13話 隠れ里『モナクス』
『隠れ里 モナクス』。
ここは、人間に迫害された獣人達が隠れて暮らす、避難場所とも言える村である。
かつて大陸『アドイルシオン』が魔人からの侵略を受けた時、魔人の軍勢には獣人達がいた。彼らもまた魔人の侵略によって故郷を滅ぼされ、無理やり従軍させられた被害者ではあったが、現在進行形で侵略を受ける『アドイルシオン』に住む者達にとっては魔人の手先にしか見えなかっただろう。
『アドイルシオン』にも土着の獣人達が存在していたが、もともと引きこもり体質であったこともあり、人間との交流は少なかった。好奇心の強い獣人の若者が人間の町に遊びに行ったり、仲良くなった人間を自分達の村に招待したりと、細々とした交流があっただけだ。
当時の勇者の活躍によって魔人を追い出すことに成功したものの、魔人の手先となって侵略してきた獣人に対する憎悪とも言える感情は、人間達の心から消えることはなかった。
獣人が人間の町に入れば「悪魔の手先」や「裏切者」と石を投げられ、酷いところでは獣人殲滅の軍を派遣した国まであったらしい。
そうした人間たちの迫害によって住処を奪われ、徐々にその数を減らしながらも安寧の地を求め続けた獣人の先祖たちが、どうにか『深い闇の森』という危険地帯の最深部にこの『モナクス』を作り、それから数百年も自給自足の生活を送っているのだという。
AFOの事前情報はいろいろ調べていたが、獣人というワードは一度も目にしたことがなかった。長耳族や短身族などの種族は『人間族』として一括りにされており、そうした人間族以外は魔物を含む魔族しかいないと思っていたのだ。
これについては意図的に隠されているようにも感じる。もしかしたら、AFOのストーリーを攻略する鍵にもなるかもしれない。棚からぼたもちとはまさにこのこと、お年寄りを大切にするといいことがあるものだ。
まあ、俺のストーリーは始まってすらいないんですけどね。
タヌ耳爺グラビア事件があった後、数時間かけて山を下り、深い森の中を進むことで『隠れ里 モナクス』に辿り着いた。
あれからは魔物が襲ってくることもなく、適正レベルを大幅に下回る俺がここまで来れたのは奇跡と言っていいかもしれない。
後から聞いたことだが、山を下りて里に来るまでに通った森は、『深い闇の森』という森の最深部で適正レベルは60。これにはさすがの俺でもおしっこちびりそうになった。レベル60とか、魔物がほじくって飛ばした鼻くそでも即死しそうだ。
それからクエストの報酬である5000Gを受け取り、今はこのザ・田舎の山村『モナクス』という里ができた経緯をジジイの家で聞いたところであった。ジジイの家は掘っ立て小屋という言葉がふさわしいほど粗末なもので、どう考えても人間の住む場所ではない。
ただし、横には大きくてそこそこ立派な鍛冶場が併設されている。この家には生活感がないことから、普段は横の鍛冶場で生活しているようだ。なんでこっちに俺を案内したんだこのジジイ。
そんなことよりも、俺はすぐにログアウトして掲示板にさっきの情報を書き込みたい。そして無知蒙昧な一般プレイヤー共に「え~? チミタチ、メインストーリーをそこまで進めたのにコンナことも知らないの? もしかしてRPGは初めてなのカナ~? レベル1の無職に煽られてどんな気持ち? ねぇ、どんな気持ちぃ~?」とマウントを取ってやるのだ。
しかし、話は済んだというのにジジイはなかなか開放してくれない。このままでは俺が愚民共に偉業を自慢できないではないか!
まったく、ジジイはいつまで俺を家に留め……。
――ハッ! もしかして、ジジイは俺にホの字なのでは?
サーベルベアという強敵を協力して倒し、危険な山と森を抜ける吊り橋効果によって、どう見ても恋愛経験イコール年齢のジジイが分不相応な思いを俺に抱いたとしても不思議ではないだろう。
だが、すまないジジイ。俺にはもう、母さんがいるんだ……。
「なんじゃ坊主。気色の悪い顔しおって」
分かる。分かるよジジイ。
好きな相手が自分に好意を持っていないことに気がついた時、人間は「別にお前のことなんてどうとも思ってないけど?」って顔をしたくなるものだ。これは自分のプライドを保つために仕方ないことでもある。
もしも好きだという気持ちに気が付かれてしまい、万が一にもフラれるようなことがあれば、敗北数1という二度と消せない人生の汚点が残ってしまう。それならば先手を打ってしまって、勝負自体を有耶無耶にしてしまった方が気持ちも楽だろう。
ジジイは自分の気持ちから逃げたのだ。しかし、責めるようなことはすまい。逃げるが勝ちという言葉もあるように、時には逃げることも大事なのだから。
「その顔をやめないのであれば、頭を叩き割るぞ」
「すみませんでした」
どこからかマサカリを取り出し、手元で遊ばせ始めるジジイ。
そんなわけないよね。俺だってこんな老いぼれと桃色展開なんてゴメンだ。ちょっと想像しただけで吐き気が……。
「そんなことよりついてこい坊主。会わせたい者がおる」
そう言いながらボロボロの扉を開けるジジイ。そういえば山越え中にも似たようなことを言っていたっけ。友人がどうとか……この偏屈ジジイに友人なんているのか?
ひとまず俺もジジイに続いて外に出る。外には大勢の村人が集まってきており、遠巻きに奇異の目で見つめてきていた。なんだか動物園の動物にでもなった気分である。見た目的には完全に逆だけど。
「さっき話したように、この村は人間に迫害されてきた者達の村じゃ。ワシが話を通してあるとはいえ、やはり印象はよくない。あまりワシから離れないようにのォ」
「そんな危ないのか? 普通にモブAとかモブBにしか見えないんだが」
「そうさなァ、この村では成人した男は山で狩りをする。家族で食べるコアトルの肉を手に入れるためにのォ」
「コ、コアトルね……へぇ、強そうな名前じゃないの」
「サーベルベアよりは弱いから安心してよいぞ。レベル18もあれば余裕じゃないかのォ」
レベル18って……現状では全プレイヤーよりもレベルが上じゃないか……。
それを狩りに行く? ごはんのオカズにするために?
「ち、ちなみに獣人の成人って……」
「10歳じゃなァ。成人になって狩りを覚えるまでにも大人とパーティーを組んでレベル上げをしておるし、この村の平均レベルは20ほどじゃないかのォ」
ということは、警戒した目で俺を見ているあの10歳くらいの犬獣人っぽい子供もレベル20? 怯えた目で大人の陰に隠れている兎獣人の子も? お母さんに抱かれている2歳くらいの狼獣人の……あ、あれは……肉食獣が自分より弱いエサを見つけた時の目だ……よちよち歩きしかできないような子供にまで、俺はエサ認定されている!
「つまり、この村での最弱は……」
「間違いなくお主じゃな」
「この村コワイ!」
ひしとジジイの腕にしがみつく俺。
「気持ち悪ィ! 触んなジジイ!」
ついジジイの腕を蹴り飛ばしてしまった。ヒョロヒョロだと思っていたが、触ってみると引き締まった鋼鉄の筋肉を纏っている。なにこの腕? サーベルベアのサーベルより硬そうなんですけど?
なんかこう、「思ってた感触と違う!」みたいな。美味しそうな料理を口に入れてみたら、食品サンプルだった時のような違和感。なんか気持ち悪くない?
「お主が引っ付いてきたんじゃろうがァ!」
ジジイの跳び回し蹴りが顔面にクリーンヒット!
俺は10メートルほど吹き飛ばされ、全身を打ちながらボールのようにさらに10メートルほど転がっていき、広場の隅に生える木にぶちあたってやっと止まることができた。
い、一応はこんなボロ村でも町中判定なんですね……よかった……。
「さて、そろそろワシがなぜ強いかは想像ついていると思うが、単純にこの村で育ったレベルの高い獣人だったからじゃ」
倒れ伏す俺の後頭部を小枝で突きながらジジイが言う。
俺は小枝で突かれながら何事もなかったかのように立ち上がる。別に泣いてないもん。だって男の子だから。
「獣人が関係あるのか?」
「そんなことも知らんのか。まあ、人間と決別して久しいから仕方ないのかのォ」
仕方ないと言いながらも、馬鹿にするように目を細めて顎をさするジジイ。
これだから知識で頭だけデカくしたジジイは困るぜ。知識とは抱え込むものではなく、広く共有するもの。知識の集中は属人化を促進して、人類の衰退を招くだけである。老い先が短いジジイなんかさっさとノウハウを吐き出して引退し、田舎で畑でも耕して余生を過ごしておけばいいのだ。
「この世界の種族は、それぞれ得意分野を持っておる。獣人は身体能力、長耳は精霊との対話、短身は手先の器用さ、人間は平均値の高さ、そして魔人は魔法。他にも種族がおるが、大まかにはこんなところじゃなァ」
俺の怨嗟の念を軽く受け流し、マイペースに話を続けるジジイ。コイツ、だんだんと俺の扱いに慣れてきてやがるな?
たしか通常のキャラクタークリエイトでは、種族を選択することが可能だったはずだ。長耳なら精霊術という専用魔法を使えたり、短身なら生産スキルが覚えやすかったりと特徴があることは聞いたことがある。
しかし、獣人や魔人にも種族特性が存在することは知らなかった。魔人は魔物の延長線上にいる存在でしかないと思っていたが、もしかしたら俺達みたいな人間とそんなに変わらないのかもしれない。
「だからジジイは力が強いのか。レベルだけじゃなくて、種族的な恩恵もあると」
「個体差は存在するがのォ。現にワシも手先が器用じゃからブラックスミスになった。もちろん、力もそこら辺の人間なんぞに負ける気はせんが」
これがジジイの強さの秘密だったというわけだ。やはり横断歩道の段階から俺の助けなんか必要なく、すべてはここに連れてくるためのテストだったのだろう。
おつかいクエストだって面倒だと思えばいつでも放棄できたし、達成したところでジジイのお眼鏡に適わなければ、追加のクエストが発注されないのかもしれない。
獣人に対して差別感情を持っている人間や、悪意を持った人間を連れてきてしまえば、この村はきっと滅んでしまうからだ。
プレイヤーで獣人に差別感情を持っている人はそうそういないし、むしろ好意的な者の方が多いだろう。だからプレイヤーがよく通りそうなギルドの近くで声をかけていたのかもしれない。
この村のことも掲示板に書こうかと思っていたが、やめておいてやろう。情報を乗せたところで、確実に来れる訳じゃなさそうだしね。それで変にイチャモンつけられるのも面倒だ。あのジジイ、無駄に勘が鋭いからな。下心があると気づかれればこの村には決して連れてこないはずだ。
「それで、その友人とやらは俺に何の用だ?」
「知らん」
「おい……」
このジジイ、何も理由を知らずに連れてきやがったのか?
よっぽどその友人を信頼しているのか、ただのお人好しのアホなのか。まあ間違いなく後者だろう。だって顔がアホそうだし。きっとIQ3くらいだ。
「一番のアホは、そのお人好しのアホの言葉にホイホイついてきたお主じゃのォ」
「くっ……!」
返す言葉がない。俺も碌に事情を聞かず、流されるままこの村まで来ていた。
もう何も言うまい。墓穴を掘るだけだ。このジジイには力でも口でも勝てる気がしない。
今は従順なフリをしておこう。能ある鷹は爪を隠す。ジジイが油断するその時まで、俺は静かに爪を研いでおくのだ。