第5話 何の変哲もない翌日
意識がハッキリとしていくにつれ、目覚まし時計の音は大きくなっていく。
外からは小鳥のさえずる音が聞こえ、かすむ視界の向こうにはカーテンから漏れる朝日で照らされた天井が映し出された。
――ああ、朝なのか。
彰は重たい体を起こすと、ぼーっと掛布団の一点を見つめながら脳が活性化するのを待った。
秋の早朝ということもあり、体がブルリと震えた。彰は上半身をねじり目覚まし時計を止めると、気合をいれてベッドから立ち上がり、うめき声をもらしながら階段を下りた。
一階のリビングへと降りていくと既に父と母、そして姉の三人は席に着き、テレビを眺めながら朝食をとっていた。
「ああ、おはよう。昨日はいつ帰ってきたの?」
母は彰に気が付き声をかけた。
彰は「ああ……十二時過ぎ」と適当に答えながら席に着くと、用意されていたトーストを小さくかじった。
テレビでは朝のニュースが流れており、様々な事件が報道されていた。それらをぼんやりと眺めていると、昨日のことが思い返された。
確かに昨日、はっきりと悲鳴を聞いた。現場に駆けつけると倒れた自転車、そしてそれを覗き込む不審な人物を目撃した。
だが被害者などはいたのだろうか。ニュースにならないまでも、警察は動いているのだろうか。そもそも黒い灰が大量にあったとして、それがなんだというのか。
結局のところ、いくら考えたところで疑問は解消されなかった。
――帰りにもうあそこへ一度行ってみるか。警察がいたなら、何かしら事件があったということなのだろう。
彰はそう結論付けると朝食をとり終え、支度をした後学校へと向かった。
○
午前の授業を一通り終え、彰は一人教室の自分の席に座り購買で買ったパンを食べながら携帯の画面を眺めていた。
昨日、あれほど非日常的と思われる体験をしようとも、周囲に何ら変化はなく穏やかな昼であった。
机を向い合せにくっ付け、楽しそうにおしゃべりをしながら友人たちと昼食をとる女子生徒たち。ポケットに手を入れ、廊下を集団で歩く男子生徒たち。おそらく友人たちと運動でもしているのであろう、楽しそうに外から聞こえてくるはしゃぎ声など、いつも通りの風景であった。
午前中に逢斗からメールで送られてきた墓場で撮った何枚かの写真を眺めても、もはやただ黒い灰を写したへんてこな写真にしか見えず、恐怖心や昂揚感などみじんも湧き上がっては来なかった。
これが現実。
いくら非日常的と思われる事件に出くわし心躍らせようとも、どうせ真実を知ってしまえば結局なんてことないものでしかないのであろう。
こうして視界に映る穏やかな生活こそが現実なのだと、彰は少しがっかりしたような気持ちになっていた。
「どうしたの? 浮かない顔して」
妙な虚しさを感じていたその時、ふいにそう声をかけられた。
目線の先には司が心配そうな顔をして立っていた。
「ああ……いや別に。ただ考え事をしてただけだよ」
「ふーん、なら良かった」
司は微笑み、そして目を輝かせ身を乗り出しながら続けた。
「でさ、昨日言ってたよね? 探索に行くって。どうだった?」
相変わらず熱心だなと彰は笑いながら、逢斗から送られてきた写真を表示させ、携帯を司に渡そうとした瞬間、はたと思い留まった。
――エロ画像、全部SDカードに移し終えてたっけかな……?
携帯を他人に渡す以上、他のフォルダまで見られても困らないようにしなくてはならない。
彰はそう考えていた。
あれこれと思案する彰を、司は不思議そうに見つめた。
そのとき、教卓の方から司を呼ぶ声がした。
二人してそちらに目をやると、昨日司と一緒にいた女生徒がいた。
どうやら集めたノートを運搬するよう言われていたのを、司が忘れていたようであった。
「あ! ゴメーン。すぐ運ぶね。ありがと」
司は笑顔でそう言うと、こちらに振り返り手を合わせて上目遣いに言った。
「ゴメン、手伝ってくれない? お願い」
○
彰と司はノートを持って職員室へと向かって行った。
「ノートは半々ずつにしよう」という司の提案のもと配分した筈だったが、気が付けば彰は三分の二の量を持っていた。
ここで疑問を持たない奴がモテるんだろうな、と彰は内心思った。
「でさ、さっきの続きなんだけど、携帯に写真があるの?」
司がそう楽しそうに聞き、先ほどの会話が再開された。
「そうそう。いま見せるよ」と彰は片腕と膝で器用にノートを支えながら、ポケットから携帯を取り出し司に渡した。
先ほどのどさくさに紛れて、既に各フォルダはチェック済みであったため、躊躇いは無かった。
「へー何枚もあるんだね。ちょっと持ってて」
司は持っていたノートを彰のノートの上に積み重ねた。
もはや何も疑問に思うまい。そう彰は心に決め、考えることを止めて現状を受け入れた。
司は画面をスワイプしながら真剣な表情で写真に見入っていた。
司は特に墓場で見つけた黒い灰を写した写真を熱心に見ており、彰はその写真を撮った場所についていくつか質問を受けた。
写真を見終わると、司は笑顔で携帯を返しながら言った。
「ありがとう。すごい写真だね。他には何もなかったの?」
彰は深夜に見た不審者、そして自転車の周りにあるたくさんの灰を思い出した。
これを司に話しても、噂話を真に受けた変なやつだとは思われないだろうか。
そう彰は考えを巡らせたが、悲鳴を聞いたことは伏せそれとなく話してみることにした。
「あぁ、他にはないかな。ただ……」
「うん?」
「ただ……噂話とは関係ないと思うんだけど、昨日の夜に変な奴を見たかなぁ」
「へー、どんな?」
「全身真っ黒の服着ててさ、顔はフードで隠してるんだよ。それで――ずうっと倒れた自転車を見下ろしてたんだよ、そいつが」
「え? 何それコワーイ――でもなんで自転車?」
「さあ。自転車の周りにさっき写真で見せたような黒い灰がたくさんあったから、それでも見てたのかな?」
「そうなんだ」
司は相槌を打つと、少しの間があった後、思い出したように再び口を開いた。
「それってもしかして、近くの住宅街の中にある『角煮公園』の辺りだったりする?」
「ん? あ、ああ……そうだけど、なんで分かった?」
「ヤッパリ? 友達がね、今朝警察をたくさん見たんだって。その近くで」
「……え?」
彰は歩みを止め、司の方を見た。
驚きと不安感の入り混じったその表情に、司は笑いながら彰の二の腕を叩きながら言った。
「ちょっと、何よその表情。いくらなんでも驚き過ぎじゃない?」
ケラケラと笑うと彰に預けていたノートを取り、再び歩き出した。
彰もハッと我に返ったように彼女に続いた。
「いやいや、まさか……警察沙汰になってるとは思わなかったからさ」
「そう? でも……さっきの、フフッあの表情、フフフッ」
どうやら先ほどの彰の表情が彼女にとってはツボであったらしい。彼女は笑いを堪えきれない様子で、口元に手を当て下を向いてクスクスと笑っていた。
小さく体を震わす彼女を見て、彰は次第に先ほどの恐怖心が和らいでいくのを感じた。
先ほどの自身の考えはなんだったのか。穏やかな日常こそが現実ではなかったのか。
ありもしない幼稚な妄想から、あのようなみっともない表情をしてしまったことがひどく恥ずかしく思えた。
そして同時に、そんな妄想のおかげで彼女を笑わすことが出来たのだと、内心嬉しくもあった。
彰はしばらくの間、彼女の楽しげな様子に見とれてしまっていた。
笑いも収まってきた頃、彼女は小さく咳払いをして話を戻した。
「まあでもさ、本当に危ないよ? 事件に巻き込まれるかもしれないし」
「ああ、まあそうかな」
彰は余裕を見せつつ答えた。
「そうよ」
職員室前に着いた彼女はそう言いつつ、持っていたノートを指定の集荷場所に置くと元来た方へと引き返した。
「心配だなー私」
彼女は前を向いたままそう言った。
彰も持っていたノートをドサッと置くと、少し小走りになりながら彼女の後に続いた。
「まあ程々にしておくよ。――つーかさ、前から思ってたんだけど、月森さんはなんでこの噂話に興味あんの?」
「私?」
「結構好きだったり? オカルト話。もしかしてゾンビもの映画が好きとか?」
彰は以前から気になっていたことを、冗談めかしながら聞いた。
「別にそれほど好きってわけでもないかなー。でも、死んじゃった人がみんな生き返ったらハッピーだなって思ったりもするかなー、なんてね」
「ははっ、逆に怖いって。で、本当のとこ教えてよ」
「教えなーい」
彼女は振り向きながら悪戯っぽく笑うと、再び教室へと歩き出した。
教室の近くまで来ると、彼女は用事があるからと手を振った。
彰も「また今度何かあったら教えるよ」と手を軽く上げながら笑った。
「ありがとう。でもさ、さっきも言ったけど、やっぱり行かないほうがいいって。『好奇心は猫をも殺す』なんて言うじゃない?」
「ああ、でもまあ俺は犬派だから」
「どういうこと?」
彰の渾身の冗談に、司は無表情で答えた。流石にふざけ過ぎたかと彰は反省すると同時に、彼女の表情に委縮した。
「いや……すんません」
気が付くと彰は謝っていた。
そんな彰の様子を見てか、司は再び笑いながら言った。
「ところでさ、今度の週末空いてる?」
「週末? まあ、空いてるけど」
「ホント? じゃあその日、どこか遊びに行かない?」
「え?」
「そしたら、その時教えてあげる。なんで噂話に興味があるのか」