10話 キャンプは外で寝るもの
街を出る時にそんなこんながあって、いまは『はじまりの山』の中腹。
遠くに聞こえるオオカミのような遠吠えや、時折ザワザワと不自然に揺れる茂みにビクビクしつつも、心配していた魔物の襲撃も特になく、俺達は黙々と山を登り続けた。どうやら聖水の効果は絶大のようである。
しかし、日が沈んでからしばらく経っており、いかにジジイが持つランタンの明かりがあるとはいえ山を登るのもキツくなってきた。足場が見えづらくて、何度かコケてダメージも負ったし。まさか初めてのダメージがずっこけとは……ゲームをはじめる前の自分に想像できたであろうか……。
自分の想像していたRPGライフからどんどんとかけ離れていく現実に辟易するが、すべては自分自身の選択の結果でもある。それにここまで来てはどっちみち一人じゃ帰れない。ジジイに縋って命を繋ぐしかないのである。
「ジジイ! そ、そろそろ野営しないか?」
「なんじゃ、情けないのォ。今日中に頂上まで行くつもりだったんじゃが」
「モ、モウ……ムリデス……」
スタミナもレッドゾーンである。いつ倒れてもおかしくない。ジジイのあのヒョロヒョロの体のどこにそんな力があるのだろうか。このゲームで一番のファンタジーかもしれない。
俺の必死な訴えが通じたのか、ジジイはちょうどいい木の幹に腰を下ろした。悪逆非道で血の通っていない老害だと思っていたが、もしかしたら人の気持ちが分かる善良なジジイなのかもしれない。睫毛一本分くらい見直した。
「まあええか。それじゃあ、このテントを張ってもらおうかのォ」
全くそんなことはなかった。
どこからかテント設営セットを取り出し、こちらに投げてよこしてくる。このボロボロの様子を見て、まだ仕事をさせるつもりなのか。このジジイ、俺を使い潰す気マンマンである。
「誰がジジイのテントなんか張ってやるか。テメェで張りやが……」
「そういえば、聖水の効果は何時間だったかのォ……ワシには必要ないもんで忘れてしもうたわい。テントでしっかりと疲れを癒せば、思い出してまた使ってやれるんじゃがのォ」
こ、このジジイ! ついに人を脅し始めやがった!
まだ効果時間には余裕があったはずだが、ここでもたもたしていると直に効果が切れてしまい、俺は魔物達のイイ夜食となることだろう。
「クッ……か、かしこまりました……」
屈辱に塗れながらもテントを張り始める。ここら辺は無駄にリアル準拠らしく、ボタンひとつで完成! とはいかなかった。
俺は幼少期に家族でキャンプに行ったこともあり、父さんに教えてもらいながら一緒にテントを張った経験がある。慣れない環境での作業に四苦八苦しつつも無事に張ることができた。
これはなかなか上手く張れたんじゃないか?
「5点じゃな。まあ寝るだけじゃし、これでもよかろう」
そう言いながらテントへと入っていくジジイ。
もちろん5点満点ですよね? そう言ってくれないと、思わずテントのペグを全部抜いちゃいそうですよ?
確かに少し歪んでしまったが、不安定な山で初めて張ったにしてはいい出来だと思……いこもうとしたけどやっぱ不格好だわ。自分のセンスのなさに呆れてしまう。
まあジジイが言ったように寝るだけだしね。目的地はそこまで遠くないらしいし、一日くらいはこれで我慢するとしよう。
俺もジジイに続いてテントに入ろうと、入り口にかかった垂れ幕に手をかけた。
「坊主は外で寝るんじゃぞ。テントから5メートルは魔物が近づいてこんし、安心して寝れるからのォ~」
こ、このジジイ! 自分だけ人に張らせた快適なテントで寝るつもりか!?
「何が悲しくて乳臭い坊主と一緒に寝なければいけないんじゃ」
「たしかに」
俺も加齢臭を越えて死臭が漂うジジイの横では眠れないだろう。
「それなら、こういう手もあるんじゃないか? 俺がテントで寝て、ジジイが外で寝る」
「聖水」
「外で寝ます」
なんだか今日は大自然の中でリラックスしたい気分だ。
よくキャンプをすると言いながら、寝る時は快適なコテージとかいうキャンプ好きがいる。しかし、それはキャンプを真に楽しんでいると言えるのだろうか?
キャンプはラテン語の『campus』を語源としており、野外で一時的な生活をすることを指す。つまり、野外で寝泊まりすることこそ本当のキャンプである。昼は外でバーベキューやカレーを作り、夜はコテージで寝泊まりするようなものはキャンプではなく、ただの林間合宿だ。
虫たちの鳴き声を聞きつつ、夜風に揺れる焚火を見ながら、自然と息を引き取るように眠りにつく。これこそがキャンプの真髄。
つまり、俺はキャンプを心の底から楽しんでいるだけであり、別に外で寝るのが悲しいなんてことはないんだからね!
ジジイの言うことは本当らしく、外にいても魔物の気配は全くしなかった。おそらくテントの周りは一種の安全地帯になっており、町の中と同じような状態なのだろう。おかげで魔物の襲撃を警戒して寝不足になるようなこともない。
いつまでもグチグチと文句を垂れていても仕方がない。明日も山越えは続くのだ。体力を回復するためにも、さっさと寝てしまおう。
俺は木の根元に体を預けて目を閉じた。
目覚ましないけど、ちゃんと起きれるかなぁ。
――そこでふと思い出す。
――これ、そういえばゲームであったと。
流れる時間がリアルの3分の1とはいえ、かれこれゲームをはじめて半日以上経っており、現在時刻はゲーム時間で24時頃。現実時間では16時頃になる。ジジイが明日の出発は7時頃と言っていたから、今のうちに現実の用事を済ませておいた方がいいかもしれない。
ご飯を抜いたら母さんが悲しむし、かといって母さんが夜ご飯を用意する頃には絶賛山越え中のはずだ。今日はインスタントラーメンで済ませて、母さんには夜ご飯はいらないと連絡しておこう。
それに両親が返ってこないうちにシャワーも浴びておきたい。引きこもりつつも清潔さは忘れない。それが引きこもりマスターの流儀である。
俺はメニューからログアウトを選択し、現実に戻ることにした。




