目覚めたら……ヒト?
ゆるく柔らかく、ユラユラと。
自分が漂うのが分かります。
優しい風にも似た波の中で何回目覚めたでしょう?
そのたびに自分に言い聞かせるのを忘れないようにします。自分は、ここに。ここにいます。
そうしてまた眠ります。キノコの僕はここにいます。
安心出来る、ここにいます。
その時、気づいたら僕の周りは変な物が浮いていました。
葉っぱやら蜘蛛やら何かの毛やら……。気持ち悪くて逃げるように眠りました。
次の時は魔女さんと話しました。
この間起きた時の事を聞いたら、僕の体を造る為にあらゆる物を僕に融合させたんだと笑って教えてくれました。
何をどれだけ水槽に入れたか知りたいー?と聞かれましたが、知りたくないです……。
最近は目覚める間隔が短くなったようで魔女さんと話す事も多いです。
実験はまずまず上手くいっているようで僕の体もキノコとはいえない形状に落ち着いてきたそうです。
なんかおかしい内容があった気がしますが、気にしないほうがいいですよね。
今日は何を水槽に入れるんでしょうか?
「今日はこれー!『はじめてのもじとすうじ』!子供用の教育書ー!」
………え?
「あ、知らないかー?本だよ本ー。これを融合させるから中身も覚えてねー?出来るかな~?」
ほ、ほん?ってなんですか?あっ!やめて入れないで……!
「本は本だねー、知識を視覚領域から認識吸収しやすくした……」
ブクブクブクブクッ………。
ああーー!溶けるーっ!僕に溶けていくーっ!
「ふんふん、自然物よりも溶け方がはやいっとー。まあ、紙だしねー。さてさて融合は出来るかなー?」
わからないものを飲みこまされるのはとても怖いものです。まだ蜘蛛のほうが良かったと、僕は悟りました。
わからないのは恐いです。知らないのはしかたないですが、わからないのは恐い。ほん、が何かわからないのは知らないからです。
今、僕に呑まれているこれは、本。
もじとすうじ、文字もじと、すう、数字………。文字?数字?それはなんですか?
これはなんですか?
僕に流れて来るさざ波が高くなり、漂えない揺らぎになります。
でも、僕は、ここに。ここにいます。
「さてさて、実験も最終段階ー?頑張ったわねキノコー!」
………。はい、頑張りました。おかげさまで人間や魔族の文化や言葉、しかも古代のなんたらかんたらも知ってしまいました。
何故か重要な一般常識経済等が抜け落ちているのは偶然だと魔女さんも言ってましたね。
気にしません。
「うんうん、気にしないほうがいいよー?それにしてもキノコは優秀ねー?ホントに融合吸収してしかも理解するなんてー?知能高いのねー?」
お褒めにあずかり光栄です。
「あらやだー、嫌みまでいえるなんて~!最終段階を永遠に継続するー?」
………申し訳ありません。早急に実験の詳細説明をお願い致します。
「はいはいー、素直な事は財産よー?ま、説明と言ってもねー、これ入れるだけなんだけどー」
そう言って魔女さんは『肉』の塊を取り出しました。
え、何それ気持ち悪い…っ!なんかぐにゃぐにゃ動いて!動いてますよ!?
「これは私の最高傑作よー?傑作過ぎてもう造れないわね~、程度が低いのならなんとかなるかなー?ま、なんにせよキノコに進呈しましょうねー」
いや、なんですかその肉?いや、肉じゃない?ホントになんですかそれ!
「はい、投入ー!そうそう、これかなり強力な『吸収』の力もってるから、取り込まれないようにねー?」
ドボンッ!!
イヤアアアアーーー!!!
かつてない恐怖が僕を襲います。
森を追われた時も魔女さんの実験も、ここまで本能が引き攣るような恐怖は感じませんでした。
今までも生きたネズミとか蛇なんてものを吸収しましたが、それらとは違います。この『肉』は食う事しかない、意識も自我もない、本能しかないのです。
恐い!
ここは僕の中なのに、僕を飲み込もうと、中から喰って来るのです!
恐すぎます!イヤです!
飲まないで下さい!食べないで下さい!
僕は毒キノコで、ここにいるんです。ここにいたいんです!
僕を取らないで下さい!!
あたたかい、やわらかい、たくさんの、ひかり。
ゆっくりゆっくりうかび、うかびあがって、おもいだす。
おかあさん、おかあさんに、うまれた。
やさしいおかあさん。
もりをさがした、いっしょに。さがした、スライムさん。
やさしいスライムさん。
ひろってくれた、たすけてくれた、はげましてくれた、おしえてくれた。まじょさん。
やさしいまじょさん。
ここにいる、ここに、ぼくはここ、ここがぼく、これが、ぼく。
ぼくはぼく。
キノコのぼく。ぼくはキノコ。あるくキノコ。
僕はキノコ。
◇◇◇◇
ザブンッと音がした。
失敗だと諦めて、全部片付けてしまおうと思った時だった。
長年の研究の集大成と呼べる実験。不可思議なキノコに可能性を見て、その実験を託した。一方的に巻き込んでおいて失敗なんて、キノコに悪い事をした。
無力感の中でも失敗の原因と今後の予定を構築していく自分に嫌気がさす。
でもそれが私なのだ。
へたり込んだ自分に気付いて、溜息と共に水槽を見ると、やはりキノコの気配は無くなっている。水槽には肉片が浮かび、培養液が波打つだけだ。キノコは消えてしまったのだ。
意識体といえども死ぬ。
食われる恐怖だけで簡単に死んでしまうんだと、再確認した。痛みで死んでしまう人間すらいるんだから当たり前かもしれない。
でもキノコは異常にタフで飲み込みが早く、何より『聖樹』の落とし子だ。
ひょっとしたら、という希望がその当たり前に目隠ししてしまったのだ。
良いキノコだった。
卑屈だが基本は明るく、無知だが物分かりがよく従順。酷いめにあっても恨む事すら出来ない弱さだが、自分を変える強さを見せた。
良い心だった。
私が殺したんだ、私が消したんだ。また私が犯したんだ。
そんな時に聞こえた水音。
訝しんで水槽を見上げると、肉片が蠢き出す。
液のなかで膨張と伸縮、様々な動きで暴れ出すと、やがて小さくなっていく。
もともとは両手で抱えるくらいだった『肉』が、小さく、何かの形になりはじめる。モゴモゴと動きキノコの形に成った、と思ったら慌てるようにまた動き、一つの形で落ち着いた。
小さな子供。
人間、にしか見えない。
頭と手足、それをまとめる胴体。角や翼や鱗など余計な物は付いていない。
つるりとした肌に指のある手、まとまった造形の顔は眠るよう。
人間がいた。
正確にはまだわからない。
人間じゃないかもしれない。
形だけは人間でも、中身は違う、これまでもそうだった。だからキノコに賭けたのだ。
だが目をうっすら開いたその人間が、こう言ったのだ。
『……あれっ?泣いてるんですか魔女さん?』
思念波での会話。近頃慣れ親しんだ会話。
キノコだ。
キノコが人間に成った。帰って来た戻ってきた、ここに。
『語られる魔女』シルドレス・バイバーハンは漸く生涯の研究が完成したのだ。
人造人間には色々定義があると思いますが、あんまり突っ込んでいかないで行きます。