9話 聖水の話で憔悴
『はじまりの町』は、一番最初にプレイヤーが降り立つ場所ということもあり、周辺の攻略推奨レベルは基本的にレベル1。高いところでもレベル3程度で初心者にも親切な設計になっている。
なおかつ、『はじまりの町』の冒険者ギルドには訓練場が存在し、教官AIに指導されながら周辺の魔物と疑似戦闘をすることができるため、初めてでも予習がバッチリできる。これはゲーム序盤でプレイヤーが躓かないようにという開発側の配慮でもあるだろう。
その一方で、RPG初心者には優しくない伝統の仕様も存在していた。このゲームのマップは、約5キロメートル四方の正方形をドット絵のように配置して作成されており、マップ上で明確な地形の境界線が存在する。そしてかなりの確率で、地形が変わると適正レベルが跳ね上がるのだ。
ド●クエ初代からシリーズを網羅しているような我々ヘビーゲーマーにとっては、橋を一つ越えるだけで敵の強さが異常に上がることは一般常識である。何度も橋の向こうで屍を晒した経験があるため、マップの地形には強い警戒心を持っているだろう。どうのつるぎを手に入れたからと言って、慢心をしてはいけないのだ。
しかし、RPG初心者にその常識は通用しない。特にDRゲームであるAFOは、自分の手で魔物を倒す爽快感も手伝い、レベルが上がるごとに強い全能感に支配されていく。「あれ? 俺ってもしかして強くね? もうちょっと先まで行ってみようかな」という思考に陥りやすい。
その時に、初めて彼らは痛感することになるだろう。RPGゲームの恐ろしさを。そしてプレイヤースキルでは覆すことのできない数字の壁というものを。
適正レベルとは、ゲームの開発者が「せめてこのくらいのレベルはないとキツイよ」という指針を示してくれたものだ。もちろんゲーム内でも明示されており、街の住人やギルドの職員、教官AIなどに聞けば教えてくれる情報である。RPGの基本である聞き込み捜査を実践していれば未然に防ぐことができるのだ。
つまりこの適正レベル問題は、初心者にとってはRPGゲームの洗礼かつ基本を学ぶチュートリアルであり、ゲーマーにとっても自制心や常識を再確認する戒めのようなものということだ。
適正レベルにあわない場所には行ってはいけない。
これはゲーマーの鉄則である。
そんな鉄則を、俺は絶賛バチクソに破っている最中であった。
「お、おいジジイ。本当に魔物は寄ってこないんだろうな?」
「大丈夫じゃ。魔物除けの聖水を使っておるからのォ。坊主も確認したじゃろうて」
「そ、そうだけど……でも、もし出てきたらワタクシ瞬殺されちゃうヨ……」
いまワタクシがおりますのは、『はじまりの町』の北にある『はじまりの平原北』という初心者用の狩場をさらに越えた先、そこに連綿と連なる『はじまりの山』という山の中腹でございます。
ちなみに適正レベルは『はじまりの平原北』がレベル1なのに対して、『はじまりの山』はレベル20。初心者マップから境界線を一歩越えただけで、初見さんお断りの高難易度マップ出現である。
このゲームはレベル10から伸びづらくなるらしく、最前線の攻略プレイヤーでもまだレベル13くらいらしいので、この山の異常さが分かるというもの。
ゲームを開始してすぐにレナードさんに拉致からの強制労働をさせられ、親切心(それとひとつまみの下心)で助けた老人には5Gで扱き使われ、そしてそのまま町の外まで連れ出されている俺はもちろん初期装備でレベル1である。しかも初期装備に武器は含まれていないため、完全なる丸腰だ。
というのも、このゲームの本流では、冒険者ギルドで冒険者登録をした後に転職施設の『ハロージョブ』で初級ジョブに就き、『メインストーリー:就職』のクリアで手に入れた報酬3000Gを元手に装備を揃え、そうしてやっと『はじまりの町』の外へと魔物討伐に繰り出すことになる。って説明書にもオススメ情報で書いてあった。
それが無職の丸腰で、適正レベル20の山を越えようと言うのだ。完全にキチ●イである。
俺の手元にあるのはバイト代の残り425Gと、現状では尻を拭くぐらいにしか使えないレナードの紹介状、そして模様が入った石ころだ。スライムにも蹂躙される自信がある。
町を出る直前に無職の丸腰に気がついた俺は、「このままでは死んでしまう! 助けてくれ!」とジジイの腰に縋り付いて涙ながらに訴えた。
そこでジジイが渋々と懐から取り出したのが、『聖水』と呼ばれる消費アイテムであった。
説明をみると【神から洗礼を受けた純真で敬虔なシスターが生成した聖なる水。自分よりも弱い魔物が近づいてこなくなる。 [効果時間:6:00:00]】とある。
「こ、これってもしかして……シスターのおし……」
「やめた方がよいぞい。聖水の秘密に触れたことによって、世界から抹消された者がいるようじゃからのォ」
「まじかよ!」
あ、危なかった。しかしこの説明文は完全に罠である。純真で敬虔なシスターが生成するなんて、一体どこからどうやって生成するのかという話ですよ。年齢制限ありな漫画やゲームで履修済の者が辿り着く結論なんて、一つしか……。
――もしかして、運営はこの聖水を通して不健全ユーザーの炙り出しを行っている…!?
「助かったぜ、ジジイ……」
「荷物を運んでもらわなければ困るからのォ。しかし、これがあれば大丈夫じゃろう」
こんなことをイマジネーション入力ONの状態で想像した日には、きっと永久ログアウトとなっていたことだろう。何というアイテムを用意してくれたんだ。
それはともかくとして、確かにこのアイテムがあれば魔物が近づいてこないかもしれない。
しかし、聡明で明晰な頭脳を持つ俺は、完璧に組み上げられたロジックの穴を見つけてしまった。
――俺を出し抜こうたって、そうはいかないぜ! じっ●ゃんの名にかけて!
「ジジイ、お前の計画には穴があるぜ」
「ほう? なにかのォ?」
惚けた顔をしやがって。いつだって犯人は「自分はやってない!」って叫ぶもんだ。
「このアイテムの説明には、『自分よりも弱い魔物が』とある。レベル1で無職かつ丸腰という全世界最弱の俺、そしてヨボヨボで見るからに余命3ヵ月のジジイ。どう考えても俺達のパーティーより弱い魔物なんて存在しない!」
どうだ、ジジイ。自分の力さえも過信せずに情報として取り入れ、パズルのピースを埋めていくような緻密な推理。反論の余地はないだろう。
「ワシはレベル40だから余裕じゃなァ」
「なんだ、余裕じゃん。心配して損したぜ」
まったく無駄に頭を使わせやがって。『はじまりの山』は適正レベル20らしいし、その倍のレベル40であれば魔物は近寄ってこないだろう。むしろ裸足で逃げ出すはずだ。
聖水をジジイに返し、数歩踏み出したところでハタと気がつく。
このジジイ、いまレベル40って言った?
「レベル40ゥ!?」
「なんじゃ急に。反応するならすぐに反応してくれんかのォ」
「と、咄嗟のことでスルーしちまったんだよ! それより、ジジイがレベル40ってどういうことだ!?」
「どうもこうも、そのままの意味じゃが?」
ジジイが小首を傾げても可愛くねえよやめろ。この無駄にクオリティの高いアヒル口に硬い拳をいますぐ叩き込みたい。きっと高齢者福祉の団体だって笑顔で許してくれるはずだ。
しかし、このヨボヨボのジジイがレベル40? 世も末ってやつだぜオイ!
「ジジイ、お前は一体何者なんだ……?」
「ただの『ヨボヨボで見るからに余命3ヵ月のジジイ』じゃよ」
「めっちゃ根に持ってるじゃ~ん」
ボケ老人ならボケ老人らしくさっさと忘れてほしい。老人は都合の悪いことだけ覚えてネチネチと小言を言ってくるようにDNAにでも埋め込まれてるのか?
「まあ、いずれ分かる」
そういって町を出ていったジジイ。
高レベジジイから離れすぎると魔物達のエサになってしまう。さすがにそれは嫌なので、とてもとても事情が気になりつつも、ジジイに置いていかれないように必死に後ろをついて行ったのであった。




