不運に迷子。幸運に親切
その日、エデルは道に迷っていた。
ロタール領に一度拠点を置き、はや一ヶ月が経っておりそれなりには町に馴染んでできていたはずだったのだが――。
「領主の家が分からない……」
日差しが強い真昼間の噴水広場にて、棒立ちのエデルは天に向かってぼやいていた。
今回はロタール領主、ゲールハルト・ロタールから直々にこの何でも屋に依頼が来ており、エデルは仕事に関する詳しい話を聞くため彼の住む屋敷に行かねばならない。
だがしかし、何故だろうか……。
「何故誰に聞いても場所が分からないんだ……。みんなの領主様じゃないのか……?」
駆け回る少年少女から、仲睦まじく散歩する老夫婦まで誰一人としてエデルの欲しい答えをくれるものはいなかった。
完全に見立てが甘かった。
歩いていれば屋敷などすぐ見つかると、最悪人づてに聞いて行けば楽勝だと踏んでゲールハルトから道までの行き方を聞かなかったのが、完全に仇となっていたのだ。
しかも、エデルの失態はこれだけではない。
「……はぁ、財布も落としちまったし今日は厄日かもしれない。もうダメだ……」
あらゆるポケットというポケットに手を突っ込むも、あるのはロタール領の地図とペン等の金と呼べないようなものばかりであった。
落とした財布に全財産を入れていたワケではないが、落とした事実にかなりのショックを受け、縦横無尽に足を進めていたエデルの精神はついにポッキリ折れてしまったのだ。
「もう終わりだぁ……この世のお終いだぁ……。は、はは……ははは……」
折れすぎて、世の中に絶望していた。
墓があったら入りたい。うな垂れる今のエデルの心境はまさにそんな感じであった。
「あ、あのー……」
そんな傍から見れば頭のおかしい人であるはずのエデルに、一人の女性が恐れ恐れ声をかけてくる。
「なに?」
「ひっ……」
睨みつけるように振り返るエデルに、彼女はたじろいでしまう。
そのどこか怯えるような姿に、狂気に入っていたエデルは少しの冷静さを取り戻す。その後、彼女をよく観察し始める。
幼さが残る端正な顔立ちに薔薇のように赤いボーイッシュな髪からは活発な印象を受ける。がしかしその瞳は少しばかり涙ぐんでおり、エデルに対する第一印象は最悪のものとなっていた。
突然のことで驚かせてしまい多少正気を取り戻し始めたエデルだが、ふと彼女が手にしているある物に目が止まる。
「あ、あの、それ……」
それは、エデルが狂う原因となっていた自身の落とした財布によく似ていた。
「え? あ、ここ、これのことよね……」
彼女の方もエデルの視線が財布に向いているのに気づき、自分が何のために彼に声をかけたのかをすぐに思い出す。
「その、さっき落としていくとこを目撃して、その、返そうと思って、その、はい……」
相手を怒らせないように言葉を選んでいるのか、どこかたどたどしい彼女から丁寧に財布を返してもらう。
すると、エデルは突然彼女の両手を自らの両手で包むように握り出す。
「なっ……」
「拾っていただきありがとうございます、名も知らぬ心優しき美人さん」
「び、美人さん!?」
「はい。あなたは見た目だけでなく心までも美しい。あなたのおかげで私は今日という日を恨まずに過ごせます。本当に感謝しかありません」
そう言うと、エデルは深々とお辞儀をする。
「え、ちょ、ちょっと!? べ、別にワタシは当然のことをしたまでであって、そんなに礼を言われる筋合いは無いって。そ、それにワタシが美人だなんて……」
あまり褒め慣れていないのか、エデルの怒涛の褒めちぎり攻撃に今度は違う意味でタジタジになっていた。
「そ、そんなことより! 何か他にも困ってることがあるんじゃないの? 財布を拾ったのも何かの縁だ。ワタシでよければ力になってあげるよ」
この時、エデルは少し感動を覚えていた。
厄日だと思われていたこの日に、一から十までいい人感丸出しの女性がこの世に存在していたということに。
ぶっきらぼうながらも他人に手を差し伸べるその姿は、容姿と相まって女神にすら見えた。
「……いやぁ、実は少し道に迷っていまして。ゲールハルトさんのお宅に向かいたいのですが、その、場所が分からなくて……」
正直エデルは特に期待はしていなかった。老若男女誰に聞いても知らないと言うのだから、もしかしたらゲールハルトという名前は偽名なんじゃないかとも思っていた。
だがしかし……。
「ゲールハルト!?」
彼女の反応は、これまで見てきたどのものにも当てはまらなかった。
簡単に言うなら、明らかに知ってそうな反応であると……。
「もしかして場所、知ってるんですか?」
「……えぇ、知ってるわ。地図は持ってる?」
「あ、はい。あります」
そう言うと、エデルはポケットに入れてある四つ折の地図を広げて彼女に見せる。
「うーんとね、今ワタシ達がいるのがここで、ここから西に行ったここに木で茂った一本道が見つかると思うの。で、そこをまっすぐに行けばロタール低よ」
地図の上を指でなぞりながら、懇切丁寧に教えてくれる。
エデルは持っていたペンで彼女の言ってくれた場所に印をつけ、再度確認をして地図をポケットにしまう。
「いやぁ、助かりました。ありがとうございます」
「ふふっ、どういたしまして。でもまぁ、あれだね……。最初は怖い人かなって思ったけど素直にお礼を言えるような人で安心したよ」
「は、はは……。ごめんなさい……」
「あやまんなくていいよ。そ、それに、び、美人さんって言われて……悪い気はしなかったし……」
最後の方の言葉に関しては、エデルの耳に届くことは無かった。
「ではさっそく向かってみたいと思います。財布から道の場所まで本当にありがとうございます」
「うん、気をつけてね。どうやら君は不幸体質のようだから、道中何も無いことを祈るよ」
「はは、気をつけます。では……」
彼女に笑顔で見送られながら、エデルはゲールハルトの屋敷まで歩き始めた。
道中、何もない事を祈って。
□
結論から言うと、今現在歩いているこの林道までの間、不幸と呼べるトラブルなどは一切起こらなかった。
あれから三時間弱ほど歩き、涼しい風に当たりながら気分よく一本道を歩いている。
「確かにこんなところじゃ、誰も分かるわけないか」
そんな小言などを言いながら進んでいると、屋敷の姿が見えてきた。
よく見てみると、屋敷の門の近くに初老であろう男性が立っており、エデルの姿を見つけたのか一礼をかましている。
エデルの方もその場で一礼をかまし、早足で男性のほうへ向かう。
「ようこそ、ロタール低へ。エデル様」
見た目も渋ければ、声も渋い。
男性の名はバトラ。ゲールハルトの執事である。
エデルは一度、バトラと会っており今日が二度目の面会となっている。
「こんにちは、バトラさん。もしかしてずっと門の前に……?」
「いえ、来るならこの時間だろうとさっき仕事を後にしたばかりですよ。しかし、よくここが分かりましたね」
「えぇ、親切な人が教えてくれまして。最初は分からなくて一時はどうなるかと思いました」
「いやいや、あの時しっかり道をお教えするべきでしたね。気が利かずすみませんでした……。しっかし、親切な人ですか……」
「……?」
エデルの言葉に、少し考えこむ素振りを見せる。
だが、それは一瞬のことですぐにエデルの方へ向きなおす。
「あぁ、すいません。それではどうぞお屋敷の中へ。旦那様がお待ちになっております」
「あ、はい。では失礼します」
ロタール低へ、一歩を踏む。