第7話:『神童の日常(と、地獄の現場)』
神楽の脚本通り、シンの「作られた伝説」は、ここから加速していく。 彼が教室にいるだけで、空気が変わる。
彼が廊下を歩くだけで、生徒たちが道を開ける。 その全てが、彼の前世では決して得られなかった、甘美な万能感を満たしていった。
【錬金術の教室】
今日の課題は「中級回復薬」の調合であった。 教室内には薬草の匂いが満ちている。 ライバル役のゼイドが、教科書通りの完璧な手順で、寸分の狂いもなく材料を調合していく。 彼のフラスコの中では、液体が見事な虹色に変化していた。
教師は頷きながら言う。
「さすがはゼイド君、今期一番の出来だ」
「ふっ、当然だ。俺は天才なのだからな」
ゼイドは、シンを挑発するように、勝ち誇った笑みを浮かべる。
だが、シンは慌てない。 (非効率な手順だ……) 内心で呟くと、前世の化学知識(うろ覚え)を元に、独自の理論で材料を調合し始めた。
触媒として、本来なら使わない鉱石の粉末を少量加える。 他の生徒たちが黒い煙を上げて失敗する中、彼のフラスコだけが、まるで内側から発光しているかのような輝きを放ち、完璧な「上級回復薬」が完成した――ように見えた。
シンが上級回復薬の入ったフラスコを置き、得意げな顔で完成を伝えようとした、その瞬間。 リリーナが彼に飛びついた。
「きゃっ! あ、あそこに身も心も腐った虫が!」
シンは胸元に飛びつかれたことに驚いたが、それ以上にリリーナの甘く柔らかな香りにより、一瞬、気を失いかける。 だが、すぐに気を取り戻してリリーナが指さした方を見た。
「む、虫なんていないけど。そ、それより、む、胸が当たって…ます」
「ご、ごめんなさい! 虫にびっくりしちゃって!」
リリーナが赤面して離れる。 二人が互いの顔を見れずにいると、教師はフラスコに入った回復薬を見て驚愕の声を上げた。
「こ、これは上級回復薬!? ここにある資材だけで作ったというのか!」
「え、ええ。(あれ、こんな色だったかな)」
教室中が、息を呑む。 ゼイドの顔が、驚愕と屈辱に歪んだ。 リリーナは感嘆の声を漏らす。
「す、すごいですわ、シン様! 教科書にも載っていない作り方です!」
【コントロールルーム】
「ディレクター! クライアントが手順を無視! このままではただの色水が出来るだけです!」
「完成品と入れ替える準備は出来てるか!」
「はい! 小道具班、スタンバイ!」
「リリーナ役に伝えろ! クライアントに飛びつき、フラスコから視線を逸らさせろ! 時間は3秒だけだ! それ以上、抱き着いても追加報酬は出さん!」
「え、えーっと……リリーナ役より伝言です! 『3秒だと抱き着いて突き飛ばす形になり、恋愛どころではない。最低でも5秒は欲しい』とのことです!」
「っ……足元を見おって……! 4.49秒! これ以上は出せん!」
リリーナは生徒役の天使から「4.49秒」と聞くと、教室に設置されている隠しカメラを睨みつけ、口パクで返す。 (4.49秒って、ほぼ5秒じゃないの! どうせ四捨五入して4秒分のギャラしかくれない気でしょう、このケチディレクター!)
リリーナは内心で悪態をつくと、完璧な聖女の笑みを浮かべてシンに飛びついた。
「……きゃっ、あそこに身も心も腐った虫が!」
リリーナは隠しカメラがある方面(カメラ越しの神楽)を指さして言い放つ。 その隙に、生徒役の天使の一人が神業のような速さでフラスコをすり替えた。
「……成功! 入れ替え、成功しました!」
「よし!」
神楽が力強くガッツポーズする横で、セラフィムが呆れたように告げる。
「よくないでしょう。クライアントが適当に入れた鉱物、連鎖反応して有毒ガスが発生していますよ。……あっ、回収した生徒役が倒れました」
モニターの隅で、先ほどファインプレーを見せた生徒役の天使が、泡を吹いて痙攣し、床に倒れ伏した。
【錬金術の教室】
「きゃあ!」
教室の隅で、生徒の一人が突然倒れたことで、平穏な空気は一変した。 教師役の天使が慌てて駆け寄るが、倒れた生徒は激しく咳き込み、その口から、ごふっ、と鮮血が吐き出される。
「な、なんだ!?」
シンも、突然の出来事に驚きを隠せない。
血を吐いた生徒は息も絶え絶えに、血の付いた指で、床に文字を記した。
【ロウサイデマスヨネ】
生徒役たちがそれを見て(……でないんだよなぁ)という心の声と同情から涙を流していると、ただ一人、迷わず駆け寄った者がいた。リリーナだった。
「皆さん、下がっていてください!」
先ほどまでのおっとりとした雰囲気は消え、その瞳には、医療従事者のような、真剣で力強い光が宿っていた。 リリーナはシンが血文字に気づく前に、教壇においてあった回復薬を血文字の上に流し込み。文字を滲ませて、それっぽい呪文を唱える。
「精霊の使い手よ! この者の体内に流れ込んだ毒素を、この魔法陣の前に吐き出させてください!」
彼女は床に魔法陣を描く振りをしながら、血文字を完全に掻き消し去った。
「くっ、どうして! 私の治癒術が通じないなんて……!」
リリーナは渾身の演技をしながら、視線で教師役に合図を送る。 ――早く、本物の「上級回復薬」を持ってこい、と。
教師はその意図に気づき、ハッとした顔で叫んだ。
「そ、そうだ! 先ほど、シン君が作った、あの回復薬を使えば治るやもしれぬ!」
教師はシンが作った(とされている)フラスコの中身を、倒れた生徒に飲ませる。 すると、荒かった呼吸が落ち着き、彼は緩やかに眠りについた。
「そ、その人は大丈夫なの」
シンが心配そうに言うと、リリーナは聖女の笑みで返す。
「ええ、大丈夫です。さすが、シン様ですわ。私が太刀打ちできない毒も、シン様の薬は癒してしまうのですね」
「えっ? あっ、そ、そうかな」
シンは、自分が作った薬が本当は猛毒であったことなど知る由もなく、得意げになっていた。
【コントロールルーム】
「倒れたあの者の労災申請は、私が責任もって進めておきますので。なぜこのような事態になったのか、再発防止のために。丁寧に、具体的に、二度と起こらぬように、報告書に記してくださいね。……まあ、あなたに次回があればの話ですが」
セラフィムが、静かにデータパッドに記録をつけながら言う。
「ちっ、また無駄な書類仕事が増えた。ちっ、労災申請が通れば、来期の保険料が上がってしまう……」
神楽は、心底面倒くさそうに呟くと、すぐに意識を切り替えた。
「まあいい。それよりも、成果だ。クライアントの魂の純度はどうなった?」
「……不本意ながら、急上昇しています。彼の承認欲求が満たされている影響かと」
「だろう?」
神楽は、満足げにコーヒーを啜る。 その傲慢な態度に、セラフィムは内心で舌打ちし、次の議題へと移った。
「次の議題に入ります。明日の予定は……剣術訓練。ですが、その装備リストに、信じがたい申請が添付されています」
セラフィムは、データパッドを神楽に見せつけるように突き出した。その声には疑念が満ちている。
「『神剣グラムの貸出申請』……正気ですか、ディレクター。これは、中央の宝物庫に厳重封印されている神話級の遺物。公式記録によれば、起動条件は『極めて純度の高い魂』。魂が濁りきったクライアントでは、ただの重い鉄塊も同然です。なぜ、こんな無意味なものを用意したのです」
セラフィムの完璧な正論。 しかし、神楽は、心底楽しそうに笑った。
「よもや君は、この剣の真価を知らないのか。ほう、それなら楽しめると思うぞ、セラ」
「楽しむも何も、本物を持たせて、英雄の気分を味わわせる、といったような、浅薄な理由でしょう。あと、気安くセラと呼ばないでください。不愉快です」
「了承した、セラ」
「…………」
セラフィムは神楽を睨みつけるが、神楽は意に介さず、通信機に指示を飛ばした。
「ライバル役のゼイドに伝えろ。明日の訓練、序盤は加減していいが、後半は全力でクライアントを叩き潰せ、と」
その言葉に、セラフィムは目を見開く。
「全力、ですって……?」
神楽は、モニターの中で自信を取り戻したシンを見つめ、悪魔のように微笑んだ。
「最高の舞台には、最高の絶望が必要だ。ライバルに『絶対に勝てない』と確信すればするほど、初めて、それを覆す『奇跡』が輝く」
「いくら、神剣とは言え、あのクライアントにとってはただの鉄の塊です。どうやって奇跡を起こすのです」
セラフィムの疑問に、神楽は答えなかった。 ただ、別のモニターに映る、友人たちと談笑するヒロイン、リリーナの姿を、静かに見つめているだけだった。 彼女の腕には、いつの間にか、美しい宝石のついたブレスレットが巻かれていた。
そのブレスレットに気づいた瞬間。
セラフィムはこれから起ころうとしている、常軌を逸した計画の全貌に思い至り、戦慄した。
第7話、お読みいただきありがとうございました!
次回、いよいよ神剣グラムが登場! 全力のゼイドを相手に、シンはどう戦うのか!? そして、神楽が仕掛ける「奇跡」のカラクリとは……?
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また明日19時にお会いしましょう。 Studio_13




