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【完結】いずれ退場する身ですから、どうぞお構いなく  作者: 阪 美黎


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第三話:舞台

 16歳となって、王立ヴァレリア学院へと進学する。

 王族や貴族の子女が社交界に入る準備段階として用意されている学舎だ。

 社会的地位を保ちながらの学院生活は、学びのほかに人脈作りも兼ねている。

 階級で異なる真新しい制服を身につけて学院の門をくぐると、セレスティーヌは居心地の悪さに苦笑を浮かべた。

 また、学生をやることになるなんて。

 この夢はどこまで続くのかしら。

 苦い記憶の追体験が、徐々にただの追体験でなくなってきている。その原因は、フィリックスにあるのだが。

「セス」

 呼ばれて振り返ると、歳の近い従者たちを連れて学院にやってきたフィリックスだった。

「おはようございます、フィリックス殿下」

 王族専用の制服に身を包んでいる彼は、それまでの不真面目な気配が綺麗に消え去っている。威厳ある制服の成果か、王族の血筋のなせる業か。

「制服で俺に威厳があるように見える。……と思ってるだろう?顔に出てるぞ」

 顔色を読むのはやめてもらいたい。

「気のせいでございます殿下。この度は、王立ヴァレリア学院へのご進学おめでとうございます」

 優雅にカーテシーをして挨拶をすると、フィリックスは彼女の手を取り、軽くキスをした。

「そなたも」

 昔も同じように挨拶をしたが、無視された記憶が蘇る。

 変容しつつある。セレスティーヌとフィリックスの関係そのものが。

「セス」

「はい」

 フィリックスは、そのままぐいっと彼女を引き寄せる。

「……俺が贈った髪飾りはどうした?気に入らなかったか」

「い、いえ……そういうわけでは」

 周囲の視線を気にしないフィリックスにセレスティーヌは曖昧に笑う。

「いくつか見立て贈ったはずだ」

「はい。ありがとうございます。……その、学院で身につけるには、少々華美でしたので……」

 セレスティーヌは周囲の子女たちの注目に耐えかねて、ぺちっとフィリックスの手を叩いて一歩後退する。

「いただいた髪飾りは、ドレスと合わせて披露させていただきます。ご心配なさらずに」

 微笑んで答える。

 フィリックスは叩かれた手に目を落とす。

「……楽しみにしている」

 本来ならば王族の彼の手を叩くなどという行為は不敬罪に問われるところだが、従者たちは気づかなかいフリをしている。

 セレスティーヌ様が殿下をしつけてくださっている、という認識で一致しているからだ。

 昔の彼であれば、学院に入る頃には不良ぶりが極まっていたが、今の彼は王子然として生活の乱れが最小限となっている。

「行こう」

 フィリックスはセレスティーヌに腕を差し出す。彼女は素直に従い、手を添えた。

 城館作りの校舎に向かう間、会話をする。

「殿下。お召しの制服、よくお似合いです。きっちりと着こなして……素晴らしいですわ」

「……気取っていて好きになれないがな。宮廷に住み着く物怪のジジィ共にも悪童が貴公子に化けた、と大いに冷やかされた」

 フィリックス曰くの『宮廷に住み着く物怪のジジィ共』とは、王政の顧問としてそばにはべる古株の学者や思想家、哲学者たちで、皆一様に変わり者だが、彼はその癖の強い年寄りたちを嫌ってはいない。

「殿下は皆様とお話なさるのがお好きですものね」

「誤解だ。ジジィ共は俺に宮廷で煙に巻く語録を仕込んでいるだけだぞ」

「大切な生存戦術ですわね」

 にっこり笑うと、彼は何か言いたげだったがすぐに目元に笑を作った。

 この2年で彼は格段に変化した。落ち着いたと言えばいいだろうか。

 おかげでこれまでフィリックスがまともに学業に励まなかったのは、その必要がなかったからだと知った。1を聞けば10を理解した。その高すぎる知性を彼はずっと宮廷の中で持て余していたのである。

 宮廷は魑魅魍魎が蔓延る魔窟だ。そこでの彼は非力すぎた。

 後ろ盾のない第三妃の子であるという出自でありながら、唯一の王子であるという責務や期待の重圧、皇后一派との軋轢や嫉妬、宮廷の息苦しさが彼を雁字搦めにして鬱屈させていた。王宮を抜け出して動き回っている時だけが彼は自分らしくあれた。

 外に希望を求めていた彼が、お節介をやめたセレスティーヌのところへ訪問するのは自然な流れだったのかもしれない。

 情けないことよ。ただ立派に自分の役目を果たせば、彼の役に立てると信じていた自分の稚拙さに恥ずかしくなるわ。

 彼が何に鬱屈しているのか、昔の私は箱入り娘の視野の狭さゆえに察することができなかった。王子という立場や肩書きばかりに目を向けて。

 殿下との接見のために再び王宮に出入りするようになって、大人の思考で宮廷での勢力図が見えるようになった今だからこそ、理解できた。

 殿下は第三妃のお母様を宮廷で守るためにも、道化であることを選んだ。

「愚か者を演じていれば母上を皇后から守れる。……だが、そうして振る舞っていると何が本当で嘘なのか、俺もわからなくなる」

 ある日、彼は昆虫採集にセレスフィーヌを連れ出し、ぽつりと語った。

 彼の口から本心が出たのは、初めてのことだった。

 その横顔の空虚さ、寂寥さに、セレスティーヌはひどく切なくなった。

 ……昔に語ってくれていたら、私たちにはもっと違った未来があったでしょうに。

 しかし殿下が語るように、殿下が道化を演じなければならないほどに、彼の足元がまったく盤石ではないのは確かなこと。お母様である第三妃は男爵家の出自で、太公の皇女であった皇后様とではそのお立場は比較にすらならない。政治基盤も。

 皇后様と政敵になることを恐れて殿下の後ろ盾になろうという貴族は少ない。風見鶏か、日和見ばかり。その中で名乗り出たのが、我がサン=クレール家。

 けれど私の一門だけでは、政治勢力としては弱い……。

 この学院に在籍している間に、殿下がいかにご自身の勢力を築けるかが……宮廷政治の肝となる。

 フィリックスの良くない噂は広く聞こえているだろうが、この威厳ある王子の姿と彼の知性を知れば噂の払拭に繋がるだろう。実際、学院の子女たちは今も彼に見惚れている者たちも目立つ。

 そこまで考えて、セレスティーヌは、はっと我にかえる。

「セス、どうした?」

 だから顔色を読むのはやめて欲しい。

「ああ……少し考え事をしてしまっておりました」

「考え事?」

「はい。さも私が王子妃にでもなるようなおこがましい思想を抱いてしまいました。反省いたします」

「……何がおこがましいんだ。反省するな」

 フィリックスは不満げに彼女を見ていた。


 王族と高位貴族が学ぶ棟につながる回廊を進んでいると、ふと風が動く。

 誘われるようにしてセレスティーヌは視線で風を追う。

 彼女とフィリックスの横をカーテシーをしながら軽やかに通り過ぎた少女がいた。

 その愛らしくも親しみやすい顔立ち、姿、佇まいにセレスティーヌは弾かれたように振り返る。

 忘れるものか。

 彼女こそ、フィリックスが惹かれ、セレスティーヌとの婚約解消へと導いた男爵令嬢リリア・ヴェルシェ。

 自由の空気を纏った彼女こそ、殿下の泡沫の恋人……。

 リリアの背中を見つめてセレスティーヌは心が冷えていくのがわかった。

 ああ、本当に。

 なんておこがましいことを考えてしまったのかしら。私はこの舞台からもうすぐ退場する身だというのに殿下の政治基盤の心配などして。

「セス?」

 めざとく顔色を読まれて、彼女はそっとフィリックスを見上げた。

「……殿下、今のご令嬢をご覧になりまして?」

「?……いや。気に入ったのか?」

 フィリックスは気に留めていないようだ。……まだ、その時ではないからか?

「それは、こちらの言葉でございます」

「なんだ。もしかして、心配しているのか」

 なぜか嬉しそうに彼女を見つめる。

「え?」

「目移りするほどの令嬢がいるとは思えない。俺にはセスがいるからな」

「……左様でございますか」

 他人行儀に頷くと、フィリックスは鼻白む。

「本気にしてないな」

「ふふ」

 微笑んで受け流す。

 あなたが私に本気になるはずがないわ。

 この舞台に彼女(リリア)が現れた。それが、答えなのだもの。



 ※



 学院での学習も、セレスティーヌにとっては過ぎた道。

 昔はフィリックスの婚約者の立場に恥じぬ者であらねばと何事にも全力で取り組んでいたが、今の彼女は改めて学ぶこともなく、自然と優等生の立場を守ることができた。

 同窓となった貴族の子女たちに教えを請われるほどに余裕がある。

 これは過去の努力の賜物。大人の視座を持っていることで、さらに学びは深まる。

 王子妃の最有力候補である彼女は、早々に一目も二目も置かれる存在となった。

 同時に、進学前に学院での学習過程を終えているフィリックスの知性も際立ち、頻繁にふたりでいる(フィリックスの方からセレスティーヌに絡んでいるのだが)彼らは理想の恋人像と憧憬を向けられている。


 だからか、不毛なことに皇后一門の出身である教師からは試されることもよくある。

 舞踏の授業を受けている今などまさにそれ。

 皆、練習用の舞踏服を纏って靴を履き、扇子を持って立つ。

 同学年の令嬢達が集う広間で、教師はセレスティーヌを名指しする。

「セレスティーヌ嬢」

「はい、先生」

 一歩前に出る。

「令嬢は未来の王子妃とも目され、他のご令嬢の手本となるべき方。ここはぜひ、あなたに宮廷にて選ばれし貴婦人が舞うパヴァーヌをご披露いただきたいわ」

 パヴァーヌは舞を得意とする選ばれた令嬢だけが夜会で披露することを許されている高等舞踏だ。

 壮年の教師は美しい笑みを浮かべて彼女を挑発するが、セレスティーヌは臆さない。

 何が王子妃と目される、ですか。

 ご令嬢達の前で高等舞踏を舞わせて、私に失敗させたいのでしょう?

 間接的に、殿下と私のお父様に恥をかかせたいのですわよね。あなたは昔から、フィリックス殿下を貶めることだけに注力なさっている、つまらぬお方でしたわ。

「私の舞が皆様の手本となるかはわかりませんが、先生のご希望とあらば」

 小さく笑みを浮かべてお辞儀をすると、広間の中央に向かう。

 定位置につくと扇子を持ち直して呼吸を整え、ぴんと背筋を伸ばしてはじまりの姿勢を作るとそれを合図に古典的なチェンバロの音色が広間に響き出す。

 セレスティーヌは足先から指先まで神経を行き渡らせながらも優雅にステップを踏んで舞い始める。

 高等舞踏とされる所以は、通常の舞より動作と回転の多さ。かと思えばぴたりと音楽に合わせて静止する場面もいくつかあり、音楽に置いて行かれる可能性もある。完全に合わせることの難しさがこの舞の難易度を上げていた。

 令嬢たちが固唾を飲んで見守る中で、セレスティーヌは微笑みながら柔らかく舞い続ける。無心になって。

 扇子を用いたポーズで静止するごとに令嬢達の吐息が漏れ、優美で情感のこもった彼女の舞は彼女たちを魅了した。

 音楽と寸分もずれることなく舞い終えて最後のポーズを取ったセレスティーヌは息を整えながら姿勢を戻した。

 刹那、広間は令嬢たちの盛大な拍手に包まれる。

「さすがセレスティーヌ様ですわ」

「ええ!こんなにもお見事な舞をご披露くださるだなんて……!」

「夢を見ているような心地がいたしましたわね!」

 感嘆の拍手と共に、彼女の舞を褒め称える声が溢れる。セレスティーヌは深いカーテシーで応えた。

 高等舞踏を失敗することで王子妃の資質を問うて皮肉を浴びせるはずが、16歳とは思えぬ完璧すぎる舞に教師はケチをつけることができず、憎々しさを押し込めて笑顔を見せる。

「……さすがですわね、セレスティーヌ・ド・サン=クレール公爵令嬢。お見事でしたわ」

「恐れ入ります」

 軽く首を垂れる。

 セレスティーヌの謙虚さに令嬢たちの好感度が上がる。

「……皆様もセレスティーヌ嬢を励みに、宮廷に入っても恥ずかしくない舞踏を身につける努力をいたしましょう」

 試し行為はなかったかのように令嬢たちに諭して、舞踏の授業は再開される。

 無事に踊り切れて安堵しているけれど……もう少し隙を残しておいた方がよかったのかしら?

 昔の先生は私を指名することはなかったわ。……むしろ……。

 難易度の低い舞を並んで一斉に踊りながら、セレスティーヌはリリア・ヴェルシェを視界におさめる。

 家格の低いあなたを先生は名指しして、恥をかかせようとしたわ。指定されたのは高等舞踏ではなかったけれど、あなたは舞が得意だから、難なく嫌がらせを回避して見せた。

 学院に入ってからも、密かに彼女は舞踏の練習に励んでいることを知っている。

 本当は、あなたの独壇場となる場面だったのに、退場する私が出過ぎた真似をしてしまった。……ごめんなさいね。


 授業を終えて解散の号令がかかると令嬢たちが入れ替わり立ち替わりセレスティーヌのもとまでやってきて、彼女の舞踏の感想を熱っぽく語っていく。

 それらに、にこやかに礼を述べて受け流す。そして遠慮がちに声をかける令嬢があった。……リリアだ。

 本来ならば、家格の差により彼女から話しかけることは許されていない。しかし、学院ではその限りではない(王族は除く)。

「あ、あの……セレスティーヌ様」

 緊張気味に頬を染めて、固いお辞儀をする。

「はい?」

「私は男爵家のリリア・ヴェルシェと申します。セレスティーヌ様の先ほどの舞、お見事でございました。パヴァーヌは私の憧れの舞ですが、セレスティーヌ様ほど美しくて幻想的な舞を知りません。わ、私、とても、とても尊敬いたしました」

 頑張って言葉を紡いでいるリリアに微苦笑した。

 素直で明るくて、いつも一生懸命。……あなたも変わらないのね。

 今ならわかるわ。押し付けられる健気さよりも、直向(ひたむ)きなあなたを好んだ殿下のお気持ちが。

 ……私も、大人になったのね。

 昔はあなたから私に話しかけてくることなんてなかったのに。

 私の視線に気まずさとおそれを抱いて、あなたはいつも殿下の後ろに隠れていたっけ……。

「あ、あの……セレスティーヌ様」

「……ああ、ごめんなさい。ありがとうリリア嬢。でも私、存じ上げていてよ。あなたも舞が得意なのでしょう?」

「えっ?!」

 リリアは震えた。公爵令嬢のセレスティーヌがありふれた男爵家のリリアを認識しているとは思わなかったからだ。

「広間で練習しているところを見かけたことがあるの。とても熱心に励んでらしたわ」

「う、あ……お、お恥ずかしい限りでございます!セレスティーヌ様の舞踏に比べたら、私の舞など児戯でございますから……!」

 顔を真っ赤にしてリリアは俯いた。

「謙遜は必要なくてよ。春の舞踏祭はぜひ、開幕の舞手に立候補なさいませ」

 春の舞踏祭とは、学院行事のひとつ。宮廷を真似た舞踏会だ。

 舞踏祭は選ばれし令嬢のひとり舞踏で始まる。教師の指名ではなく、立候補者の中から実技試験をして選ばれるならわしとなっていた。

「セレスティーヌ様は、立候補なさらないのですか?」

 リリアは舞手として高みにいるセレスティーヌが最終力候補に躍り出ることを疑っていなかった。

「実は、私は皆様の前で舞うことが本当は得意ではないの」

「あ、あんなにもお見事な舞でしたのに」

「……ふふ。でもこのことは、内緒にしてくださいませね。……舞踏祭のこと、応援しておりますわ。リリア嬢」

 今度こそ、あなたが殿下の目に止まるように。

 では、と笑みを浮かべてリリアから離れた。

「……セレスティーヌ様。なんてお優しい方……」

 芯があり、美しく、公平で揺るがない。まるでお伽話の中に住む理想の姫君のように。

 リリアは惚けたように広間を去るセレスティーヌを見つめていた。


リリアさん登場。

明日もまたご覧いただければ嬉しいです!

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