マジックミラー
店内に、客は一人だった。
店員も俺一人。つまり、店内には二人しかいなかった。
安っぽい、オルゴールアレンジのJポップがBGMとして流れていた。商品もまばらにしか置いてなく、むしろ何も置いてない部分の方が目立っている。
個人経営の、チェーンではないコンビニ。俺はここで先月からバイトをしていた。
楽そうだと思って始めたここでのバイトだが、あまりに暇すぎる。
でももう、あと三十分で交代。腕時計の針はちょうど、十一時半を差していた。
この後は友人の家で酒を飲みながら、B級ホラー映画で爆笑する予定があった。早く帰りたい。
たった一人の客が立ち読みにも飽きたのか、何も買わずに帰ってゆく。「ありがとうございました」を言う気にもならない。
歩いてゆく客だった者が、闇の中に消えてゆく。ここらは東京郊外。街灯も少なく、辺りは真っ暗だった。
フラリとレジを出て、雑誌棚へ行き、先ほどの客が読んでいた雑誌を元あった場所に戻す。
「立ち読みした本くらい戻せや……」
と、独り言ちる。
はぁー、と深く溜息をつきながら、誰もいない店内をふらふら歩いた。
すると、自動ドアが開いた音がした。
「……っしゃーせー」
心の全くこもっていない挨拶をする。
俺は店内にいるであろう客を気にせず、この後友人の家に買ってゆく菓子を選んでいた。
――やけに、物音がしない。
俺はそのことに気付き、店内を見回った。
誰も、いなかった。
ドアの前を誰かが横切っただけかな。そんな風に思った。
そのまま、バックヤードの方まで歩く。
バックヤードへのスイングドアには、マジックミラーがはめ込んであった。
誰もいない店内をバックに、歩いてくる俺がはっきり写っている。
俺はそのマジックミラーの目の前まで行くと、乱れていた髪型を直した。
前髪を直し、頭頂部の髪を立たす。
……そういえば、なんかさっきからまつ毛が目に入る。
マジックミラーに顔を近づけ、眼球にまつ毛が触れていないかどうか、確認する。
トンッ。
ドアノブの付いていない、押すだけで開く銀色のドアが、向こう側から押されたように、静かに揺れた。
近づけていた顔を戻す。マジックミラーには、困惑した俺の表情が写っていた。
――なんだ、今のは。
店内には、俺一人しかいない。もちろんバックヤードにも、誰もいないはずだ。
それに今の軽い音は、ドアには触れた音ではなかった。
明らかに、マジックミラーに触れた音だった。
――ふと、嫌な想像をしてしまった。
誰もいない、真っ暗闇のバックヤードにいる、“なにか”。
その“なにか”が、覗き込んでいる。
俺はマジックミラーに写った、俺の顔を覗き込んでいる。しかし向こうからは、こちらの様子が透けて見えているはずだ。
俺の、顔を、覗き込んでいたのだろうか。そう思うと、ゾッとした。
……待てよ……? さっき、自動ドアが開いた。
俺は腕時計を見た。十一時四十五分。
……なるほど、そういうことか。
俺と交代で、次に店に立つ人間。それは大学の先輩、山中さんだった。
そもそもここでバイトを始めたのも、サークルが一緒で仲のいい、山中さんの紹介だった。山中さんはいつもふざけてばかりいる、イタズラ好きな先輩だったのだ。
ははん。さっき入ってきたのは山中さんだったのか。それで俺にイタズラをしようと、静かにバックヤードに入った。
俺はなるべく表情に出さないようにし、もう一度マジックミラーに顔を近付け、目を見開いてまつ毛を整えようとした。
トンッ。
またマジックミラーに何かがぶつかる音がして、ドアが少し揺れた。
「山中さんっ!」
俺は笑いながら、勢いよくドアを押し開いた。
そこには、誰もいなかった。ただ、暗闇だけがあった。
「……どうした?」
振り向くと自動ドアがちょうど閉じるところで、不思議そうな顔をした山中さんが立っていた。