プロローグ
「いやぁ、急に頼んで悪いな。頼めるのがあんたしかいなくてさ」
子供も大人も、誰もが寝静まる真夜中の都市。その路地裏にて、筋骨隆々の男は目の前にいる黒髪の青年に対し礼を言いながら、依頼して届けてもらった小包の中身を確認する。
「おぉ、これが巷で噂の……。さっすが何でも屋だ。こんな無茶な注文も受けてくれるなんてな」
「いえ、これぐらいできなければ何でも屋は名乗れません。まぁ、今回はこれを入手するのに苦労しましたから、その分料金は頂いていきますが」
「おう、金ならもってけ」
男は上機嫌なのか、提示された金額を疑うこともなく青年に渡す。
「ありがとうございます……。あの、純粋な疑問なんですが、それを使って一体何をするつもりなんですか?」
青年は、男が今持つ小包に視線を向けながらさっきから気になっていたことを問うた。
小包の中の物を知っているからこそ、男がそれを何に使うのかさっきから気になって仕方がないのだ。
「おいおい、野暮なこと聞くじゃねえか。何でも屋さんよぉ」
「すみません。どうしても好奇心には逆らえなくて……」
「ククッ、確かにな……。これを見たら気になっちまうのは仕方ねえもんな」
そう言うと、小包から一本の小型のビンを取り出す。
中にはコバルトブルーの液体が入っており、月に照らされることで色合いに透明感が追加され、誰もが魅了される美しさを作り出していた。
見た目はポーションにも見えなくもないアイテムだが、これが人間に癒しの効果を与えることは……無い。
エンジェルムーン。――使用者に一番幸福だった時間を夢で見せながら死を与えると噂の、裏市場で出回る入手困難の薬である。
そして、この薬を欲しがる者は大抵……自殺したがるやつが多い。
「……オレはさ、死にたいのさ」
「……」
月に向かい、男はボソッと呟いた。
その姿に、さっきまでの気さくな兄ちゃんの雰囲気は一切なかった。
だが、それも一瞬のこと。
「フッ、この筋肉ダルマには似合わないセリフだろ?」
「いえ……」
「ははっ、まぁ無理して元気に振舞ってるけどさ……実は今も結構きついんだよ」
そう言いながら、男はビンの蓋に手を伸ばす。
青年はそれを、ただじっと眺めていた。
その視線を感じ、男の伸ばす手がすんでのとこで止まる。
「……止めないんだな」
「止めて欲しいんですか?」
「……いや、不思議に思っただけだ。死のうとしてるオレを無感情に見ていたもんだからさ」
「お金さえ払ってくれるなら、慌てる演技ぐらいしてあげますよ」
「ハハッ、それは是非見てみたいもんだな」
男は愉快そうに笑う。今から死ぬとは到底思えないほど爽やかに。
「なぁ、やっぱあんた面白いよ。是非、名前を聞かせてはくれないか?」
名前を聞かれ青年は暫し沈黙すると……躊躇いながらも誇りを持って自分の名を口にした。
「エデル……。エデルと申します」
「エデルか……いい響きだ……。なぁエデル、最後に俺の依頼を受けてはくれないか?」
「……内容は?」
男はその返事を待っていましたと言わんばかりに露骨に口角を上げると、懐から一枚の紙切れを取り出し、エデルに渡した。
紙には、ロタール領地までの行き方とその領内にある墓地までの道を記したメモが書かれてあった。
「……オレの死体をさ、ハンナって名前が刻まれた墓に埋めて欲しいんだ。もちろん、金は払う。なんなら全財産お前にやってもいい」
これまでとは比べ物にならないほど、男は真剣な顔で頼み込む。
「ハンナって名はオレのフィアンセで――」
「分かりました」
「元々病気で体が弱く……え?」
いろいろ説得する材料があったのだろう。男がまくし立てるように話を繰り出していこうとするが、エデルはその前にこの依頼を受諾した。
あまりの決断の早さに、男は少し呆然とする。
「何をアホな顔をしているんですか?」
「いや、だって……」
「私は何でも屋ですよ? 金さえ払ってくれるなら愛しのフィアンセの元に連れてってあげることくらい造作もないことですよ」
エデルはエデルで、いつもと変わらない様子であっけらかんと言い放つ。それが仕事であるがのように。
その様子に男は張っていた気を抜き、つい笑みがこぼれる。
「そっかー……。それは頼もしいことこの上ないな」
「そうでしょう? なんならサービスで、あなたの名前をその墓に彫ってあげますよ」
エデルの方も、この男が気に入ったのかやけに上機嫌だった。それも普段絶対にしないサービスをするほどに。
「ハハッ、じゃあ是非ハンナの隣に、ラックって文字を刻んでおいてくれ」
「……えぇ、約束します。ラックさん」
その言葉を聞くとラックの中にはもう、何も心残りはなかった。
不思議と清々しい気持ちのまま壁に背を付け、もたれかかる形で座り出す。そのまま、持っていたビンの蓋を開ける。
そして……。
「……んじゃ、頼んだわ」
月に照らされるコバルトブルーの液体を、口に運んだ。
変化が見られたのはそのすぐのことだった。
ラックの瞼はゆっくりと閉じていき、幸せを噛みしめるように安らかな寝顔を浮かべる。
きっと彼は愛しのフィアンセと一番の絶頂期の瞬間を夢に見て幸せに死ぬのだろう。
――だが、それは一瞬のこと。
「ハ……ハン……あ、あああ、あぁぁああぁぁあぁあぁああああああああああああ!」
突如ラックは雄叫びを上げ出した。瞳孔は大きく開き始め、目から、鼻から、口から、耳から、あらゆるところからドス黒い血液が溢れ出していた。
「オ、オ、オレを、ハ、ハンナ、マテ、ハンナァァッ――」
「うるさい。何時だと思っているんだ」
誰かに置いていかれ、それでも追いかけようとするかのように地面を這いずるラック。
だが、そんな姿の彼を見ても、エデルの表情は変わることはなく、むしろ近所迷惑だからといった態度で馬乗りになり雄叫びを上げる口を片手でいとも容易く塞いだ。
「はぁ、所詮噂は噂だったってわけだ」
エデルは近くに落ちていた空っぽのビンを、空いているもう片方の手で拾う。
「見たところ、確かに一度は幸福な夢は見れたんだろうが……。その後、倍以上の激痛と不幸をどうやら見せてくるようだな。それに、少しばかり魔力の痕跡があるな……。と、なるとこれは魔術の一種と考えるべきか。それなら……」
あくまでも冷静に事を分析する。何でも屋という不安定な仕事をしている以上、こういったことは別に珍しくはなかった。
エデルにとって、このアクシデントも仕事のうちの一つに過ぎなかった。
「――すぐ終わる」
そう言うと、エデルは一度目を閉じたかと思うと……すぐに《開眼》する。
純粋なまでに黒かった瞳は禍々しいほど朱く輝きはじめ、未だ暴れるラックを強く睨みつけた。
そう、暴れるラックを視るだけでいい。
「ガァァァァ……アアア……アァ……ア……」
次第にラックの動きは沈静化していく。大人しくなった頃には、血の涙を流しながらハンナとうわ言を言い続け地面に伏していた。
だが、次第に薬の効果が切れたのか、一分が経った頃にはもう完全に動かなくなっていた。
それを確認すると、エデルの瞳がいつものつややかな黒に戻っていく。
「はぁ……。もしかしてパチモンでも買わされちゃったかなぁ……」
裏市場で手に入れたエンジェルムーンが、果たして本物かどうか、それを見極めるすべはエデルにはない。
だが、少なくとも死を与えるということに関しては噂通りであることを理解した。
「……これは気合入れ直さないとダメだな」
そう、エデルの仕事はまだ終わっていない。
最後に託された依頼がまだ残っている。せめてこれを達成して、自分の不始末で嫌な死に方をさせてしまったラックを弔ってやらねばならない。
「何でも屋って、楽じゃねえんだな……」
エデルの何でも屋は、まだ始まったばかりだった。
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