第一部第一話
二学期末の試験を終え、すでに消化試合も同然の授業の視聴率は三十パーセントを切ろうとしていた。まあ視聴率三十パーセントって言ったらかなりの人気番組でないと叩き出せない数字だしいいんじゃないかね。
俺こと織原宏和も授業そっちのけで放課後のことを考えていた。
今日は金曜日、明日から開放感溢れる土日と相成る。そして俺の友人、嵐山透也の発案で試験終了記念のささやかなパーティのようなものが催されることになっていた。
参加者はたまたま居合わせた町村美空を加えた三人限りだが開催地が俺の母さんが経営する喫茶店、オレンジだということが今俺を思慮の森へと誘っている原因だった。いささか誇張な気もするが。
単純にケーキその他、パーティでの飲食物をどんな手順で用意するか考えているだけだ。
何しろ今日は母さんの都合で学校から帰ったら店番をしなければならないのだ。普段から一人で店を任されることも多いんだが明日のための買い出しをしておきたかった俺としてはちょっとした誤算だった。まあとりあえず適当に飲み物だけ買って残りは明日に回すとしよう。どうせパーティは店を閉めた後だからな。
勝手に悩んで勝手に自己完結しているうちにいつの間にか授業が終わってしまった。今日は時間がないのだ、少し急ぐとするか。
軽く飲み物を買って、と言っても喫茶店でやるんだからメインは店のコーヒーや紅茶なので少し買い足す程度だが、オレンジに直行する。
学校のすぐ隣の公園と称されるだだっ広い敷地の中の一角、林を一部切り開いて作られた並木道の途中にオレンジはある。感覚としてはあの某有名韓国ドラマの並木道を想像してくれるとわかりやすいだろう。
入り口は学校からすぐだが公園の敷地を歩いてら20分弱かけてオレンジへとたどり着いた。その扉を見るとClosedの札がかかっていた。母さんはすでに出掛けたらしい。
合い鍵で扉を開け仕事着に着替えて札を裏返し店を開ける。しばらく客なんか来ないだろうが。
というのもオレンジがあるこの並木道は花見が出来る林や子供達が遊ぶ大きな広場へと続く主線でなく一種の脇道みたいなもんで喫茶店としての立地条件はかなり悪い。学校からさほど離れていないにも関わらず学生は俺と妹の知り合い以外見た記憶がない。
しばらくするとポツリポツリと客が入り対応に追われることになった。注文を自分でとって自分で作ることになるので楽ではないが大抵の人がコーヒーか紅茶オンリーなのでやりやすい。また常連さんの割合も多く無駄話に加わると時間は慌ただしく過ぎていくのだ。
六時半頃、店にいたに最後の客をさばき、再び暇な時間が訪れる。店を閉めるのは八時だが冬は日暮れが早く客が引くのも早いためこの時間帯からは半分は後片付けみたいなものだった。ゴミをまとめはじめると不意にカウベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
条件反射的に挨拶を口にし客の顔を見ると珍しく俺と同い年くらいの女の子だった。その子は疲れたように店の端の席に座った。なぜか走って来たらしく息も上がっていたのでとりあえず水を持って席へ向かう。
「大丈夫ですか?」
水を差し出すと彼女は小さな口でコクコクと音を立てながらゆっくり飲んだ。
「……はあっ。ありがとうございます」
俺を見上げた彼女と目が合う。ふとそのまま見つめ合って
「……あれ、雪城?」
「……織原くん?」
どこかで見た顔だと思ったらクラスメイトだった。
「なんで織原くんがこんなところに……アルバイト?」
まあ普通に考えりゃそうだな。
「バイトというかここ、うちの母さんの店なんだわ。それより雪城こそ何でこんなところに?普通通らないだろ」
この道の先には住宅はないはずなんだがな。
「えっとその、ちょっと迷っちゃって……」
地元で迷った?おかしい。あまりに不自然過ぎる。大体ここは迷ってたどり着くようなところじゃない。
「ウソが下手なんだな。まあお客様の詮索なんかしねえよ。それよりせっかくなんだからこんな隅っこじゃなくてカウンターに来いよ。今暇だから話し相手になってくれ」
雪城はクスリと笑って席を移した。
「ご注文は?」
一応聞いとかないとな。わざわざ喫茶店に来たわけだし。
「うーん、そうだなあ。オススメは?」
俺は黙ってブレンドを入れる。配合はもちろん企業秘密だ。
「お待たせしました。本日のオススメ、ブレンドコーヒーでございます」
またクスクス笑うと
「織原くん、別の人みたい。もっとこう、がさつな感じだと思ってた」
「客ももう来ないだろうから素に戻すか。一応サービス業だからな。それにこの店わかりづらいところにあるだろ?リピーターが来ないと苦しいんだよ。常連さんにはいつも素だけどな」
「世知がらい話だね。それよりミルクとお砂糖くれないかな」
ミルクと砂糖?ほう、これは面白い。いたずら心をくすぐられ、からかってみたくなった。
「初めはそのまま味わってくれ」
「で、でも……」
困惑してうつむく雪城をニヤニヤしながら眺める。
雪城は恐る恐るカップに手を伸ばし、まるで青汁でも飲むかのような顔をして一口すすった。
「んっ、あっ……美味しい」
表情を驚きで一変させて俺を見上げる。
「ははっ、インスタントとは一味違うだろ?」
「うん。びっくりした」
「でも、苦いのは苦手何だろ?ほら」
上々の反応に満足してミルクと砂糖を渡す。
「平気だよ!?」
強がって今度は多めに煽った。
「無理すんなって、そんな渋い顔されたら入れてる方も気分悪いだろ」
あからさまに苦々しい顔になった。わかりやすい。
「もう、誰のせい?私がブラックでコーヒー飲めないのがそんなにおかしいの?」
「悪かったって。俺の奢りだ、そうカッカすんなよ」
「えっ、それは悪いよ」
「気にすんな。もう決めちまったことだ、絶対金は受けとらねえ」
俺は頑固なんだ。自他共に認めるほどに。雪城もそれを知ってか食い下がらずに
「ありがとね」
とだけ言った。
ミルクと砂糖を加えたコーヒーを少しずつ飲みながら雪城は尋ねてきた。
「織原くんっていつもここで働いてるの?」
「ほぼ毎日。定休日は水曜日。普段は母さんがいるんだけど今日は特別」
「大変だ。冬休みも」
「もちろん。むしろ学校が無い分朝からだったりで忙しい。まあ嫌いじゃないから」
そういやもうすぐ冬休みか。試験も終わったしあと二週間足らず。待ち遠しい。うんっ?その前になにか……
「あっ、明日パーティか」
無意識に呟いた。雪城には聞こえてないみたいだが。どうやらそのことで頭がいっぱいだったから冬休みに思考が至らなかったらしい。どうせだから誘ってみるか、参加者は多いに越したことはないし。
「なあ、雪城。明日の夜、暇か?」
「明日?……何もないけど」
「試験終了記念パーティを明日ここでやるんだけど来ないか?」
「えっと、私は一人でいても退屈だしうれしいけど……そんな飛び入りでいいのかな?」
「もとから三人しかいないからいいんだよ。ここであったのもなにかの縁ってことで」
雪城は少し間を置いて頷いてくれた。
よしよし、顔なじみの会から少し新鮮味が生まれた。
連絡のために携帯の番号を交換して再び雑談へと舞い戻った。
いつの間にか店を閉める時間になっていた。雪城は店を閉める作業が終わるまで待ってくれて俺は彼女を家まで送っていった。暗くなってたってのもあるがなにより雪城は帰り道がわかってなかったんだからしょうがない。迷ったってのも口からでまかせではなかったらしい。
明日の七時頃に店に来てくれるように言ってその日は別れた。
帰ってからメールで透也と美空に雪城の参加を伝える。美空からはすぐに了解のメールが来たが透也は一時間ほどのタイムラグがあってからなぜか電話をかけてきた。
「もしもし」
「おう、宏和。グッドモーニング」
「今、夜の十時だぞ。そりゃないだろ、さすがに」
この嵐山透也という人物、一言で表すならバカ。どんなに長い説明を付け加えても行き着く先はバカだろうけど。
「軽いジョークだ。で、雪城さんが参加するんだって?」
「ああ」
「なぜそんな重大な事項を直前に話すんだ、貴様は!?」
暑苦しい。電話でも。要するにこういうキャラなんだ、普段から。
「しゃーないだろ、今日決まったんだから」
「はあっ!?」
うるさいんだよ。耳がおかしくなる。
「とりあえず少しボリューム落とせ。今日たまたま雪城がうちの店に来たんだよ。で、なんか雑談してたら気が向いたから誘ってみた」
かい摘まんでは話してみたが我ながら胡散臭いな、これ。ノンフィクションなんだが。
「そうなのか。まあ理由なんてどうでもいい。グッジョブだ」
「俺にはお前が何を言いたいのか全くもってわからん」
さっきまでけなしてたくせに。これだからオツムが足りないやつは困る。
「まあ聞け。雪城さん、フルネーム雪城窓歌を誘える野郎は我がクラスではすでに貴様だけなんだ」
「ナニユエ?」
片言になっちまった。突飛なこと言い出すから。聞くだけ聞いてやるけどさ。
「貴様雪城さんを見てどう思った?」
感想?別にクラスメイトに対する感想なんてないんだが。女の子として見たときのことかね。
「普通に可愛いんじゃないか?」
「ほう、貴様にしては中々じゃないか。そう、雪城窓歌=普通!」
なんだそりゃ失礼なやつめ。
「今、失礼なやつめとか思ったろ、貴様」
「……」
バカに思考を読まれるとは……屈辱だ。
「だが、それは貴様が普通を勘違いしているからだ。人間ってのは高い域に普通を設定する生き物だ」
随分とそれっぽいことを言う。らしくないな。
「シンプルイズベストという言葉もあるだろう。普通の女の子を想像しろって言われたらまず間違いなくそれなりの美少女になるはずだ。彼女はまさにそれ、奇跡のバランスで生まれた究極の普通なんだ!」
ふむ、なるほどな。言われりゃ確かにそうかもしれない。
「話はわかったがそれがなんで俺しか誘えないことに繋がるんだ?」
「誰しもが心の中で普通の女の子と付き合いたいと思ってるからだ。だからいざ完璧な普通を前にすると気後れしちまう」
「なるほどな。しっかしみんながみんなそんな深く考えてるもんかね?」
「違う。だが考えなくても雪城さんと話すとなんだか後ろめたい気分になる。そんな気分をみんなが抱き始めた。後付けの理由だ、これは。とはいえこれを知っちまうと前より意識が強くなって余計話しづらくなる。少なくともうちのクラスの貴様以外の野郎はほとんど知ってるし、知らないやつの中に雪城さんを誘って了承を得られそうなやつはいない」
長い。そんなくだらないことを論理づけて考える暇があるなら勉強でもすりゃいいのに。
「逆に普通に話せる貴様の神経が信じらんねえ。だが折角のチャンスだ、俺だって雪城さんを狙って勇者になってやるぜ」
まあ確かに今の話だと一種の全男子の憧れみたいなもんだもんな。
だが思うに透也は最初からそんなこと関係ない。こいつは誰とでも話せる、そんな理屈関係なしに。そして雪城さんというか普通(おっと、本当によく使うな。ここでは一般的なってことにしといてくれ)の女子が振り向くこともないだろう。暑苦しいしバカだからな。
「そうか。せいぜい頑張ってくれ」
「おう!じゃあ明日な」
切れた。そこそこタメになる話だった……のか?
まあいい、明日のケーキの仕込みでもするとしよう。