デューの葛藤
「闇など気持ちのいいものではなかった。光のもとで、オレはオレの望む姿を追いたかった。けれど、それはオレじゃなかった。それは、唯一オレが心を許せていた、いじめられっこの親友だった。嫉妬、憎悪の念が抑えきれない。そんな感情が、ゆっくりとオレを闇の奥へ奥へと、引きずりこんでいっていた」
「……」
デューは、珍しく朝に目を覚ました。
昼夜逆転をして、今では朝に眠るシタの寝姿を見つめ、デューはつらい心境だった。
昨晩、シタは自分に心を許し始めていた。それはとても嬉しい感情だった。
自分の用意した紅茶と買い置きのチョコをつまみ、そのブラウンの瞳を揺らめかせ、柔らかい表情を浮かべるシタを、自分が、闇に染めなくてはいけなかったのだ。
デューは、音を立てないようシタの寝室に入り、静かにドアを閉めた。
部屋の中で、厚みのあるカーテンの隙間からのぞく一筋の光が、シタの寝顔を照らしていた。
デューは、赤い瞳を苦々しげに細め、足音を立てず、カーテンの隙間を塞ごうとした。
だが、光を受けたシタが、あまりにもまぶしく、そして幸せそうに微笑みながら眠っていたのを見て、その手が止まった。
シタは、どのような夢を見ているのだろうか。
まるで陽のように明るい黄金色の髪の毛が、外の光に答えるように輝いていた。
デューはそれと、自分の赤黒い髪をつまみ、比較するかのように見てから、また赤い目を細めた。
「オレは、お前を闇に引きずり込まなくてはいけない。いままで、どのような短い人生を歩んできたのかは、知らないが。知ったところで、何も変わるわけではないし、興味もない。だが、光のある世界を歩んできたことだけは、わかる。こんなにも……」
デューは、耐え切れずカーテンの隙間を閉じた。
シタにはまだ受け入れられる太陽の光も、デューには耐え難いものだったからだ。
光が照らすことをなくしたシタの黄金色を、なぐさめるように撫で、デューは表情をゆがめた。
自分は、シタにどういう感情を抱いているのか、自分でも分からなかった。
同情? 憧れ? 安心?
感情がぐるぐると混同しはじめ、自分ではわからなくなっていた。
「こんなにもまだ、まぶしく笑えるんだな、お前は……」
デューは、色白の、柔らかいシタの肌を、優しく撫でた。
「どうしてお前ではなかったのだろうな。お前の望む道にすすむことが出来たものが」
それは、間違いなく同情だった。
だが、そこに芽生える安堵感。
もし光がシタを選んでいたら、ここにいるのはシタではなかった。
デューは、ここにいるのがシタでなかったら、こんなにも、忘れていた感情が再び芽生えることなど、なかったであろう。
「……シタにだけなら、許されるはずだ。こんな感情は」
それは、闇の住人が持つにふさわしくないものだった。
いずれ、シタも、自分たちの世界に溶け込み、世界を絶望へと追い込むものになるだろう。
そして、その闇を掌握する存在へとなるであろう。
悲しくも、シタは、自分の望むものと真逆の性質を持っていた。
「今お前は光にあらず」
友人を憎み始めたその日から、その頭角を現すことになったお前は、もう完全に、我らの世界の住人だった。
「そしていつか、我らの頂点に……」
デューは、自分の漆黒に染まった右手を見やり、その親指に傷を入れた。
そこから滴る、自分の髪の色と同じ血を、シタの口に垂らし、飲み込ませた。
「ん……」
それを飲み込んだシタは、喉に抵抗があったのか、一瞬身じろいだ。
起きたものかと思ったが、まだシタの意識は夢の中のようだ。
「……シタ」
そんなシタの寝顔を見て、デューはまた、心がかき乱された。
もう一歩、シタへ近づいたとき、シタが表情を緩め、言葉を漏らした。
「ティアーズ……」
その名前に、デューは歩める足を止めた。
「……シタ」
「バカだなぁ、ティアーズ……」
「なぜ、だ」
「すぅ…………」
シタの寝言はもうこぼれず、変わりに寝息が響いた。
デューの身体は、血が逆流したかのような錯覚に襲われた。
「何故、お前を裏切った友人の名前を、そんなに幸せそうな顔で呼べるんだ、シタ!」
気がつけば、デューは大声で叫んでいた。
その声に驚いて起きたのか、シタは寝ぼけた眼をこすりながら身を起こした。
「ん、んん? なんだ? どした?」
起こされたのが不快だったシタだが、陽を通さない部屋の中で、涙を流し自分を睨むデューの姿に気圧され、シタはベッドの上で後ずさった。
「な、何々?」
「……幸せな夢を見ていたようだな、シタ」
優しい表情を浮かべることなど、デューには出来なかった。
「夢? オレ夢なんて見ていたっけ?」
シタはつむじをかきながら、気だるそうに答えた。
言うべきではなかったかもしれない。だが、まだシタの中に無自覚にいる、「友人だった存在」を完全に抹消するために、デューは冷たく言い放った。
「嬉しそうな顔で、お前は、ティアーズ、と言っていたぞ。何度も、な」
シタが、寝ぼけた表情を緊張させ、デューをにらみつけた。
「言っていない」
「言った」
「そんなこと言うはずがねえ」
「言った、もしまだお前の心に、ティアーズのもとへ帰りたい意思があるのなら、オレもそこまで悪魔ではない。お前をもといた場所に戻すことも……」
デューの言葉が断ち切られたのは、シタが、枕元においてあった本をデューの顔面めがけ投げつけたからだった。
それを交わすことはデューにとってたやすいことだが、それでも、一旦言葉を切る必要があった。
「消えろ」
冷酷に命令するシタに、デューは無表情で頭を下げ、音を立てずに部屋を出た。
陽の指さない暗い部屋に取り残されたシタは、自分の身体を抱きしめるようにして、ベッドの上でうずくまった。
「もう、戻れねえんだよ。あの日々には」
そういって、シタはベッドの掛け布団を思い切り殴った。
部屋の外に出たデューの耳に、シタの零した言葉は入ってきた。
シタは、どのような気持ちでその言葉を漏らしたのかは、デューにはわからない。
だが、コレでよかったのだ。
これで、無自覚な意識に、ティアーズを思い出してはいけない、恨みの対象として以外の意識を、思い出させてはいけないと言い聞かせることが出来たであろう。
デューは、そう自分に言い聞かせながら、うなだれた。
「……シタを起こしてしまった、な」
気分を落ち着かせまた寝てもらうためにも、デューは、おぼつかない足取りで、シタに飲ませるカモミールティーを作りに、キッチンへと向かった。
我ながら、自分の本当の心など、わからないもので。
誰もが、自分の心地の良い場所を求めるものだ。