第14話 襲撃される自室
「……い……はい、はい。ありがとうございます」
彰は話し声に気付き目を覚ました。
携帯電話の明かりで室内は少し明るかった。見るとベッドの上で怜が電話をしているようである。
彰は上半身を起こして時計を見た。
――朝の三時過ぎか。
怜も彰に気付いたようで、電話を切りながら笑いかけた。
「いいタイミングで起きましたね。では準備を」
「……準備?」
怜はベッドから立ち上がると、ローブのフードを被り手袋をはめながら説明を始めた。
「連絡がありました。数体こちらに向かって飛び立ったそうです。窓から離れて明かりを漏らさず、音を立てぬようにしてください」
「数体って……あの化け物が?」
「少なくてよかったです。一度に全部よこさないのは……警戒しているのか、舐められているのか」
彰の心臓は急激に高鳴り、震えが止まらなくなった。
あの夜出会った化け物が今から自分を殺しに来る。それも以前とは違い、数も多い。
彰は寒さや恐怖、緊張の入り混じった感情から吐きそうになるのを歯を食いしばりながら耐えた。
だが、怜の余裕ともとれる発言から少しだけ安心感は得られた。
彰はすぐさま服を整えると、怜から預かったアンプを持ち、窓から離れた場所にいる彼女の近くで身をかがめた。
そんな彰の様子を見てか怜は小さな声で語りかけた。
「基本的には私がやります。ですが、やはり無理な場合には貴方にも動いてもらうことになります……まあその時はその棒で殴りつけるだけです。その武器の性質上、恐怖に震えて動けない……なんてことにはなりません。闘争本能で支配される。誰にでも仕事ができるようになっていますので」
二人は息を殺してじっと身を伏せていた。
時折遠くから聞こえる車のエンジン音や部屋の時計の秒針の音以外に、時の流れを感じさせるものは何も無かった。
いつまで待てばいいのかも分からぬ中、わずかな異変さえも捉えようと神経を集中させた。
震える体をおさえながら、彰はぐっと棒を握りしめていた。
――コッ、コッ
数十分後、突如として静寂を切るように、窓の方から物音がした。
雨音のようにも聞こえるその音に、彰は自然と窓に目をやった。
特に変わった様子はない。窓からは変わらず月の光が差し込んでいた。
風でゴミでも飛んでぶつかったのだろう。彰はそのまま気にも留めず、視線を戻そうとした。
だがその時、ふと窓から差し込む月の光が揺らいだような気がして彰は再度窓の外を見た。
その瞬間、まるで黒い暗幕が上部から垂れ下がったかのように窓は黒い影で覆われた。
一瞬の思考の停止。そして彰は理解した。
正に今、窓の外にいるではないか、あの化け物どもが。
――コッ、コッ
窓の外、逆さに張り付いたエンジェルのシルエットがわずかに動いた。それは指でガラスをノックしているように見えた。
薄いカーテンが閉められた室内は外よりも暗いため中を覗き見ることが出来ない。そのため、こちらの様子を伺っているのだろうと思われた。
彰は身動き一つせず、窓の外を見つめていた。
正確には、彰はどうすればいいのか分からないでいた。
いつ戦闘を始めればいいのか分からない以上、動くわけにはいかない。相手の位置を探ろうにも、窓に映るのは一体のシルエットだけである。
もしかしたら、このままエンジェル達は撤退してはくれないだろうかと、自分に都合の良い考えさえ浮かんでしまう。
そうこう考えているうちにも、エンジェル達は行動を進めていった。
窓に映るエンジェルは鍵の位置に指を添えると、そっと円を描くように指を滑らせた。
指の描いた軌道に沿って窓は灰へと変化し、円形に切り取られた。
エンジェルは切り取られた穴から指を入れると、ゆっくりと鍵を開け始めた。
エンジェルの能力を考えれば、わざわざ鍵を開ける必要もなく壁を突き破ってくれば良いはずである。どうやら奴らは、襲撃の痕跡をなるべく残さぬように彰達を消したいようであった。
――カチッ
部屋に響いた鍵の開く音。
それを号令としたかのように、怜は窓へと疾走した。
飛びかかると同時に一直線に突き出されたアンプが青い閃光を発し、怯むエンジェルの頭部を窓やカーテンもろとも貫いた。
「ギイイヤァァァァ!」
甲高い絶叫と共に、エンジェルは灰となり霧散した。
全身が全て黒い灰へと化し力なく地面へと舞い散ったことから、そのエンジェルは絶命したのだと分かった。
その断末魔を合図に、戦闘は開始された。
怜はエンジェルを突き刺し窓に刺さったままのそのアンプを素早く右に払った。
青い閃光が窓ガラスを走り、次の瞬間には窓ガラスは木端微塵に粉砕され、舞い散った。
怜はそのまま窓枠に乗ると、外に目をやった。
目線の先には一体のエンジェルが飛んでいた。先ほどの戦闘に恐れを為したのか、怜と目が合うなりエンジェルは一度距離を取ろうと後退した。
怜はその一瞬の怯んだ隙を見逃さなかった。
怜は窓枠を強く蹴り飛びかかると、上体を力強く捻り、アンプを振り下ろしエンジェルを真っ二つにした。
怜はその勢いのまま身体を回転させて着地態勢を取ると、着地の瞬間に閃光を走らせ地面を粉砕し、それらをクッションとして上手く着地した。
真っ二つにされたエンジェルの死骸が灰となって降り注ぐ中、怜はすぐさま目を細めて上空を見た。
三体目、家の上空にいたエンジェルが急降下と同時に右手で掌打を繰り出してきていた。
怜はそれをアンプに左手を添えて受け止めた。
瞬間、青い閃光が辺りに走った。
怜は気合と共にアンプを激しく発光させると、薙ぎ払い、エンジェルを後方へと吹き飛ばした――
その頃一方、怜が一体目のエンジェルを素早く排除する様を見た彰は、アンプを握り歯を食いしばった。
やらなければこちらが殺される。その気持ちに呼応してか、アンプがゆらりと赤い光を放ったように見えた。
思考は次第に戦うことのみに染め上げられていき、それに伴い彰の息は荒くなった。
その時、急激に部屋の中が黒い灰で満たされていった。
灰は窓の反対側、彰の後方の壁に空けられた穴から部屋へと侵入しており、それらは急激に集まったかと思うと二体のエンジェルへと姿を変えた。
二体のエンジェルは彰を威嚇するかのように咆哮した。
だが、それに臆することなく彰は身構えた。
彰の思考は完全に闘争本能に流されており、そしてそれを心地良いとさえ感じていた。
張りつめた緊張の中、両者は睨み合った。彰は左右のエンジェルを交互に睨み付け、隙を見せぬようにした。
敵に触れられれば一瞬で灰にされる。彰は直感でそのことを悟っていた。
だが向こうにしても、この武器の恐ろしさを知っているのだろう。触れたものを一瞬で消し飛ばすことが出来るこの武器を前に、二体のエンジェルも無暗に攻めてきはしなかった。
両者はじりじりと間合いを詰めていった。状況は二対一、加えて彰の武器は一つのみと彰に不利な状況にあった。同時に攻められたらひとたまりもない。
だが幸いなことに、敵もかつては普通の人間であり、昨日今日で集められた烏合の衆ともいえる。
連携がそれほど恐ろしいというわけではないだろうし、もしかしたらエンジェル達も死にたくないとさえ思っているかもしれない。一人が犠牲となってでも彰を仕留めようとする、などという考えは持ち合わせていないと考えられた。
二体のエンジェルの唸り声が聞こえる。いつ飛びかかられてもおかしくない程に間合いは詰まっていた。
彰は睨みを利かせたまま、敵に悟られぬようゆっくりと息を吐いた。
彰は後ろ脚に力を込め地面を蹴り、前へ飛び出そうとした。
しかし次の瞬間、エンジェルは奇声を上げ、二体同時にまっすぐ飛びかかってきた。
先手を取られた彰だったが、怯むことなく左斜め前に踏み込むと右手に持ったアンプを横なぎに振るった。
しかし経験の無さが仇となったのか、彰は恐れから敵との距離を大きく取りすぎていた。
彰の攻撃は浅く、向かって左側のエンジェルの右肩付近を吹き飛ばしたに過ぎなかった。
相手は怯むことなくすぐさま彰に向き直ると、態勢を崩し後ろによろめく彰に対し、残った左腕で大ぶりの掌底を繰り出した。
彰は間一髪のところでアンプを出しそれを受けた。
だが、相手は大きな翼で羽ばたくと、そのまま彰を壁へと叩きつけた。
激しい衝撃に彰の息は止まりそうになった。
彰は歯を食いしばり、尚も強烈な力で押し込もうとする敵を必死に押し返そうとした。
アンプの表面は赤くスパークしている。力は確かに使用しているはずであった。だが、相手の腕を消し去ることが出来なかった。
見ると彰のアンプの表面が、次第に灰と化していくのが分かった。
しかしそれと同時に、アンプを押し込める相手の掌もまたボロボロと崩れ去っていくのが見て取れた。
「力が……上手く使えていないってのか⁉」
相手は尚もお構いなしといった様子で彰を壁際に押し込め続けた。
完全に身動きが取れなくなった彰は、焦りと共に視線を走らせた。
狭い室内を利用し二対一の状況を避けたつもりであったが、それも数秒と持ちはしなかった。
向かって右側にいたエンジェルが、今まさに彰に向かって飛びかかろうとしていた。
このままでは殺される。
その瞬間、脳裏に記憶が蘇った。笑みを浮かべ自身を見下ろす浮浪者。思い出すあの屈辱。そしてなにより、抗いもせず死を覚悟し受け入れようとした自身の愚かさを――
『……注意してくださいね。戻れなくなりますので』
「クソがああああッ!」
彰は雄叫びを上げ、力を一気に放出しアンプを振り切った。
赤い光は炎のように揺らめき、彰の肩まで包み込んでいた。
その攻撃にエンジェルは腕を消し飛ばされ、悲痛な叫び声を上げていた。その後ろで、二体目のエンジェルは放出される赤い光を前にし、飛びかかるのを躊躇していた。
彰はそのまま前に踏み込むと、尚も叫び続けるエンジェルに向かって力強くアンプを振り下ろした。
エンジェルの身体は真っ二つとなり、まるで炎が燃え移ったかのように赤い光で包まれると跡形もなく灰となった。
「飲み……こ……まれては……いけない」
彰は声にならぬ声で自分に言い聞かせるように呟くと、視線を二体目のエンジェルへと向けた。
彰はすぐさま二体目のエンジェルとの間合いを詰めると、上からアンプを振り下ろし叩き斬ろうとした。
だがその攻撃はあまりにも大ぶりすぎた。
武器が当たる直前、エンジェルは自ら身体を縦に分裂させ、灰と変化させることで攻撃を回避した。
そのまま左右に分かれたエンジェルの身体は黒い灰となり、部屋一体を包み込んでいった。
視界を奪われた彰は必死に辺りを見渡した。
余りの視界の悪さに平衡感覚さえも失いかけ、思わずよろめいてしまった。
慌てて足を踏み出し態勢を立て直そうとしたその時、彰の膝はがくりと曲がり、そのまま片膝をつく格好となった。
力を放出しすぎたのか、彰の身体を一気に疲労が襲った。
膝が震えて立ち上がれないことに加え、アンプから発せられていた赤い光も次第に消失していった。
その時を待っていたかのように、背後で灰が集合したちまちエンジェルの上半身が形成されていった。
彰もそれに感付き、すぐさま振り返ろうとした。
だがしかし、距離を取ろうにも体が動かない。彰の背後を取ったエンジェルはニヤリと笑みを浮かべると、彰の背中目掛けて攻撃を繰り出そうとしていた――
次の瞬間、彰の前方、窓の外から激しい青い光が発せられた。
一閃の青い光がエンジェルの頭部を貫いたのも束の間、瞬く間にエンジェルの頭部は破裂し、その全身は灰へと化していった。
「いやぁ、すごいですね」
声のする方へ視線を向けると、怜が拍手をしながらこちらへ向かって来ていた。




