多感感覚
僕の先生が言うには、僕はとても感覚の優れた少年のようだ。
どれほど優れているのか例を挙げるのなら、僕は墓場に近寄ることができなかった。
これは、常人には理解できない感覚だろう。
勘違いしないで欲しいのは、幽霊が出るのが怖いとか、非科学的な理由では無いことだ。
なら、なぜ墓場に近づけないのか。
あそこは感情のたまり場になっているからだ。
多くの人間が誤解している事だが、感情というのは人間だけに宿るものでない。
長年愛した人形や、人を殺した凶器には、強い感情が宿ってしまう。
僕は見たことは無いが、九十九神みたいなものだろうか。
そんな理由で僕は、墓場に近づく事ができなかった。
では、墓場にはどんな感情があるのか?
昔、僕の友人も、そう聞いてきたことがある。
その友人も心の中では、僕の話をただの創作として聞いていた。ちょうど、君と似た感情を持っていた。
攻めてる訳じゃない、物に感情が宿る。なんて事は今のご時世では、小学生だって信じないだろう。
僕はそれで良いと思うし、それが羨ましいとも思う。
話を戻そう。墓場にはどんな感情があるのか。
悲しみ、苦しみ、怒り。そんな、感情なら良かった。
そこに有ったのは喜びだった。
誰の喜びだろう。死者の喜び? 遺族の喜び?
それは両方だった。
どうして喜ぶのか、そこまでは分からない。
ただどんな事情があるにしろ、最後は喜びに行き着く。
僕にはそれが分からない、理解できない感情は怖い。
でも、君には少しは理解できたんじゃないか?
感情を読むまでもなく真っ青な顔をしているよ。