ダンジョンにいこう ~ノロルの異変・1~
 
 
 
木々が乱立する森に可笑しな事態が起きていた。
それほど広いわけではないが、さりとて迷う程度には鬱蒼としている森は何時もなら野生動物が頻繁に行き来している。
木を渡る栗鼠、茂みを走る狐、様子を伺う兎、ゆったり歩く熊。
ところが今日はそのどれもが息を潜め、気配を殺して巣から出ないようにしていた。
何時もの静寂とは違う緊迫した空気が森に漂っているからだ。
その静かな森を走る音が響く。
風を切り息を荒げ、複数で固まって走る獣。
殺伐とした空気を垂れ流し殺気を撒き散らし、駆ける四本脚の一団。
猛烈なスピードで走りながらも障害物である木を避け岩を跳び撥ね、止まらず進む。
灰色の狼に見えるが、頭や脚の要所を鱗で固めた彼らは『グラネカラ』。
狼より大きい体と竜の血を汲むモンスター。
大柄な上に集団なこれらが森を走り回っているお陰で、動物達は縮こまって隠れている事態になっている。
…-ウォォーーオン…
狼の機敏性と竜の体力を持つグラネカラは疲れ知らずに走り続けていたが、聞こえてきた遠吠えに先頭のグラネカラが走行を緩めた。
「…ウォンッ!」
「オンッ」
「ウォーンッ!」
先頭が一声鳴くと、次々に応えた後続のグラネカラが四方八方に散っていく。
遠吠えの合図を聞いた先頭が何かしらの指示を出したらしい。
一匹となった先頭グラネカラはまたスピードを上げて前進を開始する。
鬣のような灰色の毛が風に流されていく。
強靭な後ろ脚が地面を叩き更にスピードを上げようとした、その時。
『何処に、行く?』
毛が逆立つような気配がグラネカラの横にいきなり表れた。
驚きに縺れそうになった脚を必死で持ち直してグラネカラは今まで以上に速度を上げた。
振り切ろうと、振り切らなければと、振り切る為に。
この命の危機を感じさせる"気配"から逃げるために。
『撹乱、無意味。逃走、無意味。無駄』
なのに、離れたいのに引き離したいのにピッタリついて来る声に心臓が震えた。
『返答しろ。"グラネカラの長"は何処だ。居場所は?』
グラネカラは強い。
狼で竜で、速くて力があって、ただの獣や魔物よりも賢い。
その賢さが今は恨めしい。
この気配の持ち主が望んでいるモノを差し出せば助かると、グラネカラは理解してしまった。
そして助かる為にはそれが一番だと分かる賢さがグラネカラを卑怯者にした。
『了解。山頂。理解。協力ご苦労』
遠ざかって行く"気配"にグラネカラは安堵した。
助かる代償に自分は仲間を売った。裏切ったお陰で息がつける。
自分が助かる為に卑怯者になり、生き延びて息ができる。
しかしその息は。
卑怯者の生きる呼吸は。
とても、苦しかった。
 
◇◇◇
「…あれー?」
『ノロル山』の裾野に広がる『ノロルへの道』という森に入ってみると、なんだか可笑しな違和感があります。
「……どうかした?キノコ……」
「えっーと、なんというか……。生き物の気配が少ない?のかな?」
なかなか立派な木々が生えた過ごしやすそうな森なのですが、そのわりには動物達の気配が少ないようです。
「……確かに静か過ぎる気もしますね」
森での狩りが日課になりつつあるタンポポさんも、キョロキョロと首を巡らして僕に同意してくれました。
「何か、暴れたのかもしれないな。ほら、ここ、土が抉れて走った跡がある。足跡からして四つ脚で複数。木を倒すような走りはしてないから…狼かな?そのせいで動物達は引きこもったか逃げ出したんじゃないかな?」
しゃがみ込んで地面を検分していた勇者さんがそんな事を言ってきたのでビックリしました。
「…っ、え?なんだよ、その顔…」
「なんだよ、は僕のセリフですよっ。勇者さん、なんでそんなことが分かるんですかっ!?」
「なんでって…。俺の住んでた村は森も山も近くにあって、農作物が獣の被害に合うのなんてしょっちゅうで…。だから罠とか狩りとかしてたから、色々と詳しくはなったけど…」
サラっと言ってますけど、それ、凄くないですか?
森だけあって、地面は草や枯れ葉なんかでぐちゃぐちゃなのに、どうやって足跡を見つけてるのかサッパリ分かりません。
僕達の中では一番ダメな感じだった勇者さんが、実はスゴイ能力を持っていたなんて…。
複雑です。
タンポポさんもシャピ様も師匠も、複雑そうに勇者さんを見ています。
「だ、だからなんだよっ!なんでそんな目で見るんだよっ!」
「うぇっ?ああ、すみませんっ。勇者さんが意外にも役に立つ人なのでビックリしまして……」
「役に立つっていっても、こんなの戦いに関係ない……」
「そうですか?今は戦う為に森を進んでいるんですよ?それで場所の異変を読み取るなんて、立派に戦う術ですよっ」
森の生物に悪影響を出さないため、ナイフから姿を現さずに師匠も続きます。
【…騎士や戦士が何時でも剣を振るっていると思うか?…平時に役立たずな者など戦場でしか生きられぬ…。土を耕し山に分け入る特技を持つ方が余程立派だろう?】
「立派?…そう、だろうか……。まぁ、便利かもしれないけど…」
勇者さんは自分に自信が無さ過ぎるせいなのか、誉めて貰っても釈然としない顔をしてます。
【…便利、それを齎す事がどれだけスゴイのか…。まだ…小僧には分からんか…】
あ、出来の悪い子に対するような感じで溜息をつく師匠に、勇者さんが気まずくなってますね。
《お前や鬼姫、人間の毒姫よりも弱いせいで卑屈になってるんだろうな。しかも、今のは実戦的な能力じゃない、どうしたって地味目だ。『勇者』や『騎士』には似つかわしく無いとでも思ってるんじゃないか?》
確かに剣技とかに比べたら地味でしょうけど、あって困る能力でもないですよね?
師匠の言うように、生きていくための立派な能力じゃないでしょうか?
《ま、それを教えるのは騎士の役目だろうから放っておけ。それよりグラネカラを探すんだろ?勇者が『狼が暴れた』って言ってたが、それじゃないか?》
ああ、そういえば!
「勇者さん、狼が暴れたって本当ですか?」
「っえ?…あ、ああ。確実じゃないが、少なくとも走る事が得意な動物が駆けた跡があるから…」
「じゃ、それがグラネカラかもしれませんよね?足跡を追えば見つけられますか?」
「…いや、難しいな。複数で色々な方向に走ったり、同じ場所を走ったりしている。何処に向かったのか分からなくしているな、これ」
姿勢を低くして地面を撫でるように探りながら勇者さんは教えてくれます。
僕も真似してみましたが……うん、全然分かりませんね。
やっぱりスゴイですよ勇者さん。
勇者さんが地面につけられた足跡を、分かりやすく教えてくれましたが、分かりません。無理です。穴にしか見えません。
あ、でも臭いは分かります。
土と草、それに混じった獣の臭いがします、この足跡。
『臭気追跡』があるからこれで追えるかな?
クンクンと鼻を鳴らして臭いを探ると、そこかしこでこの獣臭がします。
「…勇者さんの言うとおり、動き回ったようですね」
「キノコさん、その臭いが流れてくる方に行けばよいのでは?」
「流れ?…ウ~ン……こっち、かな?」
僕達は臭いを追って森を進み始めました。
手入れのされていない道を外れて草木を掻き分けて進むと、小さな川が流れている場所に出ました。
「川ですね」
「結構きれいだな…。これならグラネカラもいるかもしれないな」
「そうなんですか?」
「モンスターだって水を飲みに来るだろ?後は魚がいれば狩り場としても使えるし、体を洗うのも出来る。普通の生き物なら水場の近くに巣を作り易い」
……そうですね、その通りです。
ヤッパリ勇者さん、地味に優秀なんじゃ……。
そうして更に上流に向かうと岩がゴロゴロした河原にたどり着き、その岩の陰で伏せている大きな獣を見つけたのです。
灰色の毛皮を風に吹かれながら、涼を取るように、眠るように伏せている狼に似た獣。
静かな川辺にたった一匹だけ。
まるで捨てられたみたいに見えるのは気のせいでしょうか?
「…あっ?あれ、もしかして?」
「…大きいですね…」
「…………いた、けど……青くない…」
シャピ様が残念そうに呟いた一言にピクリと耳を動かして、獣が顔をこちらに向けました。
薄青い眼光が熾火のように光っているグラネカラさんは、狼よりも大きく、逞しい身体で風格があります。
無闇に吠えたり威嚇したりしない、端然と構えた様は王様のようです。
さっきまでの静謐さが嘘のように、獣は威圧を放ってきました。
何かカンに触ったようですね。
起こしちゃったからでしょうか?
【…うむ、グラネカラに間違いない…。青くないし、小僧の相手になってもらおうか。よいな?鬼姫…】
「…うん…。灰色はいらない…」
威圧なんて屁でもない二人は早速討伐の算段を始めてしまいました。
灰色のグラネカラさんは鋭い目で睨みを効かせていますが、動く気はないようでじっとしています。
それでもレベル50のモンスターの存在感は、タンポポさんや勇者さんには恐ろしいようで、顔が引き攣っていますね。
「勇者さん、大丈夫ですか?対決出来ます?」
師匠の指示に逆らえない勇者さんは、自分が対峙しなければいけないグラネカラさんを恐々と観察し始めました。
じっとりと動かないグラネカラさんも勇者さんの探る視線に目を合わせます。
「…………」
「……勇者さん?」
「………………」
あらやだ。集中してます。
集中して、グラネカラさんと見つめ合ってますね。
サラサラと流れる川の音と風に揺れる木の葉。
無音ではない静寂に包まれ、瞬きすら忘れてグラネカラさんを見つめる勇者さんの額から汗が一筋、顎に伝い落ちました。
《……おお、なんだコイツ。グラネカラと語り合ってるぞ》
(うぇっ?勇者さん、モンスターと話せるんですか?)
《そういう能力が芽生えたわけじゃないだろうが、解るんだろうな?通じるモノでもあるんじゃないか?》
赤様が不思議な事を言って僕を悩ませると勇者さんが僕を呼びました。
視線はグラネカラさんから外さずに、ゆっくりしっかりと話してきます。
「…キノコ…。あのグラネカラは、俺に、任せてくれ…」
「…師匠もそう言ってますし、僕は構いませんけど。大丈夫なんですか?勝てます?」
「勝ては…しないだろうな…。俺よりも何倍も強いのが分かるし…。でも」
「でも?」
「あいつの目……同じなんだよ…。諦めて…全部捨てて、それでも逃げられない…。俺は、あいつを放っておけない」
「……」
誰と同じ目なんでしょうか。
勇者さん?それとも、あのソバカスの女でしょうか。
【…うむ、小僧も腹をくくったようだ…。キノコよ、そなたらは捜索を続けるがいい。小僧はワシが見ている…】
「…えっーと…無理しないようにしてくださいね?…」
河原にある丁度よさ気な岩の上に師匠のナイフを置きながら、一応忠告はさせてもらいました。
陽炎のように姿を現した師匠の妖気に、離れているグラネカラさんが身を低くして警戒しています。
【…心配せずとも小僧を死なせたりはせぬよ…】
「じゃあ、僕達は行きますけど…。勇者さん、頑張ってくださいね」
「…ああ、死なないように頑張る…」
睨み合ったままの勇者さんを置いて、僕達三人は"青いグラネカラ"を探す為にまた森に入っていきました。
「…普通に考えたら、あの男とグラネカラでは勝負になりませんよね」
「……死んだなら、それでいい……。森に棄てていく…」
「そうですね。その方が騎士様の負担も減りますし、いいかもしれません」
タンポポさんとシャピ様が酷い事を話してますが、そうならないように師匠が動いてくれるでしょうし、まぁ大丈夫でしょうね。
それより僕達は何処に行きましょうか。
◇◇◇
"卑怯者"は奇妙な一行と出会った。
恐ろしく強いモノと脆弱なモノが入り乱れた不可思議な子供達。
じっと見ているとそのうちの一人、一番弱そうな人間のオスと目が合う。
警戒と恐怖と悲嘆が混じった視線に、ふと親近感を覚えて知らず心が震えた。
同じだ。
あれも自分と同じ、逃げて裏切った卑怯者だと自然に理解した。
けれども、それに嫌気がさして一人朽ちようとしている自分とは違い、人間はまだ足掻いているように見えた。
弱いのに、まだ足掻く。
弱いから足掻いて、進もうとしている。
真逆の歩みをしている一匹と一人。
種族は違えど、語り合いたいと思った。
自分はグラネカラだ。
人間とは言葉が違う。
ならば牙で、爪で、戦いで語り合おうと卑怯者は思った。
どうやら人間はそれを承諾してくれたようだ。
有り難いと卑怯者は感じた。
弱くても人間でも、この者になら狩られてもいいかもしれない。
この者なら。
この息すら苦しい"生"から解放してくれるかもしれない。
グラネカラの卑怯者は淡い期待を込めて一声上げていた。
アーゼスは『生きる』能力は高いです。
戦闘系能力は性格上どうしても取りにくかったのです。
 




