勇者はこんな人?
(……っ失敗した!)
アーゼスは臍を噛んだ。
逆上したとはいえ、相手をキチンと確認せずに行動に移したのは痛恨のミスだ。
しかも、
『殺されたくなかったら言う事を聞け!』
などと、悪党としか思えない台詞まで吐いてしまった。
言ってしまったことは取り消せないし、やってしまった事は覆せない。
なら突き進むしかないと腹を括ろうにも、現実は残酷過ぎる。
隔てる物のない朝日が氷に映りこみ、幻想的な美しさが建物の中を漂う。
虹色に煌めく柱に床。
凍えた空気すら光を反射するような中でアーゼスは吹き出す汗を止められない。
(クソッ!最悪だっ!)
恫喝にも動じないで出口を塞ぐ二人。
片方はどう見ても『人外』だ。
どうにかなるはずも、勝てるはずもない。
アーゼスの現実はいつだって残酷で底意地の悪い、暗い茨道でしかなかった。
◇◇◇
吹き飛ばされた衝撃から目覚めると、目の前にナイフらしきものが転がっていた。
無我夢中でそれを手にする。
するとほんの少し安心した。
握った感触を確かめてみると、不思議に馴染む。
更に安心した。
(さっき…俺、殴られたのか?)
暗い中ではよくわからなかったが、"女"に馬鹿にされて悔しくなったのを思い出す。
平手を受けた顔が熱くて痛い。
ぶつけた肩や腕が痺れる。
(何も知らないくせにっ!)
焦りと怒りで冷静さがなくなりやすいのがアーゼスの難点だ。
浅慮に仕返しを考え、ナイフを握りしめながら辺りを伺うと寝ている"女"が目に入る。
此処がどこか、何故寝ているのか、そんな事はどうでもいい。
ただただ、さっきの奴らに一泡吹かせたかった。
『勇者』なんかになれないのは、アーゼスが一番知っている。
期待され落胆され、酷評と共に蔑まれる。
仕方ない、『勇者』じゃないんだから。
だけど、だけどもなんで、なんで何も知らない奴らにバカにされなければいけない。
金髪の女にナイフを突きつけて揺り起こそうとした時、鋭い視線を感じて振り返った。
ゾッとした。
朝日が透ける鈍い明るさの中に闇のように立つ"女"に。
光彩が飲まれたかのような黒い瞳でアーゼスを睥睨していた。
続いて現れた小柄な"娘"もビックリしたようにアーゼスを見た。
その視線に思わず叫んでしまったのだが、もう引き返せない。
ならば、進む。
茨道だろうが進んでやる。踏みしめて潰してやる。
足が傷ついて血が流れたら、全てを染めて、自分だけの道にしてやる。
真っ赤に染まる道を歩いて、生きてやる。
決心と共に震える腕に力を込めてナイフを握る。
小さな武器の冷たさがアーゼスの集中力を高めてくれるようだ。
相手が驚いているうちにざっと確認する。
人質にした金髪の女はグッタリと項垂れ、意識がない。
今すぐ反撃に出ることはないだろう。
二人組の片方、小さい方はまだ子供だろう。
顔のサイドだけ赤色の真っ白い髪が目立つが、パッチリとした紫の瞳が映える可愛らしい造形の顔はそれ以上に目を引く。
着ている物も一目で上等だし、金持ちか貴族の箱入り娘のような雰囲気だ。
なんというか『守ってあげたい』と思わせる可愛さだ。
そして、もう片方。
こっちは危険だ。
『角』がある。
しかも王冠のように頭を廻り、立派で美しい二本角。
どう見ても小鬼や妖鬼ではない威厳すら感じる『角』が何なのかは解らないが、先程の平手といい通常の魔物ではないだろう。
人間の少女にしか見えないのに異質な存在感。
震えがくるほどの美貌は神々しさすら醸し出して。
(…っなんだ?コイツら!?)
改めて見て考えると、おかしな三人だ。
魔物と人間。女だけ。子供もいる。
大人も男も見当たらない。
(俺みたいに嵐に遭った?なんとかこの氷山にたどり着いた……いや、落ち着きすぎだろ?)
だいたいさっきの会話でもアーゼスを軽んじた発言をするだけで、遭難に怯えるそぶりすら無かった。
非力な少女達なら『勇者』と名乗った男に少なからず頼ろうとするだろう。
泣いてすがってきたに違いない。
だが彼女達はアーゼスの衣服を剥ぎ、燃やし、『自称勇者』だと看破してきた。
こちらが泣きそうになってしまったくらいだ。
「……見てキノコ……意識不明の人間を人質に、脅迫してくるようなヤツなの……『勇者』どころか、クズよ……捨てたほうがいい…」
呆れたような声が黒髪の鬼から発せられてアーゼスは我に返った。
次いで白髪の少女が答える。
「た、確かに…『勇者』様がこんな事しませんよね……」
悲しげに見つめてくる少女に罪悪感が膨れ上がってくる。
突発的に起こした行動だが、『勇者』どころか人間としての倫理観からも外れるような野蛮な行為だとは分かる。
「えっと、じゃあ…どうしましょう?人質解放の為に交渉して…」
「必要ない。犯人も人質も人間…。どっちも捨てる…」
「いえ、せめてタンポポさんは助けたいです!……犯人さんは、まぁ、仕方ないかな…?」
ヒソヒソと話し合う内容はアーゼスには歓迎できないものだ。
最悪、この人質の女すら見捨てるつもりらしい。
「っおいっ?!大人しくしろ、じゃないと…」
アーゼスの言葉は続けられなかった。
『鬼』が視線を合わせて来ただけで、背筋が凍る。
「……じゃないと、だって…。何をするのか見物…。そのナイフで女を殺すの?私達に向かってくるの?………」
「…あ、そういえばあのナイフ僕の」
「っ!…キノコのナイフ!!?」
「あ、はい僕のっていうか…」
キノコと呼ばれた少女が指差してきたので慌てた。
確かにナイフは拾った物で、アーゼスの所有物ではない。ただそれを指摘されただけなのに、盗人扱いされたわけでもないのに、反発心がムクリと沸き上がる。
「黙れっ!黙れよお前らっ!」
「っ!」
「………」
「いいから答えろ!ここは何処だっ!?お前達何者だっ!?」
キノコがビクリと震える。鬼の目つきが険しくなる。
可哀相だとか怖いだとかを考えられずにアーゼスは更にまくし立てる。
必死に叫ぶのは自身の矮小さを覆い隠すためだ。
キノコは首を傾げて思案げに答えた。
「えっと僕はキノコです。此処がどこかはわかりません。僕達遭難してるらしいですよ?」
「…海…」
「あ、そうですね。海に浮かんだ大きな氷の上にいるっていうのは解ります。海がどこにあるとかはわからないです」
「じゃあお前達は何処から来た?船は何処の船だ!?」
「船?」
反対側に首を倒してキノコは悩む素振りを見せた。
「船…って、水に浮かぶ箱ですよね?確か。見たことないですよ、僕」
「嘘つくなっ!じゃあどうやってこんな海の真ん中に来たんだよっ」
「来たというか…飛ばされたんですけど………あの、偽者さん、タンポポさんには触らない方がいいですよ?………あ、でももう…」
要領の得ないキノコの説明にイライラしだしたアーゼスは自分の呼吸が苦しくなっているのに気付かない。
タンポポに触れている部分が赤く腫れだした事にも気付かない。
アーゼスは知らないがタンポポと呼ばれた娘は『毒姫』である。
接触感染で相手を毒状態にするタンポポにアーゼスは半裸で接している。
気絶しているからと油断出来る相手ではない。
けれど混乱と怒りに満ちているアーゼスは自身の異変に気づく余裕がなかった。
興奮する熱が、冷えたナイフを温く暖める。
冷たさを感じなくなったせいか、冷静さもなくなっていくようだ。
「……?何か、くる?」
「あ、鬼姫様は気づきましたか?あのナイフ……」
またもやアーゼスを無視したヒソヒソ話に理不尽な怒りが燃え上がる。
もはや子供の癇癪と変わりない。
「っお前達、いい加減にっ……」
突如ナイフが震えた。
アーゼスが何かしたわけでもなく、金髪の女も動いていない。
気のせいか?とアーゼスは視線だけナイフに移した。
錆びのない刃がキラリと光るナイフは刀身に何かを写していた。
(……誰だ?)
角度からいって、タンポポの肌が写るしかないそこに見える『眼』。
不気味にこちらを見ている。見ているのが分かる。
分かってしまった。
青白い炎のような眼窩と目が合った。
「ーーーっ!」
アーゼスの声無き悲鳴が咽を震わせた。
カランッ、とナイフを落とした音がやけに響く。けれど視線は絡みあったまま。
自分を見つめる凍えた視線にアーゼスは縛られた。
石になったような身体は動かず、頭の中がガンガンと鳴っている。血だけがグルグルと急速に巡り、異常な緊張で汗が吹き出る。
氷の床に落ちたナイフがまた震えた。
するとキノコが声を投げかけてきた。
「あの…とりあえず……おはようございます。師匠」
アーゼスではない、誰かに向かっての挨拶。控えめで優しげな声色なのに不気味に耳を打つ。
その声に反応したかのようにナイフが大きく揺れる。
そうしてブワリと真っ黒い靄が吹き出て、アーゼスの眼前を覆った。
その靄の中からもずっと外れない視線。
ずっと見つめてくる鋭い凶眼。
(あ……な、なに……)
飲み込まれそうな意識を必死で繋げて踏ん張るアーゼスだったが、そこまでしか気力はもたなかった。
だから。
【…なんと卑劣で脆弱な魂かっ!!許せん、見ておれんっ!その性根ごと討ち壊してくれるわっ!!覚悟しろ小僧っ!】
いきなり現れた『鎧騎士』に浴びせられた怒声に、成す術もなく白目を向いて倒れたのだった。
鬼婆と呼んで恐れた祖母が、アーゼスを叱る時と何故か似た気迫に。
涙しながら。
お分かりかと思いますが、アーゼスと師匠は『・・』です。
悪霊に成った騎士と勇者に成れないチンピラ。
第二章はこの二人とキノコの成長を書いていきたいな、と思います。多分…。
 




