。
「その娘はデタラメットル殿下とシェルビーが付き合ってることを知っててやってきてるのかい?」
「まあ!付き合ってるだなんて恐れ多い!わたくしが勝手にお慕いしているだけで……付き合うだなんて、そんな」
「顔を赤くしても隠せてないよ。あれだけラブラブしてるのを見せつけてるっていうのにお慕いしてるだけ、だなんて嘘だろう?
アタシに言っただろ?デタラメットル殿下が大好きだって。
プロポーズされたら受けるつもりなんだからあんたは堂々としてればいいの!そんなお邪魔虫は馬に蹴られて死んじまえってね!」
「まあ恐ろしい!ですが、フフッ!エイコお婆様とお話したら胸がスッとしましたわ」
にこにこと微笑むシェルビーはデタラメットルに愛され輝いていた。うんうん。女の子は笑顔が一番だ。
何かあったらデタラメットルに相談してそれでもダメなら両親や国王陛下にも相談するように。と念を押した。そしたら、
「エイコお婆様は助けてくださらないのですか?」
と可愛くおねだりされ笑って承諾した。
「シェルビーもアタシの孫みたいなものだからね。当然守ってやるさ」
そう言ってやると彼女はさすがわたくしのお婆様だわ!と本物の孫娘のように栄子に抱きついた。
◇◇◇
卒業に差し掛かる前の月にデタラメットルの誕生パーティーが行われた。
そこで大々的にシェルビーと婚約発表をするのだという。
二人にいつもお世話になってるから是非参加してほしいと言われたが老婆が出たら顰蹙を買うだろうからと言って辞退した。
しかしシェルビーが何度も頼み込み、『きっとスザンヌも来るだろうから』と泣きそうな顔で懇願するので仕方なく参加することにした。
このパーティーには国王や王妃も参加するらしい。他にも同じ学園の生徒達やその親、繋がりがある貴族まで呼ばれたとのことだ。
そんな大規模なパーティーならスザンヌも臆して何もしてこないだろうけど、シェルビーに頼まれた手前参加を取り止めることはしなかった。
パーティーが始まり、デタラメットルの挨拶回りは最後の方だったが顔見せはできた。
隣には勿論シェルビーが居てお似合いの二人が幸せそうに歩いてる様はまるでヴァージンロードを歩く新婚夫婦のように見えた。
婚約発表はまだだったので頑張れよ!と目配せするとシェルビーは頬を染めながらも大きく頷いていた。
あとは時間までスザンヌの監視をしようと思ったが肝心の顔を知らなかった。顔がわからなくては止めることもできない。
誰かに聞けばわかるかしら?と周りを見ていると壇上にデタラメットルが一人で上がり声を張り上げた。
「スザンヌ・ゴーボン!!前に出ろ!」
まるで死刑宣告のような呼び出しに栄子は驚いた。
怒りの形相のデタラメットルも、苛立ちを含んだ声で叫ぶデタラメットルも初めて見たからだ。
一体何が起こるんだ?と見やすい場所へ足を進めれば、見覚えのある、ある意味馴染み深い髪色が目に入った。
この世界の貴族はほぼ全員が奇抜な髪の色をしていた。
みんなファンキーなロックバンドかと思うくらい派手な髪色に最初度肝を抜かれたが、話してみると一般常識がある普通の者が多かった。
平民と言われている一般層は暗い色の髪の毛が多いが、前の世界でよく居た直毛ストレートで天使の輪っかでできる髪の毛はこの世界にはなぜかいなかった。
その髪の毛が目の前にいる。気が逸り前へと進み出れば見えた姿に目を瞪った。
嗚呼!嗚呼!娘そっくりな顔立ち!アタシの若い頃と同じ、濡れたような艶やかな黒髪!間違いなくアタシの孫娘だわ!
スラリと伸びた背に会えなかった期間を思い起こさせる。あんなに立派になって!あのふてくされた顔も娘に似ていてなんとも可愛らしい!
たまらず泣きそうになったが、そこでふとスザンヌはどこだと探した。しかし目ぼしい姿はない。人垣が割れ、周りの人が囲んでいるのは孫娘で、その孫娘はまっすぐデタラメットルを見上げていた。
「スザンヌ・ゴーボン!!今日この場をもって貴様との婚約を破棄する!!」
苦々しく、仇でも見るような目つきでデタラメットルが吐き出した。しかも孫娘に向かってだ。
は?????スザンヌ・ゴーボン??
違うわ。孫娘の名前はキリエ・ウィステリアードだよ。
そんなどこにでもいる平凡な名前じゃないわ。だって名付けたのはアタシだもの。え??じゃああの子は孫娘じゃないのかい??
周りの空気に充てられ困惑していたらデタラメットルは次々と饒舌に、怒り混じりに話し出した。
学園でのスザンヌは自分の爵位を鑑みず横柄な態度で女王が如く君臨していたこと。気に入らないことがあるとすぐ八つ当たりをしていたこと。
建物を壊し、教師を脅し、生徒を恐喝していたと聞いて我がことのように感じた栄子は肩を竦めた。
若かりし頃何もかもが気に食わなくてストレス発散方法がそういう〝おいた〟しか思い浮かばなかった世代だ。
今思うと迷惑だっただろうなと考えられるが、それが孫娘(仮)に遺伝していたと知り親近感が湧いた。
そしてデタラメットルはシェルビーを呼び寄せるといつものように彼女の肩を抱き蕩けるような微笑みを送った後、スザンヌには憎しみを込めて睨んだ。
「しかも僕に振り向いてほしいがために、僕が唯一大切にしているシェルビーを傷つけたそうだな!
陰口をたたき、嫌がらせをして、果てには物理的に怪我まで負わせようとした!!シェルビーが何をした!!
こんなに可憐で聡明なシェルビーは、人気者で誰からも愛されているというのに!
貴様のようなはみ出し者の底辺がどんなに頑張ったところで並ぶことすら叶わない素晴らしい女性なんだぞ!」
「スザンヌさん。どうかお怒りをお納めになって。あなたではデタラメットル様のお心を射止めることも、この国を繁栄させることも出来ないわ。
国母が乱暴者では民衆の支持を得られず、デタラメットル様の寵愛を受けられなければ世継ぎも産めないもの。誰からも愛されない王妃なんて国が傾くだけだわ」
「貴様のような社会のゴミは生きる価値もない!破棄できた暁には貴様を地下牢に入れて反省しなければ公開処刑で首を跳ねてやる!!」
「デタラメットル様!わたくしのためにそこまでしてくださるなんて!」
「当たり前だ!僕には君しかいない!やっとこの悪女に鉄槌が下せるんだよシェルビー!僕達はようやく結ばれるんだ!!」
「嬉しい!デタラメットル様!!」
そう言うとシェルビーはデタラメットルの胸に手を置き、しなだれかかるように更に密着した。
まるで王子も国母もわたくしの物よ。と意思表示しているみたいだった。
周りは騒然となった。学園の生徒達はデタラメットルとシェルビーの関係を祝福し、親達は困惑顔で見ている。
それはそうだ。男爵令嬢がこの国の王子に、いずれは王太子となるデタラメットルと結婚など破格の待遇だ。
どう考えてもスザンヌという男爵令嬢の狂言にしか思えない。
だがデタラメットルは婚約破棄を言い出した。本当に婚約していたのか?と大人達は誰もが王達を伺った。
そんな混沌とした中、栄子はというと孫娘そっくりなスザンヌを見つめたまま、まだ困惑の中にいた。
恐らく目の前の彼女が最近シェルビーを悩ませている元凶なのだろう。貴族らしからぬ粗暴な行動を詳らかにされて、知らない者達もスザンヌを睨んでいる。
学生達は王家がいるにも関わらず野次や悪口を叫ぶ者もいた。暴動一歩手前のような空気になっている。
背筋を伸ばし前を見据えたまま凛と立っているスザンヌはとても堂々としていて魅力的だが、周りには「往生際が悪い」、「ここまで二人の仲を見せられてもまだ諦められない未練がましい女め」という心ない言葉が彼女の柔らかい部分を傷つけているのがよくわかった。
栄子もなのだ。栄子も身の置き場がどこにもない時期があった。
だから彼女の気持ちが痛いほどよくわかった。
確かに人様に迷惑をかけることは良くないし傷つけることも良くないことだ。だが彼女にもきっと理由があるのだ。
単に傷つけたいだけならこんな場所にやってこないし、乱暴者なら言い返したり手が出たりしているはずだ。
そして、これがもし本当にアタシの孫娘ならそういう行動を起こしてしまったとしても仕方がないのだ。
だってアタシ達はずっと離れ離れだったのだ。寂しかっただろう。辛かっただろう。想像するだけで涙がこみあげる。
そこで、ゴーボン?という家名に気がついた。
「これはどういうことかしら。デタラメットル。わたくしはあなたのことを思って誂えた婚約だというのに、どこに不満があるというの?」
壇上の奥で控えていた王妃が騒音のように騒いでいた声を一瞬にして黙らせた。
顔は笑みを浮かべているが目は鋭くデタラメットルを映している。相当お怒りなのが離れたここでもよくわかった。
王家がいることをやっと思い出したシェルビーは慌てて適切な距離まで離れたが、王妃はそれを無視したし、周りの親からは今更だと言わんばかりに冷めた視線を向けられた。
男爵令嬢を詰ったシェルビーの行動も大人達からすればはしたない、十分不敬な言動だったのだ。
若気の至りだが、デタラメットルは臆した様子もなくシェルビーを王妃から守るように堂々と立ち塞がった。
「母上。僕は知っているんですよ。あの女を、異世界人の縁者を取り込んで国を繁栄させようとしてるんですよね?
『異世界人』は居るだけでその家に幸福を呼ぶから!王子である僕と結婚させ縛りつければ、二度と外に逃げられることもない!
ですがこの女には異世界人である証拠の聖女の力はない!ゴーボン男爵に騙されたんですよ!
名前だってどこにでもいるありきたりなスザンヌじゃないですか!髪の毛だってあんな汚らしい平民のような黒髪だ!
こんな女に異世界人の血が入ってるはずがない!!」
チラリと栄子を見た王妃は言葉を選ぶようデタラメットルを睨んだが彼は鬱憤を晴らすかのように声高に叫んだ。
政略結婚はまだ我慢できたが相手が男爵令嬢程度なのがとても癪に障ったのだ。しかも顔も平凡―――胸は大きいが―――髪の毛なんて平民と同じ黒だ。
それが彼の中で一番の最悪で、自分がその程度の人間と思われたらと思うと虫酸が走って頭を掻きむしりたくなった。
デタラメットルの矜持は王子らしく堆く、自分の理想通りでなくては許せない性格だった。
何より学園で唯一のシェルビーと出逢ってしまった。平民紛いの男爵令嬢など異世界人の血筋でも願い下げだと思っていた。
「ですが、ゴーボン男爵家は異世界人の血筋なのですよ?」
「問題ありません。そこの偽物はゴーボン男爵や男爵の娘達の誰とも違う髪の色をしています。
貴族と結婚してきた孫なのだから当然黒などという下賎な色にはなりません。能がある貴族の色が優先されるのは当たり前のことですからね!
よってそこの平民は由緒正しい異世界人の血筋を持つゴーボン家の娘ではないのです!!
ですが安心してください。このシェルビー・メルボルン伯爵令嬢には聖女の力があります。この国から聖女が生まれたのですよ!!
そして何よりも異世界人であるエイコ・タムラが才能を認め、ペスタルの聖女として育て上げたのがこのシェルビーなのです!」
「おおっ!あのタムラ様が!」
「近々シェルビーには聖女の称号が与えられ、正式な聖女になります!
そうなれば汚らしい黒髪の、偽物の異世界人になど拘る必要はありません!王家の血筋に黒髪という汚れた異物など入れる必要はないのです!!」
「そ、そう。確かに黒髪が王族から出てしまっては一族の恥ね……」
「その通りです母上!ですから僕とシェルビーの結婚をお許しください!」
「話の途中ですが、よろしいかしら?」
ペスタル初の聖女誕生に大人達も沸き上がると、忘れかけていた不埒者が手を上げ発言の許可を求めた。
そこに居た者達は誰もが不敬だと、平然としているスザンヌに対して軽蔑の視線を向けたが意に介さなかった。
勝手に話し出せばそれを理由に牢に押し込めることもできたが、下手に来られてしまってはそれもできない。
王が溜め息を吐き、発言を許せば『愚かにも何を話すつもりだか』という王の言葉の裏を読まずに口を開いた。
「王家の方だから一応話を聞きましたけど、さっきから何の話をしているのでしょうか?
わたし、そちらの王子様と婚約した記憶なんてありませんけど」
「は?」
「婚約なんてしていないと言ったの。良かったですね。こんな異世界人でもない平民と結婚せずに済んで。
ついでに言わせてもらえば、わたし達は顔合わせも、婚約者らしいことも何もかもしていないですよ。いつ婚約したのかこっちが教えてほしいくらいだわ。
わたしの手元に手紙一つ、カード一つも届いたことなどなかったわ。これでよく婚約している、だなんて言えたわね。
……でもまあそっちは婚約者を知っていた上でそこのお嬢さんと不貞を犯し、懇ろになっていたようだけど?」
「うぐ、」
渦中の無礼者、スザンヌの口から出た言葉は衝撃的なものだった。
ギャラリーは目を皿にしてデタラメットルとスザンヌを交互に見ている。
どちらが正しいかなんて比べるまでもないが、堂々と通る声で話すスザンヌに動揺が生まれた。
正式に組まれた婚約者に対して不貞は論外、婚約者としての役目を申し込んだ側が怠ることは王家として恥ずべき行為だ。
王妃がどういうことだと睨み付けるとデタラメットルは肩を竦め、シェルビーとバツが悪い顔で見合わせた。
伯爵家にしては過ぎたドレスやアクセサリーを見れば一目瞭然だろう。婚約者に使うべき予算をシェルビーに使っていたのだ。
「それに元義父の言いつけで、五、六年前かしら?その頃には既に結婚していたんだけど、その書類は見ていないの?」
「はあ?!なんだと?!父上、母上!それはどういうことですか!
この女は僕というペスタル王国の王子と!王家との婚約を結んでいながら既に他の男に股を開いていたと言ってますよ?!
処女でもないこの女に価値などないじゃないですか!!王子である僕にここまで相応しくない女がこの世にいたことに驚きだ!
国母になる女性が、どこぞの男とまぐわった中古品だなんて断じてあってはならない!!皆もそう思うだろう?!」
「……まるで娼婦じゃない。嫌だわ。穢らわしい」
殺伐としている壇上の様子など興味なさげに眺めながらスザンヌがこれまた衝撃発言をした。
それを鬼の首を取ったような顔で得意気に叫ぶデタラメットルの声が部屋の隅にまで届いた。彼に合わせてシェルビーも嫌悪感を隠しもせずにスザンヌを睨んだ。
この国では貴族同士の最初の結婚は処女が前提だ。特に相手が王家となれば清廉潔白さが求められる。
だが王家と婚約を結びながら他の男と結婚なんてあり得るのか?という顔をしている者同士が見合せ首を傾げた。
通常ならあり得ない話だが、デタラメットルは婚約者らしいことをすべてシェルビーにしてきた。それを受けて自棄になったスザンヌが身を売ったのかもしれない。
それだけ王家の婚約は期間が長いからだが、観客はどちらが先で悪かという以前に誰もが話についていけなくなっていた。
これはどういうことだ?と誰もが疑問に思ったところで王妃が慌てて立ち上がった。
「ま、待ちなさい!あなたは王宮に、デタラメットルの専用侍女として召し上げられていたはずよ?
それなのに結婚だなんて!誰の許可を得てそんなことをしたの?!」
「誰と言ったらゴーボン男爵とか言う元義父ですが。
それにわたしはずっとメイドをしていて、専用と仰るならお仕えしていたのは第一王女殿下だけです。それも第一王女殿下が嫁がれたと同時に側妃様に解雇を言い渡されましたが。
他の場所は、黒髪では王宮の景観が損なわれるからと第一王女殿下に召し上げてもらうまで下女をしていましたよ」
「なんですって……!」
何もかも知らなかったらしい王妃はショックを隠せない顔をしていた。召し上げたのは確かみたいだが、デタラメットル同様その後は放置して何もしてこなかったのだろう。
その証拠にぐりん、と息子のデタラメットルを見ると彼はホッとした顔を強張らせ首を横に振った。
それを見た王妃は更にショックを受けた顔つきになった。
「あーそれと、毎日みっちり仕事をさせられて王宮から出たことないんですけど、何で学園に通っている話になってるんでしょうか?わたしの幽霊でも見ました?」
ギクリと壇上の二人が肩を揺らしたがスザンヌが口を開く前にデタラメットルが如何にも都合が悪そうに遮った。
「ま、まあ、そんなことはどうでもいい!!貴様はもう既婚者なのだな!」
「いえ、王宮を追い出された時に離縁されました」
「ぷぷっそれくらいで捨てられたの?ダサッ!」
王妃の睨みがなくなったことで調子を取り戻したシェルビーは汚物を見る目で睨んだ顔を崩しコロコロと笑った。顔は可愛らしいが、笑った箇所は最悪だった。
「フン。大方、子供がいないから捨てられたんだろうな。父上、母上、これでわかったでしょう?
この女は異世界人でもなければ子も産めない石女なのです!放逐しようが処刑しようが誰も悲しまないでしょう!!
だがシェルビーなら僕のためにいくらでも子供が産めます!!あんな偽物の役立たずではありません!!」
「やだぁ!もう、デタラメットル様ったら♡」
「だって本当のことだろ?」
矛先がスザンヌに向いたことでデタラメットルまで調子づきイチャイチャと場にそぐわない空気で惚気だした。
ベタベタとピンクの空気に白けた目を向ける者が大半の中、スザンヌめがけて走り寄る者がいた。
「キリエちゃん!」
がばりといきなりスザンヌを抱き締めた栄子に誰もが驚いた。
そして何が起こったのかわからないくらい皆呆気にとられた。
最初に正気に戻ったのはそのスザンヌだった。
「え、あれ?おばあちゃん?……え?何で泣いてるの??」
目をパチクリとさせる様はやはり娘にそっくりだった。
それに気づき号泣すればスザンヌことキリエは、戸惑った顔で栄子の背中を擦ってくれた。
アタシの孫娘は優しかった。それだけで涙が滝のように流れた。
「思い出したよ。ゴーボン!!あのクズ野郎!!!この国の人間だったのか!!ムカつく顔は覚えてたんだけどね!道理でいくら探しても見つからないわけだよ!!
アタシの可愛い可愛い孫娘の親権を不当な裁判で奪い、誘拐したあのクズ野郎!!」
「?おばあちゃん?わたしのこと捨てたんじゃないの?旅をするのに邪魔だから」
「………誰がそんなことを言ったんだい?」
放心している周りを捨て置いて栄子はキリエだけを見つめた。
あのゴーボンは十三歳という多感なお年頃の孫娘にクソみたいな嘘まで吹き込みやがった。
ドスの利いた地を這うような低い声にキリエはビクッと肩を揺らし顔色を悪くしたが、素直に答えてくれた。やはりゴーボン男爵らしい。
さっきから誰が異世界人で誰が偽物か勝手に騒ぎ立て、クソみたいな枕詞がついたり誇大妄想がくっついて、しかもそれを信じている大馬鹿者達が平然とキリエを、異世界人の孫を断罪しようとしている。
そう。アタシの可愛い可愛い可愛い孫娘を傷つけたのだ。
「〝特攻天女〟」
気づけば特殊スキルを発動させる言葉を発した。
すると、地震のような地響きが起こり至るところから悲鳴が聞こえた。
誰もが立っていられずへたれ込む中、栄子の前に穴が開きドルン、という機械音と共にバイクが飛び出してきた。
元の世界では普通に量産されていた真紅の単車。
H○NDA CB400F○UR。
そのバイクは生きているかのように動き、栄子の横で止まった。従順な相棒を愛しそうに撫でた栄子は、躊躇なくドレスを引き裂くと慣れた手つきでバイクに乗った。
「キリエちゃんも乗って」
「ええ?!」
戸惑うキリエを横座りで後ろに乗せ、絶対離さないように栄子にしがみつかせた。
そこでも孫娘の成長を垣間見て泣きそうになった。手がこんなにも大きくなって!
「エイコ・タムラ様!!」
立ち上がり、引き留めるように声を上げた国王に栄子はエンジンをかけたまま王家を責めるような目つきで睨み付けた。
「ベイクルド。クリステル。悪いけどアタシは帰るよ。可愛い孫娘とやっと再会できたんだ。ゆっくり、安全な場所で、話を聞かなくちゃならない」
「貴様!!国王と王妃を呼び捨てにするとは何事か!!異世界人ごときが不敬だぞ!!」
「犯罪者の逃亡を幇助するつもりか?!貴様も犯罪者になりたいのか?!」
「あ゛ぁ?」
話に置いてきぼりを食らっていた者達が我に返り栄子を責めたが殺気と低い声で黙らせた。
ついでにハンドルを回し空吹かししてやれば、得体の知らない怪物の雄叫びに聞こえたようで女性は悲鳴を上げ気絶し、男性は我先にと逃げ出した。
「エイコお婆様!待ってください!わたくしは聖女になるのですよ?!その姿をお婆様に見ていただきたいのです!
その認定は異世界人であるエイコお婆様しかできないのです!だから行かないで!孫娘であるわたくしの願いを叶えて!!」
走り寄ってきたシェルビーは果敢にも栄子の近くで膝を折ると指を組み神に願うように見上げてきた。
涙目で訴える様は幼気な子供を傷つけてる気分になったが、先程のことを思い出し敢えて無視した。
「あーそうだ。アタシの孫が行方不明になった時、世界中に捜索願を出したんだわ。
尋ね人としてキリエちゃんの似顔絵を描いた紙をこの国にも送ったんだけど、ちゃんと探してくれてたんだな。
天使の輪っかができる程の美しい黒髪に琥珀色の瞳、手の甲と首に星座のようなホクロ。
それからアタシの指輪と娘のネックレスをつけてた。それは……あのクズ野郎に盗られたんだね。可哀想に」
一気に下がる気温にそこに居た者達がぶるりと青白い顔で震えた。
シェルビーを無視した栄子を睨んでいたデタラメットルでさえ、口をつぐんだ。
「まあとにかく、キリエちゃんに色々してくれて、あ・り・が・と・う。そのお礼に、個人的に、この国を、ぶっ潰してやるよ」
「っ?!そ、そんな!!」
「お、おおお待ちください!これにはきっと訳が!」
「そうだな~……三週間後。三週間後にまたここに来る。その時まで首を洗って待ってな」
じゃあな。と朗らかに別れの挨拶を述べると、栄子はアクセルを全開にし窓ガラスを割って外に飛び出た。
体が浮いたキリエは驚き悲鳴を上げたが投げ出されることはなく、そのまま城の外へと飛ぶように走り抜けていった。
読んでいただきありがとうございます。