ちゃいろいおべんとう
遠足の楽しみといえばお昼のお弁当、という話を聞くことがあるけど、私はお弁当の時間が好きじゃなかった。
小学四年生のとき、山登りの遠足があった。リュックを背負って汗だくになって歩いて、頂上につくとお待ちかねのお弁当。
クラスメイトのみんなは「やったー」と大喜び。仲のいい子が集まって、シートを敷いて、リュックからお弁当をとりだす。
フタを開ければ、おにぎりやサンドイッチ、そして色とりどりのおかずたち。たまご焼きにそぼろ、たこさんウインナー、ミートボール、ポテトのサラダにプチトマト、うさぎさんのリンゴ……みんなのお弁当はどれもカラフルで美味しそう。
それにくらべて、私のお弁当は――。
「うわー。また茶色いよお」
フタを開ければ、そこはいつも茶色の世界。ひじきの煮物や、切干大根、小魚の佃煮、豆や昆布、ご飯の真ん中には梅干し……おかずはほとんど煮物で、茶色くてとっても地味。
しかも、良く見ればそれは全部昨日の夕飯の残りだった。今日のお弁当のためにわざわざおかずを作ってくれるみんなのお母さんがうらやましかった。
「あ、それ美味しそうだね」
「ちょっともらってもいい? 私のと交換しよう」
なんて言いながら、自慢のお弁当を見せっこしたり、おかずを取っかえっこしたり、みんなはとっても楽しそうだけど、私はお弁当を誰かに見られるのが恥ずかしかった。だから、できるだけ目立たずに素早く食べてしまうことにしていた。ちっとも楽しくなんかない。
「ケイちゃんのはどんなお弁当なの?」
友だちが声をかけてきて、まだ食べかけのお弁当を覗き込んだ。私は思わずフタをかぶせてお弁当を隠してしまった。
なんとなく気まずくなって、友だちはそのまま何ごともなかったようなふりをして遠くに行ってしまった。私は泣きそうになりながら、こそこそ食べ続けた。
「お母さんのお弁当は茶色いからイヤ! もっとキレイなの作ってよー」
家に帰ると、お母さんに弁当箱を渡しながら文句を言う。でもお母さんには通じない。
「むふっ。見た目よりも大切なのは栄養と味よ。ちゃんと考えてるんだから――あら、文句を言うわりには、しっかり全部食べてくれたのね。ケイはえらい!」
そう言って私の頭をなでるだけ。お母さんはいっつもそう。
納得できなくて、いじけて泣きだしても、お母さんは笑ったままだった。いつもよりちょっとだけ眉がハの字になってたような気がするけど。
お弁当の悩みを抱えたまま、私は高校生になった。
お母さんの作るお弁当は相変わらず茶色い煮物系。もちろんほとんど夕べの残り物。しかも弁当箱は、なぜかタッパー、ちなみに男子にも負けないサイズ。
そこにご飯を山盛りに積み上げて、フタでぎゅうっと押しつぶすように詰め込んでいる。だからご飯はいつもはみ出しそうでカチカチ。箸が何度も折れそうになる。海苔が敷いてあったけど、開けると必ず海苔は全部フタにくっついている。
おかずとの仕切りなんてないから、煮汁がしみ込んでご飯まで茶色い。
色もそうだけど、この四角くて分厚くてズシリと重い手ごたえは、とても年頃の乙女のお弁当とは思えない。やっぱり恥ずかしい。
「せめてかわいいお弁当箱にしてよー」
私がいつものように文句を言うと、
「むふっ。そんなこと言っちゃって、結局全部食べてるくせに」と、お母さんは笑うだけ。
女の子らしい、かわいくてカラフルなお弁当なんて、遠いまぼろしのようね。
二年生の秋、突然お母さんが入院した。
私は自分でお弁当を作ることになった。お母さんのことは心配だけど、これはあこがれのカラフル弁当を作るチャンスだった。料理は得意じゃなかったから、できあいの惣菜や冷凍食品を使ってみた。
「うん、なかなかきれいにできたかも」
夢にまでみた、赤や黄色や緑で彩られたお弁当に大満足。お弁当の時間が楽しみになった。
でもどういうわけか、一週間もしないうちに少し様子が変わってきた。ずっとカラフルでかわいらしいお弁当を作り続けているのに、食べてもあまり美味しいと思わなくなってきた。
おかずにしている惣菜や冷凍食品、見た目はきれいだけど、ちょっと味が濃いし脂っこいし、たまにノドにつまりそう。毎日食べてるとなんかすぐに飽きちゃうみたい。
そして頭に浮かんでくるのは煮物。
急に煮物が食べたくなった。茶色くて地味だけど、甘かったり辛かったりのいろんな味、たくさんの野菜、よく汁が染み込んでて、ご飯ととってもよくあう、いくらでも食べられる、お母さんの煮物――。
どんどん食べたくなって、我慢できずに私はノートと鉛筆を持って病院に行った。
「お母さん、煮物の作り方教えて!」
病室のベッドに横になったまま、お母さんは「むふっ」と笑った。
お母さんは一日にひとつ、煮物の作り方を教えてくれた。私はそれをノートに書き、帰宅してから作ってみる。そんな毎日を繰り返した。
私のお弁当はたちまち茶色に戻った。
ダシを自分でとったのは初めてだった。煮る前のあく抜きや下ごしらえなんてことも初めて知った。野菜の切り方も半月やらイチョウやらいろいろ使い分ける。さらに煮崩れを防ぐための面取りなんてこともする。
包丁に慣れない私の指はバンソウコウだらけ。
お母さんのお弁当が手抜きだなんて思ってたのは勘違いだった。こっちのほうがよっぽど大変。
失敗しながら、それでも何度も作っているうちに、だんだん上手になって、自分でもなかなか美味しいと思える煮物が作れるようになってきた。
一度味見してもらおうと、タッパーに入れて病院に持って行った。お母さんは一口だけ食べると、むふっと微笑んで言った。
「まだまだね、ケイ」
く、悔しい……。
その日から、本格的な私の煮物修行が始まった。お母さんに「美味しい」「まいりました、合格!」って言わせてやるんだ。
でも、二度と味見をしてもらうことはなかった。
お母さんの病気はだんだん重くなって、食べることができなくなった。そしてそのまま天国に行ってしまった。
それでも私は煮物を作り続けた。高校を卒業しても就職しても結婚しても、私の作るお弁当はいつも茶色かった。
今日は娘の遠足。しっかりと得意料理でお弁当を作って持たせた。
娘は帰ってくるなり、不機嫌そうな顔で私に言う。
「ママのお弁当ちゃいろいんだもん、恥ずかしいよ」
きたきた。言われてしまいました。なんだか不思議な気分。
私は娘から弁当箱を受け取り、中を見て、つい「むふっ」と笑ってしまう。
「文句言うわりには、ちゃんと全部食べてくれたのね。えらいえらい」
そう言いながら、私は娘の頭をなでてやるのだ。
(おわり)
お読みいただきありがとうございます。
この作品は、およそ3年くらい前に書いたもので、おそらく自分としては初めての短編であり、童話です。
拙いもので、自分でも「ありゃりゃ」と思うところもありますが、当時のままの内容で掲載させていただきました。