12話 ジジイの正体
「もうすぐ山頂じゃ」
あれから逃げるようにAFOを起動した俺は、やはり既に起きていたジジイになじられながらも、登山を再開していた。
キャンプ地点から1時間ほど歩いたところだが、ジジイが言うにはそろそろ山頂らしい。
どこを見ても木ばかりで景色が変わらないため、この辺りの地理を知らない俺にはいまいち実感が湧かない。
「あとどれくらい。何時、何分、何秒、地球が何回まわったくらい」
「うるさいヤツじゃのォ。すぐと言えば、すぐじゃ」
早朝からの山登り(現実では夕方)は、なかなか体に堪える。しかも木の幹を背もたれにして寝たからか、腰がバッキバキに凝り固まっていた。こんなところまでリアルに作らなくてもいいのに……。
AFOではログアウトにも独自の仕様が存在する。ログアウトをしてもアバターはゲーム上に残り続けるのだ。基本的にはログアウト時の状態が保持され、立ったままログアウトすればそのまま棒立ちで立ち続けるし、ベッドでログアウトをすれば睡眠状態となってHPとMPが回復する。
この仕様があるため、ログアウトは慎重に行う必要がある。安全地帯の外でログアウトをした場合、魔物の攻撃でHPはもちろん減るし、HPが0になってしまえば直前までいた町に死に戻ってしまうのだ。
腰がバキバキで不満タラタラではあるが、木の幹とはいえセーフティーゾーンで睡眠をとったことでHPは回復していた。なんとなく解せないが、旅を続けるのに支障はなさそうだった。
山登りはめんどくさいが、さっさとこのおつかいクエストを終わらせて冒険者ギルドに行きたいのだ。ポケット●ンスターで言えば、博士にもライバルにも出会わず、各町のジムリーダーを無視して、ポケモンも連れずにマップだけズンズン先に進んでいるようなもの。何も得られるものはないし、「ストーリーなんか関係ねぇんだよハゲ」という開発者への反抗にしか見えない。
違うんです! すべてはこのジジイが悪いんです! 罰を受けるなら、是非ともこのジジイを!
「おっと」
どこからか取り出したマサカリを落とすジジイ。
「――危ねぇ!?」
第六感とも呼べる人間の持つ危険信号の赴くままに、咄嗟に身体を地面に投げる俺。
低空を飛来してきたマサカリは、あわや俺の首を刈り取る軌道を描いていた。伏せるのがコンマ数秒でも遅れていたら、俺の首は無事収穫されていたことであろう。
しかし、どう考えても普通に落とした物が出すスピードではない。ジェットでも付いていたのかな? マサカリジェット。プロレス技でありそう。
いや、ちょっと待て。よくよく思い出すとあのジジイ、手首でスナップ効かせて投げてなかった?
「ジジイ! 俺を――」
殺す気か! と叫ぼうとしたその時、俺のすぐ後ろで大きい何かが倒れる重い音が聞こえた。
「さすがに山頂までくると、聖水を越えてくるヤツが現れるのォ」
そういうとジジイは俺を追い越し、投げたマサカリの回収に行く。
俺のすぐ後ろで脳天をカチ割られていたのは、体長が優に4メートルを越える大きな熊であった。それもただの熊ではなく、右手の爪が鋭いサーベルのような形をした奇妙な熊だ。
「なかなか強く育ったサーベルベアじゃなァ。お主はなかなかツいてるのォ」
ジジイが熊――サーベルベアの胸元に片足を置き、額に刺さったマサカリを引き抜くと、サーベルベアは光の粒子となって消えていった。
「サ、ササ、サーベルベアね。な、なかなか強そうじゃないの」
「声が震えておるぞ坊主。そうさなァ、普通のサーベルベアはレベル20ちょいじゃが、聖水が効かないコイツはレベル30はありそうじゃなァ」
「レ、レベル30!? ふ、ふ~ん……」
このゲームで最初に出会った魔物がレベル30というのもいまいち現実味がない。まあ見るからに強そうだから、俺なんかは一撃で確実に天国へとフライアウェイだろう。
「安心せい。お主が死ぬ時は地獄じゃ」
「うるさいやい」
こんな善良な人間が地獄になんか行くわけがないだろう。AFOをはじめてからはアルバイトをして、お年寄りを横断歩道で助け、今だってお年寄りを家まで送っている最中だ。
あれ? 俺ってば本当に何してるんだ?
「そ、そんなことより、なんでコイツがいることに気がついたんだ? ジジイはずっと前を向いていたろ」
そう、直前まで背中を睨みつけていたから分かるが、ジジイはマサカリを投げる時までずっと前を向いていた。俺の後ろにサーベルベアが近づいていることに気づけたとは思えない。
「それじゃ」
そう言って俺の足元を指さすジジイ。そこには、このサーベルベアのモノと思われる大きな足跡が残っていた。こんなデカイのがくっきり残っているのに、俺は気がつかなかったのか……デカすぎて普通に地面が窪んでいるだけだと思ってた……。
しかし、おかしい。
「どうして後ろから襲ってきたんだ?」
足跡は俺が立っている場所より5メートルほど先まで続き、そこで途切れている。普通に考えれば俺より後ろから出てくるのはおかしい。この世界の熊は瞬間移動が使えるのか? ゲームだし使えてもおかしくはないけど……。
「止め足じゃ」
ジジイが言うには、サーベルベアは知能がとても高く、敵が近くにいると感じた時に様々な罠を仕掛けるという。
その一つが、敵の目を眩ませるために自分がつけた足跡を逆に戻り、傍の茂みに潜んで通り過ぎるのを待って後ろから襲い掛かったり、まったく違う方向へと逃げたりする『止め足』と呼ばれる行動だ。
今回の個体は更に知能が高かったために、敵わないと踏んだジジイはスルーして、簡単に殺れると思った俺に襲い掛かったという訳だ。ヨボヨボのジジイを敵わない強者と認定し、この俺をウマそうなエサとしか見ていないとは、真に見る目のない熊畜生である。
「ちなみに、ワシがマサカリを引き抜くまで身体が残っていたじゃろう? あれは死んだフリをしておったのよ」
「えっ」
「近づいたのがワシじゃったから、気づいていないことに一縷の望みをかけて最後まで死んだふりを続けておったが、お主が近づいていたら……」
「ハハ……」
く、熊こえぇ……。
よかった……近づかなくて……。
「まあ、お主は神からの遣いとやらじゃろう? 本来の意味で死ぬことはないらしいから、勉強として一回死んでみてもよかったかもしれんのォ」
「なんだ、気がついていたのかジジイ」
AFOの舞台である大陸『アドイルシオン』において、プレイヤーの立ち位置はハッキリと定義されていない。その不死性と強力なステータスや、魔族を倒して大陸を救うメインストーリーの基本方針によって、『神からの遣い』だったり『勇者』だったり『異世界人』だったりと様々な呼ばれ方をされるのだ。
ただ一点共通していることは、「この世界の住人とは根本的に別だ」と認識されていることである。
『外国人嫌悪症』という心理的な概念が存在する。外国人や異民族など、部外者と見られている人や集団を嫌悪する気質を指すが、魔族と戦う味方のはずである我々プレイヤーに対して否定的な感情を持っているNPCは多い。そのためプレイヤーがNPCと一定以上の交流を図ろうとすると、大きな壁が存在するのがこのAFOというゲームだ。
「見れば、分かる」
そう言って、マサカリを肩に担いで登山を再開するジジイ。その足取りは出会った時から変わらず軽い。何も言ってこないから、俺がプレイヤーだと気づいていないと思っていたが……。
「それなら、なんでプレイヤーと分かっていながら声をかけた? 別に俺の助けなんていらないだろ」
いかに老人とは言っても、ジジイはレベル40だ。ステータスがそのまま身体能力にも反映されるこのゲームにおいて、そうそう人の助けが必要とは思えない。先ほどのサーベルベアがそうしたように、一人でいれば魔物も襲ってこないだろう。わざわざプレイヤーを連れ歩く意味はないし、レベル1の弱い俺なんて逆に足手纏いでしかないはずだ。
「そうさなァ。一人で山を越えるのもつまらないから、話し相手が欲しかったというのもあるが……ワシの友人に頼み事をされておってのォ。信頼できる若者を連れてきて欲しいと言われておるのじゃ」
「『信頼できる』ねぇ……ジジイに信頼されるような覚えはねえけど」
「なんだかんだ言って、ここまで付いてきておるではないか」
そう言って笑うジジイ。なんだかちょっとむずがゆい。そして腹立つ。
「よく言うぜジジイ。有無を言わさずにパシってる癖に。俺がただ意志の弱い悪人だったらどうするんだ」
「ほっほっほっ、人を見る目はあるつもりじゃ」
ジジイは数歩先で立ち止まって振り返り、老人とは思えない強い意志を秘めた瞳で俺を見つめた。
「自己紹介がまだであったな、神の遣いよ」
曲がっていた腰がいつのまにか嘘のようにビッシリと伸び、有無を言わせぬプレッシャーを身体から放ち始める。しゃがれた声も一本の線が通った響きを持ち、こちらを威圧するような迫力には思わず膝を付きそうになるほどであった。
「ワシの名は、ダグラス」
その一言と共に何かが爆ぜるような音が鳴り、全身を白い煙に包んでいくダグラス。
「迫害された獣人達の隠れ里『モナクス』に住む、ブラックスミスのダグラスじゃ」
ダグラスが言葉を終えると同時、山を這うように一陣の風が吹き、漂っていた煙が空の彼方へと吹き飛ばされた。
ついに全身を覆いつくす煙に隠されていたダグラスの全貌が明らかになる。
――――そこには。
――――頭に大きな葉っぱを乗せ、丸い耳をその脇に添えた。
――――タヌキ耳の老人がグラビアポーズで立っていた。
「いや、誰得!?」
現実の熊も『止め足』を使うようです。頭イイ!




