第二話:再会
華やかな王宮の一角、硝子で作られた温室の中央。
着飾ったセレスティーヌは美しいドレスに喜びを見出せぬまま、彼と向かい合うことになった。
この夢の中では、すでに彼とは見合いを終えているようだ。
心の準備ができていない。何より、もう彼の顔を覚えていない。
苦痛なのか緊張なのか、セレスティーヌは小さく震えながら、それでも自分を奮い立たせて顔をあげる。
かくして『彼』はそこにいた。
わずかにカールする銀の髪、赤い眼差し。整った顔立ちは美形揃いの王家の血筋を色濃く反映させていた。
顔を逸らして立つフィリックスを目にして、朧げになっていた王子の輪郭が彼女の中で鮮明に蘇ってくる。彼と過ごした記憶も同時に。
胸につんとした苦味が広がる。
ああ、夢って残酷ね。会いたくはなかったわ。あなたとなんて。
再会に不服を覚えながら、彼女は仕方がなく口を開いた。
「ごきげんようフィリックス殿下。セレスティーヌ・ド・サン=クレール、お召しにより参りました」
落ち着き払い、完璧なカーテシーを披露するセレスティーヌにフィリックスの従者たちは感嘆の息を漏らす。
「……別に俺の〝お召し〟でないが、セレスティーヌ嬢」
ええ、そうでしょうね。
セレスティーヌは内心、毒づく。
「……楽にしてくれ」
面倒くさそうに告げて、フィリックスは粗雑に席に着く。彼は手を軽く振って、セレスティーヌにも腰掛けるように促した。
本当に、あなたも昔のままね。
「失礼いたします」
無言のまま給仕が始まる。
セレスティーヌを迎えるために用意された甘いお菓子を食し、上品な渋みの紅茶に喉を潤し、香りのよい花に瞳を休める。
……なんて鮮明な感覚なの。食べ物の味までもしっかりと再現されているなんて……怖いくらい。
まるで、これが現実のような気さえしてくるわ。
そう考えて、すぐに頭を振る。
いいえ、違う。本当の私はセレスティーヌではなく、修道女クララよ。これは、幻想にすぎない。
貴族的なお茶会とは無縁になってしまった現実を生きる彼女は、その満たされた豊かさに懐かしみを覚え、同時に虚しくなった。
先ほどまで、すっかり忘れ去っていたフィリックスの横顔をちらっと見やれば、つまらなさそうにただそこに座っている。
お菓子にもお茶にも興味がなさそうだ。当然、セレスティーヌにも。
昔の私はこうしてあなたに接見するたびに、一生懸命話しかけていたわ。
王子妃となるのだから、彼を理解し、支えたいと前向きに。あなたから、なんとか言葉を引き出したくて。
健気だったのね。そんなもの、何の意味もなさなかったのに。
自嘲気味に思い返しながら、お茶を口にする。
話しかけることもなく、淡々とこの場を終わらせるためにお茶やお菓子を口に運んで時間を過ごす。
珍しく何も言わない彼女に、反対にフィリックスが違和感を覚えた。
「……今日は随分と静かだな」
皮肉を言われているようで、セレスティーヌは微苦笑する。
この夢は、雑音を耳にした私の記憶の追体験。
だからといって、夢の中でまで昔と同じように健気に振る舞う必要なんてひとつもないのよ。
「殿下、これまで姦しくして申し訳ございませんでした」
「何?」
「殿下にとって、私との縁談は単なるお仕着せ。その相手にあれこれと世話を焼かれるのは、さぞ疎ましかったことでございましょう」
フィリックスはここでようやく、表情が動いた。
「……急にどうした?」
「分をわきまえただけでございます」
「分を?」
「はい」
セレスティーヌはフィリックスに体を向ける。
「この先、殿下がどのような言動をなさろうとも、私は何も申しません。必要な時期が来たらば、私との婚約は解消してくださいませ。それまでは、仮といえども縁談相手の務めは果たさせていただく所存でございます。ですから」
スッと立ち上がる。
「私のことはお構いなく。どうぞ、殿下のお好きに」
にっこりと愛想笑いを浮かべて告げた。
時間だ。
唐突な宣言に面食らったフィリックスはぽかんと口を開けていたが、セレスティーヌは丁寧に頭を下げてそのまま退席する。
言いたいことを言えた彼女は胸がすく思いだった。こんな気持ちははじめてのことかもしれなかった。
※
セレスティーヌは舞に興じている。
貴族令嬢が嗜みとして身につける、ひとり舞踏。
レースの扇子を片手にステップを踏む。
市井の踊り子のような激しい舞ではなく、丁寧な所作で緩急をつけた宮廷用の優雅な踊り。
独自に脚色を加えながら、くるくると。
当時はただの嗜みのひとつで、楽しさを見出せなかった。妃教育と同時並行で、学ぶことが多すぎたせいだ。
屋敷の広間で舞踏に興じていると、ひとりの世界に入り込むことができる。瞳を閉じると、さらに無心になることができた。
昔の私では辿り着けなかった境地ね。
舞を終えて息を整えると、彼女の耳に拍手が届いた。
ハッとしてそちらに顔を向けると、扉にもたれかってこちらに拍手をくれるフィリックスの姿があった。
「見事だ。月下に舞う蝶のような静謐さを感じた」
素直に感心されてセレスティーヌは、無心に踊っていた姿を見られたのかと思うと、少し気まずさを覚えた。
「いつからそこに?」
フィリックスは近づきながら言う。
「少し前だ。そなたが集中していたから、話しかけなかった」
「……左様でございますか」
セレスティーヌは扇子をたたみながら他人行儀に答えるにとどまった。
あれから。
フィリックスは時々王宮を抜け出して、サン=クレール家の屋敷へ忍び込み、気まぐれに彼女の前に現れるようになった。
王子とは思えぬ整わない身なりで、商家の放蕩息子さながらに。
今頃従者たちが彼を探し回っているのだろうが。
言動に口出ししないから好きにしろ、とセレスティーヌから言った手前、苦言を述べることができない。
……そういうつもりで言ったわけではないのに。
構うなと言ったら捨て置かず、構い始めるとはどういう了見なのだ。
「そなたは舞が得意だったのか?」
「得意ではなかったように思います」
過去の私は。
「ただ、こうして舞踏で体を動かしていると、煩わしいことから離れて無心になれることに気がついたのです」
彼女の返答に、フィリックスは軽く眉を動かした。
「そなたでも、鬱屈することがあるのか?」
問われて彼を見る。
そなたでも?
引っかかりを覚えながらも答える。
「もちろんでございます。私も感情のある人間ですから」
「……そうか」
つぶやくフィリックスは意外だと言わんばかりに彼女を見返した。
「……そなたは屈託のないものとばかり思っていた。印象が変わったな」
意外にも以前と現在のセレスティーヌに温度差を感じ取っているようだった。
「殿下は、私に無関心なものとばかり思っておりましたわ」
「嫌味を言う胆力まで身につけていたのか。……だが婉曲した物言いよりよほどかいい」
フィリックスは苦笑する。
そのタイミングでマリーが広間にやってくる。
セレスティーヌだけではなく、王子の姿に彼女は目を見開く。
「マリー、フィリックス殿下のお越しです。おもてなしの支度を」
「は、はい。直ちに」
フィリックスを格式の高い応接間に案内をして、にわかお茶会をはじめる。
勝手に訪問している王子を進んでもてなす気がないセレスティーヌは、何冊か持ち込んだ本を広げて文字を目で追う。
「今は何を学んでいるんだ?」
「経済学を。……資産形成を進めようかと思いまして」
妃教育はすでに身についている。28歳の彼女からすると、昔取った杵柄。新たに学ぶことなどないのだ。
「資産形成?なぜ?」
この不可解な夢の終着点が見えないのであれば、将来に備えておく必要があると感じたからだ。
つまり、彼が他の令嬢に心を寄せ、婚約を解消したのちの可能性を模索し始めたのだ。
「成人ののち、実家に頼らぬためです。資産を形成して、手始めにまずは船旅をしてみようかと。私は海を見たことがございませんし、遠い異国を旅するのもよいのではないかと思いました」
「……船旅か。それはいいな」
フィリックスは浅く笑う。
「俺も海は見たことがない。この国にも港があるが、王都は内陸側にあるからな。……俺も海を隔てた異国に行ってみたいものだ。見知らぬ街、見知らぬ文化、見知らぬ者たち……きっと興味深かろうな」
会話を合わせているわけではなく、本心からそう思っているようで彼の瞳に光が宿る。
いつも昏い瞳をしていた記憶の中の彼とは異なり、セレスティーヌは軽く瞬きを繰り返した。
不思議な気持ちだわ。私と殿下がたわいない会話をしている。あなたへ向ける言葉は、いつも義務や責任のことばかりで……。
心を開いて欲しいと積極的に話しかけていた時には空回りするばかりだった。
けれど距離をとった途端にそれが叶うなんて皮肉なものね。
「そなたとの新婚旅行に船旅をするのはどうだろう?」
「……どうぞ、お好きに」
小さく微笑んで受け流すセレスティーヌに、フィリックスは軽く顔を顰めた。
「よし。そなたが経済を学ぶのであれば、俺もやるか」
思い立ったが吉日か。彼は立ち上がり、来た時と同じように唐突に帰っていく。
忙しない少年だ。
そして次にまた屋敷に訪れた時には。
「俺が真面目に自習室に座して待っていたら、教育係が目を剥いていたぞ。経済学の教師を増やせと言ったら、これは天変地異の前触れだとか喚いて震えてたが」
おかしそうにフィリクスは笑う。それほどに不真面目、不勉強さが目立つ王子なのだ。
「だが、ただ学ぶだけでは息がつまるな。かといって王宮を抜け出すと従者たちがうるさいし……。そなた、何かよい息抜きは知らぬか?」
ほとんど一方的に話していたフィリックスにセレスティーヌはここでようやく目を向ける。
「……そうでございますね。私にとっての舞のように、殿下もご自分に向き合えるご趣味をお持ちになるのがよろしいのではございませんか」
「趣味?」
「はい。何でも良いのです。ただひとり、無心になって向き合えるものであれば」
「……無心か」
考えるそぶりを見せていた彼が、そうして後日見出したのが。
「……木彫りの彫刻でございますか?これは何でございましょうね」
フィリックスからセレスティーヌに届けられたのは、小さな木彫りの『何か』だった。
マリーが不思議そうにそれを眺めて問いかけて来た。
「さぁ?三日坊主でなければ、そのうち正体がわかるでしょう」
セレスティーヌがいう通りに、フィリックスから届く木彫りの『何か』は劇的に技術や造形が向上し、それらは正体をあらわした。
繊細に作られた小さな彫刻は、写実的な蜻蛉を掘り出していた。
今までの作品(?)は、すべて虫を造形していたのだと気づく。
「……昆虫だったのね」
セレスティーヌは居室の窓辺に届いたそれらを並べて、納得をした。
「殿下は昆虫がお好きなのでしょうか」
「……王宮を抜け出してはどこぞの森にこもっていらした方だから、馴染み深いのかもしれないわね」
マリーに答えながら、彼女はフィリックスの知られざる一面を垣間見た気分になる。
知らなかったわ、殿下が昆虫を好いていたなんてこと。それに、器用だというとも。
確かな観察眼がなければ、ここまで精巧には作り出せない。
無心に昆虫作りと向き合う彼は、どんな表情を浮かべているのだろうか。
「木屑だらけになっている俺を見て、侍従長が〝まさか、殿下は皇太子ではなく木彫り職人にでもなるおつもりですか〟と真顔で問いかけてきたぞ」
訪問したフィリックスの言葉に、セレスティーヌは虚をつかれて吹き出しそうになってしまう。
しかし笑い声を上げるのは下品だと顔をそむけ、必死に手で口を押さえて震える。
急に勉強家になったり、木彫りに集中したり。さぞ彼の周囲の人間たちは不気味に感じていることだろう。
「それも、ようございますね」
彼女から笑いを引き出したことで、フィリックスは満足したように笑顔を浮かべた。
「やっと笑った」
「……え?」
懸命に笑いをおさめながら、見返すとフィリックスは柔らかく彼女を見つめていた。
「そなたはいつもすまし顔でつまらなかった。趣味を作った甲斐もあったな」
すっきりとした表情の彼を見返して、セレスティーヌは複雑な心境になった。
なぜそんな顔を私に向けるの?昔は、私と視線すら合わせなかったのに。
ふと気づく。
心を開いてもらうとは、心を通わせるとは、こういうことだったのかしら。
私は、殿下に正しさを押し付けるばかりだった。
それでは会話など、成り立つはずもない。
セレスティーヌは今更のように後ろめたさを覚えた。
私は、あなたのことを何も知らなかった。
子供だったのだわ、私も。自分のことだけで精一杯で、殿下を本当の意味で理解できるほど成熟していなかった。
疎ましがられても仕方がない。自分本位な振る舞いだった。
「……申し訳ございません殿下」
「なんだ。どうした?」
「いえ、お詫びしたい気持ちになったのです」
これは追体験。過去は戻らない。やり直せるなんて思っていない。
それでもこの夢の中だけは、彼に詫びておきたいと思ったのだ。
「変な女だな、セレスティーヌ。……セレスティーヌ、か」
「はい?」
「呼びづらいな」
「……」
人の名前をなんだと思っているのだ。
少し考える姿勢をとったあと、かれは「よし」と頷き口を開く。
「セス」
「?!」
「これからは、そなたをセスと呼ぶ。じゃあ、セス。またな」
こちらの返事を待たず、彼は風のように部屋を出て行った。
相変わらずの忙しなさだ。
「……セスだなんて」
家族だけが呼ぶ愛称を彼に教えたことはなかった。その名をまさか彼に呼ばれようとは。
私が知らない殿下の一面や、未熟だった自分の背中ばかりを見せるこの夢……。
「まるで……少女時代の恋しさに、いじめられているようだわ」
第二話でタイトル回収。
最初から大タイトルだけは決まっていました。
悩まず大タイトルがすっと決まると、気分がいいですよね(笑)。
明日も続けて読んでくださると嬉しいです。




