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娘に地下室

「案内する。ついてきてくれ……」

「……なるほどぉ」


 口癖のように適当な言葉を吐きながら、ランプを片手に階段を下っていくゲールハルトの後ろをついていく。

 下からは酷く冷たい空気が流れてきており、エデルはこの異様な空間からあらゆる良くない予想を立てながらゲールハルトに質問をぶつけてみる。


「あの、ゲールハルトさん……この場所は一体……」

「ん? あぁ、直に分かるさ……」

「そうですか。ちなみに、他にこの場所を知っている人はいるのでしょうか?」

「いや、ワシと君の二人だけだよ」

「……つまり、バトラさんでさえここの場所は知らないと?」

「そうだ」


 ここに来て、ゲールハルトの口数が少なくなる。

 エデルの方もこれ以上特に質問することはなく、しばらくお互いは無言のまま下に降りていると、ある木製の扉の前までやってきた。

 扉には鍵穴がついており、ゲールハルトが懐から鍵束を取り出すと形を合う鍵を見つけ穴にはめていく。


「この部屋に娘はいる。間違っても変な気は起こすなよ?」


 エデルに釘を刺し、扉を開ける。

 その瞬間……。


「うげぇ……」


 露骨に嫌な顔をしたエデルの目に映るは、部屋の壁中に付着する無数の血痕だった。

 ランプの火が弱いのかどうにも薄暗く、生温く、嗅ぐことを拒絶するほどの血生臭さがこの部屋には充満している。

 一歩を踏み出したエデルはたまらず懐から洗濯バサミを取り出し鼻の穴を閉ざすように挟む。

 そんなエデルに目もくれずゲールハルトは前に進み続け、そしてすぐに足を止める。

 ゲールハルトの目の前には鉄格子があり、さらに向こう側には人が何十人いても余裕で入れる空間が広がっている。


「来てくれエデル君。紹介しよう」


 ゲールハルトの言葉に、エデルも鉄格子の目の前までやってくる。

 奥は暗く遠目では確認できなかったが、いざ近くに来てみると一人分の人影が蹲るように遠く隅の方にいるのが目視できた。

 エデルに嫌な予感が走る……。


「まさかですけどゲールハルトさん……」

「あぁ――ワシの娘、ヘレイナだ」


 その表情は、娘を自慢する喜々とした親バカの表情だった。それを横目に、エデルは牢の隅にいる少女ヘレイナに対し、よく目を凝らしてみる。

 ボロイ布一枚を体に羽織り、寝ているのかこの異様な空間に入り込む二人に一切の目もくれていなかった。


「娘……なんですか……」


 当然の疑問だった。実の娘をこんな異質過ぎる空間に閉じ込めるような形で蹲らせているのだから。


「そうだが? あれ、もしかしてワシに似てないのを不審に思っておるのか? まぁ、確かにワシに似ていないのを不振がるのも仕方ないが安心せい。あれは母親似なのだよ」

「いや、そういうことでは……」

「では、どういうことなのだ?」


 どうにも噛み合わない両者の言葉。エデルは、この瞬間にゲールハルトへの認識を改めることにした。

 出会い当初の愉快な黒髭のおじさんは、もういない。切り替えよう。


「……それでゲールハルトさん。娘の面倒を見るということは……」

「あぁ、何故かは知らないがある日を境にこの子はワシの言うことを聞かなくなってしまってね……。いくら叱っても叩いても口を開いてくれないのだ」

「……」

「だからお主には、この子が再びワシの思い通りに動くようにして欲しいのだよ。時間はどれだけかけても構わない。できるな?」

「……ご期待に添えるよう、努めてまいります」


 いかにもテンプレのような返しだが、ゲールハルトはエデルの言葉にとても満足気だった。

 そのまま上機嫌なゲールハルトは意識をヘレイナに向ける。


「おい、ヘレイナ。今日からお前に新しい世話係をつける。ちゃんと言うことを聞くんだぞ」

「……」


 ヘレイナから返事はない。まるで置物のように人から呼びかけられても動くことはない。


「聞いているのかヘレイナ。せめて挨拶ぐらいしたらどうだ?」

「……」

「聞いているのかと聞いているのだ! ヘレイナ!」

「……」


 ゲールハルトの怒号が部屋中に響き渡る。

 しかし、ヘレイナはそれでも無反応だった。代わりに隣にいたエデルはゲールハルトの突然の態度の変化に驚いて目を丸くしていた。

 だってそうだろう。こんな犯罪濃度100%の空間に実の娘を檻の中に入れ怒鳴りつけているんだ。

 明らかに気が狂っているとしか見えないだろう。


「はぁ……。まぁ、こんな感じだよ。苦労すると思うが是非頑張ってくれ。ほれ、格子の鍵だ」

「……は、はい」


 ため息をつきながらゲールハルトは鍵を渡し、あとの全てをエデルに任せ部屋から出ようとする。

 だが、扉に手をかけたとこでその足は止まった。


「あぁ、最後に一つお主に質問があるのだがいいかね?」

「……なんでしょうか?」

「うむ、貴様はリヒヴァスをどれだけ信仰しているのかね?」

「……リヒヴァスとは?」

「……いや、忘れてくれ。それじゃ頼んだぞ」


 そう言うと、今度こそゲールハルトは扉を開け部屋から出て行った。

 残されるは、蹲るヘレイナに棒立ちのエデル。

 鼻に洗濯バサミを未だ挟みながら、エデルはゲールハルトに関わったことを深く後悔していた。

 思えば墓場で出会ったあのときに、殺しておけば良かったと。


「はぁ、変な依頼受けちゃったなぁ……」


 別にエデルにとって、こういう危ない仕事を引き受けるのは一度や二度ではない。だからこそ、この依頼を断ることはしなかった。

 どんな依頼もスケジュールさえ合えば引き受けちゃうのがエデル流。たとえ、それがどれだけ嫌な仕事であっても……。

 ふと、ヘレイナの方へ顔を向ける。

 当初の位置から全く動く気配は無く、ここまで何も無いと生きているのかすら怪しくなっていた。

 心配はしていないが、気になって仕方ないエデルはとうとう鉄格子の扉を開けヘレイナの空間に足を踏み入れた。

 近くまで寄り、見下ろす形でヘレイナをよく観察する。

 顔は見えないが、元は綺麗であっただろうブロンドな髪は酷く汚れ、その痩せた体系と小柄な体のサイズから一五歳ぐらいの少女と判断する。

 近くまで来てやっと分かる小さな呼吸音と体の動きから、まだ息があることも見て取れる。

 そして……。


「……出し……て……」


 腰を落として、やっと聞こえるほどの微かな声が辛うじて聴きとれた。


「……出たいのかい?」

「……出たい」


 そう言うと、ヘレイナは顔を上げる。死んだような虚ろな瞳がエデルを見つめる。


「……痛いのは嫌いなの」

「……」

「変なものだって食べさせてくるし……」

「……」

「すぐ怒るし……」

「……」

「……もう、いや」


 訴える声にそこまで力は乗っていなかった。本気で出たければ、もっと感情的にもなっていいはずだ。

 だからこそ、エデルにはヘレイナの悲痛さがよく伝わってきた。

 もし、この場に善人がいるならば、きっと今の言葉でゲールハルトを殺してでもヘレイナを救っていたに違いない。

 そういう点ではゲールハルトがエデルに依頼したことはある意味大正解といえる。


「……まぁ、まずは一週間様子を見てからだな。あ、お腹空いたでしょう? 上から、ご飯持ってくるから少し待っててな」


 善という言葉からもっとも離れた位置で過ごしてきたエデルには、ヘレイナを救うという一手を出す考えは持ち合わせていなかった。

 そんな反応に、ヘレイナは黙って頷いた。もう期待などしていないのか、それとも最初から期待などしていなかったのか、またも顔を伏せてしまった。


「……」


 エデルも、そんなヘレイナを見てひとまず食事を取りに一度部屋を出ることにした。

 厄日はまだ、これからだ。



「やられた……」


 部屋から出たはずのエデルだが二分後には戻ってきており、さりげなくヘレイナの隣に座り込んでいた。

 明らかに不審な行動を取るエデルに、俯きながらもヘレイナは純粋に疑問を持った。


「……どうしたの」

「……閉じ込められた」


 食事をとりに出ようとしたエデルだが、ゲールハルトが動かした本棚が元の位置に戻ってしまい、この地下から出られなくなっていた。


「……」

「は、はは……。ご飯どうしよっか……」

「……ご飯はいい。いつも決まった時間にあの人が届けに来るから」

「へぇー、そうなんだ。ちなみに、いつもは何食べてるの?」

「……冷めたパンにコップ一杯の水」

「うわぁ、すごい質素。 囚人以下の生活を送っていないかそれ?」

「……もう慣れた」


 そう言うと、ヘレイナは顔を上げエデルを見つめる。


「ん? どうした?」

「……わたしと喋ってて楽しい?」

「……」


 突然の予想外な質問に、エデルはきょとんとしてしまった。

 本音を言えば、楽しいか楽しくないかで言えば全く楽しくないと感じていた。

 今の内容にどこか楽しさを感じる部分があっただろうか。むしろ、ヘレイナの境遇に若干引いてすらいるのだ。

 エデルの性格から、その本音が口から出るのなんてすぐの筈だった。


「……わたしは、少し楽しい」


 だが、こんなことを言われてしまってはどうだろうか……。

 さすがのエデルも、堂々とつまらないと言えず頭の中で必死にかけるべき言葉を選んでいた。


「……そうか。君はどうやらお喋りが好きみたいだね」

「……そう……みたい……」


 少し考えれば分かることだった。

 誰かとお話をしたい。それは十五歳に限らず成長期の少女にとって当たり前の欲求であり、むしろそれを自覚していない方がおかしいのだ。

 原因はもちろん、この劣悪な環境を生みだしたゲールハルトだ。実の娘に当たり前の平穏を与えない、その腐った性根がヘレイナから小さな幸せをも奪っていた。

 エデルは善人ではないが、ただ決してゲールハルトのような人の気持ちを踏みにじるほどの悪人でもない。

 故に……。


「じゃあ、食事が来るまでお喋りでもして暇を潰しますかね。色々気になることもあるし」

「……うん」


 相変わらずヘレイナの表情は変わらない。

 しかし、先程よりも声に感情が乗っているように聞こえたのはエデルの錯覚かもしれない。


「では、話のタネとしてまずはなんで君が監禁されているのか聞いてもいいかな?」


 今ここに、全く楽しくないお喋り会の幕が開ける。


行き当たりばったりです。

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