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ホザンナは届かない

作者: 鮫ノ口
掲載日:2026/06/13

※本作は宗教的なモチーフや表現を含むフィクションです。実在の宗教・団体・人物とは関係ありません。

あるところに、一人の少年がいました。

少年は生きていました。

けれど歩くことはできませんでした。

話すこともできませんでした。

目を開くこともできませんでした。

少年は長いあいだ、白い寝台の上で眠り続けていました。

人々はそれを植物状態と呼びました。

しかし少年の魂だけは、 暗闇の中で目を覚ましていました。

父は毎週日曜日に教会へ行きました。

母も祭壇の前に跪きました。

蝋燭を灯し、 十字を切り、 祈りました。

「主よ、憐れんでください。」

「キリエ・エレイソン。」

「この子をお救いください。」

しかし主は沈黙していました。

春が過ぎました。

夏が過ぎました。

秋が過ぎました。

冬が過ぎました。

けれど主は答えませんでした。

まるでヨブが灰の中で天を見上げた時のように。

まるで十字架の下で人々が沈黙した時のように。

世界は静かでした。

ある夜。

病室に光が満ちました。

まるで復活祭の朝のような光でした。

少年の前に一人の天使が立っていました。

白い衣。

白い翼。

その顔は祭壇画の聖人のようでした。

天使は言いました。

「恐れるな。」

「神はあなたを見つけた。」

「あなたは起き上がり、生きるだろう。」

その言葉は福音のように聞こえました。

少年は泣きました。

ついに主が答えてくださったのだと思いました。

翌朝。

病室の外から声が聞こえました。

医者でした。

父でした。

母でした。

「これ以上は難しいでしょう。」

「安楽死も選択肢の一つです。」

母は泣いていました。

父は震えていました。

誰も悪人ではありませんでした。

皆、疲れていたのです。

長い苦しみに。

長い祈りに。

長い沈黙に。

その夜。

少年は祈りました。

「主はわが牧者。」

「私は乏しいことがない。」

「死の陰の谷を歩むとも。」

「私は災いを恐れません。」

どうか来てください。

どうか私を起こしてください。

あの天使は言いました。

あなたは生きると。

神は私を見つけたと。

しかし何も起こりませんでした。

次の日も。

その次の日も。

聖堂の鐘は鳴りました。

ミサは捧げられました。

蝋燭は燃えました。

賛歌は歌われました。

けれど少年のための奇跡は来ませんでした。

希望は信仰になりませんでした。

希望は失望になりました。

そしてある夜。

再び天使が現れました。

少年は叫びました。

「なぜですか。」

「なぜ主は来ないのですか。」

天使は答えませんでした。

ただ微笑みました。

その笑みは聖人のものではありませんでした。

蛇のような笑みでした。

その瞬間。

白い翼が黒く染まりました。

羽は灰となって床へ落ちました。

光は腐り、

聖歌のようだった声は、 墓穴から響く声へ変わりました。

「私は神の使いではない。」

「かつて天にいた者だ。」

「光から落ちた者だ。」

「人は私を堕天使と呼ぶ。」

少年は理解できませんでした。

理解したくありませんでした。

「お前に語った言葉は嘘だ。」

「神はお前を見つけていない。」

「神はお前に何も約束していない。」

「私はただ、お前に希望を与えたかった。」

「絶望を見るためにな。」

病室は静まり返りました。

まるで聖堂から神が去った後のように。

堕天使は笑いました。

「人間は面白い。」

「パンを与えれば感謝する。」

「奇跡を約束すれば跪く。」

「だが取り上げれば、簡単に神を疑う。」

その言葉は刃のようでした。

少年は涙を流しました。

神を信じていたからです。

神を待っていたからです。

神を愛していたからです。

堕天使は最後に言いました。

「神は沈黙している。」

「お前が生まれる前から。」

「そしてお前が死んだ後も。」

「だからお前は独りだ。」

そう言い残して闇へ消えました。

少年は天井を見上げました。

白い天井でした。

まるで何も書かれていない聖書の最後の頁のようでした。

彼は祈ろうとしました。

「主よ──」

けれど続きませんでした。

祈りの言葉が見つからなかったのです。

キリエ・エレイソン。

主よ、憐れんでください。

そう唱えることすらできませんでした。

病室には機械の音だけが響いていました。

一定のリズムで。

まるで誰もいない教会で鳴る鐘のように。

そして少年は知りました。

神に見捨てられたのではない。

神がいないのでもない。

ただ、

神は一度も何も約束していなかった。

約束したのは堕天使だった。

信じたのは自分だった。

その夜。

少年は初めて祈らずに眠りました。

祭壇の蝋燭は燃え続けていました。

けれどその光は、

もう少年のもとには届きませんでした。

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