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魔女の掌 ~てのひらの外~

グロい描写あります。注意!

寒い。


寒い、寒い、暗い、暗い………。


寒くて、暗くて……重くて…冷たい……。


何が冷たいのだろう?何が暗くて、重いのか?

ああ、考えたくない…。


ひどい倦怠感だ。瞼を上げるのも苦痛でしかない。空腹だ。空腹過ぎて寒い。

このまま眠りたい。

眠って楽になりたい。


そもそもこんな酷い感情を抱いて起きる意味があるのか?

起きたら、目覚めたら、またあの冷たい……。




……パチリッ。


何かが爆ぜる音がした。

何が?と興味が引かれたので目を開けてみる事にした。億劫だが好奇心が勝った。


歪んだような視界をよくよく懲らして見れば、暖炉に向かって女官が何かを投げ入れていた。

だが微かにしか火が残っていないそこに()べる物等、もう無かったはずだ。

薪も、油も、椅子も机も布も紙も。

燃える物はなんでも燃やした。

家も、馬車も。

人間も。


燃やしてしまったはずではないか。全部燃やして、無くなった。


だからこんなにも寒い。寒くて痛い。


またパチリッと音がしたが、やはり火が燃え上がる事はないようだ。

少なくとも燃料ではないのだろう。

何を投げているのだ?


暗い明かりが照らす女官はガサガサになった肌を隠す服を着ていない。

燃やしたからだ。

枯木のように痩せ細り、ひび割れた爪をかじりながら窪んだ眼で暖炉を凝視している。

浮いた背骨を丸くしてまた何かを暖炉に焼べた。

投げ入れた風圧で火が揺れる。

ユラユラ、フラフラ、まるで笑うように揺れる。


ああ、そうだ。

笑っていたのに。

皆が皆、笑って冬を迎えて、春を待ちながら歌い、雪解けを待って祈っていたのに。

なのにこんなにも寒い。

寒くて寒くて、冷たい世界でそれでも祈って、頑張っていたのに。


こんなにも暗い。


暗い広間。ここは何処だったか?

床に散らばる死体は誰だ?

死んだら燃やして火を大きくしなければ。早く暖炉に入れろ。

もったいない……。

火を絶やさない為に、燃やさなければ。

寒いのだから、痛いのだから………。


パチリッ。


そうだ、そこの女官。

死体を火に焼べろ。何を投げているのか知らないが、人間の脂を燃やせ。

死体を燃やせ。

人間を燃やせ。

生きていたら殺して燃やせ。


生きたまま燃やせ。

火に()べろ。

燃やせ、燃やせ、燃やせ……。







「……ふむふむ、なかなか見応えのある様相ですね」


音さえ沈む静けさに、朗々と響く声。

さして大声でもないのに響くそれに、上座にうずくまる"影"が反応した。


「おやおや?生きているのは一人だけ、ですか」


どこか愉快そうに話す男の声が近づいてきた。

耳障りの良い声だが、何故か粘つくように心に絡み付く。

聞きたくなくても聞かなければいけないように、じっとりと。


そしてその声の言う通り、女官の投げる音は途絶えていた。

萎びた身体は暖炉前に転がって動かなくなっていた。


暗闇からスルリと現れたのは金髪の美丈夫。

仕立ての良い服装、優雅な所作。

貴族にも負けない気品で歩きながら、何故か些かも音がしない美しい靴先が近づいてくる。

本人が発光でもしているのか、不思議と暗い室内でもその全貌がはっきり見える。


"影"はブルリと身震いした。


怖い、逆らえないと本能が警鐘を鳴らす。


片眉を持ち上げて面白そうに見てくる『男』。綺麗な姿勢で一度ぐるりと広間を見渡し、口の端を上げた。


「死屍累々、阿鼻叫喚、有象無象、塵芥。人間世界の縮図ですね、ここは。全てを犠牲にして生き残る最後の一人。見物ではあるが醜い醜い」


笑って話しているが、笑っていない。


「まぁ、今回の被害は巡り合わせの悪さ故の事ですから、多少は同情したのですけどね。それでもこの最後は……。『王』が生きていれば良しとした結果なんでしょうか?」


何を言っているのか"影"には分からなかった。

『王』は生きなければならない。生きて国を導かなければ。民を守らなければ。

だから『王』の為にみんな燃えたのだ。

最後まで『王』の為、国の為に。


「…同じ人間を殺し、燃やし、空腹故に食し、骨まで燃やし……。『王』の為に全てが食われた…。ああ、まさしく『強欲たる』人間ですね」


カランと音がして死体から骨が崩れた。

そうか、そうだった。女官は骨を投げていたのか。

「疲れて動けない、お腹が空いた」と言うから、「なら自分を食って骨を焼べろ」と命令したのだ。

忠義に厚い女官は、死ぬまで火の番をしていた。


そうだ。『国』の為にだ。

『国』は『王』だ。


雪で潰れる家屋から木材を剥ぎ、無事な家屋を燃やし暖を取り。

餓死と凍死でバタバタ倒れた国民を燃料がわりにし、肉を剥いで空腹を癒し骨まで燃やして。

兵士を燃やし、大臣達を喰い、王妃の髪に火を着けて、王のローブまで燃やして。


全ては『王』の為だ。


「…そうして残ったのは"雪と骨の王国"。フフ…『王』とはなんでしょうね?骨になってまで仕えるのは果たして本当に『王』でしょうか?…いや、『王』だから骨すら従える?………ふむ、面白い歴史だ。記憶しておきましょう」


あご髭を撫でながらしみじみと語る『男』は窓を見た。

王宮は光がない。

窓枠さえ燃やして空いた穴には石を詰めて補った為もあるが、雪に埋まっているからだ。

空気が凍る。

息が凍る。


"影"は細い息を白く吐いた。


「…ふむ、あまり長居しては失礼ですね。用件を済ませましょう。お預かりしていた荷物の返却です。少々壊れてしまいましたが、まだ使えます」


『男』の後ろから何かが這い出てきた。


四つ足の獣。

毛がないツルリとした四肢を引きずるように出てきたそれら(・・・)は血走った眼光をせわしなく動かし、涎をポタポタと絶え間無く床に落としている。

獣に挟まれながらにこやかに立つ『男』は、獣の汚さのせいで美しささが際立って見えた。


「鎧の性能でなかなか死なないので、色々と試せて楽しかったですよ?まぁ人間らしさは無くなったようですが、貴方には相応しい家来でしょうね」


『男』が手を打つと二匹はのそりと前に出て、周囲を伺いながら"影"に近づいていく。

"影"はそれをぼんやりと眺めた。


「死なないので食費をかけないでいたら、飢餓がひどいようで。何でも食べるようになりました。進化ですかね?多分この部屋もすぐに綺麗にしてくれるでしょう。それでは私はこれで失礼しますよ」


『男』の背中でコウモリのような羽が動いた。


獣の後ろで背中を向けた『男』が闇に滲むように姿を消していく。

"影"の目前まで迫った獣が汚れた手を伸ばしてきた。

やはり毛が無い獣だ。

身体には人間のように鎧を巻いて、まるで兵士のようだ。

"影"の視界が獣の手で覆われる。

その隙間から『男』が振り返るのが見えた。


「…さようなら、『ザリオン国王』。最後まで貴方は『王』でしたよ」


もともと濁っていた"影"の視界は真っ暗になった。

何かがカランと落ちる音がして、そういえば暖炉の火はどうなったかと思った。


火を()べろ。

燃やすのだ。


カランカランと転がる音。ボキリと体が鳴る音。たくさんの音が久方振りに鳴り響く。


賑やかな音に、楽しくなる。

そうだ、皆で歌え。春を呼べ。雪を溶かす笑いを、叫びを上げろ。

火を焼べて踊れ、舞われ………。





カラカラと転がり、骨の死体にぶつかり王冠は止まった。






◇◇◇






短い夏が始まっていた。


今年はいろんな惨事が重なり例年以上に寒い夏だが、洞窟にはあまり関係ない。


常に涼しい鍾乳洞に帰った悪魔は自分の椅子に座る人影に目を細めた。

本当に『人影』だ。

濃淡で影を表現した人型の靄のようなモノが足を組んで座っている。

薄っぺらい影は、しかし悍ましい威圧で悪魔を出迎えた。


『…どうだった?久方振りの外は?』


甘いような刺のような声で悪魔に心境を聞いてくるのは『魔女』。

今回は"影"だけで来訪したようだ。

悪魔は慌てず、いつも通りに口の端を持ち上げ、微笑する。


「どう、とは?変わりありませんよ、そうそう変わるモノではないですからね。世界は」

『そうね』


自分から聞いておきながらあっさりとした返答であったが、悪魔は別段気にしない。


「ザリオンはこれで終わるでしょう。あの二匹も最後は共食いです。それで宜しかったのですよね?」

『ええ。本当は土地ごと消滅させたかったけど、あんな状況じゃ意味ないしね。もういいわ、あんな国。……………それで?どういう事か説明する気はあるの?』

「おや。何のことでしょう?」


悪魔はとぼけてみた。

無駄な事だとわかっているが、こういう応酬が楽しいのだ。


『……ま、これで素直に話すあんたじゃないわね。じゃあもう少し詳しく聞きましょうか。『転移魔法』を誰から預かって、どうしてキノコに使用したの?』


ただでさえ魔女の気迫で張り詰めていた空気が更に凍てつく。

けれど悪魔は穏やかな笑顔でそれを受け流した。

余裕からか、矜持からか。



最下層の溶岩地帯からキノコが消えたのは数時間前だ。


キノコとともにいた魔女にはその"力"が何なのかすぐに解った。

禁断魔法に分類される『転移魔法』。

簡単にいえば物体を離れた場所に移動させる魔法だが、制御が難しく、暴発しやすいが故に禁断にされた危険な魔法だ。


『転移魔法』はかなりの魔力と技術が必要な分、発動すると魔女でも抵抗するのは難しい。

なので分身から強制離脱をさせられ、意識が吹き飛ばされた為のダメージがとんでもなかった。それくらい高度な魔法なのだ。

だからこそ悪魔が『転移魔法』を使ったのにも最初は懐疑的だった。


ハイレベルの悪魔だがそれでも彼に使いこなせる魔法ではない。


だがしかし、悪魔しかあそこでは使えなかったのも事実。


ならば、何者かの介入があったはずなのだ。


道具か知恵か、補助という力でもって『転移』は完遂されたと考えれば納得いく。



「さてさて…それを話したら私はこの場所から退去せざるを得ません」

『そう……つまり私が怒ると解ってやったのね』

「そうですね。貴女はともかくキノコさんに手を出したらマズイとは理解していました。けれど私にもいろんな事情がありましてね……」

『…いいわ。殺すのは止めてあげる。だから話しなさい』


にんまりと悪魔は笑った。

魔女としても殺す気はあまり無かったが、それでも言質をとろうとした悪魔に乗っからなければ話が進まない。


「簡潔に言えば、『魔女の掌』に力が集まりすぎだという事らしいですよ?」

『……簡潔もいいけど詳しく』


簡潔過ぎて結果論だけ告げられてもわかるようで解らない。


「ふむ…。魔女よ、貴女は世界の一端を担う強者ですね。疑いようもなく強い。貴女の管理下にいる野蛮人も人間としては異例の強さですし、鬼一族なんて脅威です。ドラゴンもいましたね。この『魔女の掌』を派閥と呼んでいいかは難しいですが、外部からは迷惑な一大勢力だということです。……さて、そこに新たにキノコさんが加わると…」

『軍事バランスが崩れる?』


魔女の先読みした発言に悪魔は肩を竦めた。


「魔女の養い子であり、野蛮人(ギリル)と互角以上に渡り合いミスリル銀製の剣でも倒れない。更に秘匿している能力は未知数。おそらく私でも敵わない存在。魔女にこれ以上"力"を与えるのは危険だとした勢力があるわけです」

『…で、キノコを私から離して、自分達が手に入れる?』

「とりあえず離別させるだけだと聞きましたが、まぁ、そうなるでしょうね。キノコさんは優秀過ぎる逸材ですから」

『勝手な話ね。キノコは私の物なのに』


魔女の声に怒りが混じる。


間諜がいるのはわかっていたが、まさか『語られる魔女』の養い子に手を出すとは思わなかった。

甘いといえばそれまでだが、魔女は自分の存在を充分自覚している。

だからこそキノコを洞窟に放していたのだ。

最も、その甘さが先の事件を起こしたのだが…。


『それで『転移魔法』?危ないにも程がある。あんた、魔法の詳細知らされてた?』

「それほど詳しくは……。ただ"身体を飛ばす"ように魔法を編んだらしいですよ」

『"身体を飛ばす"、ね。だから私は弾かれたか』


複雑怪奇な魔法は設定が難しい。

何時、何処で、何を、どれだけ、どんなふうに、どうやって、何処から何処まで。

そういった制限を事細かく編まなければ『転移魔法』は完璧には発現しないのだ。


キノコの持つ人形は魔女の本体では無い。

魂が身体と結び付いていなかったので、魂が置いていかれたのだ。

その点においては今回の魔法は完璧だったといえる。


ならば、鬼姫と毒姫は何故巻き込まれたのか?


そもそもキノコが標的なのだから、あそこで発動させても悪魔になんのメリットもない。

この悪魔ならもっと上手く巧妙にキノコを拉致出来たはずではないか。

わざととしか思えないような杜撰な手口。

悪魔は相変わらず穏やかな風情で立っている。


『転移魔法』『キノコ』『巻き添え』『悪魔』『杜撰な手法』。


魔女は一瞬で考えをまとめた。


『そう、あんたは悪魔(・・)だものね。『魔王(・・)』には逆らえない。魔王なら『転移魔法』もお手の物。キノコは魔王に目を付けられたのね』


微笑みながら悪魔は頷く。


『でも、あんたが忠誠を捧げたのは当代魔王じゃない。敬意はあっても従う理由は無かった…。"盟約書"でも持ち出された?』

「……あれを出してくる魔王は初めてでしたよ。気概があるのか小物なのか、判断に困るところです。……だが、協力せざるを得ない」


グニャリと顔を歪めて語る悪魔は珍しい。


『だから、わざと失敗してやったの?』

「失敗?していませんよ?ちゃんとキノコさんは『転移』しました」

『転移先が魔王領域から離れた海、しかも『雷王』の陣地付近じゃない。わざとでしょう?』

「おや?座標が狂ったのでしょうか?それにしても既にキノコさんの居場所を把握しているとは脱帽ですよ。……まあ、魔力が爆発していた姫様と私の魔法が付加された捕虜が、偶然(・・)巻き込まれましたからね。魔法がおかしくなったのかもしれません。大変ですね」


フフフと笑う悪魔は確信犯だ。


気に入らない当代魔王に意趣返しとして、『転移魔法』をわざと失敗させたのだろう。


もちろん、魔王ならそれに容易く気づくだろうが、だからといって罰する事は出来ない。

悪魔は協力した。ただ、成功はしなかっただけだ。

それを押し通すだけの力がこの悪魔にはある。


『なるほどね。結果まではあんたの責任じゃないと』

「はてさて?なんの事やら?」


意味ありげにあご髭を撫でる悪魔はそこで少し間を置いた。

心なしか緊張しているようにも見える。


「さて…私自身に魔女への反意はありませんが、敵対したといっても過言ではない所業です。殺さないとはいえ、退去だけでは済まないでしょう。どうなさりますか?」


言質を取ったくせに罰の加算を申し出る悪魔を魔女は眺めた。

長い付き合いではあるが、深い付き合いではない。知っている事は多いが、真実は知らない。

魔女も悪魔も嘘で付き合ってきた。

だから嘘と本当がすぐ分かる。


悪魔は本当に罰を受ける気だ。


死ぬ訳にはいかないから言質をとっただけで、相応の代償を払うつもりだったのだろう。

潔い悪魔だ。

人を弄び悪戯に混乱を招く性分ではあるが、逃げも隠れもしない態度は昔から変わらない。


だから魔女も、少しだけ本当を見せようと思った。

最後くらい、本音を出してもいいだろう。


『…当代魔王から命令されたのは本当?』

「ええ、間違いないです」

『魔王以外からの接触は無かった?』

「最初の接触は旧友の『鱗光伯爵(りんこうはくしゃく)』でしたが、その後は魔王でしたね」

『………『詐欺師(アイツ)』は………』


言いかけて魔女は躊躇った。

これ以上は危険かもしれない。アイツ(・・・)はどこにでもいる。


シルドレスからキノコを奪う等、アイツが考えそうな事だと思うが確信はない。

それで疑いをかけると何をしてくるか解らない危ない奴なのだ。

下手に魔女が動くと、ますますキノコに危険が及ぶかもしれない。


『……』

「魔女?」

『…いいわ、洞窟から出ていけばそれで許してあげる。魔王が相手なら仕方ない所もあるし、アンタもやり返したしね』

「それは……よろしいので?キノコさんを危険な目に合わせた、いえ、現在進行系で合わせているのですよ?それに貴女は『制約』でここを動けない。動く為の許可を得るのには時間がかかり、結局『聖樹』の最後にも間に合わなかった…助けにはいけないでしょう?」

『あんな事件があったキノコを、平凡な装備で歩かせる私だと思う?』


目をみはった悪魔は魔女の言葉に溜息をつき、納得するかのように何度も頷く。


「いやはや、流石魔女ですね。ちなみに何時もキノコさんが持っていた短剣、あれと同レベルの装備ですか?」

『あの短剣も鍛え直してあるわよ』

「………フフフッ素晴らしい!一騎当千ですね!」

『…それに、魔王が出てきたならキノコを隠すだけ無駄でしょう。いっそ争奪戦(・・・)にした方が策謀いらずで楽かもしれないしね』


キノコの現在位置は遠く離れた『海』。

世界の海は『海王』のナワバリだが、近くには『雷王』の根城がある。


どちらかの『王』がキノコに接触し、片方を触発するかもしれないし、『魔王』が出てきたらそれはそれで三つ巴の戦争になる。

キノコは戦力としては一級品だ。

戦争馬鹿の『王』は欲しがるが、手に入れるには同じ考えの『王』が邪魔だ。

互いに牽制しあえばいい。


こんな事態を想定しなかった訳ではないが、ひょっとしたらアイツ(・・・)が何かしてくるかもと、キノコには過剰な装備を普段から着用させていた。


『王』相手でも引けを取らない装備に、様々なアイテム。


いつか旅に出るときに餞別として贈ろうと思っていたが、早くも役に立つことだろう。

心配ではあるが、『魔女』は動かない方が良い。


「恐ろしい魔女ですね。『王』すら駒扱いですか」

『あんたはこの後『魔王』の駒に就職するのかしら?』

「いえ、勧誘はされていませんからね。それにどうにも嫌な予感がしましてね……」


神妙な顔つきで悪魔は声を潜めた。


「見逃して頂くお礼に一つ助言いたします。『鱗光伯爵』の臣下、『濁り水(にごりみず)』とよばれる魔物がおります。急速に力をつけて伯爵の目にとまったようですが、どうもおかしいと私の勘が申しております」


これは本当(・・)だと魔女は感じた。


『『濁り水』?種族は?』

「不明です。いえ、弱小モンスターの進化後とは聞いたのですが、それだけではないような……」

『……ふぅん…ま、覚えておくわ』


魔女の言葉に悪魔は頭を下げた。


そうして彼の足元が闇に包まれていく。

そろそろ行くのだろう。


『そういえば鬼姫を巻き込んだ理由は聞いて無かったわね』

「おや?言わねばなりませんか?」

『どうせなら全部暴露していったら?』


ふむ、と首を傾げ、次いで悪魔はニヤリと笑った。


「姫様はキノコさんに執着しております。その恋心は彼を外界まで追いかけようとするほど。私は姫様に協力した代価に、お二人を観察する権利を頂きました。どうせ洞窟を出るなら"楽しみ"たいですからね」


ピクリと魔女の影は動いた。

それはつまり……。魔女を出し抜いてキノコに近づくということではないか?


「『制約』のある貴女の代わりに、キノコさんを影ながらお助けしてきます。御安心ください」  

『…どっちが本音でどっちが建て前なのかしら?』


悪魔の羽がバサリと動き、柔らかくゆっくりと腰を曲げてお辞儀をする。

美しい金髪をサラリとこぼして、"最後"の顔は魔女から隠れた。


「全部さらけ出すなら、どちらも本音ですよ」


甘い睦言のような響きで悪魔は囁く。

多分に笑いを含んで聞こえるのは気のせいではないだろう。

結局、この悪魔は人をおちょくるのが性分なのだ。


「では、失礼いたします。"シルドレス"、いつまでも美しい貴女でいて下さい」


そう言って悪魔は闇に溶け消えた。






最後に魔女を名前で呼んだのは、彼なりの激励だったのかもしれない。


『魔女』ではなく、『シルドレス』。


魔女ではなくシルドレス・バイバーハンを名乗るなら、頑張れと。

シルドレスの名前に何を誓ったのか、捧げたのは何か、思い出せと言われたようだ。


キノコを失ったのは痛い。心が痛い。

けれど先の事件の時に比べたらマシだ。痛くても泣くほどじゃない。

キノコは生きているのだから。


あの人(・・・)のようにはならない。


きっと帰ってくる。


シルドレス・バイバーハンの胸に帰ってくる。


だから頑張れる。


"シルドレス"は頑張る女なのだから。



そう、名付けられたのだから。











夜が明ける頃、遠い海の真ん中の魔法の氷山では、キノコと『勇者』が対面していた。













悪魔は、シルドレスを『魔女』と認めた最古参悪魔の一人です。なので力関係が逆転した今でも魔女は悪魔にあまり強く出られません。恩師みたいなものなので。

そういった経緯で、魔女の過去を知っています。


ザリオン王国は事実上滅亡しました。

タンポポがそれを知るのはしばらく後になります。だいたい今現在失神してますしね…。

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