黄色く首は咲く
暗い暗い、暗いところ。
ああ、夢だ。夢をみている。
私の夢はいつも真っ黒。明かりなんかない。
真っ黒な中を歩くだけ。
ただただ歩いて、疲れて目覚める。
足元には黄色い絨毯。
踏むと柔らかい。足を進めると、暗い地面に足裏がつく前にワサッと生える。
絨毯?
足をどけてみると黄色い花だった。
花弁が多い丸い花が絨毯のように足を包んでいた。
レラブリオ。
母さんの故郷での呼び名はレラブリオ。
春がくると咲く野花。
それがこんもりと咲いている。
母さんが私とそっくりだと、名前もこれからつけてくれた。
もう母さんの顔を思い出せないけど、レラブリオをみると嬉しくなる。
私と母さんを繋ぐ花。大好き。
大好きな花。
寒い国でもちらほら咲いて、春を告げていた。強い花。
あんな風に強くなりなさいと母さんはよく言っていた。
虐められて泣く私を撫でながら。
母さんは貴女の髪が大好きよと、撫でながら。
足元に群れるレラブリオ。
しゃがんで摘もうとしたけど、無理だった。
花だけだったから。
茎から切り離された花、頭だけが咲いている。
首を切られて晒されている。花だけが生えている。
首だけがザワザワと群れて生えて。
ぼとぼとと落ちてくる。
ぼとぼと、ぼとぼと。
私の首が……
……カサリッ
一気に視界がクリアになった。
草地に這いつくばったまま周囲に意識を広げる。
(……風、か)
風で木立が揺れたようだ。
緊張した四肢を弛めて息を吐く。
極々細く、長く息を吐き、ゆっくり吸う。
草に顔を隠しながら罠を確かめると、まだ何もかかってはいない。獲物を待つのは退屈で単調だ。ほんの数分、寝てしまったようだ。
暗殺者としての教育は過酷で安眠等与えられなかった。
結果、僅かな時間でも一瞬で眠れて、一瞬で起きる特技が身に付いていた。
それでも夢など見るのは久しぶりだった。
頬に黄色がかった金髪が落ちてくる。
レラブリオの色。
レラヴィーナの髪色。
タンポポの色。
母の故郷ではレラブリオ、広域語ではタンポポだと言われる花。
夢の中では花弁だけになり首が切られたように散乱していた黄色い花。
タンポポの首の夢。
(私に相応しい夢ね)
いつか自分もあの花弁のように……。
ガザガサッ!
「!」
はっきり聞こえた草を掻き分ける音に思考を中断する。
獲物が来たようだ。
さっきとは逆に四肢に力を巡らせる。
腹に力を入れて、いつでも飛び出せるように足を徐々に動かす。
罠肉におびき寄せられたゴブリンがガザガサと近寄って来るのが見えた。肉に気づいて涎を垂らしながら群がるのは五匹。
人間の子供ぐらいの身体なのに顔と手足が不自然に大きい。
耳まで裂けた口から汚れた舌を伸ばして肉にしゃぶりついている。
比較的弱いとされるゴブリンだが群れると段違いに厄介になる。
繁殖力と生命力が強い雑種モンスターはあっという間に増殖して人間を襲う。そうなる前に退治して、特徴的な豚鼻をそぎ落としギルドに持っていくと討伐金を貰えるのだ。
(五匹……なんとかなる)
駆けだしの戦士でも一度に相手出来るのはニ匹といわれる。
普通の娘なら、挑もうともせず逃げる状況だ。
だが、生憎こっちは普通じゃない。
(大丈夫)
ゴブリンの一匹がギャアと騒ぎ出して泡を吹く。
罠肉はただの肉ではない。撒き餌でもなく、肉が罠。
毒肉だ。
次々倒れるゴブリンに、いきなり飛び掛かったりはせず。
(いける、と思った時が一番油断する。慎重に、確実に素早く…)
嫌々ながら身につけた暗殺の心得が生かされる。泣きながらでも会得しておいて良かったと思う。
タンポポは逆手に握ったナイフに力を込めた。
◇◇◇
街に帰り着いたのは夜半過ぎだった。
開いているのは酒場や盛り場、夜の店だけの通りをギルドに向かう。
少女がこんな道を一人で歩けば途端に拐かされそうだが、そうはならない。
狩りで泥だらけ、更にゴブリンの臭いが僅かに匂うタンポポには誰も声をかけたくないからだ。
何時でも開いているギルドに入り、馴染みの職員を呼び出す。
すぐに黒ずくめの大男が現れた。
眼帯をしていて一つ目、さらに厳つい顔に無愛想なせいで接客業には向かないように思うが仕事は出来る。細かく気が利くし融通も利く、思いやりもあるしアドバイスは的確で優秀な職員だとタンポポは思っている。
「こんばんは、イザシュウさん。ゴブリンの鼻、買い取りをお願いします」
「…五つか。他にはあるか?」
「薬草と毒草。あとアムの実は売れますか?」
「薬草が3、毒草が8、アムの実が2か。アムの実は市場の方が高く売れるだろう、そっちに持ってけ」
「わかりました」
タンポポの事情を知っているのでこういう機転も働かせてくれる。出来る職員だ。
タンポポはキノコに借金がある。
なんとも釈然としない借金だが、あの若僧にキノコが何かを施す等許せなかった。だからタンポポが身代わりになった。後悔はない。
借金を返す必要は無いと何度も言われているが、甘える気は無い。
タンポポはキノコに助けてもらってばかりだ。
出会いも再会も、海でも街でも。
タンポポは何も出来なかった。
これ以上迷惑をかけたくなくて、稼ぎの良い討伐の仕事をいくつもこなしているが、なかなか金は貯まらない。
まず、一万Gの他に衣服代としてまたキノコに借金をした。
タンポポの服は輿入れ用に着させられたドレスに布靴。雪山を越えたり洞窟での捕虜生活で見る影もないそれを取り替えた。
男子が着るようなチュニックにズボン、安い革靴が今の服装。動きやすさが第一だ。
キノコはまたもや返さなくて良いと言ったが、そういうわけにはいかない。
タンポポはキノコの身内でも仲間でもない。甘えてはいけない。
次に宿泊費。
タンポポ達は初日からギルド宿に泊まっている。
正直ギルド宿は高い。
食事やサービスが同じ半値の宿は色々ある。そっちに移りたい。
もちろん、高い分の利点はある。
ギルドに隣接しているので管理はしっかりしており置き引きや空き巣被害はまず無い。
万が一宿で犯罪が起きてもギルドには常時戦士がいる。安全だ。
しかし金を貯めたいタンポポは安全より安さを取りたい。
本当なら取りたい。
ところがタンポポはキノコの召し使いとして話を通してある。なので主人を放ってギルド宿以外の宿に泊まるのは不自然だ。
キノコ達は安さより安全を確保させないと色々まずいと思う。
貞操の危機はまずないだろうが、詐欺に遭い身ぐるみ剥がされても笑っていそうでコワイ。
ここの宿ならそういう危険もない。高いだけある。
何よりイザシュウが担当している3人組という事実がかなり影響力があるようだ。
タンポポには見た目で損している有能職員にしか見えないが、どうも彼は怖れられているようだ。
理由は知らない。
イザシュウがタンポポ達を詮索しないのだから、此方もするべきではないだろう。
「……ゴブリンだからって油断して怪我するなよ?キノコ達は寝てるだろうから先に身体を洗っていけ。石鹸はあるな?これは俺の古着だが、なんとか着れるだろう?今の服は洗濯に出しとけ。ゴブリン臭い」
こんなに親切にしてくれるのに何故皆怖れるのだろう。
隻眼だから?無愛想だから?筋肉モリモリだから?口が悪いから?
でもキノコがよく言うように、優しい目をしているのに。
報酬と服を貰いお礼を言うとタンポポは悩みながら宿に向かった。
部屋は四人部屋だ。
身綺麗にしてから部屋に行き、名乗りながら小さくドアを叩く。
施錠が外される音がして開いたドアの隙間から漂う冷気にゾクッとする。
「ただいま帰りました。お疲れ様です、騎士様」
暗い部屋に入るとドアの横にボウッと浮かぶ鬼火。
キノコが持つナイフに宿る『悪霊』がタンポポを見つめていた。
睡眠を必要としない騎士はタンポポの帰りを待ち、鍵を開けてくれたのだ。
とすると、やはりキノコ達は寝てしまっているのだろう。
【……随分と遅いな……無理しているのではないか?】
「いえ、ちょっと遠出したから遅くなっただけです。案じて下さって有難うございます」
【婦女子が狩りとはな……。怪我だけはしないようにするのだぞ】
深く追及せずに騎士はナイフにするする戻っていった。
女子供は守るもの、という概念がありすぎる騎士にはタンポポが血生臭い事をしているのが許容出来ないだろうに、強く否定してはこない。
タンポポの意思を尊重してくれているのが分かるから、せめて言われた通りに怪我には気をつけよう。
ドア脇のチェストに置かれたナイフは冷え冷えと輝いている。騎士らしくここで番をしてくれている。
頭を下げて「おやすみなさい」と挨拶するとピカッと輝いた。
ドアをしっかりと施錠して静かに室内に足を進める。
四つ並んだベッドの一番奥がキノコ、次が鬼姫、一つ抜かしてタンポポとなっている。
ドアからすぐの自分のベッドに手荷物を置き、寝る準備をしていると視線を感じた。
一つ向こうのベッドから鬼姫が見ていた。
黒目が猫のように光り、平淡な視線でタンポポを見ていた。
感情が見えない人形のように整った顔。
「…すみません…起こしてしまいましたか?」
「……」
小声で伺ったが返事は無く、くるりと寝返りを打ち身体ごとキノコの方を向いてしまう。
美しい白磁の肌の彼女は『鬼』。
艶のある黒髪に本当なら『角』があり、細くてすらりとした身体からは想像もつかない怪力と戦闘力を誇る『鬼の姫君』。
鬼姫に相応しい美貌と貫禄を持つが、今は魔法で人間に化けているそうだ。
名前も鬼姫ではなく『シャピ』と呼ぶ許可は貰ったが、『様付け』で呼ばなければいけない風格がある少女なのだ。
好かれてはいないが、酷い扱いはされていない。
あからさまな無視はしないが、馴れ合う気もないという鬼姫の姿勢は仕方ないだろう。
『魔女の掌』に住んでいたという鬼姫は、当然タンポポが起こした事件でキノコがどうなったか知っており、当初は怒り狂っていたという。
(……すみません……洞窟に帰ったら……好きにして構いませんから…)
タンポポとしては今すぐ死んで詫びたい。
捕虜期間中、死ぬことだけ考えていたが、結局キノコはタンポポを生かした。
この人間世界に放り出された状況下でも『一緒に帰ろう』と言って見捨てない。
それは優しさであり、ひょっとしたら人間を連れている方がいいだろうという打算かもしれないが、タンポポはいたたまれない。
死んではダメだと言われる度に、心が軋む。
死ぬ為に生きていたのに、それを許さないキノコ。死ぬなと言われるのは嬉しいけれど、消化されない望みがギシギシと身体を蝕む。
何で死なない?何で生きてる?生きている事を喜ぶ?喜んでいいと思っているのか?何も償っていないのに!
腹のキズが傷む。軋む。
胸と臍の間にある刺し傷。
同胞に刺されたキズがチクチクする。
いっそ傷口が開いて、裂けて、中身が出てしまえば良いのに。
毒だらけの内臓なんてろくでもない。
毒で出来た人間なんて、ろくでもない。
(……はやく北に帰ろう……ううん、帰る前でも、機会があればこんな命……)
冷たい寝台に潜り込み目をつぶる。
頭まで布団を被り息を漏らさないように小さく身体を丸める。
(…早く死にたい……あのレラブリオみたいに)
自分の首をそろりと撫で上げ、脈動する血潮に苛立ちを感じる。
ここを切ったら、締め上げたら、ポトリと頭が落ちるのに。
腹から中身を出して死ぬより、そっちの方がタンポポは嬉しい。
黄色い頭で、死にたい。
タンポポの花みたいに。
ぼとぼと、ぼとぼと。
タンポポが落ちて来る。
タンポポは見上げる。黄色い花雨を浴びながら。
ブチリブチリと首を撥ねられた頭が降ってくる。
母さん。母さん。
レラブリオが落ちて来るよ。
首が切られて降ってくるよ。
私の首もチョンと切られて落ちるんだよ。
母さん、母さん。
黄色い髪が広がってお花みたいでしょう?
お花のタンポポはチョンと切られて落ちるから。
地獄に落ちるから。
天国には行かないから、母さんにはもう会えないけど。
でもね、首だけのタンポポになる。きっと綺麗よ。
それがレラヴィーナの願いなの。
「タンポポさん?」
ギクリと体が震えた。
深い眠りに入る少し前に声がかけられ意識が覚醒した。
でも、身体が動かない。
「……大丈夫ですか?」
何が?
大丈夫、大丈夫。私は大丈夫。
止まっていた呼吸を思い出すように深く息を吸う。大丈夫。吸えてる、吐けてる。
額に冷たい感触を感じた。
瞼が重くて目をあけられないから見えないけど、誰かの手が触れている。
母さん?
「震えてましたよ。……少し、毒を渡しますね」
額から何かが流れて来る。
ピリピリしていて懐かしい痛みが全身に広がる。
麻痺していたような感覚が戻ってくる。
呼吸が楽になる。
痛いのに満たされる気持ち良さに笑みが零れた。
「……ゆっくり寝てください」
冷たい手が離れていく。
(ゆっくりしていいの?)
頭を撫でてくれるのは誰だろう。
毒姫を撫でるなんて、誰だろう。
触ったら大変なのに、近づいても大変なのに。
ふと鼻をくすぐる甘い匂いに白い子供を思い出す。
(…撫でてくれた…そう、あなただけ…)
あなたが助けた私の命。
いつかあなたが刈り取ってくれたら。
それだけで私は生きてきた意味が持てる。
どうか私の首を切って。
黄色い頭を花弁のように。
暗い暗い、暗い道。
私の夢。
タンポポの夢。
首切りタンポポが血溜まりのように落ちている。
私の頭のように落ちている。
しゃがんで拾おうとして、気がついた。
黄色いタンポポの中に、白いキノコが生えていた。
タンポポには強烈な死への願望が根付いてしまいました。
常識人だしいい子なのに、何かというと死にたがる病み娘ちゃんになりました。
キノコが何か罰を与えていればこうはならなかったはずです。
消化しきれない被虐が燻るタンポポと、隠しきれない加虐の鬼姫。
相性は良い二人なのです。




