ホザンナは届かない
※本作は宗教的なモチーフや表現を含むフィクションです。実在の宗教・団体・人物とは関係ありません。
あるところに、一人の少年がいました。
少年は生きていました。
けれど歩くことはできませんでした。
話すこともできませんでした。
目を開くこともできませんでした。
少年は長いあいだ、白い寝台の上で眠り続けていました。
人々はそれを植物状態と呼びました。
しかし少年の魂だけは、 暗闇の中で目を覚ましていました。
父は毎週日曜日に教会へ行きました。
母も祭壇の前に跪きました。
蝋燭を灯し、 十字を切り、 祈りました。
「主よ、憐れんでください。」
「キリエ・エレイソン。」
「この子をお救いください。」
しかし主は沈黙していました。
春が過ぎました。
夏が過ぎました。
秋が過ぎました。
冬が過ぎました。
けれど主は答えませんでした。
まるでヨブが灰の中で天を見上げた時のように。
まるで十字架の下で人々が沈黙した時のように。
世界は静かでした。
ある夜。
病室に光が満ちました。
まるで復活祭の朝のような光でした。
少年の前に一人の天使が立っていました。
白い衣。
白い翼。
その顔は祭壇画の聖人のようでした。
天使は言いました。
「恐れるな。」
「神はあなたを見つけた。」
「あなたは起き上がり、生きるだろう。」
その言葉は福音のように聞こえました。
少年は泣きました。
ついに主が答えてくださったのだと思いました。
翌朝。
病室の外から声が聞こえました。
医者でした。
父でした。
母でした。
「これ以上は難しいでしょう。」
「安楽死も選択肢の一つです。」
母は泣いていました。
父は震えていました。
誰も悪人ではありませんでした。
皆、疲れていたのです。
長い苦しみに。
長い祈りに。
長い沈黙に。
その夜。
少年は祈りました。
「主はわが牧者。」
「私は乏しいことがない。」
「死の陰の谷を歩むとも。」
「私は災いを恐れません。」
どうか来てください。
どうか私を起こしてください。
あの天使は言いました。
あなたは生きると。
神は私を見つけたと。
しかし何も起こりませんでした。
次の日も。
その次の日も。
聖堂の鐘は鳴りました。
ミサは捧げられました。
蝋燭は燃えました。
賛歌は歌われました。
けれど少年のための奇跡は来ませんでした。
希望は信仰になりませんでした。
希望は失望になりました。
そしてある夜。
再び天使が現れました。
少年は叫びました。
「なぜですか。」
「なぜ主は来ないのですか。」
天使は答えませんでした。
ただ微笑みました。
その笑みは聖人のものではありませんでした。
蛇のような笑みでした。
その瞬間。
白い翼が黒く染まりました。
羽は灰となって床へ落ちました。
光は腐り、
聖歌のようだった声は、 墓穴から響く声へ変わりました。
「私は神の使いではない。」
「かつて天にいた者だ。」
「光から落ちた者だ。」
「人は私を堕天使と呼ぶ。」
少年は理解できませんでした。
理解したくありませんでした。
「お前に語った言葉は嘘だ。」
「神はお前を見つけていない。」
「神はお前に何も約束していない。」
「私はただ、お前に希望を与えたかった。」
「絶望を見るためにな。」
病室は静まり返りました。
まるで聖堂から神が去った後のように。
堕天使は笑いました。
「人間は面白い。」
「パンを与えれば感謝する。」
「奇跡を約束すれば跪く。」
「だが取り上げれば、簡単に神を疑う。」
その言葉は刃のようでした。
少年は涙を流しました。
神を信じていたからです。
神を待っていたからです。
神を愛していたからです。
堕天使は最後に言いました。
「神は沈黙している。」
「お前が生まれる前から。」
「そしてお前が死んだ後も。」
「だからお前は独りだ。」
そう言い残して闇へ消えました。
少年は天井を見上げました。
白い天井でした。
まるで何も書かれていない聖書の最後の頁のようでした。
彼は祈ろうとしました。
「主よ──」
けれど続きませんでした。
祈りの言葉が見つからなかったのです。
キリエ・エレイソン。
主よ、憐れんでください。
そう唱えることすらできませんでした。
病室には機械の音だけが響いていました。
一定のリズムで。
まるで誰もいない教会で鳴る鐘のように。
そして少年は知りました。
神に見捨てられたのではない。
神がいないのでもない。
ただ、
神は一度も何も約束していなかった。
約束したのは堕天使だった。
信じたのは自分だった。
その夜。
少年は初めて祈らずに眠りました。
祭壇の蝋燭は燃え続けていました。
けれどその光は、
もう少年のもとには届きませんでした。




