蜂さん蜂さん、どこですか?
そろそろ陽も暮れるという時刻にキノコはグズル村の海岸に帰ってきた。
そうして、シャピ達に"待っていてほしい"と言って、驚くべき速さで走り去ってしまう。
何がなんだかわからない一同は、キノコに同伴していた海蛇を問いただす事にした。
『うーんとねー。『海蜂』の子供が誘拐されたらしくてー、だから『海蜂』は怒っていてねー?キノコは手がかりをもとに誘拐犯を探してくるってー』
「…蛇…そんな時はキノコをとめて…」
「そ、そうですっ。行き場所もわからないなんて…何があるかわからないのにっ」
『止めたよー?止めるに決まってるでしょー?でもキノコがー、『お母さんと離れ離れになるのは可哀相』だって言ってー』
シャピとタンポポに責められ、自分なりに頑張ったんだと弁明する海蛇を、アーゼスは溜め息と共に庇った。
「…キノコは、家族とか母親とかに思い入れがあるみたいだから、仕方ないんじゃないか?…何処に行ったって、キノコなら大抵の事は平気だろ?」
「……そんなの知ってる……」
「……」
『じい様もぶっ飛ばしたキノコだからねー、そこは安心じゃないー?それよりもー『女王蜂』がグズル村に誘拐について説明しろって言っててねー』
明朝、グズル村の代表を巣まで連れて来いと言われたと海蛇は説明する。
「……誘拐犯が人間なら…グズル村は不利ですね…」
『でしょー?それもあって、キノコは朝までにできる限りの情報を集めてくるってー』
「なら、俺達はババ様にこのことを相談しておかなきゃならないんじゃないか?」
ぽつぽつと明かりが灯り始めたグズル村を眺めてのアーゼスの発言に、暗くなる前にと一同は移動を開始した。
◇◇◇
草原を駆けながらキノコは『臭気追跡』を発動させる。
追うのは誘拐犯の残したであろう"髪の毛"の臭い。
『海蜂』の巣にあるはずのない人間の"髪の毛"を『女王蜂』は誘拐の証拠として提示してきたのだ。
グズル村の人間は岩島の中まで入って来ないので、ならば何者かが不法侵入したという決定的な証拠だと『女王蜂』は激怒していた。
《『女王蜂』が怒るのは当たり前だな。無法者が来ないように対処するのはグズル村の責任だったはずだ。それを裏切ったんだから》
(で、でも、グズル村には戦う力がないから…)
《だからこそ、だ。だからこそ無法者が来たり探ったりしないよう手を打っておくべきだった。…いや、打ってはいたんだろうな。それをかい潜った犯人達が優秀だったといえばそれまでだが、それでも陸地の者が犯人なら、グズル村に非がある》
(……)
キノコは『女王蜂』が話した内容を思い出していた。
『女王蜂』は春と秋に卵を産む。
卵から孵った『海蜂』は一週間ほど『女王蜂』と暮らし、その後それぞれ適した役職に就くのだという。
この出産と孵化を含む数週間はグズル村とも必要最小限しか交流はせず、『海蜂』総出で赤子の世話に明け暮れるのだ。
赤子たちが明日には仕事に出ることになり、大人達が徐々にいつもの仕事に戻り始めたため、警備が緩んだほんの隙間に『人間』が侵入してきたのだという。
この隙間の期日を狙って来たのも、グズル村の手引きがあったからだと『女王蜂』は疑っていた。
出産は春と秋、けれど決まった日取りがあるわけでなく、毎年『女王蜂』の体調により前後する。
その日をグズル村の者ならおおよそ逆算出来るだろうというのだ。
そうして犯人は『魔法』を使った。
正確には『魔法』の込められた『魔法具』を使用した。
『人間』を追い出そうとした『海蜂』が魔法によって操られ、仲間同士で争い出した隙に赤子達は拐われてしまったのだ。
連れ去られた赤子は17匹。
昆虫モンスターは数十単位で子供を産むのでたいした事のない数だと思うかも知れないが、『女王蜂』には全てが愛しい子供なのだ。
取り返さなければならない。
『女王蜂』はすぐさま追っ手を差し向けたが、内陸部があまり得意ではない『海蜂』では捜索にも限度があり、『人間』であるグズル村を信用することも出来ないので頼れず八方塞がりになっていたのだという。
(本当に悪いのは誘拐犯です。明日までに犯人に繋がる証拠を持っていけば、"それ"がグズル村と無関係なら、グズル村の人間は信じてもいいって女王様言ってくれましたしっ)
《…だから走ってるんだよなー、ヘタレは。……しかし、なんでその証拠集めをお前がするのか、はなはだ疑問なんだがね、俺は》
(だってっ…!)
なだらかな丘陵地帯に入ったキノコの足は、丘を登るのではなく飛び越えて駆け続ける。
一段と高い丘の頂きから空に向かって飛び、そのまま弧を描いて谷を超えた身体は岩地に着地した。
着地の衝撃で少しばかり陥没した地面を残して、そこから更にキノコは加速する。
(だってっ!女王様も赤ちゃんも可哀相ですっ!)
母親と引き離される痛みをキノコは知っている。
その痛みを自分だけが知っているのは不公平だと、『海蜂』の事件をいい気味だと嗤う考えはキノコにはない。
自分が動く事によって少しでも事態が好転するなら、赤になんといわれようとキノコはとまるつもりはなかった。
現に赤が何かいう前に海岸を走り去っていたのだから、赤としてもいまさら何を言っても聞く事はないだろうと諦めていた。
それに赤に唯々諾々と従うのではなく、反発してでも自分の意見を通すのは成長の証であり、強くなっている証拠だ。
『樹之護法』が消えたことで、戦闘や危険時に心を守る者がいなくなりどうするかと考えてはいたが、この調子なら大丈夫かもしれないと赤は頬を上げた。
《まぁ、『母子』問題だからお前が異常反応しても仕方ないけど…。それで?『人間』『誘拐』ときてお前が連想したのは『奴隷市』だったな?》
(はい。『海蜂』さんは亜人じゃないけど、見世物?とかなら需要があるんじゃないかと…)
《可能性は高いな。"殺し合い"ってのに出したり…『隷属』の魔法で使役したり…。赤子なら調教次第でどうとでも成長させられるし、モンスター相手なら"殺し合い"も盛り上がるし…。ああ、それで決まりなんじゃないか?》
赤も納得したようだが、"髪の毛"の臭いは『奴隷市』の開かれる『港街ソレッグ』ではなく、反対の南東に繋がっている。
『港街ソレッグ』から離れていく"犯人"の臭いにキノコは首を傾げた。
《誘拐が本当に『本祭』の為だったとしても、まだ始まってもいないうちから街にモンスターを運び込みはしないだろう。おそらく祭まで監禁してるんじゃないか?》
(…それか、もうソレッグに運んで誘拐犯人さんはお役御免になったとか…)
鼻をひくつかせながらキノコは眉根を寄せる。
臭いの先から濃厚なモンスターの臭いがするのだ。
『海蜂』の臭いも微かにするが、嗅いだことのない臭いの方が圧倒的に多いと赤に伝えると、彼も眉間にシワを作った。
《…『人間』がいて『海蜂』がいて『モンスター』がいる……?どういう事だ?モンスターに襲われている…モンスターは使役している…モンスターも誘拐してきた…モンスター収集家………うーん?…》
(なんですか最後の収集家って?)
《いるんだよ、なんにでもマニアってのが。まぁ行ってみなけりゃわからないが…。えっーと、ここはどの辺だ?》
気付けば岩と土ばかりの荒れ地をキノコは駆けている。
臭いまではあと少しというところだろうか。
この時キノコは馬車でも四日かかる距離を30分足らずで駆け抜けていた。
街道からもかなり外れた、かつては森だったであろう荒れ地を進めば、やがて古い建物が乱立する場所が見えてきた。
古いというより、打ち捨てられた感がある建物は雨風に晒され過ぎてボロボロで、何となく"家"だったのであろう骨組みが残っているものばかりだった。
それでも明らかな人工物に『犯人』が近いのだろうと、キノコはスピードを緩め始めた。
陽が沈み星が輝きだしていたが幸い月が出ていないので、廃墟は真っ暗な闇に沈んで見え、忍び寄るには最適だった。
音もなく崩れた壁に近寄り、キノコは廃墟群の様子を窺う。
もちろんキノコには闇夜など関係なく全てが見える。
『魔女の掌』では星明かりなんて当たり前になく、窒息しそうな閉鎖感がある暗闇を戦闘狂と駆け回っていたのだ。
それに比べたらなんて事もない。
石と木材で出来た建物は殆どが崩れていて、中には作りかけで止めたような物もある。
砂と岩ばかりで緑がない地面には、錆びた生活器具や大工道具、乾いて軋んだ荷車などが散らばっている。
建物の数と広さから、かつては村だったのだろうと赤が言う。
(…人間の臭いは…しますね。…村の真ん中…あたりかな?)
《ヘタレ、そこの地面、見てみろ》
赤がいう場所には特に目立つ物などなかった。
けれど身を低くして地面と視線を平行に近づけ、アーゼスから教わった"探り方"をすると、なるほど"車輪"の轍が見てとれた。
それも新しい轍跡だ。
車輪の間には馬蹄の跡もあるので、馬車だろう。
《…ヘボ勇者に習った事が活かされる日がこようとは…。役に立つからいいけどよ…》
(ヘボって…。………それにしても馬車でこんな廃墟に来るなんて…)
《ああ、『海蜂』を連れてきたのかもな》
だが相変わらず『海蜂』より他のモンスターの臭いの方が強い。
残り香と言ってもいいくらいなので、既に別の場所に移動させられているかも知れない。
それらの臭いも村の中心からするので、キノコはとりあえずそこに向かう事にした。
廃墟を風が通り過ぎると、建物の隙間から泣き声のような音がして不気味だ。
明かりのない中を進むと、どうやら村の中心部である広場的な場所に出た。
古い井戸を囲むように停車している馬車。
馬車や井戸の淵に置いてあるランタンが微かに明かりを生み出し、ぼんやりとそこだけが闇に浮かびあがっていた。
ヒューヒューと吹く風に揺れたランタンが明かりをゆらゆら揺らし、それで見えた範囲の地面には焚火の跡と食事をした形跡、それに何か動物の骨らしき物も散乱していた。
《……?ん?あの骨、馬のものじゃないか?》
(馬?馬車の馬ですか?)
確かに馬車の先頭には馬が繋がれていないが、まさか食べたのだろうかとキノコは首を傾げる。
馬という移動手段を断ち、こんな廃墟で何をしているのかと不思議に思う。
出来ない事はないがここから街道まで戻るのは大変だ。
住んでいるならそれでいいが、普通の人間に住めるような場所とも思えない。
もう一度首を傾げた時、井戸の中からガタガタと音が響いてきた。
物陰から井戸を遠巻きに見ていたキノコは慌てて頭を引っ込めた。
少しだけ顔を出して窺えば、井戸から人間の男達がぞろぞろと出てくるではないか。
その中に"髪の毛"の持ち主もいた。
全員が出てきたのか、最後の男が井戸から縄梯子を引っ張り上げているのが見える。
男達は人間であったが、皆が皆『モンスター』と『海蜂』の臭いをこびりつかせている。
どうやら全員『誘拐犯』ということらしい。
《枯れ井戸の奥に何かあるんだな…。『海蜂』もそこか?》
(……赤様…。あの人間達のステータス、可笑しいです。『魅了』って出てますよ?)
《はぁー?…って事は、なんだ?"操られてる"のか、あいつら》
『魅了』はいわば誰でも"恋の虜"にしてしまう精神異常の事だ。
その状態になると『魅了』を用いた者に絶対服従となり、しかも『従属』とは違い本人の意思すらなくなってしまう。
井戸から出てきて黙々と荷物を漁っている男達は自分の"意思"ではなく、"誰かに命令"されて動いていることになる。
《ってことは…『黒幕』は他にいるってことか?》
(『黒幕』、ですか?誰でしょう?)
《うーん……。ま、とりあえず男共を潰していろいろと聞けば済むだろ。レベルは…平均で30ね。はい楽勝楽勝っ》
赤の言う通り、10人ほどの男達はそこまで強いわくではなく、万一強くとも"レベル異常"ともいうべきキノコの相手ではない。
キノコはわざと足音を立てて広場に近づいた。
当然男達は勢いよく振り向き、『魅了』故にボンヤリした顔でキノコを眺めて来る。
キノコは明かりがなんとか届いている範囲まで近寄り出来るだけ刺激しないように声をかけた。
戦闘になってもキノコの圧勝だが、別にケンカをしたいわけではなし、まずは話し合いだと考えたからだ。
男達は無表情ながら各々手にした武器を威嚇っぽくちらつかせてくる。
「こんにちは、『誘拐犯』の皆さん。僕、『海蜂』の赤ちゃんの行方を探しているんですけど…」
『海蜂』と言った辺りで男達は大きく震えた。
ブルリと一回、大きく。
そうしてキノコが『教えてくれませんか?』と言おうとしたその時、武器を振るったのだ。
キノコにではなく、"自分自身の体"に向けて。
「っ!?」
《は?》
ナイフや剣、果ては包丁やフォーク等の尖った物を、自分で自分に突き立てる男達。
一度で首を切り上げて倒れる男。
ナイフを口の中に突き刺し血を吹く男。
自分の胸を刺し、足らないとばかりに井戸の固い石に頭を打ち付け、動かなくなる男。
隣の男の顔にフォークを何度も突き刺し殺し、その相手から心臓を一突きされ絶命する男。
ドスッドカッ…ザシュザシュッ…ガンガン…ドスドスドスドス…… ドサリッ…。
無表情な男達がいきなり行った集団自決は、キノコと赤を呆然とさせた。
カランカランとナイフが死体から転がり落ちる。
血溜まりにボチャンと死体が落ちる。
ヒュウと風が吹いてランタンを揺らし、光と影を揺らしながら死体達を照らしている。
「……っ!…あ、なっ、なにをっ?!」
我に返ったキノコが"髪の毛"の持ち主に駆け寄り血だらけの顔を覗き込むと、辛うじて生きていて、痛みで意識が戻ったのか不思議そうな顔をしていた。
「なんでこんな事したんですかっ!?ああ、死んじゃうっ…!」
夢から覚めたように瞳を瞬かせた男こそ『なんで?何が起きたの?』とでもいいたげな顔をしながら、息を吸おうとして血を吐き、動かなくなった。
《……これは『魅了』で命令されてたな…。何かあったら"死ね"って…》
ヒュウと風が吹く。
むせ返るような血臭が風に乗り、死んだ男達に砂を撒き散らす。
(…そ、それは……僕が話かけなければ、この人達は死ななかった?…て事ですか?)
《…そうかもしれないし、違うかもしれない。悪いのは『黒幕』、だろ?お前が落ち込む必要はないからな?》
(……っ……そうですね…)
それでもキノコは得体の知れない不快感に苛まれた。
『海蜂』を誘拐した『犯人』に最初は憤っていた。
けれど『犯人』は操られていて、自害するよう仕向けられていた。
向かう場所のない"怒り"がキノコの中で渦巻いていくのを、赤は感慨深く見守っていた。
こういう理不尽に対する"怒り"は消化がしにくく、キノコはよく喰われかけていたものだが、どうやら"付き合い"方を学んだようである。
"心力"が増えた事による影響か、心の隅に小さく小さく寄せて隠す術を知ったようだった。
ただ、隠しただけで消えてはいないが。
そんなモノからは気を逸らすしかない。
赤は井戸の事を調べるようにキノコに伝えた。
《どう考えても怪しいからな。降りられそうなら降りてみるか…》
言われたキノコが井戸を覗くと、ランタンの明かりが届かない暗闇が底知れず伸びている。
男達が出てきたということは、何処かには繋がっているのだろう。
男達が使っていた縄梯子を使えば降りられるだろうと覗いていた顔を上げると、井戸の反対側に気配を感じたのでキノコは目を凝らしてそこを見た。
『蟻』がいた。
普通よりやや大きい『蟻』がじっとキノコを見ていた。
(……あ、赤様……)
《…ああ、普通の『蟻』じゃない…な》
赤が断言した途端、『蟻』は喋りだした。
『……きゃーっんっ!やだー!カッワイイー!!』
死体が転がる廃墟に似つかわしくない、妙に甲高い"少女"の声で。
(…………)
《……………あっ?》
赤の不機嫌な声を掻き消すように、『蟻』はぺらぺら喋り続ける。
『えっー!何なにぃ?美少年?美少年だよね?だよね?決めた、美少年ですよ君はっ!やだー嬉しいぃっ!むさいオッサンばっかりだったからぁ、私すごく寂しかったんだよぉ?もう、ヒロインを迎えにくるならもっと早く来てくれなきゃぁ。泣いちゃうぞぉ?』
(…………)
《……ああっ!?》
『うん、でも許してあげるぅ!ヒロインだしね、私っ!私にピッタリの美少年だ・か・ら、特別だよぉ?きゃーっんっ!早く来て来てっ、王子様ぁんっ!井戸を降りたら私のお城だから、すぐ来てぇん?あんまり待たせたらぁ、泣いちゃうぞぉ?』
(………………)
《…はあっっ?!?!》
『あ、でもでもぉ、ヒロインに逢うにはやっぱり試練は必要だよねぇ?ちょっと妨害しちゃうけどぉ、王子様なら大丈夫ぅ!ヒロインへの愛はすべてに勝つんだよねぇっ!アァーン素敵っ。待ってるからねぇ、お・う・じ・さ・ま!きゃーっんっ!恥ずかしいぃぃー』
(…………)
《……よし、殺しに行こうっ》
(……はい)
場にそぐわない声は明らかに『黒幕』のような発言をしていた。
雰囲気にしたら"やたらに桃色脳内お花畑"な声を追いかけ、キノコは井戸を降りる事にする。
井戸の底は暗い暗い、迷路のような『蟻の巣』。
人はそこを"ランクAダンジョン"、『埋められた歴史』と記す。
いわゆる『勘違いヒロイン』ちゃんが登場ですよ!




