仕返しするかしないのか
命の最後。魂の消滅。
人間の死。
初めて見ました。
僕、生命が消えるだけでなく、魂までも消えるのは初めて見ました。
偽者さんが抱きかかえる女の人が死んでしまったのです。
ソバカスが浮いた顔の彼女がナナさんだったようです。ギルドでお会いしましたね。
お腹に病気を持っていたので健康ではありませんでしたが、死んだのは偽者さんを庇ったからです。
そのせいで胸に穴が開いて血が流れて、死んでしまいました。
その死に際の美しさが印象的でした。
肉体からふわりと浮かび上がった魂が世界に溶けていく。
ホワホワした綿毛のような魂。はかなく発光している魂。
紅茶に落とした蜂蜜みたいに溶けていく、空にかかるすじ雲みたいに消えていく……。
キレイです。
綺麗でした。
とてもとても綺麗……。魂ってなんてキレイ……。
さっきまで荒ぶっていた僕の心が落ち着いていきます。
静かに哀しく、美しく散った魂を見送るには、荒ぶっているのは相応しくないからでしょうね。
「……綺麗に死にましたね……」
だから僕は本心からそう言いました。
あんなに綺麗に人間は死ぬなんて知らなかったから、感嘆を込めて。
「……きれい…?…」
偽者さんがぼんやりと聞き返してきたので、僕は思ったままを伝えます。
「綺麗でしたよ。魂があんなにキレイなものだなんて知りませんでした。それとも彼女の魂だからかな?」
「…魂?…見えたのか?…」
「はい。フワフワして柔らかそうで…優しそうな光で、消えちゃいました」
「………そ、うか…」
ナナさんを抱いて膝を付いている偽者さんは顔を上げずにいるので僕には表情が見えません。
ただ、オイオイと泣きじゃくっていた先程とは違い、ずいぶんと落ち着いた声です。
後追い自殺なんてしそうにはないようですから大丈夫ですかね。
まぁ、しても構いませんが。
さて。
そんな僕らを鬼気迫る眼力で睨みつける『魔法使い』さん。
満身創痍で植物に締め上げられてるのに、衰えない気迫はどこからきてるんですかね?
あのまま大人しくしてくれてたら僕もこれ以上の事はしなかったのに…。
「…死んじゃいましたね。あなたのせいですよ」
この『魔法使い』さんが僕に向かって放った魔法。
チビさんの結界がある僕には届かないのですが、それを知らない偽者さんが僕を庇い、そんな偽者さんをナナさんが庇った結果、ナナさんだけが死んでしまいました。
血を流しすぎて青白い顔の『魔法使い』さんはそれでもニヤリと笑って言います。
「…っ違うねぇっ!お前のせいだよっ!俺はお前を狙った。それを邪魔したのはあのガキと女だっ!お前が庇われなきゃ良かったんだよぉ!!」
「…ああ…なるほど、それもそうですかね?僕があなたから距離をとらなければ二人が間に入る事もなかったと」
「そうだっ!お前が死ねば良かっただけだぁっ!」
結構重傷なはずなんですけど元気ですね、この人。
「そんなに話せるなら聞いておこうかな?さっきは僕、少し混乱してたからたいしたこと聞けなくて…。もう少し落ち着いてから聞こうと思ったんですけど、嫌な事は先に終わらせたいですし」
またこの人と顔を合わせるのも嫌だし、ひょっとしたら手遅れで死んでるかもだし。
『聖樹の小枝』をよく見えるように持ち上げて聞いてみます。
「これ、どうやって手に入れたんですか?」
「……」
「黙っててもいいですけどね。自白剤とか試せばいいだけですし……」
僕の『毒』は正常を異常に変えるもの。
精神に働きかければ判断力がおかしくなって色々話してくれると思うんですよね。
今度から暇を見つけたら『毒』を研究しようかな?
《……おお?なんだヘタレ、逞しくなったな?》
(そうですね…この短い間に自分でも怖いくらいに"冷静"になってる気がします…)
《一過性に過ぎない変化だとしても俺には有り難いな。お前落ち着きないから》
むっ!?失礼なっ!
「…ふはっ…ふははっ……。逆に聞くけどよぉ、それの出所聞いてどうすんだよぉ?お母さん?集めるのかぁ?!」
馬鹿にするように僕に唾を吐いてくる『魔法使い』が気になる事を言いましたね。
「集める?………そんなに沢山、あるんですか?」
「はっはぁっ、どうだかな?俺は知らないねぇ。その一本を貰ったのもずいぶんと昔だし、更に増えてるか、減ってるかなぁ?」
《ふぅん?てことは増やすだけの資金があり、減らすだけの人員がいる、と。それなりにデカイ団体所属か、コイツ》
団体、ですか。
つまり、奴隷商人とかしてる団体があると。怖いですね。
その団体が『聖樹の小枝』を集めている、所持しているとしたら…。
怖がってられません。
「…増えてるなら嬉しいですね。探す手間が省けます」
お母さんの遺体ですからね、僕にはそれらを回収する権利があると思うんです。
この『聖樹の小枝』は真っ黒ですけど、元のままのお母さんもあるかもしれない。それと『樹之護法』を合わせたら、お母さんがまた生まれるかも…。
可能性の話でしかありませんが、無いとも言えないのではないでしょうか。
笑顔になった僕をどう見たのか、『魔法使い』さんは憎らしげに告げてきます。
「っははっ!そうか、アイテム欲しさに俺達を壊滅する気か?!出来ると思ってるんだろうなぁ、俺をこんなにしたんだから。だが無理なんだよぉクソガキっ!お前一人じゃ無理に決まってんだよっ!個人で"軍"を、"国"を、"世界"を相手に戦えるかっ?」
「……そんなに大きな団体さんなんですか、あなた達?」
「巨大だよ、巨大!世界中に蔓延るのが俺達『啜る悪意』だ!!お前なんか潰される処か塗り込まれちまうくらいちっぽけに見えるほどにデカイんだよぉ!」
血走った目で叫ぶ『魔法使い』さんは必死です。必死に僕にその名前を刻んでやろうとしているのでしょう。
それほど彼にとってそれは絶対的な意味があり、強者であり、僕を打ち倒し復讐出来るだけの『力』があるのだと分かります。
ススルアクイ…。
悪意、ですか。
悪意を啜るって……なんでしょう、気持ち悪いですね。
ついでに僕には悪意、禁句なんですよね。
考えたくない…。
吐き気がする怒りと悲哀でぐちゃぐちゃになってしまいそうなんです。
落ち着いて、落ち着いて僕。
またさっきみたいになってしまったら、今度こそ殺しちゃいます。
そしたらこの人の経験値が入ってくる………。それは嫌です。
「そのススルアクイさん達?が僕を捕まえようと狙ってて、『聖樹の小枝』を多数所持している。纏めるとこんな感じですかね?他には何か情報ありませんか?本拠地とか…人数とか、活動内容とか目標とか?」
「あっても話すわけ無いだろうがクソガキィ!何もわからないまま殺されちまえぇ!」
えーっ?わからないまま死ぬのは嫌ですねー。
聞きたくないけどススルアクイさんについて情報下さい。
せめて『聖樹の小枝』がどうなってるか知りたいです。
でもこの人はもう話してくれない感じですね。怒ってますから。
《…ヘタレ、コイツの称号に『悪意の魔術師』ってあるだろ?あれ、その団体に所属していることになるんじゃないか?》
(…そう、なんでしょうか?)
《もし当たりなら、あの女が同類って事になる。そしたらアイツに聞けばいいだろ》
女?だれです?誰かいました?
…………?…………え?
た、タンポポさん?!
《あの女は『悪意の暗殺者』を持ってただろ》
(うぇ?そ、そうでした?)
《コイツの方が情報はあるかもしれないが、話さないし騙してくるかもしれない。なら、タンポポから少ないけど確実な情報貰った方がいいだろ》
(……赤様?僕はお母さんの事があるからススルアクイさんにチョッカイ出すのはかまわないんですけど、赤様は嫌じゃないんですか?)
《先にチョッカイ出したのは啜る悪意の方だろ?面倒は嫌いだが、売られた喧嘩だ。しっかりハッキリきっちりと倍返しさせてもらおう…》
…………ススルアクイさん、大変ですよ。
赤様が悪い笑顔です。
あなた達は僕を狙って襲ったのかもしれませんが、この身体は赤様のものなんです。
赤様は、容赦しませんよ。
《…いくら俺でも無差別に何かするわけないだろ。まぁ、それを識別するためにも称号の確認が必要になるわけだ》
あ、そうですね。
『悪意の~』という称号が団体の証なら、それを持ってる人だけやっちゃえばいいわけですから。
「確認したいんですけど、あなたの称号の一つ『悪意の魔術師』って、その団体職員になると皆付くものなのですか?」
「死んじまえぇっ!ガキが意気がっても無駄だって叩き込まれて殺されて死ねぇっ!!」
「…あ、あの?…」
「ガキがぁっ!ガキがガキがっ!!」
……口から泡を飛ばして叫び出した『魔法使い』さんは意識が吹っ飛んでるみたいですね。
会話が成立しなくなってしまいました。
《ま、重体だからな。半分以上死んでるのが気力だけで話してたんだろ》
(…あ、じゃあ、もう死んじゃうかも?)
《いや?今すぐには死なないだろうが、あと一撃でも喰らったらヤバいかな》
(なるほどなるほど)
なら、せっかくですし。
「偽者さん?この『魔法使い』さん、今なら簡単に殺せますよ?ナナさんの仇を討ちませんか?」
「……え?…」
暗い雰囲気でナナさんを見ていた偽者さんに声をかけます。
泣きすぎて赤くなった瞳で僕を見返す偽者さんは、呆けたように僕を見ています。理解できなかったのでしょうか。
「ナナさんを殺した相手ですよ。憎いとか怨むとかあるでしょう?晴らすなら今ですよ」
「……な、何を…」
「僕はそういう気持ち分からなかったんですけどね…。お母さんを見たら、仕返ししたいっていうのがやっと分かりました」
どうしようもない怒りと不満と焦り。
あれを身の内に留めておくなんて、ゾッとします。
プランお婆ちゃんやギリルさんがタンポポさんに仕返ししろ、そう言っていたのも今なら理解出来ます。
この沸き立つような憎悪を晴らすのは、並大抵な事では無理でしょう。
「そんなに泣くくらいに大切な人なら殺した相手が憎いでしょう?復讐しても誰も文句は言わないですよ」
「……お前、は…そういうのが嫌いなんじゃ?…」
「無意味な暴力とかは嫌いですよ?でも、やられたらやり返して、理不尽な事には反撃しないとダメだというのも分かりましたから」
無抵抗故に壊されたお母さん。
焼かれた森から逃げるしかなかった僕。
住みかを追われたスライムさん。
自然の摂理では無い『悪意』に翻弄されて放浪した僕達。
後悔でしかないけれど、あの時、あの何れかの時に反抗していたら。
お母さんがこんな姿になることも無かったかもしれない。
「理由のある殺意なら否定しません。どうしますか?」
自分の腕の中で冷たくなっているナナさんを見て、『魔法使い』を見て、苦々しい顔になった偽者さん。
そのまま怒りをぶちまけるのかと思ったのですが。
「……っ…いや……それは、……」
静かに目をつぶり、一呼吸置いて、
「…しない…」
以外にも提案を蹴ってきました。
「理由を聞いてもいいですか?」
「…ナナを殺したのは俺だ…。俺がもっとしっかりしていたらナナを直ぐに治療院に入れられた…。もっと力があれば、ナナが庇うなんてしなくてよかった…」
「…」
「そいつを殺したって…今だけ満足するだけだ…。俺が、俺が…変わらなきゃ…。力をつけて…稼げるようになって…」
硬直したナナさんの顔を撫でる偽者さん。
撫でても撫でても雨が当たり、ナナさんはいつまでも泣いているように見えます。
「…ナナ…俺、もう逃げない…。お前みたいに…受け止める強さをっ……。こんな思いはもう…」
偽者さんも再び泣き出しました。
「………」
小さく背中を丸めて咽び泣く偽者さん。
卑怯で卑屈で、口だけの威勢で喚き散らしていたあの『偽勇者』さんが。
悲しくて辛い気持ちを飲み込んで、耐えて堪えている。
発散させない怒りを抑えている。
僕には出来なかった。
おかしくなりそうだった僕には赤様がいて、止めてくれたし宥めてくれた。
彼には誰もいないのに、一人で全部抑えている。
「…『勇者』さん…」
力を奮うのが、正義を示すのが、弱者を救うのが『勇者』だと思っていました。
でも、自分で自分を律する、自分の心を制するのも。
怒りを成長の糧にするのも。
『勇気ある行い』。
《女の死でチンピラが勇者に成る。…まるで絵物語だな》
赤様がつまらなそうに呟いています。
弱々しい背中は『勇者』には見えないかもしれない。でも、彼は今から『勇者』です。
僕だけでなく赤様も取り合えず認めたんですから大丈夫!
復讐はしない勇者、カッコイイじゃないですか。
溜まった鬱憤は魔物退治で消化、レベル上がる強くなる、もうチンピラなんて言わせない!素晴らしい!
「…じゃあ、この人達は保安官さんに捕まえてもらいますねけど。いいですね?」
「…あ、ああっ…。俺も自首するから…」
「うぇ?なんでですか?」
「なんでって……俺も一応仲間だし…」
「あなたが働いた件は僕を捕まえる事だけなんでしょう?他の人を誘拐したりしたんですか?」
「いや、してないが……」
なら被害者である僕が訴えなければいいだけじゃないですか?
報酬のお金は汚い事をして集めた物でしょうから、受け取っていたらアウトでしたがまだ支払われていませんしね。
暴行を受けて知人まで殺されたんだから、勇者さんも被害者でいいと思いますよ?多分。
ただ働きで暴行されて殺されて、被害者ですよ。
《…まぁ、お前がいいならいいけど…。かなり強引だぞ?一味の証言があれば直ぐに捕まる。今のうちにと姿を消した方がいいかもな》
赤様の溜め息混じりの提案を勇者さんは受け入れませんでした。
「…いや、ダメだ。それはダメだ。ちゃんと罪は償わなきゃ」
「ですから償う相手が僕なら、それはもういいんですよ。あなたが苦労してきたのも、悪い事をした理由も知ってますし……」
「「クヒヒヒッ…。何なに?なにを揉めてんだー?」」
「っうえっ?」
閃光が一瞬辺りを包ます。
雷の音がして地面が揺れるような振動。
もう一度光る雷。
「っ?!」
「か、雷…っ?」
轟音に紛れていましたが、雷以外に誰かが……。誰かがいましたよね?
《…あ、こりゃマズイ。ヘタレ、下手したら死ぬぞ》
(っうぇっ?!)
赤様の不吉な発言を問い質す間も無く、急に体が重くなるような錯覚が起こりました。
空気が重くなった。
何かの威圧が降り注ぐせいで立っていられなくなってしまう。
これ……『魔女』さんと張り合えるくらいの……。
ドドンッ!とすぐそこに落ちた雷が地面をえぐりました。
正確には雷の中にいた誰かが。
光が消えた後にはツンツンと尖った髪の毛が印象的な青年が一人。
褐色の肌は所々銀色の"鱗"がついていて、まるで宝石のように彼を飾っています。
金色の瞳が猫のように光る彼は、しかし下半身がおかしいです。
そのせいで"人間"じゃないんだなと直ぐにわかりました。
腰から下が"足のある蛇"、つまりドラゴンさんみたいなのです。
鈎爪と鱗がある雄々しい後ろ足?を動かして体勢を整え、太っい尻尾がしなれば突風が吹きました。
雨で落ちてきた前髪を乱暴に掻き上げてニッと笑い。
それから。
「揉め事なら俺も混ぜろよー!もっと複雑にしてグチャグチャにしてやるからよー!クヒヒヒ!」
問題発言をしてきました。
かなり爽やかな笑顔で面倒くさい事を言ってますよ。解決する気ゼロですね!
ただ発言がとんでもない以上にとんでもないのは、彼の気配です。
……危険、です。
「……ど、どちら様ですか?…」
「クヒヒヒ?うん?俺?」
犬歯をぎらりと剥き出して僕を見るその瞳は笑ってません…。観察されてますね、恐いです。
「クヒヒっ俺、『雷王』!」
は?
王?
『悪意の~』と付くと団体職員さんになります。
タンポポは自分はもう帰れないと思っていますが、除名されてませんからそのままです。
下っ端でも『悪意の構成員』となるので、これだけでは地位や力量は推し量れません




