走るの大好きです
踏みしめられて固くなった地面。
四方をぐるりと囲んだ高い壁。
更に幾つかの『魔法防御』の気配。
念には念を入れた強固で広い敷地が組合の訓練場。
ギルドに登録する戦士が必ずといっていいほど使用する場所は、剣や魔法の稽古や試し打ち、新人には体力作りや基礎訓練の為にと様々な器具が揃っている。
実戦経験のない者が無駄に死ぬことのないようにと開放された施設のお陰で、新人戦士の死亡率は格段に下がったという。
ギルドは年中無休二十四時間営業しているが、基本的に朝は依頼の受注、昼までには昨日までの依頼を斡旋、夜には結果報告という流れになっている。
時刻は昼過ぎ。
この時間帯はほとんどの会員は出払い依頼をこなし、職員も比較的楽な作業を行っている。夜にはまた忙しくなるのでそれまでの緩衝時間帯といえる。
それでも訓練場はそれなりに賑わっていた。
今日の仕事に溢れた者、依頼をこなすために戦闘検証する者。夜までの時間潰しをする者。ほとんどが男でたまに女が混じり、ごく稀に老人がいたりする。
今日はそのごく稀の老人がいる日であり、更に珍しい事に『子供』がいた。
ギルドの悪名高き職員に連れられてやってきた三人に、男達は浮き足立った。
三人が三人とも趣きの違う美少女だったからもあるが、そのうちの一人がかなりの金持ちに見えたからだ。
『貴族の娘が護衛でも探しに来たか?』
男達はこぞってそう考え、良いところを見せておこうと武器を振る腕に力を込めた。
もしかしたら目に止まって護衛や従者に引き立てられるかもしれないのだから。
◇◇◇
「職員さん、聞いてもよろしいですか?」
訓練場という所について直ぐにタンポポさんが挙手して言いました。
「ん?」
「キノコさんのレベルを確かめるなら『解析魔法』を使えばよいのではありませんか?確かギルドにはその為の装置があると聞きました」
「それは王都とかの大ギルドの話だ。設置費も維持費もかかるんだよ、あれは。『解析魔法』を使えるヤツなんかそうそういないし、レベルは自己申告で充分だってのがギルドの考えだな。コレからやるのはちびっこの適性検査みたいなものだからレベルは関係ない」
イザシュウさんの説明を僕とシャピ様も「へぇー」と聞いています。ここより大きなギルドって、どのくらいでしょうね?
洞窟より大きいんでしょうか?
ギルドの建物の裏に広がる訓練場はかなり大きな野外で高い壁に囲まれています。
壁からは隣の建物の屋根しか見えませんから三階建て以上の高さの壁ですね。しかも分厚く固いです。
更に魔法で結界がしてあるようで、壊すのは難しそうです。
いろんな人間がいろんな武器を手にウロウロしています。
打ち合ったり素振りをしたり。的に当てたりもしてますね。
僕もああいう事をして、イザシュウさんに適性を見てもらうのでしょう。
それにしても技を決める毎にチラチラと見てくる人が多いです。
なんでしょう?何か言いたいのでしょうか?
「さて。じゃ、確認するか。ちびっこは師匠とどんな事をしていた?」
「えっと、師匠に言われてしていたのは……。朝起きたら柔軟して、林を走って……。そのあと師匠と一緒に修行して」
「じゃ、まずは走ってみるか?ここをぐるっと、辛くなるまで走ってみろ」
「壁沿いを走ればいいですか?」
「他のヤツの邪魔はしないようにな。なりそうだったら避けたり迂回していい。どのくらい体力があるかみたいだけだから速さも気にするな」
走るのは大好きです!
妖精さんには負けっぱなしでしたが、けっこう走れるほうだと思いますよ。ギリルさんにもしょっちゅう追いかけられましたしね。
身体の調子が悪くて転ぶ、なんてことないように足を伸ばして肩をまわして、少しほぐしてみて確認します。
よしよし、ちゃんと動きます。
「じゃ、走ります!見ててください」
「おう、まぁ無理する……」
タッと駆け出したせいでイザシュウさんの語尾が聞き取れませんでしたが、たぶん無理するなという激励だったんだと思います。
大丈夫です、無理しません。
ただ走るだけです。
◇◇◇
軽い音だった。
本当に軽く走り出した身体が瞬く間に視界から消える。
何処に行ったのかと慌てれば、いつの間にやら向こうの壁まで迫っているのが小さく見える。
え?と思えば既にその場所からは走り去り、また壁沿いに走る白い影がかろうじて見えた。
距離があるからまだなんとか見えるだけで、目の前を走られても何が通ったのか判別はつかないだろう。
現に今、風が吹いたと思ったら通りすぎていた。
速い。
瞬く間に訓練場を一周し、減速することなく走り去る影。
シュタタタタッ、と軽快な音が近付き、遠ざかる。
速すぎる。
唖然とする間に何周も走る子供は、今度は走りながら跳び跳ねた。
何も知らない者が訓練場に入ってきたのを避ける為に、跳んだのだ。
あのスピードで一瞬のうちに跳んだ高さは壁に届きそうなほど高い。
まるで絵空事のように空に飛び込む姿。
小鳥のように舞い上がる小さな体。
ああ、あんなに高くては着地が大変だ。
呆気にとられながらそんな事を思ったが、小柄な身体は猫のようにくるんと回り、落下の速度を落とすとぶつかりそうになった壁を蹴りあげ、またくるんと回ると危なげなく地面に着地し、走り出す。
スルスルと人を避け、地面スレスレを走っていく。
グルグルと訓練場を駆け回る風のような動きは、つむじ風を巻き起こすほどの風力を産み出していた。
呆然としながら一連の流れを見ていたイザシュウはハッと我に返り大声で叫んだ。
「…っ、まてっ!待て、とまれちびっこ!!」
すると矢のように跳び回っていた子供がイザシュウの前に滑り込んできた。
「はい?どうかしましたか?」
ニッコリと微笑んで見上げて来る子供は『キノコ』と名乗っていた。
あれだけの動きをしながら息切れすらしていない様は、不気味、というより幻でもみせられたかのように現実味がない。
だが、現実だ。
イザシュウの短い髪もキノコが起こした風にそよいでいるし、砂埃もおきている。
ギルドの旗がバタバタとはためき、立てかけてある棍や槍が煽られ倒れる。
最初は何が起こったか分からなかった周りの人間も、徐々に理解しはじめるとざわつき出した。
「お、お前…。今、走ってたよな?」
「?はい、走ってましたよ?ぶつかりそうになった時はちゃんと避けました」
「避け……跳んだ、よな?」
恐る恐る確認するイザシュウに困惑したかのように眉を寄せるキノコ。
「跳びましたけど…。あっ!高さですか?高さが足りなかったですか?」
「そうじゃないっ!…なんであんなに跳べ……動けるんだ?」
「あんなに…?僕なんて動けないほうですよ?師匠はもちろん、シャピ様より動きは雑だと思います」
引き合いにだされた黒髪のシャピは首を振った。
「…速さなら、キノコに勝てない。私は腕力くらいしか……。キノコ、能力に速度関係のが有るんじゃない?」
「速度……『疾風走行』っていうのがありますね」
「やっぱり……でも、それは実力がなければ手に入らない…キノコが凄いだけ…」
二人の会話にイザシュウは愕然とした。
『疾風走行』は身体強化系能力の特化型で『風之走行』の進化版だ。
更に上位で『疾風怒涛』、『暴風怒涛』と続くが、この二つは固定種族の保有能力といわれていて唯の人間が会得することはまず出来ない。
『風之走行』から『疾風走行』にレベルアップするためには戦士の修行では足らない努力が必要だし、そもそも最初の『風之走行』を得るのすら困難で挫折する者が多い。
イザシュウは生唾を飲み込んだ。
まだ幼さを残す白髪の子供。
折れそうに細い身体に宿る異常性。
能力だけで、あそこまで身体を制御出来るはずは無い。師匠、と呼ぶ者が苛烈にしごいたのか、才能か。または両方か。
「あの…止まれと言われましたが僕まだ走れますよ?」
「まだ?……修行とやらはどのくらい走るものだったんだ?」
「えっと、お日様が出始めた頃からだから大体……四時間くらいですかね?」
「……四時間、走ってるのか?」
「走ってますね。林は障害物が多いのでここまでスムーズに走れませんが……でもその分跳んだり飛び移ったりして、楽しいんです」
「……」
本当ならとてつもない体力だ。
そしておそらくは、まだその力の片鱗しか見せていないだろう事に冷や汗がでる。
イザシュウは走れと言った。キノコは走った。
走っただけで、これなのだ。
確かめるのが恐ろしいが、仕事を投げ出す気はない。
だからなんとか気持ちを落ち着かせて、自分に言い聞かせるように口を開いた。
「……は、速さは大したものだ。充分理解した…」
大したものどころか、とんでもない。
あんな速さで動けるのは王都にも僅かしかいないだろう。
「そうですか?…僕、ちゃんと走れてましたか?」
「…ああ」
ひどい衝撃を受けたイザシュウはめまいがする頭を抑えて三人を促す。
今の走りを見ていた外野が遠巻きながらこちらを伺っている。何か面倒が起きる前に場所を移動しよう。
「…じゃ、次は『力』を調べるか…」
力が強い、というのは重宝される。
荷物を持つのも人を運ぶのも、戦士としても『力』は重要だ。
見た目がハンマーのような、重りの付いた棒が何本かある場所に移動しそれをキノコに持ち上げさせるだけだ。
軽いので人間1人分ほど、重いのは熊ぐらいの重力があり、その分大きくなる。
持ち上げるだけでなくバランスもとれるかを見ることが出来る。
一番重い物を持ち上げたのはこのギルドでは3人しかいなかったはずだ。
「これを持ち上げろ。無理はするな」
五本あるうちの一番軽い棒をとりあえず持ち上げさせる。
ひょいとキノコは持ち上げた。
危なげなく持っているが、この棒でも普通の子供は持てないだろう。
「き、キノコさん?重くないですか?」
「大丈夫ですよ。このくらいなら持っても走れます」
金髪のタンポポが心配して聞いたが、本人はあっけらかんとハンマーを振り回している。まるで小枝のように軽々と扱うが、重さは子供一人分はあるんだとイザシュウは嘆息した。
ひょっとして一番重い棒を持ち上げてしまうのではないかとイザシュウは危惧したが、それはなかった。
一番重い棒と二番目に重い棒。
自身の腕より太い柄。大きな重し。
それを軽々と持ち上げて両肩にそれぞれ担ぎ、キノコは笑った。
「二刀流とか、カッコいいですよね?」
まさかの二本同時持ち上げを間近で見ていたイザシュウは、卒倒しなかった自分はかなり頑張ったと思う。
「…重くないんですか?…」
「うーん、まぁ、重いかな?でも修行に良さそうな重さですね」
「…これ、無骨だけど、叩き潰す感じが良い…キノコ、ちょっと貸して?」
「はい、どうぞ」
気遣うタンポポに恐ろしい発言をかまし、シャピに最重量の方を渡すキノコ。
口を挟む事も出来ずにやり取りを見ていたイザシュウは、またしても信じられない事態に遭遇する。
「……良いと思ったけど…軽すぎる…」
そう言ったシャピが片手で棒を振り回し、皆が慌てて頭を下げた。
反応の遅れたイザシュウの眼前を重しの部分が横切る。
鼻先がヒリヒリする。
擦ったのかもしれない。
「…固さは?……」
シャピはむんずと重し部分を掴むと、グッと力を込めた。
バガンッ!
「……」
「…」
「あ、割れた?」
「…脆い……チッ…」
ガラガラと崩れる重し。落ちた音は決して軽い音ではない。
それはそうだ。
重しは石ではなく、特別に製造された『重さ』に重点を置いた金属だった。
だからといって、壊れやすい物でもない。
壊れない物ではないが、こんな可憐な娘が掴んだ程度で壊れる品物ではない。ないのだ。……ないはずだ。
瓦礫となった金属をイザシュウは泣きそうになりながら見つめた。
これはどう言い訳して、どう経費を落とせばいいのだろう。
そしてこんな子供に一体どんな仕事を斡旋すればいいのか。
イザシュウの予想を遥かに超えて、キノコ達は規格外だったのだ。
◇◇◇
訓練場では先程のキノコの走りを皆が噂していた。
魔法だ、実力だ、オレは見ていない、見た、見えなかった、と騒ぐ。
そんな中、静かに腰を上げて立ち去る人間に誰も注意は向けなかった。
皺のある顔に柔和な笑顔を浮かべながら立ち去る老人。
曲がった腰に見合わない素早さで老人は訓練場を後にした。
一番重いのを持ち上げた奴らの一人は、実はイザシュウさん。




