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勇者の成損ない


…… …… …………



おぎゃあぁぁー……




『男の子』が産まれた。


収穫が近づく畑にまで聞こえた産声は高く力強く。

泣いて泣いて、生きている証を見せつけているかのように泣く。

泣き声に安堵する。


産まれたのだ。


呪われたかのように女児しか産まれない家系に『男児』。


何を意味するのか、皆が分かっていた。


だが、今はいい。

ただ喜ぼう。


産まれてきたこの子が、泣くように。

喜びで泣こう。幸せを泣こう。生きることを泣こう。


この子の道は決まっているが、それでも、泣こう。

この先この子が泣かなくてもいいように、代わりに泣こう。

泣く事すら忘れないように、祈りながら泣こう。


今を泣こう。


幸せの涙を流そう。


どうかこの先、悲しみで泣いたりしないように。









◇◇◇








ーー……土の匂いがする……。


懐かしい匂い。

春を迎えた大地の匂い。

柔らかくて、馴染んだ匂い。


冬の間に固まった地面を掘り返し、柔らかくほぐすように鍬を下ろす。何度も何度も混ぜ返して色を変えた畑が広がっていく。手間暇かけた子供のような畑に、静かに種を撒いていく。

湿った土の匂いが優しく肌を撫でた。

畑と共に生きようと思った。


汗ばんだ身体を畦道に投げ出し、つかの間の休憩に入る。

サワサワと揺れる草花が頬をくすぐる。


小さく白い花弁の春呼びの花は、微かに甘い匂い。


春の大地と花の匂い。


懐かしい、懐かしい。懐かしい故郷。

帰りたい、あの大地に。


真っ黒に汚れて泥にまみれて畑を耕した。

爪の中まで土で黒く、汚い手でも平気で弁当を食べた。

鍬を振り、鎌で草を刈り、桶を担いで水を撒いた。


帰りたい。

懐かしい幸せなあそこに帰りたい。



この手が真っ黒に染まる(・・・)前に。











「……りたい……」


泣き声が聞こえたような気がして、アーゼスは意識を取り戻した。

赤ん坊が泣いているように聞こえたのだが、気のせいだろうか。


ヒリヒリする瞼を開けると誰かの手が額に乗っていた。

乗るといっても、指先だけ、爪が春呼びの花の花弁のように可愛らしい指だ。


一瞬、母親かと思ったが即座に否定した。


畑仕事をするアーゼスの母親はもっと大きく太い指をしている。爪も割れて固くなり、皮膚も荒れて厚くなった農婦の指だ。

この白い小さい手とはまるで違う。


ただ、母親が熱を計る時によくこうしてきたので間違えただけだ。


「……あ。起きましたか?」


鈴を転がしたような声で問いかけられた。


「毒は抜きましたから大丈夫だとは思いますが、気持ち悪いとかありませんか?」


葡萄のように艶めいた瞳が除き混んでくる。


毒とはなんの事だろう?

それにこの白髪の少女(・・)は……。


「!?」


アーゼスはガバッと飛び起きた。


思い出した。

嵐の中、沈む船。

突然現れた氷山。気力だけで泳いだ海。燃やされた服。殴られた頬。ナイフ。

『角の女』、『白い少女』。


(…そうだっ!俺はっ)


「動けるみたいですね。じゃ、師匠、あとお願いします」

【任せろっ。悪党に相応しい修行を課してやる!】

「……頼もしい幽霊……流石キノコの師匠……」


状況整理もままならぬまま、気づけばアーゼスは『幽霊』にしごかれていた。




【弱いっ!身体はもとより精神が弱いっ!】

「っ、あがっ……」


訳がわからないうちに打ち据えられた。


何かが迫ったと思ったら、アーゼスの身体は吹き飛び、氷の大地に沈んでいる。

冷たい氷に痛め付けられた患部がじんわりと鎮まる。

だが、息つく間もなくまた何かに殴られる。


『幽霊』は騎士の格好をしている。剣ではなく大盾を持っているがそれを動かしたようには見えなかった。

動いているのは『幽霊』のマントだけだ。

風に吹かれるマント以外は、『幽霊』すら動いていない。

なのに殴られる感触があり、事実アーゼスは吹き飛ばされる。


『角の女』もなぜだか参加している。


無表情にこちらを見ていながら希に氷をぶつけてくるのだが、当たったら死ぬような塊を投げてくるのだ。

細い身体なのに怪力過ぎる。

必死に避けても『幽霊』に殴られ、『幽霊』を気にすると氷に圧死させられそうになる。


納得がいかない現象に苛立ちが募るのは仕方ないだろう。


海で難破して泳いで、たどり着いた先で身ぐるみ剥がされて裸のまま暴力を受ける。

意味がわからない。

分かりたくもない。


「っ、殺せっ!いっそ殺せー!」


虐げられる屈辱に死を望む叫びを上げていた。

本当に死ぬ気なんてもちろん無い。ただヤケクソで叫んだだけだ。


【ハッ!死に逃げるかっ未熟者!】

「……死んだら楽になるなんて、甘い……」


だからこう返された時に、生来の負けん気が悪態をつく。


(本当に死ぬ気なんかねーよ!死んでたまるか、死ぬもんかで生きてきたんだっ。こんな海の真ん中で、わけわかんねーお前達に殺されてたまるかっ!クソッタレっ!!!)


ゼーゼーと荒い呼吸をしながら頭の中で反発するものの、実際に声に出したらまずい事は理解していた。


この『幽霊』も『角の女』もとんでもなく、強い。


アーゼスの知る最強は剣術の師範だが、彼すら足下にも及ばないレベルだと分かる。

弱者だからこそ、分かる。


動きが見えないのではなく、動いたこと(・・・・・)が見えない。


そんな奴等が本気になれば、否、本気にならなくともアーゼスなど羽虫の如く殺せてしまうだろう。


だから下手な事は出来ない。

死にたくないから。



ビュッ!



風を切る音がしたので出所を探れば、さっきの『白い少女』が剣を振るっていた。


上から下に。ただ振り下ろす。

静かに、ただ振り下ろす所作。

重さを感じさせず剣を振り上げピタリと静止する。

真上に上げて、振り下ろし、止まる。ピタリと止まる。


腕しか動いていないように、他は微動だにせず、繰り返す。


細い小さな身体だ。なのに今あの身体はどれだけの筋力を酷使しているのか。

どれだけの精神力と集中力で身体を動かしているのか。


海に向かって切り込まれる一閃。


見惚れてしまい半開きになった口内はカラカラに乾いていて、鼻の奥まで傷んでしまったかのように痺れた。


【…どうだ小僧。多少なりとも武芸を嗜んだなら解るだろう?あの子がどれ程のものか】


『幽霊』が諭すように話しかけたが、アーゼスには応える余裕もなかった。


(……なんで……なんであんな子供が出来て……俺は……)


嗜まなくとも分かる。


『天才』なんだと。


才能があるから、出来るんだと。


才能が無いからアーゼスには出来なかった。


どんなに努力しても、耐えても、忍んでも、清廉でいても。


何もアーゼスには掴めなかった。


あんな子供が容易く出来るのは『才能』があるからだ。

才能という大地があって、努力の種を蒔けば花開く。

大地もない、種もないアーゼスに、出来る訳がないのだ。


(…………クソッタレっ……!)


妬ましくて悔しくて心が痛い。

歯がゆくて悲しくて心が泣いている。


(…クソッタレ……クソッタレっ!)


こんな所まで"現実"が追いかけてくる。

逃げ出して遭難した所でも実感させられる。

何かに負けた、敗北感。何も実らない無力感。

暗くて重い嫌な感情だけが追いかけてくる。


負けまいと努力しても、易々とアーゼスを越えていくモノ達。

そういった奴らを見るたびに、自分が嫌になる。


理不尽な現実にグラグラする頭を抑えてみたが、目眩が止まらない。

というか、身体が揺れている。

地面が揺れている?


(っ、なんだ!?)


いつの間にやら氷山は揺れに揺れて、終いには破裂したかのようにバラバラになってしまっていた。

さっきから次々と起こる異変についていけない。

ついていけるはずがないだろう。

不気味な唸り声と突き刺すような威圧にすくみ上がる暇もなく、アーゼスは見てしまったのだから。


『ドラゴン』を。


生物の最強種が長い首をうねらせて吠えていたのだ。


海という人間には圧倒的不利な場所で、ドラゴンに威嚇される恐怖。


「っ!っ!」


叫びたいのに掠れた息しか出てこない。

叫ぶことで自分を奮い立たせたいのに、それが出来ない。


小山ほどもある巨体のドラゴンは海洋種族らしく甲羅を背負った蛇のようだが、ただの蛇だとしても大きすぎて恐ろしい。


殆んどの場合捕食者となる人間があっけなく喰われるであろう強大な生物。そんなものを間近で見るのは勿論初めてのアーゼスは、恐怖によって引き起こされた無意識の震えすら自覚できないまま、焼ききれそうな意識を何とか繋いでいた。


気絶した方が楽だろうが、ここは海だ。


気絶したまま殺されるなんつ真っ平ごめんだし、海に落ちて溺死も嫌だ。


生きると決めたのだから、死ねない。

死んでたまるか。 

どんなにみっともなくとも生きていなければならない。

誇り高く死ぬとか、仁義を通して死ぬとかアーゼスには考えられない。

死んだら終わりだ。

汚くても生きていなければ帰れないのだ。

帰るためには生きねばならない。

無様でも卑怯でも生きて、生き抜くためには気絶等してられない。


手にしたナイフが熱い。


その熱さに励まされるように氷にナイフを突き立てた。


小さな刃は、けれどしっかりとその身を沈め杭の代わりになった。絶対に放すものかとナイフを握り、波に揺れる氷塊から振り落とされないように食らいつく。

『ドラゴン』は吼えなが海面を叩き、暴れ、嵐よりも激しい波が何度も巻き起こる。


本能でかじりついていた氷塊がまた揺れた。



……ガキィィーーン!……


鍛冶屋で聞くような固い音が鳴り響く。海ではまず聞こえない金属音。


(今度はなんだよっ!?)


天変地異にも似た状況の連続に、逆に腹が据わってきた。

次はなんだ?空でも割れるのか?

そう自嘲気味に顔を巡らせれば、『ドラゴン』の甲羅のてっぺんで『白い少女』が腕を振り上げていた。


上げて、下ろす。

短剣ではなく、拳を。

武器ではなく、肉体を、振り上げ、打ち下ろす。


まるで背負わない平然とした顔は、先程の打ち込みとなんら変わらない動作で。


目が離せない。

『ドラゴン』に挑む人間がいる。

"小さな人間"が巨大な力に立ち向かう、まるで絵物語のような出来事。

まるで。


まるで『勇者』の戦いのような。



少女の三撃目で甲羅はとうとう崩れた。

花が開くように、パラパラと剥がれていく『ドラゴン』の甲羅。


断末魔のような遠吠えをする『ドラゴン』。

可愛らしい顔で微笑む少女は『ドラゴン』の上で世界を見下ろすかのように立ち。


これこそ『勇者』だと。


勇気ある、知恵ある、力ある、選ばれた『モノ』だと。


アーゼスは悔し涙で視界を滲ませながら、自分は『あんな風』には成れないと、またも現実を叩きつけられた。








(……クソ……クソ……)


だからアーゼスは染まってしまう。

自分の黒い感情に。


成れないと分かっていたが、成れると言われて。

だから鍬を剣に代えて、努力した。


なのに、なのにやはり現実は痛い。

アーゼスの現実は茨道で、真っ暗で真っ黒で。


棘がささる。

チクチク、ザクザク、ブスブスと。

穴が空いていく。身体に、心に。

信念に。


穴だらけの身体でも、死にたくないと頑張ってきたのに。



今度は染まってしまう。流れる血で真っ黒に。




妬みで染まる、真っ暗に。



……クソッタレ……!










嵐を乗り気って師匠や鬼姫にイビられてもなんとか生きてるアーゼスは、実はけっこうすごい子なんです。

称号のせいでか~な~り成長が遅いだけで、頑張れば頑張っただけの能力が手にはいるのです。

ただ、彼は人間関係に恵まれなかったのでグレちゃいました。

ほんとはいい子なんです。

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