11話 やっぱり現実はコワイ
昼寝の後のような倦怠感を振り払って体を起こす。
フューチャーズギアを取って部屋を見渡すと、リアルではやはり16時頃であった。ついさっき日が落ちるのを見たこともあり、まるでタイムスリップでもしてきたみたいだ。
「はぁ……帰ってきてしまった、って気分だな」
AFOの中では普通に人々と触れ合い、労働に勤しみ、人助けをして、自然の中を駆け回っていたのだ。
無限に世界が広がっていくような感覚があった。そして何よりも自由であった。
それが現実では、この部屋の中が俺の世界のすべて。いつも深海に沈んでいるような閉塞感を感じていた。
「このままではいけない」「なんとかして水面に上がらなければ死んでしまう」と必死に藻掻くものの、光の差さない深海では自分がどれだけ進んでいるのかもわからない。そうして藻掻けば藻掻くほど息は苦しくなり、自分の寿命を縮めていくことにもなる。八方塞がりだ。
ゆっくりとこのまま死んでいくのだろうと思っていた。
しかし、今日は少しだけ心境の変化があった。久しぶりにAFOで生身(?)の人と触れ合ったことで、自信を取り戻したのかもしれない。意外とこういうのも悪くないと感じた自分もいた。触れ合ったヤツは、押並べてまともな人格をしていなかったけど……。
引きこもってから早数か月。一度も開けてこなかったカーテンを、「ちょっとだけ開いてみようかな」なんて思ったのだ。
もしかしたら勇気なんてそんなものは関係なく、AFOのグラフィックとリアルの光景を見比べてみたくなっただけかもしれない。それでも自分にとって、世界を広げようという試みは大きな一歩だった。
ここ数年は景色を眺めたりする余裕もなかったが、小さい頃は母さんに抱っこをせがんでこの部屋の窓から外をよく覗いたものだ。
我が家はちょっとだけ小高い場所に立っており、俺の部屋はその3階にあるので、窓からは遥か遠くまで町を見ることができた。運がよければ窓を開けっぱなしで着替えているお姉さんを見ることだってあった。
俺を抱く母さんの豊満な胸の感触を味わいながら、知らないお姉さんのストリップ劇場を堪能する背徳感に、幼少ながら何度もパンツを濡らしたことをよく覚えている。
懐かしい思い出に心がポカポカするような気分を味わいつつ、それからゆっくりと深呼吸を一つ。
いつのまにか自分の目線と同じ高さになっていたカーテンの端を優しく摘まみ、少しだけ外の世界を覗いてみた。
俺の目に飛び込んできたのは。
視界いっぱいに広がる。
――――灰色のコンクリートの壁だった。
「いつのまにか隣に家が建ってるぅ!?」
日中はヘッドホンを装着してゲームしていたから気がつかなかったが、そういえばやけに揺れるしうるさいなと思っていたんだよ! どうしてくれるんだよ俺の感傷と小さな勇気! それにお姉さんの生着替え!
なんか無駄に疲れた……シャワー浴びてさっさと飯食おう……。
すっかりナーバスになった俺は、沈んだ気分のままシャワーを浴び、キッチンの棚に置いてあったカップラーメンを僅か2分で食べ始めるという禁忌を犯して自分の部屋へと帰還した。
たまたまつけたテレビで流れるニュース番組は、AFOの話題で持ちきりであった。発売前からいろんな意味で話題になった作品でもあり、ゲーム開始から約半日が経った現在、世界中でかなりの反響があったようだ。
フューチャーズ社が各テレビ局にも1台ずつフューチャーズギアを配布していたらしく、局アナがおそるおそるスライムと対決する映像なんかも流れていた。
ロケをしていた(?)局アナはゲーム初心者だったらしく、数分間に渡るスライムとの激闘の末、無事敗北して死に戻っていた。
しかし、彼女はただ死に戻ったわけではない。テレビ史に大きな爪痕を残したのだ。
女戦士vsスライム。これだけ言えばあとは分かるな?
全国放送で青少年が前屈みになる映像を流したニュース番組は伝説となり、Y●uTubeでは違法アップロードされた切り取り映像が既に数百万回も再生されているらしい。
そんな感じで良い意味でも悪い意味でも注目を集めているAFOであるが、裏では転売も行われたらしく、一番高くて200万円にもなったというニュースがあった。公式の販売価格が15万だったはずなので、かなり高騰していることがわかる。
購入したのはどこかの外国の富豪で、現状は国内限定販売だったこともあり、お金の力でゴリ押したようだ。さすがの運営側もこれには激怒したらしく、今後は一切の転売が禁止となった。
フューチャーズギアには、購入者とその家族の情報がインストールされた状態で発送されてくる。これはゲーム開始時のキャラクタークリエイトを円滑に進めるため、赤外線でのスキャンによる顔認証でフューチャーズギアにインストールされた個人情報との照合を行い、簡単にキャラクタークリエイトで使用する素体を作る機能が存在するためだ。この機能のために、応募には情報の事前提供を必須条件としていたらしい。
今までは素体を使用せず、1から自分でキャラクターを作り上げることも可能ではあったわけだが、今後はこの生態認証の照合が必須となるとか。もしもエラーとなった場合には強制ログアウトの上、運営に通知が飛ぶようだ。もちろん転売者はブラックリスト決定であり、場合によっては転売品を購入した人もブラックリストに入る可能性があるらしい。
転売に対する執念が恐ろしいね。転売ヤーに親でも殺されたのかな?
まあ、正当な手段で母さんが手に入れてくれた俺には全く関係ないんだけどね。持つべきものは息子思いの母親だ。マジ愛してる。
さて、やるべきことはやったし、そろそろAFOの世界に戻りますかね。こっちが17時半だから、5時前くらいかな?
ちょっと早いけど、あのジジイのことだ。「7時に出発するとは言ったが7時に出発するとは言っていない」とかいうトチ狂ったことを言い出しかねない。
フューチャーズギアを被ろうとしたところで、そういえば美波さんに「絶対にサタンに連絡しろ」と言われていたことを思い出す。確かに仲が良かったとは思うけど、ガキでもあるまいし……わざわざ連絡する必要もないと思うのだが……。
まあ連絡するのはタダだ。メールだけでもしといてやるか。
そう思い直し、スマートフォンを取ろうとしたところで、通知ランプが点滅していることに気がついた。AFOのことしか考えてなくてスマートフォンみるの忘れてたな……。
とはいえ、俺に連絡を寄越すのなんて両親かアプリゲームくらいのものだし、今回もそのどちらかだろう。飯はいらないと書置きをリビングに置いたため、両親への連絡も特に必要ない。ちゃっちゃと確認してサタンに連絡を……。
【新着メール:120件】。
……。
…………。
め、迷惑メールかな。最近そういうのは減ったって聞いたんだけど、まだあるんだなあ。
まあ、迷惑メールは無視して、サタンに連絡を……。
《差出人:サタン 件名:ロブハンやめるの?》
《差出人:サタン 件名:わたしもそのAFOやる》
《差出人:サタン 件名:連絡ください》
《差出人:サタン 件名:わたしのことキライ?》
《差出人:サタン 件名:どうして連絡くれないの?》
あ、あいつメンヘラかよ――――――ッ!?
「よ、よし、俺は何も見ていない。サタンには連絡をたったいま送ったからオーケー。心の中でだけど」
俺は素早く現実逃避し、再びフューチャーズギアに手をかける。
わざわざ地面の上に地雷が置いてあり、さらには『危険!』と看板が立てかけてあるものを踏みに行くほど俺は馬鹿ではない。ダチョウメソッドは通用しないのだ。押すなよと言われたら本当に押さないのが俺という人間である。
さあて、早くログインして登山の続きを……。
ブー、ブー。
ちょうどいいタイミングでスマートフォンのバイブレーションが鳴った。あの通知ランプの色は……メールかなぁ……め、珍しいなぁ……。
いますぐにでもAFOの世界に飛び立ちたい。
しかし!
好奇心が邪魔をするッ!
こんなタイミングで送ってこられたら気になるじゃん!?
怖いもの見たさという言葉があるように、人間は禁止されればされるほどやってみたくなる生き物である。
これを学術的には『心理的リアクタンス』と言う。人は生まれながらに「自分の行動や選択を自分で決めたい」という欲求を持っており、この欲求が侵されると思った時、人は無意識に抵抗してしまうのだ。
つまり、俺が見たくもないメールを見てしまうのは人間の本能だから仕方ない!
俺は被りかけたフューチャーズギアをベッドに置き、スマートフォンを手に取る。
そして数回ほど深呼吸をして心を落ち着けた後……。
――意を決してスマートフォンの画面ロックを解除し、メーラーアプリを起動した。
《差出人:サタン 件名:どこまでも追いかけるから》
俺はスマートフォンを放り投げて素早くフューチャーズギアを被り、震える手で電源ボタンを連打した。




