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交通事故に遭ったら、異世界転生じゃなくて、怪人に改造された件。

作者: 華洛
掲載日:2026/09/16

【転生?】



 俺の名は遊戯賭。

 三十八歳。いくつかの雀荘を渡り歩き、打ち子で日銭を稼いでいる、しがないフリーターだ。


 彼女はいない。

 両親とは勘当同然で、もう何年も連絡を取っていない。


 要するに、人生はだいぶ薄い。


 そんな俺が、ある日の帰り道、柄にもなく人助けなんてしたのが運の尽きだった。


 雀荘を出た夜道。

 信号の変わり目、ふらりと車道へ踏み出しかけた女の姿が見えた。


 次の瞬間、けたたましいクラクションが鳴る。

 視界の端を、大型トラックのヘッドライトが白く焼いた。


 考えるより先に、体が動いていた。


 女を突き飛ばした感触。

 その直後、全身をまとめて砕かれるような衝撃が来た。


 宙を回る。

 アスファルトが迫る。

 痛みより先に、あ、これ死んだな、と思った。


 ――で。


 気がつくと、私は知らない天井を見上げていた。

 いや、天井なんかより先に気づくことがある。


 妙に体が軽い。

 息が通る。痛くない。

 それどころか、指先ひとつ動かすだけで、自分の手足じゃないみたいな違和感が走った。


 恐る恐る身を起こす。

 視界の端で、長い髪がさらりと肩を滑り落ちた。


「……え?」


 喉からこぼれた声は、聞いたこともないほど高く澄んでいた。


 震える手で頬に触れる。

 骨ばっていたはずの輪郭は細く、指先は白くしなやかで、胸元には見慣れない膨らみまである。


 近くの金属棚に映った姿を見て、私は言葉を失った。

 そこにいたのは、金と銀のオッドアイに、プラチナブロンドの髪を持つ美少女だった。


 意味が分からない。

 トラックに轢かれたはずだ。

 死んだのか、生きているのか、それとも最近流行りの異世界転生とかいうやつなのか。


 混乱する私の前に、白衣の女が音もなく現れた。


 長い髪。整った顔立ち。医者めいた白衣をまとっているくせに、その目つきはどうにもまともじゃない。

 女は、呆然とする私を見て、満足げに口角を吊り上げた。


「おめでとう。君は脆弱な肉体を失い、強靭な身体を手に入れた」


 一拍置いて、そいつは愉快そうに告げる。


「喜び打ちひしがれ感謝したまえよ」


「……なにそれ」


 ようやく出た言葉が、それだった。

 女はそんな私を気にした様子もなく、芝居がかった仕草で名乗った。


「私は零仙落華。見ての通り、しがない研究者だ」


 見ての通り、の意味がまるで分からない。


 だがその顔には、見覚えがあった。

 トラックに轢かれそうになっていた、あの女だ。


「あなた……あの時の」


「うむ。身を挺して助けてもらったとも。実に殊勝な心がけだ。だからこうして、恩は返した」


 恩返し。

 そう言ってこいつが示したのは、どう見ても元の私ではない、この身体だった。


「君の新しい名は、零落マオ」


 女――零仙落華は、もったいぶるように人差し指を立てた。


「私の名から頭文字を取って、零と落。そこに、この身体が魔王級の性能を持つことから、マオ。どうだ、なかなか似合っているだろう?」


「勝手に名前までつけないでくれる?」


「安心したまえ。新しい生には、新しい名がいる。しかも強そうで可愛い。実に理想的だ」


 安心できる要素がひとつもない。

 呆れる私をよそに、零仙落華はくるりと踵を返した。


「そして、ここは秘密結社《ア・バオア・クー》」


 その名を告げる声音には、妙な誇りがあった。


「裏社会のなんでも屋だよ。ヒーローだろうがヴィランだろうが、金さえ積めば武器でも情報でも怪人でも用立てる。中立、混沌、灰色。なかなかに素敵な職場だろう?」


 素敵な職場、という言い方に頭が痛くなる。

 さらに落華は、こともなげに続けた。


「君の今の身体は、もともとあるヴィラン組織から依頼されていた万能強襲用怪人の素体だ。剣術、超常能力、耐久性能、拡張性、そのどれを取っても一級品。魔王級のスペックと言って差し支えない」


 まるで中古車か最新兵器のカタログでも読むような口ぶりだった。


「だが依頼主は完成前にヒーローどもへ叩き潰されてね。納品先を失ったその身体は、長らく塩漬けになっていた」


「……それに、私を入れたの?」


「そうとも。瀕死の人間を前にして、使える器がある。なら試すだろう? 私はこう見えて、恩には恩を、仇には仇を返すのが信条でね。助けて死なれては寝覚めが悪い。だから蘇生した。それだけのことさ」


 軽い。

 人間ひとりの生き死にを語るには、あまりにも軽すぎる。


 けれど、嘘は言っていないのだろうとも思った。


 実際、私は生きている。

 少なくとも、こうして呼吸をして、喋って、立ち上がることができている。


 試しに拳を握る。

 それだけで、筋肉とも骨格とも違う、得体の知れない力が全身の奥で脈打った。

 以前の自分とは比べものにならないほど、身体が強い。


 人間をやめた実感だけが、嫌になるほどはっきりあった。


「……異世界転生じゃなくて、怪人転生ってわけ」


「不服かね?」


「そりゃ、ちょっとは。できればもう少し夢のある転生先がよかったんだけど」


「何を言う。強くて、美しくて、将来性もある。実に当たり個体じゃないか」


「評価軸が怖すぎるのよ、あなた」


 すると落華は、くすりと笑った。


「ともあれ、行き場のない君に選択肢は多くない。元の人生に戻るには、少々いろいろと変わりすぎた」


 それは、そうだろう。


 三十八歳のフリーター遊戯賭は、たぶんあの事故で死んだ。

 戸籍も社会も知人も、今のこの姿を私だとは認めない。

 帰る場所が最初から大してなかった人間に、帰れないと言い渡すのは、なかなか趣味が悪い。


「そこで提案だ、零落マオ」


 落華は、実験結果を披露する子供みたいに目を輝かせた。


「《ア・バオア・クー》で働きたまえ。雑務、護衛、取り立て、実地検証、苦情対応。君ならきっと、便利に使える」


「今、さらっと本音が漏れたわよ?」


「安心しろ。福利厚生は悪くない」


「悪の組織みたいな名前してるくせに、そういうところだけ妙にちゃんとしてるのね……」


 思わずこぼれた言葉に、落華は肩をすくめた。


「名前で差別するのは感心しないな。うちは公正な商売を旨としている」


 ヒーローにもヴィランにも武器や怪人を売る組織の、どこが公正なんだ。

 そう思ったが、口には出さなかった。


 今の私には、文句を言って出ていく先すらない。


 雀荘を渡り歩いて日銭を稼いでいただけのフリーターが、気づけば秘密結社の怪人になっていた。


 ひどい話。

 ひどい話だけど――死んで終わるよりは、まだましなのかもしれない。


 ならまあ、このわけの分からない第二の人生も、しぶとくやっていくしかない。


 異世界転生ではなく、怪人転生。

 まるで夢はないけれど、案外、退屈はしなさそうだった。



【新世代の魔法少女の形態】



 確か――渡された資料に書かれていた名前は、葛葉空だったか。

 精霊によって魔法少女にされた中学生。

 空はボールペンサイズの変身道具を掲げると、そのまま変身バンクシーンへ移行した。


 淡い青白い光が足元から立ちのぼり、空の身体を包み込んでいく。

 きらめく粒子が帯のように四肢へ絡みつき、制服の輪郭をなぞるように新たな衣装を編み上げていく。

 ふわりと裾が開き、胸元に青い宝石めいた意匠が灯る。

 なるほど、確かに見栄えはする。ずいぶん金のかかっていそうな演出だった。


(……今どきの魔法少女って、全裸で変身しないんだ)


≪当たり前だ。今は平成ではなく令和だぞ。中学生の変身シーンを全裸で通して売れるわけがないだろう。きちんと謎の光で包む、親切設計だ≫


(……うち、秘密結社で、その製品を作ってるんだよね)


≪売れない商品を作ってどうする。売れてこそ正義だ。まあ、開発部では“全裸変身派”と“光で包む派”が数カ月揉めたがね≫


(ろくでもない議論してるなあ……)


 開発部も大変だ。

 いや、やっぱり大変で済ませてはいけない気もする。


 そんな話をしているうちに、変身バンクは終わりに差しかかる。


(……今のうちに攻撃して奪ったら)


≪君はアホウか。変身バンクは様式美だ。それを攻撃するなど、悪の組織以下の屑だぞ≫


(……秘密結社なんだよね、うち)


≪我々は中立・混沌組織だ。正義も悪も、白も黒も等しく顧客として扱う。だからこそ、守るべき流儀というものがある≫


 流儀。

 その言葉をこの組織が口にするだけで、だいぶ胡散臭い。


「魔法少女・ブルーシエル! ここに推参っ」


 光が弾け、青髪に青と白の衣装をまとった魔法少女が姿を現す。

 中学生らしい華奢さはある。けれど、細い手足の奥に一本筋の通った強さが見えた。

 可愛い、というより、普通に強そうだった。


 変身も終わった。

 だったら、もう遠慮はいらない。


 腰に下げた刀の柄へ手をかける。

 その瞬間、視界から青が消えた。


「っ」


 次の瞬間には、ブルーシエルの足が刀の柄頭を踏み抜いていた。

 鞘走りかけた刃が止まる。

 そのまま身を捻った回し蹴りが、私の脇腹へ叩き込まれた。


 鈍い衝撃。

 身体が宙へ浮き、数メートル先まで軽々と吹き飛ばされる。

 床を滑り、壁に肩からぶつかってようやく止まった。


(魔法少女のくせに足癖悪くない!?)


 だが、痛みは思ったほどでもない。

 直撃の感触はある。重いし鋭い。けれど骨が軋む気配も、内臓が潰れる感じもない。

 以前の俺なら、今ので数日は起き上がれなかったはずだ。

 怪人の身体というのは、どうやら本当に頑丈らしい。


≪ふむ。実家が古武術の道場で、変身前から基礎戦闘能力が高いようだね。魔法少女化でそこへ増幅がかかっている≫


(……そんなのを魔法少女に選んだ精霊をぶん殴りたい)


≪だが、総合スペックでは君の方が数段上だ。なんといってもラスボス級の万能強襲用怪人だからね。それを活かせるかは、君次第だよ≫


(もう少し具体的なサポートが欲しいんだけど)


≪今は忙しい。裏社会の要人の手術中でね。こうして話してやるのが精一杯さ≫


(え、手術してるの?)


≪昨今は暴対法の影響で、表の医者も裏社会とは付き合いづらい。人体を把握した天才は、どこでも重宝されるものだよ≫


(……医師免許、持ってるの?)


≪ブラック・ジャックは持っていなかっただろう。そういうことだ≫


 無免許医かよ。

 ……いや、今さらか。

 むしろちゃんと医師免許を持っていたら、その方が驚く。


 壁を蹴って体勢を立て直す。

 軽く踏んだつもりだったのに、靴底の下でコンクリートが細くひび割れた。


(うわ、自分でちょっと引くんだけど)


≪その程度で引くな。まだ一割も扱えていないよ≫


 頼もしいのか恐ろしいのか、よく分からない評価だった。


 とにかく、さっさと変身グッズを回収して帰る。

 長居するほど面倒が増える気しかしない。


 今度こそ刀を抜こうとした、そのとき。

 背筋が総毛立った。


 反射で身体をひねる。

 直後、私の背丈の倍はある赤い魔力の刃が、さっきまで首のあった位置を薙ぎ払った。


 空気が裂ける。

 遅れて熱を帯びた風圧が頬を叩いた。


「大丈夫? ……シエル」


「ソレイユ!」


 いつの間にか、もう一人。

 赤を纏った魔法少女が立っていた。


 渡された資料にあったな。

 魔法少女名はルージュソレイユ。

 本名は暁風光。


 手にした剣には、陽炎のように揺らめく赤い魔力がまとわりついている。

 青が疾さなら、赤は圧だ。立っているだけで空気が張り詰める。


≪残クレ型魔法少女が増えたところで、回収対象は青い方だ。赤い方は優先度が低い。無視して構わない≫


 残クレ型魔法少女。

 精霊が《ア・バオア・クー》から残価設定型クレジットで購入した変身道具を使い、変身した魔法少女のことを指す。


 魔法少女というものは、長く続けられる仕事ではない。

 心身の成長、適性の変化、契約条件の更新、精霊との相性。

 理由はいろいろあるが、短ければ数カ月、長くてもせいぜい一年。

 なら、新品を一括で買うよりも、残価設定型で導入し、頃合いを見て回収・再調整・再販した方がコストパフォーマンスはいい――というのが、精霊界隈で最近の主流らしい。


 夢も希望も分割払い。

 魔法少女の世界も、思った以上に世知辛い。


「何をぶつぶつ言っている!」


 先に仕掛けてきたのはブルーシエルだった。

 床を蹴る音が弾ける。

 速い。さっきよりも明らかに速い。


 拳が来る。

 半歩引いてかわす。

 かわした鼻先を青い残光が掠めた。


 続けざまに肘、膝、裏拳。

 息をつく暇もなく打撃が連なる。

 素手の魔法少女と聞いて、少し舐めていたかもしれない。

 こいつ、普通に怖い。


 受けるたび、怪人の身体が衝撃を散らす。

 耐えられる。だが、軽くはない。

 まともにもらい続ければ、そのうち崩される。


(分析! 分析ください主任!)


≪打撃偏重、接近戦特化。間合いを潰して制圧するタイプだ。正面から付き合う必要はない。君の方がリーチも出力も上だよ≫


(それを最初から言って!)


 ブルーシエルの拳を鞘で弾き、横へ流す。

 その隙に一歩退いて間合いを取る――そこへ、赤い閃光が割り込んだ。


「そこだっ!」


 ルージュソレイユの剣が、燃えるような赤い魔力をまとって袈裟に振り下ろされる。


 反射で抜刀。

 白銀の刃と赤い魔力刃が噛み合い、甲高い衝突音が響いた。


 重い。


 華奢な見た目に反して、剣越しに伝わってくる圧力は重機じみていた。

 踏ん張った足元が、めり、と沈む。

 次の瞬間、横合いからブルーシエルの蹴りが飛んでくる。


「くっ……!」


 刀を押し返しながら身体を捻り、蹴りを腕で受ける。

 衝撃で数歩ぶん滑らされるが、今度は転ばない。


 青が近距離で崩して、赤が火力で仕留める。

 中学生にしては連携が完成されすぎている。

 いや、最近の魔法少女はチーム戦までローンに含まれているのか。


≪含まれてはいないが、オプションで連携訓練パッケージはある≫


(あるんだ……)


 嫌な業界知識ばかり増えていく。


 ブルーシエルが再び踏み込む。

 ルージュソレイユが背後で魔力を練る。

 正面から受け続けるのは、さすがに分が悪い。


 私は大きく息を吸い、刀を水平に構えた。

 そのとき、身体の奥――骨でも筋肉でもない場所で、何かが熱を帯びた。


 視界が澄む。

 金と銀の視界の奥で、二人の動きがほんの少しだけ遅く見えた。


(これ、もしかして……)


≪魔眼の初期同調だ。未来視というほど大仰なものではないが、視線、重心、魔力の流れから次動作を先読みする補助機能だね。高性能だろう?≫


(説明は後!)


 見えた。

 ブルーシエルは左にフェイントを入れた後、低く沈んで足払い。

 ソレイユはそれに合わせ、逃げ道を塞ぐように斜め上から魔力刃を撃ち込んでくる。


 なら――。


 私は逆に前へ出た。


「えっ」


 ブルーシエルの驚く声。

 足払いの軌道へ自分から踏み込み、蹴り足の内側を膝で押さえつける。

 崩れた体勢のまま肩を掴み、半回転。

 飛んできた赤い魔力刃へ向けて強引に投げる――寸前で、その身体を手放した。


「シエル!」


 ルージュソレイユが咄嗟に軌道を逸らす。

 赤い刃が天井を斜めに焼き裂いた。

 轟音。砕ける破片。舞い上がる白い粉塵。


 その隙に、私は床を蹴った。


 コンクリートが爆ぜる。

 自分でも引くほどの加速でブルーシエルの懐へ潜り込み、刀ではなく鞘のまま鳩尾へ叩き込む。


「かっ……!」


 空気を吐かせる鈍い音。

 ブルーシエルの身体がくの字に折れ、そのまま後方へ弾かれた。


 追撃に移ろうとして、背筋を灼くような気配に反射で飛び退く。

 直後、さっきまで私のいた床を巨大な赤い斬撃が抉り飛ばした。


 遅れて爆風。

 長い髪がばさりと舞う。


「よそ見を、するなぁっ!」


 ルージュソレイユが吠える。

 その剣から迸る赤い魔力は、さっきより明らかに出力が上がっていた。

 仲間をやられて本気になった、というやつだろう。

 怖い。情緒がまっすぐすぎて怖い。


(主任、これ、思ったより大事になってない?)


≪問題ない。想定内だよ。中学生は感情の振れ幅が大きいから、出力変動も激しい≫


(そういうことじゃなくて!)


 怒声とともに、ルージュソレイユが突っ込んでくる。

 縦薙ぎ、横薙ぎ、突き。

 一撃ごとに赤熱した軌跡が空間へ残り、避けるだけで肌が焼けそうになる。


 受ければ重い。

 かわせば危うい。

 そこへ呼吸を立て直したブルーシエルまで戻ってきた。


「ソレイユ、右!」

「分かってる!」


 完全に挟まれた。


 青の打撃が死角を突き、赤の斬撃が逃げ場を削る。

 連携の密度が、さっきより一段上がっている。

 さすがに二対一でこのまま付き合うのは面倒だ。

 いや、面倒で済んでいるあたり、怪人の身体がおかしいのだけれど。


 拳をいなし、斬撃を弾き、蹴りをかわしながら、私はじりじりと後ろへ下がる。

 そのときだった。


≪……ふむ≫


 落華の声が、妙に落ち着いた調子に変わった。


(今度は何)


≪朗報だ。ネゴシエーター部門から連絡があった。先方と話がついたとのことだ≫


(つまり……どういうこと?)


≪支払いプランが更新された。支払いが継続されるなら、彼女たちは優良顧客だ。強制回収プロセスは中止でいい。撤退したまえ、零落マオ≫


 落華はあっさり告げた。

 その声音には、ほんの少しだけ営業成績の改善を喜ぶ社員じみた満足感が混じっている。


(終了って……今めちゃくちゃ殴り合ってたんだけど)


≪武力示威は交渉における重要な補助線だからね。今回の回収圧力が功を奏して、先方も支払い計画の見直しに応じた。実に建設的な着地じゃないか≫


(建設的かなあ!?)


 確かに死人が出るよりは建設的かもしれない。

 でも、さっきまで首が飛びかけていたのだけれど。


≪十二回払いを二十四回払いへ変更。追加分の支払いで総額は多少上がるが、月々の負担は軽くなる≫


(つまり、アニメで言うと一クールで終わるはずが、続編決定で追加一クール延長ってこと?)


≪ふむ。言い得て妙だね。概ねその理解でいい≫


 私はため息をつき、抜き放っていた刀を鞘へ戻した。

 目の前の魔法少女と敵対する理由がなくなった以上、戦う意味もない。


「逃げる気!」


 ブルーシエルが拳を構える。

 ルージュソレイユも剣先を下げない。

 当然だ。さっきまで殺し合いをしていた相手が、急に帰ると言い出したところで信用できるわけがない。


 私は小さく肩をすくめた。


「そう警戒しなくてもいい。こっちにも仕事の都合ってものがあるのよ」


「仕事……?」


 ブルーシエルが眉をひそめる。

 いかにも正義の味方らしい反応だった。


「要件がなくなった。だから帰る。それだけ」


「そんなの、信用できるわけないでしょ!」


「でしょうね」


 実際、私だって逆の立場なら信用しない。

 それでも、これ以上やる理由がないのは本当だった。


 ルージュソレイユが一歩前へ出る。


「シエル、下がって。こういう手合いは、隙を見せた瞬間に来る」


 堅実な判断だ。

 この赤い方、思ったよりずっと真っ当なのかもしれない。


(主任。どうするの、これ)


≪簡単なことだ。帰りたまえ。相手に事情を説明する義理などない。少しはミステリアスに去るがいい≫


(その雑な美学、嫌いじゃないけど)


 私は二人へ向き直った。


「勘違いしないで。別に見逃してあげるとか、そういう話じゃない」


 わずかに声を低くする。

 こういうのは雰囲気が大事だ。


「今日は引くだけ。次がないと思わないことね、魔法少女」


 ブルーシエルの肩がぴくりと揺れた。

 ルージュソレイユの視線も、さらに険しくなる。

 よし、たぶんそれっぽくは聞こえた。中身が三十八歳のフリーターでも、見た目がラスボス級美少女怪人ならハッタリは多少効くらしい。


「待て!」


 ブルーシエルが叫ぶ。


「あなた、何が目的なの!」


 まっすぐな声だった。

 この子はきっと、敵にも理解できる理由があると思っている。

 世界はちゃんと分かる形で動いていると、まだ信じている。

 眩しい。けれど、こっちはその期待に応えられる側じゃない。


「目的、ねえ……」


 世界征服でも、復讐でも、絶望の拡散でもない。

 私の今回の仕事は、もっと地味で、夢がなくて、口にした瞬間いろいろと台無しになる種類のものだ。


 だから私は、少しだけ笑って誤魔化した。


「企業秘密ってやつ」


「っ……!」


 ブルーシエルが悔しそうに歯を食いしばる。

 たぶん今の返し、すごく悪役っぽく聞こえたのだろう。

 実際には、本当に秘密結社の業務上の秘密なだけなのだけれど。


 私は踵を返す。

 壊れた床を踏み、焼け焦げた壁の脇を通り過ぎる。

 背後から飛びかかられても対応できるよう、気配だけは切らさない。


 だが、追ってはこなかった。


 ブルーシエルは拳を握ったまま立ち尽くし、ルージュソレイユは警戒を解かず、それでも無理に距離を詰めてはこない。

 賢明だ。こっちとしても助かる。


 出口へ向かいながら、小声で呟く。


(で、結局どうまとまったの)


≪再契約だよ。残存分を再査定し、支払いプランを長期へ組み直した。月々の負担は軽くなるが、総額は増える。実に堅実な落としどころだ≫


(うわあ……)


≪おかげで商品運用は継続。先方は戦力を維持でき、我々は債権を確保できる。誰も損をしていない。素晴らしいではないか≫


(いや、たぶん精霊はちょっと損してるよね)


≪夢や希望を前借りするとは、そういうことだ≫


 ひどく達観した声で、落華は言った。

 人生訓みたいに言っているが、たぶんかなりろくでもない。


 背後で、ブルーシエルの声がもう一度だけ飛んだ。


「次に会ったら、絶対に逃がさないから!」


 私は足を止めず、ひらりと片手だけ振った。


「そのときはそのとき。せいぜい頑張りなさいな、魔法少女」


 言ってから、少しだけ可愛く言いすぎた気がした。

 外見に引っ張られて、口調の調整がまだ安定しない。困る。


 建物の外へ出る。

 夜風が、熱を持った頬を撫でた。


 勝ったわけでも、負けたわけでもない。

 ただ戦って、途中で話がまとまったから帰る。


 夢も希望も魔法も友情も、最後にものを言うのは契約書と支払い能力。

 そんな現実を知っているのがこっちだけだというのも、なんとも趣味が悪い。


 魔法少女の敵というのは、本来もっとこう、絶望とか闇とか、分かりやすく嫌なものを背負って現れるべきなのだろう。

 少なくとも、交渉成立を受けて現場から撤収する回収担当の怪人なんて、あまりにも風情がない。


 ――だが、まあ。


 そういう格好のつかない事情で回っているのが、案外この世界の本当の姿なのかもしれなかった。




【末路】



 手術を終えた私は、近くのソファへ腰を下ろした。


 ヤクザの組長の手術は滞りなく終わった。

 全身に転移した癌の除去など、私に言わせれば大した術式ではない。病変ごと身体を分解し、使える部位を残して組み直すだけだ。退屈ですらある。

 人体のオーバーホール程度面白くも興味もでてこない。

 あまりの退屈さに、私の眼とリンクさせたマオの戦闘状況を確認しながらでも十分にこなせる程度の仕事だった。


「先生。親父は……無事なんでしょうね」


 声をかけてきたのは、黒いスーツに黒いサングラスをかけた男だった。

 いかにも、それらしい。外見からにじみ出る品のなさまで含めて、実に分かりやすい。


「おいおい。誰に向かってものを言っているんだい」


 私は脚を組み、男を見上げた。


「この程度の手術で、私が失敗するとでも? 心外だな。失敗やミスという概念は、少なくとも私の手元には存在しないよ」


「……失礼しました」


 男は短く頭を下げた。

 謝る程度の分別はあるらしい。もっとも、その程度で評価が上がるほど私は安くない。


「それで?」


 私は肘掛けに頬杖をつきながら、気のない調子で続ける。


「そちらの不手際について、何か弁明はあるのかね」


 男の喉仏が小さく上下した。


「……親父の手術情報が漏れた件については、こちらの落ち度です」


「漏らした人物は?」


「先生の手を煩わせるまでもありません。すでに、こちらで適切に処理しました」


「ふぅん」


 興味の薄い相槌を打つ。

 処理した、というのは要するに消したということだろう。裏社会の人間は、そういう言い回しだけは妙に上品ぶる。


 とはいえ、今回の件はなかなかに趣味が悪かった。


 組長の手術を望まない人間が、それなりにいた。

 まあ当然だ。治ってもらっては困る連中からすれば、治療役の私を始末してしまうのが一番早い。

 だが、あからさまに殺すのは外聞が悪い。そこで連中は考えたわけだ。運悪く交通事故に巻き込まれて死んだ、という形に見せかければ角も立たない、と。


 実に凡庸で、実に姑息だ。


 もっとも、私は日頃の行いがいい。

 そのおかげで、偶然通りすがりの善良な男に庇われ、こうしてぴんぴんしている。因果応報というやつだろう。


「そちらの内部事情には興味がないよ」


 私は軽く手を振った。


「問題は、その不手際のせいで私が殺されかけたことだ。となれば当然、慰謝料を請求する権利がある」


 男の口元が引きつる。


「……慰謝料、ですか」


「そう。慰謝料だ。まさか払わないとは言わないだろうね?」


 少しだけ声音をやわらげてやる。

 脅しというものは、怒鳴るより静かに言う方がよく効く。


「今はまだ、私と君たちの個人的なやり取りで済ませてあげている。だが、もし誠意を欠くようなら、こちらとしても《ア・バオア・クー》に正式な仲介を頼まざるを得ない」


 男の顔色が目に見えて悪くなった。

 うむ、いい反応だ。組織の名前の使いどころというものを私はよく心得ている。


「……おいくら、ご希望で」


「一億ドル」


 私は即答した。


「キャッシュで」


「は……?」


「だから、一億ドルだよ。日本円にして、おおよそ百五十億強といったところか。良心的な額だろう?」


「払えるわけがないでしょうッ!」


 男は思わず声を荒らげた。


「今回の手術費だって、こちらは相当な金額を用意して――」


「それはそちらの事情だ」


 ぴしゃりと遮る。


「私には関係ない。私はただ、命を狙われた被害者として、正当な要求をしているだけだ」


 男のこめかみがひくついた。

 数秒の沈黙のあと、男はやれやれと言わんばかりに内ポケットへ手を入れた。


 そして取り出したのは、拳銃だった。


 黒い銃口が、まっすぐ私を向く。


「先生」


 男の声は、先ほどまでよりずっと低い。


「親父を助けてくれたことには感謝してる。恩もある。だから本当は、こんな真似はしたくなかった」


「だったらやめたまえよ」


「だが、あまりに法外だ。せめてドルじゃなく円なら、話しようもあった……!」


「断る」


 私は即座に言い切った。


「私という天才の命を狙ったんだ。一億ドルでも安すぎるくらいだよ。しかも今、君はさらに銃まで向けている。上乗せ請求の根拠としては十分すぎるね」


「……っ」


 男の指が引き金にかかった。


 銃声が鳴る。


 乾いた破裂音。

 だが、私の額に風穴が開くことはなかった。


 甲高い金属音が室内に跳ねる。

 弾丸は、私の目の前へ滑り込んできた白銀の刃によって弾かれていた。


 次の瞬間には、男の身体が床へ叩きつけられる。

 黒いスーツが鈍い音を立てて転がり、拳銃が手元から弾き飛ばされた。


「主任。命、狙われすぎじゃない?」


 呆れたような声とともに、マオが刀を収める。

 実に頼もしい。美しく、強く、反応もいい。私の審美眼はやはり正しかった。


「天才というものはね」


 私はソファの背にもたれたまま、肩をすくめる。


「常に凡人から妬まれ、狙われる宿命を背負っているのさ。悲しいことに」


「自分で言うの、それ」


「事実だから仕方ない」


 私は改めて、マオの姿を眺めた。


 《ア・バオア・クー》に蓄積された怪人開発データを惜しみなく注ぎ込み、なおかつ私自身の趣味を最大限反映して作り上げた、万能強襲用怪人――零落マオ。

 あまりに出来が良すぎた。

 本来なら依頼主に納品されるはずだったが、正直なところ、そんなものは我慢ならなかった。


 だから少しだけ情報を流し、依頼元には退場してもらった。

 完成前に組織が潰れたのは、実に不運だったろう。もっとも、私にとっては幸運だった。


 問題は中身だった。

 あの身体を十全に動かせる魂の器が、なかなか見つからなかったのである。性能が高すぎるがゆえに、並の人間では負荷に耐えられない。

 だが、そこへちょうどよく瀕死の男が転がり込んできた。しかも、私を庇ってだ。


 なんという僥倖。

 ああ、本当に私は運がいい。


 床に転がる男が、うめきながら身じろぎする。

 まだ意識があるらしい。しぶといことだ。


 私はゆっくり立ち上がり、弾き飛ばされていた拳銃を拾い上げた。

 重さを確かめるように一度だけ手の中で転がし、そのまま男を見下ろす。


「さて」


 男の顔が引きつる。


「さっきのはいただけないな。交渉の席で銃を抜くとは、あまりにも短絡的だ」


「せ、先生……」


「安心したまえ。別にここで殺したりはしない」


 私がそう言うと、男はあからさまに安堵した。

 実に浅い。だから短命なのだ。


「死体は一度きりだが、生きている負債者は長く金を生む」


 私は穏やかな口調で続けた。


「君ほどの立場なら、なおさらだ。背負わせられる責任も、払わせられる代価も、それなりにある。ここで雑に壊してしまうのは、実に惜しい」


 男の喉がひくりと鳴る。


「人間というものはね、案外いろいろな価値を持つんだよ。地位、コネ、労働力、情報、信用、そして身体の臓器一つまでだ。資産は最後まで活用してこそ美しい」


「……っ」


「だから、そう怯えなくていい。君はこれから、きちんと有効利用される」


「主任、その言い方だと逆に怖いんだけど」


「怖がるのは健全な反応だよ、マオ」


 私は拳銃をくるりと回し、男から離れた位置へ放り捨てた。


「殺すより、生かした方が得だ。単純明快だろう?」


「それ、言ってることは分かるけど、分かりたくない種類の明快さなんだよなあ……」


 まったく、贅沢な子だ。


 本来なら、この手の取り立てを自分でやる必要はない。

 《ア・バオア・クー》には優秀な回収部門がある。個人依頼で動かすと二割ほど手数料を取られるが、素人仕事よりずっと効率的だ。

 連中が本気になれば、跡地には砂粒ひとつ残らない――などとまことしやかに囁かれているが、まあ、あながち誇張でもない。


「あとはこちらで預かる」


 私は男へ告げた。


「君個人への請求、今回の銃撃による追加分、ならびにそちらの組織が負うべき補償については、改めて精査しよう。回収部門を通せば、分割案くらいは提示してもらえるかもしれない。感謝したまえ」


「ぶ、分割……」


「希望があるのは良いことだ」


 私は薄く笑った。


「もっとも、条件はそれなりに厳しくなるだろうがね」


 マオが小さく肩をすくめる。

 その反応は実に正しい。希望というのは、提示された瞬間から回収の導線にもなる。


 もっとも、今回マオを現場に出したのは別件だ。

 あれは回収のためというより、業務に慣れさせるための実地研修である。初陣としては上々だろう。


 精霊側とも、こちらとしては最初から全面衝突するつもりはなかった。

 魔法少女は夢だ。希望だ。人気商材だ。

 人気があるところには金が生まれる。ならば、その供給元と本気で揉めるのは愚策でしかない。

 適度に圧をかけ、適度に交渉し、適度に回収する。商売とはそういうものだ。


「この素体を買い取るの、そんなに大変だったんだ……」


 マオが半ば呆れたように言う。


「当たり前だろう」


 私は鼻を鳴らした。


「社員割、主任割、開発功労者向け特例、その他もろもろ使えるだけ使っても、それはかなり高かったんだぞ」


「そこまでしてローン組んだの?」


「残価設定型クレジットだ。実に合理的な選択だろう」


「合理的かなあ……」


 合理的だとも。

 ただ少し、私に浪費癖があって現金が手元に残りにくいだけの話である。

 それでも後悔はしていない。欲しいものには、相応の対価を払うべきだ。分割であっても。


 私は軽く伸びをした。

 手術も終わり、交渉も済み、予定外とはいえ回収案件も増えた。今日はなかなか実りの多い日だ。


「よし」


 私はマオへ向き直る。


「今日は別口で現金が入る見込みも立った。祝して、ファミレスで奢ろうじゃないか」


「……そういう時って、普通は寿司とか焼肉とかじゃないの?」


「分かっていないな、マオ」


 私は人差し指を立て、軽く振った。


「ファミレスは優秀だ。料理は和洋中と種類が多い。ドリンクバーがある。空調が安定している。長時間居座っても比較的許される。あれはもはや、地上に残された数少ない理想郷と言っていい」


「スケールが急に小さくなったなあ……」


「幸福は案外そういうところに宿るのだよ」


 肩をすくめてそう言うと、マオはなんとも言えない顔でこちらを見た。

 その反応すら愛らしい。やはり買ってよかった。


 私は白衣の裾を払って歩き出す。


「行くぞ。遅い時間だとドリンクバーの氷が切れていることがある。あれは許しがたい」


「ファミレスに対してだけ情熱の向け方が本気すぎない?」


「食事環境は生活の質に直結するからね」


 そんな他愛ないやり取りを交わしながら、私たちは建物を後にした。


 夜風が肌を撫でる。

 裏社会の面倒ごとは尽きないが、それでも今日は悪くない一日だった。

 よく働いた後のファミレスほど、世界を肯定してくれる場所もそうないのだから。






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