第2話:『賢者の弟子、誕生(オーダー通りです)』
意識が、浮上する。
最後に覚えているのは、親の遺したわずかな貯金通帳を握りしめ、冷たい部屋で人生に絶望していた記憶。 だが、今、感じるのは、温かな木漏れ日と、頬を撫でる柔らかな風、そして土の匂いだった。
(……なんだ、ここは?)
目を開けると、自然あふれる森の中だった。 大木の下に自分が座り込んでおり、その幹に触れると、自分の腕が、身体が、ありえないほど小さくなっていることに気づいた。
子供の手、子供の足。
混乱する彼の前に、ゆっくりと一人の老人が姿を現した。
「……おお、こんなところに生き残りがおったか。可哀想に……」
現れたのは、白く長い髭を蓄え、樫の木の杖をついた、いかにもな賢者風の老人だった。 彼は、大木に腰掛けるように座ると、自分が住んでいた村が魔物に襲われて全滅したこと、そして自分だけが唯一の生き残りであることを告げた。
記憶はない。だが、この小さな体には、深い喪失感が刻み込まれているようだった。
「おぬし、名はなんという」
「…………」
答えられない。前世の名前を言うべきか? いや、そもそも声の出し方すら、おぼつかない。 老人は、悲しそうに目を伏せ、そして優しく微笑んだ。
「そうか……記憶も失くしたか。ならば、わしが新しい名を授けよう。おぬしの名は……『シン』じゃ。わしはアルパス。この森の賢者と呼ばれておる。今日から、おぬしはわしの弟子として暮らすがよい」
シン。それが、彼の新しい名前。 アルパス。それが、彼の新しい家族。
こうして、彼の二度目の人生は、伝説の賢者の弟子として始まった。
【コントロールルーム】
「ディレクター。一人のクライアントのために、これから十数年分の育成プログラムを組む気ですか? 正気とは思えませんね。規約上、一つの案件にかけられる期間は最大でも……」
モニターに映る、幼いクライアントと賢者役の天使の姿を見て、セラフィムが冷たく指摘する。 すると、神楽は人の悪い笑みを向けた。
「ははは、君は真面目だなぁ、セラフィム監査官。誰が十数年も待つものか」
神楽はコンソールのスイッチを一つ押す。
モニターの隅に、【時間加速フィールド:稼働中(倍率x1000)】という表示が灯った。
「これは、クライアントの魂に『幸福な少年時代』という記憶の土台を焼き付けるための、必要なプロセスだ。前世で欠落していたものを、ここで補填してやるのさ。まあ、違反スレスレの裏コードだがね」
「……あなたは、本当に」
呆れるセラフィムを尻目に、神楽はモニターの中の「シン」へと意識を戻した。
【森の賢者の家】
アルパスとの生活は、穏やかで、幸福だった。
生まれて初めて、誰かに褒められた。 生まれて初めて、温かい食事を毎日食べられた。 生まれて初めて、自分の居場所があると感じた。
幸せだ。幸せなはずなのに。
ふと、アルパスの優しい笑顔が、前世でテストで100点を取らないと怒っていた母親の姿と、それを無視していた父親の姿と重なる。 温かいスープの味が、ブラック企業で啜った冷たいカップ麺の味に変わる。 強烈な頭痛と共に、脳裏にこびりついた失敗の記憶がフラッシュバックした。
(やめろ……思い出すな……!)
シンは、頭を振って必死に記憶を追い出す。「今が幸せなら、それでいいじゃないか」と、自分の心に蓋をする。 その様子を、アルパスは何も言わず、ただ静かに見つめていた。
そして、シンが10歳になった(という設定の)日。 アルパスは、一冊の古びた魔導書を彼の前に置いた。
「シンよ。おぬしには、魔法の才能があるやもしれん。今日から、これを読んでみるがよい」
シンは、期待と、そしてまた失敗するかもしれないという恐怖が入り混じった、複雑な気持ちでその本を開いた。 (……違う。これは、血の滲むような努力をして、100点を強要された『勉強』とは違うんだ。出来なくてもいい。ただ、この世界に僕がいるだけで、いいんだ……!)
【コントロールルーム】
神楽は、椅子の背にもたれかかり、腕を組んだ。
「さて、セラフィム監査官。土台はできた」
モニターの中では、シンが魔導書の最初のページを、恐る恐る指でなぞっている。
「ここからが、このプロジェクトの本番だ。見ていたまえよ」
神楽は、不敵な笑みを浮かべた。
「――今から、ただの凡庸な魂を、歴史に名を遺す『神童』に仕立ててみせよう」
第2話、お読みいただきありがとうございました!
次回、ついにシンが魔法に挑戦! 果たしてその結果は……そして神楽の真の狙いとは!?
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また次話でお会いしましょう。 Studio_13




