僧と鬼の国
旅をする僧がいた。
あるとき、遠い東の彼方に鬼の国があると噂で聞いた。僧は、仏法の光を届かせんと、無明の闇に囚われているという鬼たちの元へ、はるばる向かうことを決心した。
いくつかの山といくつかの海を越え、僧は鬼の国の入り口に辿り着いた。
門には鬼が一匹立っている。
「通してくれ」
僧は鬼に言った。鬼は面倒くさそうに答えた。
「いいだろう。だが、ここは鬼の国。お前のような仏の使いが来るところではない。泥中の蓮にでもなったつもりか。釈迦も如来も観音も、等しく殺され奪われよう。この国の鬼たちはお前の説法には聞く耳を持たぬ。帰った方が身のためだ」
門番の鬼の言葉に、僧は笑った。
「ずいぶんと話のわかる鬼もいたものだ。それならば説法も容易だろう」
「殺されても知らぬぞ」
鬼は僧を通した。僧は鬼の国へと入った。
二月三月は経っただろうか。僧は入り口に戻ってきた。
門番の鬼は驚いた。
「どうして生きている? 仏の話など、通じる鬼たちではないというのに」
鬼の問いに、僧は苦笑して答えた。
「どうやら、この国の民は仏がなんたるかすら知らぬらしい。私の唱える念仏を、呪いの言葉と思ったか、誰も彼も近寄ってこなんだ。悪は善を憎むのではなく、悪は善を悪と思うらしい。より大きな悪を私に見たのか、終いには私を畏れ、食べ物をよこしてきた。この国の闇は無知であるところから来ていると知ったよ。仏が心にあっても、それを知らぬ者たちがいる。仏法を呪詛と間違うほどに、彼らの眼は暗いのだ」
「……さもありなん」
門にいた鬼は改心し、僧に付き従うこととなった。