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【完結】いずれ退場する身ですから、どうぞお構いなく  作者: 阪 美黎


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第一話:夢の始まり

 修道女の朝は早い。


 日の出前に起き出して身なりを整えるとミサへ向かい、朝食を済ませたら、それぞれの使徒職へと向かう。

 クララは俗世での名前をセレスティーヌといい、公爵令嬢という高い身分にあったが約10年前に出家した。


 本日の予定は教会が運営する施療院への寄付者対応。そして帳簿付けの補助。

 出家をすれば俗世での身分を剥がされ、貧しい村娘から貴族令嬢まで一律の共同生活を送ることになる。それでも元の出自は完全に抹消することは難しく、クララの望みでなくとも主に事務方として働き、時には有力者や貴族の対応を余儀なくされる。

「時間までは、施療院での洗濯仕事を手伝いましょう」

 クララはひとつ頷いて修道院の敷地内にある施療院へ向かい、そこで同時期に出家した商家の娘と顔を合わせた。

 彼女はクララを見るなり、周囲を注意深く確認しながらそっと近づいて笑いかける。

「クララさん、今日はお誕生日よね」

 指摘されて「あ」と声を上げる。

 ここでは誕生日など関係がないので、彼女はすっかり忘れていた。

「今年も忘れていたの?変化がない日常だからこそ、忘れてはいけないことよ。私はみなさんのお誕生日を忘れないようにしているの」

 俗世の感覚がまだ抜けない彼女に微苦笑して「そうね」と曖昧に同意した。

 28回目の誕生日。

 そうか。

 私は、28歳になったのか。

 どこか他人事のようにぼんやりと考えながら空を見上げると曇天だった。

 洗濯物は、乾きそうにない。



 施療院への寄付者、主に貴族たちはある種の興味と好奇心、そしてわずかな同情を携えてクララの前に立つ。

「ご無沙汰いたしておりますわ、セレスティーヌ様……ああ、申し訳ございません。今はクララ様とおっしゃるのですわよね」

 わざとらしく名前を間違えるどこぞの貴婦人は下品に口元を歪める。

「奥様。当施療院への格別のご配慮、ありがとうございます。教会、修道院長にかわってお礼を申し上げます」

 丁寧に頭を下げるクララに「他ならぬクララ様がおられる修道院ですもの」と彼女が用意したお茶に口をつける。

「本当に可哀想なクララ様。本来なら皇太子妃として今頃宮廷でお過ごしのはずでしたのに、このような賤が屋に押し込まれて……」

 修道院を賤が屋呼ばわりとは……信仰心を疑う。

「……望んで出家した結果ですから」

 10年前のセレスティーヌは、立太子前の王子の婚約者であった。

 しかし、ある事情により出家をしたのだ。

「まったく不実なことでございますわよねぇ。貴女様がご出家して間もなく、お母上が亡くなり、原因となったご令嬢をあっさりと袖になさったかと思いきや、あちらこちらの〝花〟に手をつけて……フィリックス殿下の無節操さと言ったら際限なく」

「…………。左様でございますか」

 クララは表情を変えることなく応答した。

「クララ様……いえ、セレスティーヌ様が王子妃となられていれば、このような失望を臣下に抱かせなかったものをと……皆口々にご出家を悼んでおりましてよ」

 探るように視線を流されたが、クララはそれに取り合うことはなく告げる。

「もはや、私には過ぎたことでございます。今の私は神の使徒。あの方も皆様もただ、健やかにお過ごしいただきたく存じます」

 感情的な反応を見せないクララを貴婦人は面白くなさそうに瞳を細める。

「本当にクララ様は穏やかでいらっしゃいますのね。修道院暮らしに随分と馴染まれたご様子で……」

 皮肉とも嘲笑ともとれる言葉を残して去っていった。

 この手の話、何度聞かされて来たことか。

 手を替え品を替え、彼の悪評を出家した彼女に吹き込みにくる貴族(ひまじん)たちの多さに辟易する。

 同時に修道女を零落とみなし、憐れみと嘲笑とを彼女に向ける。

 その日暮らしの貧民よりも、本当の意味で貧しいのは彼らの方だ。

 元王子妃候補で、王子の婚約者。

 俗世での彼女の肩書き。

 ある時期に縁談が破談となって、行き場を失った彼女は出家した。

 美しい娘時代を引き換えにして、クララは心の平安と充足感を手に入れたのだ。

「だから、後悔なんてしていないわ」

 小さく息をついて応接室を出た。

 寄付金の礼状の手紙を書き、集まった寄付金を数えて帳簿につける仕事がまっている。


 1日の仕事を終えて就寝前に祈りを捧げ、ベッドに入る。

 すぐには眠気がやって来ず、クララは何度か寝返りを打つ。

『貴女様がご出家して間もなく、原因となったご令嬢をあっさりと袖になさったかと思いきや、あちらこちらの〝花〟に手をつけて……フィリックス殿下におかれましては』

 眠れないのは、昼間やってきた貴婦人の雑音のせいだ。

 クララは眉を寄せる。

 後悔はしていない。けれど。

「……10年過ぎても、あなたは相変わらずなのね。……あなたがどう生きようと、私には関わりないこと。……私はもう、」

 あなたの顔すら思い出せないのだから。

 その事実に安堵して、クララはすうっと眠りに落ちていく。

 明日もまた、修道女のつとめを果たすために。



 ※



 柔らかな寝具から花の香りが鼻腔を掠めて、クララは違和感を抱いた。

 そして、すぐに寝坊したことに気づき、飛び起きる。

「……いけない!すっかり寝入ってしまった!ミサに遅れてしまう!」

 今日は私がミサの準備の当番なのに……!

 慌ててベッドからおりようとして、顔を上げる。

 質素な修道女の部屋とはかけ離れた、貴族趣味の華やかな寝室。

 ベッドは天蓋付きで、レースやリボンで可憐に飾られている。

 部屋のあちらこちらにおかれた花瓶からは美しい花々が競うように咲き誇っていた。

「……こ、これは……」

 愕然としていると、寝室へとつながる居室の扉が開く。

「まあ、お嬢様。本日はご自分でご起床なされたのですね。感心でございますよ」

 明るい声音でクララに話しかけてきたメイドは、年若い娘。名前は……。

「……マリー……?」

「はい。……あら?まだお眠なのです?」

「……」

 マリーは令嬢時代のクララにつかえていた使用人だ。

 婚約が破談となって、居場所を失ったクララが出家を決意した際、泣くことすらできなかった彼女の気持ちを察して「なぜお嬢様だけがこんな思いをしなければならないのですか?!」と気持ちを代弁するように嘆き悲しんでくれたメイドである。

 縁づいて遠方へと嫁ぐ前に一度だけ修道院を訪ね、別れの言葉をくれた。以降、マリーとは会うこともなかったのだが。

 クララは懐かしさを覚えてじっとマリーを見つめた。

「そんなに私を見てどうなさったのです?さあ、お嬢様。身支度をいたしましょう」

 マリーは構わずクララの布団を捲り、追い出すのだ。

 そこで感覚的な異常を覚えて、鏡を探して自分を映し出す。

 するとそこには、28歳の修道女のクララではなく、14歳頃の令嬢……セレスティーヌがいた。

 ……ありえない。

「……夢だわ」

 それ以外に説明がつかなかった。

 目覚めなければ。

 クララは両手で頬をぱちぱちと叩く。

 起きなさい、クララ。ミサの準備をしなくてはいけないのよ、昔の夢なんて見てる場合ですか!

 しかし叩く頬が痛むだけで、目覚める様子はない。

「お、お嬢様!何をなさっておいでですか!」

 マリーがクララの腕を掴んでやめさせる。

「止めないでマリー、私は起きなきゃいけないの!」

「もうお目覚めではありませんか。やっぱり寝ぼけておられるのですね。さぁお着替えいたしますよ?」

「で、でも……」

「でもではございません。本日はフィリックス殿下とのお茶会の日ではございませんか。ささ、お早く!」

「え、……ええ?!」

 フィリックス殿下との接見の予定があるの?!

 混乱する彼女を半ば引きずるようにして、マリーはクララ……いや、少女にもどったセレスティーヌの身支度を始めてしまう。

 そうして目覚められないままセレスティーヌは、この夢の展開にしばらく付き合うことになった。


はじめましてもそうでない方も、拙作をご覧いただきましてありがとうございます。

2026年最初の更新が新作とは、とってもめでたいです。

短編ではございますが、全5話展開の連載形式とさせていただきました。

最後までお付き合いいただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。

※本日から1話づつの毎日更新です。

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