第12話 彼女との帰路
「疲れた……」
新聞架に架かっていた数日分の新聞にザッと目を通しただけで彰は既に休憩に入っていた。先ほど届いた友人からのメールを確認するために携帯を開き、椅子にもたれ掛ってだらけていた。
新聞の横にチラリと目をやると自分で持ってきた数冊の新聞縮刷版が置かれていた。自分で持ってきてなんだが、これらに目を通すには数日は掛かるだろうと思った。
メールの差出人は逢斗であった。
「帰りにゲーセン行こうぜ――か。そんな気分にはなれねえよなぁ……」
メールを確認し終えると手短に断りの返信をして携帯をポケットにしまい、背もたれに体重をかけてぐっと伸びをした。
「何してるの?」
ふと彰が目を開けると微笑む司の顔が目に入った。
彰は慌てて伸びを止め、机に膝をぶつけながらも平静を装って司の方へと向き直った。その様子に司は思わず笑い声を漏らした。
「驚かせちゃったね。新聞をたくさん読んでいるようだけど、何か探し物?」
楽しげな彼女につられて、彰も笑顔を浮かべ膝をさすりながら答えた。
「まあ……ちょっとね」
最近の失踪事件について調べているとは彼女には言わないでおくことにした。
以前彼女と交わした『もう夜遊びはしない』という約束のこともあったが、何よりももし彼女が事件に巻き込まれでもしたら大変だという配慮からのことであった。
彰の考えを知ってか知らずか彼女はさして気にも留めない様子で「ふーん」と相槌を打ち、別の話題を切り出してきた。
「最近、物騒な話題をよく耳にするのよね」
その言葉を聞き、彰の頬はピクリと反応した。
話題を変えることに成功したという安堵感から、虚を衝かれた格好となってしまった。
「私、本当に恐くって。最初は『亡くなった人が生き返る』って……そういう話だったから私も興味を持ったのに。どうしてこうなっちゃったんだろう……」
彰は顔を上げて彼女を見た。彼女の表情からは笑顔が消えており、どこか怯えているように思われた。
彼女も彰と同様、面白半分で噂話に興味を持っていた人間である。だからこそ、関わってしまった人間として噂話にある失踪事件や復讐劇といったものが自身の身に降りかかるのではないかと、そう怯えているのだと彰は思った。
――もしかしたら、彼女は自分の両親を生き返らせたかったのだろうか……
同時に彰の脳裏にはそのような疑問が浮かんでいた。
「まあ大丈夫だろ。ただの噂話だよ」
彰は彼女を元気づけるべく明るく続けた。
「それにほら。噂じゃあ復讐がメインの話ばっかりだろ? 月森さんは恨まれるような人間じゃないって」
彰の言葉が功を奏したのか彼女は微かに笑顔を取り戻したようであった。
「ありがと。励ますの上手いね」
「そうか? だといいんだけど」
「そうだよ。すごいね」
彼女に笑顔で褒められた彰は、少し照れながら頭をかいた。
「そういえば、月森さんは何しにここへ?」
「私? 私は図書委員のお仕事があるからね。今日は放課後も遅くまで分担があるの」
「へえ。クラス委員長だけでなくそんなことまで」
「もしよかったら……放課後も調べ物をしてるなら、一緒に帰ってくれない?」
彼女の唐突な申し出に彰は面食らったが、夜中に一人で帰るのは怖いのだろうと了承した。
帰り道が同じという訳でもなかったが、内心女の子と一緒に下校をすることへの憧れもあったことに加え、彰は彼女に対し憐みの気持ちを抱いていたという理由があった。
もしも彼女が両親を生き返らせようとしていたのなら、それは叶わぬ願いなのだと彰は知っていた。昨夜見た浮浪者のように蘇るのは綺麗な人間としてではなく、外見も何もかも変わってしまった化け物としてでしかないのだと彰は身をもって体験していたからである。
彼女が嬉しそうに礼を言ったその後、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。
慌てて新聞を片づけようとする彰を見て、司はくすくすと笑いながらそれを手伝った。
〇
放課後も彰は図書館で新聞記事に目を通していた。
確かに失踪事件がいくつか目についたが、結局どのような情報を得られれば事件を解決に導けるのかもハッキリとしないまま目を通していたため、これといって手ごたえを感じることはなかった。
彰は司書に確認をとり、関連のありそうな記事を携帯のカメラで撮影だけして新聞を片づけていった。
十二月ということもあり既に外は真っ暗になっていた。新聞を片づけ終わった彰は、新聞縮小版の貸出し申請をして家で読むことにした。
ちょうど帰る準備ができたころ、下校時刻となり司も仕事を終えたようであった。
「おまたせ。今日は本当にありがとうね」
「ああ、いいよいいよ。どうせ帰っても暇だから」
「じゃあ、行こっか」
二人して校門へと向かうと、意外にも生徒が疎らに見受けられた。
部活終わりの生徒は下校時刻厳密に守らなければペナルティを受けかねないということもあるため、下校時刻過ぎには生徒は残っていないだろうと考えていたのである。
残って勉強でもしていたのだろうかと彰は内心生徒たちの熱意に感心した。
皆が皆マフラーで顔の下半分を覆うようにして寒そうに歩いている光景ではあったが、いつも一人で帰る時とは違い、彰はあまり陰鬱な気分にはならなかった。
疎らな人影に交じって、二人は司の利用する駅へと向かって歩いた。
話す内容は授業のことや進路のこと、テレビの話など他愛のないものであった。
噂話に関する話をするのはどうかと彰は考えていたが、どの道話題を振ったり歩幅を合わせたり、車道側を歩いたりといった決まり事を思い出すので彰の頭は一杯であり、その話題を切り出すタイミングなど計れやしなかった。
駅の近くまで来ると、道幅も広くなり人も多くなっていた。
二人は交通量の多い高架下道路の近くを歩いていた。
その時、不意に遠くの方からバイクのエンジン音が一体に鳴り響いた。どうやら最近再び現れた暴走族のエンジン音らしく、連続した爆発音としか思えぬその音に二人は思わず会話を止めた。
やがて爆音に交じってエンジン音によるコールが聞こえるようになると、周囲の人々の中には耳を押さえ迷惑そうな表情をする人々が目につくようになった。
爆音が辺り一帯に響き渡ると、二人乗りのバイク数台が二人の前の道路を、車線を跨いで蛇行しながら通り過ぎて行った。
彰はその様子を横目で追いながら、やがてバイクが視界から消えるのを見て口を開いた。
「いやあ、最近また出るようになったみたい――」
司の方へと視線を移しながらそう言いかけたところで、彰は思わず口をつぐんだ。
彼女は暴走族が向かった方角を、瞬きもせずじっと見つめていた。
彼女のその目は、まるでくだらないものでも見るかのように冷たい目をしているように見えた。普段のにこやかな彼女とのギャップに戸惑う彰を前に、ハッと我に返ったかのように司はいつもの笑顔で答えた。
「なんであんなに大きな音を出したいんだろうね?」
「え? ああ……なんでだろう」
「変だよねー」
彼女はそう言うと再び駅へと歩き始めたので、彰もそれに続いた。
その後は二人して歩きながらも、しばらく会話は無かった。
周囲の人々の会話に耳を傾けると、数人の人々は先ほどの暴走族に関する話をしていることが分かった。
中には冗談混じりながらも彼らの死を望む会話が聞こえてきた。それらを聞きながら、彰の心の中にふとした考えが浮かんできた。
――もし俺があの浮浪者のような境遇にいたならば、俺はあの化け物を救いの存在だと思うんじゃないか?
「――ねえってば」
司の問いかけに、彰ははっと我に返り聞き返した。
「え? ああ悪い。ぼーっとしてた」
彼女はしょうがないなあといった表情で微笑み答えた。
「今日はありがと。もうこの辺で大丈夫」
「ああ……じゃあ気をつけて」
「ありがと。バイバイ」
彼女は笑顔で小さく手を振ると駅の方へと小走りで向かっていった。
彰は彼女の姿が駅構内へと消えていくのを見送った後、携帯を取り出し電話をかけた。
「もしもし……ああ今日は急にありがとうございます。帰りもお願いします」
彰は電話を耳元に当てながら周囲を見回した。
するとどこにいたのか、同じく電話を耳元に当てた怜が柱の陰からすっと現れた。
怜は携帯をしまうと彰の方に歩いてきた。少し遅れて、彰も怜の姿に気が付き携帯をしまった。
「本当に上手いもんですね。姿を隠すのが」
「まあ……仕事ですので」
彰は昼休み後、怜に周囲の警護をお願いするメールを送っていた。
その依頼を受けた怜が下校時から先ほどまで、物陰に姿を隠して二人とその周囲を警戒していたのであった。
「何か怪しい動きなんかはありましたか?」
「まあ……特にありませんね」
彰は安堵のため息を一つつくと「じゃあ帰りましょうか」と来た道を引き返すべく振り返った。
暴走族に遭遇した後から、どこか気分が落ち込んでいた彰は、今になって駅前がクリスマスムードに染まりつつあることに気が付いた。
周囲の街路樹に電飾などはまだなかったが、張り出されている広告はクリスマスを意識した内容となっていた他、作業着を着た数人の業者によって大きなツリーのオブジェにデコレーションが施されているところであった。
どうにも気乗りしない彰はこれといった感想を抱かぬまま上方を見上げた。
とうに夜中だというのに、オフィスのブラインドからは蛍光灯の明かりが漏れていた。
それらの光は、埃にまみれたアルミサッシやヒビの入ったコンクリートの外壁を照らし出しており、彰にはそれがひどく汚らしく思えた。
その時、彰の携帯がメールの着信を知らせた。携帯を確認すると、それは逢斗からのメールであった。
「逢斗か。ええっと――『お前月森さんと付き合ってんの?』ってなんだこれ?」
どうやら司と一緒にいたところを逢斗に見られたらしく、内容は彰を茶化すようなものであった。
彰は笑いながらそれを否定するメールを送ると、周囲を軽く見回した。
意外にも、彰はすんなりと逢斗の姿を見つけることが出来た。逢斗は駅隣のビルの二階にあるカフェからガラス越しに手を振っていた。
彰は逢斗の方へと小さく手を振ると、そのまま帰路に着いた。




